小さな魔法使い
アーヤの発言を聞いて、全員の食事をする手が止まった。
「魔法使いになりたいの?」
「うん!」
鼻息を荒くし、力強く頷いた。
「パパみたいにまほうが使いたい!」
「ん~……。そっかぁ、そうなんだ」
悩ましい話に歯切れの悪い言葉しか出せない。
魔法使いになりたい憧れを持つのは悪くはないが、どうしても考えてしまうことがある。
セシルを見ると、小さく首を振った。
「ねぇ、アーヤ。魔法使いになるには大変なんだよ? パパも大変だったんだから」
「アーヤ、がんばる! だから、まほう教えて!」
「えっと……。パパは教えてあげられないんだ。まだ修行中だし」
「え~!? いいもん! ばぁばにおねがいするもん!」
回答を間違ってしまったかもしれない。魔法使いを諦めさせるどころか、本職の人に習いに行こうという意志を芽生えさせてしまった。
どうしたものか。この場で考えても、答えは出そうにない。最悪のパターンとして、ヴィヴレットに口裏を合わせてもらうという手もある。
とりあえずは了承しよう。
「分かった。じゃあ、今度のお休みの時に行こう」
「ほんと!? やったー!」
諸手を上げて、喜びを爆発させた。
その顔を見て罪悪感が生まれた。いや、アーヤのこれからを思えばこそだ。勇者として生まれたアーヤの人生。できれば、平穏無事に過ごさせてあげたい。
身勝手かもしれないが親心故のものだ。分かって欲しい。
・ ・ ・
寝室のベッドに寝転がって、今日のお昼のことを考えていた。
アーヤは優秀な子供だ。クラトスが教える勉強を完璧にこなしており、教えることがなくなりそうだとぼやいていた。
勇者としての才覚なのか。嬉しいことだが、勇者と考えると素直に喜べないところがある。
ドアがゆっくりと開くとセシルが部屋に入ってきた。
「悩ましい顔をしているな。ユーたんは、やはり止めたいのか?」
「……うん。力があると厄介ごとに巻き込まれてしまう気がするんだ。だから、普通の女の子として過ごしてほしい」
「そうか。私も考えたのだが……。悪い事ではないと思う」
セシルの言葉で思わず体を起こしてしまった。
どういうことだ。セシルはアーヤが勇者であることを知っている。魔法を教えるのは危険なのかもしれないことが分かるのではないか。
「アーヤが勇者ならば、己を守る術を身に着けることも必要ではないか? どういう所が勇者かは分からないが、もしそれが敵にバレてしまえば、それこそアーヤが危険になってしまう」
「危険か。……どうしたら、良いのかな? セシルの言う事も正しい気がする」
「本人の自主性を尊重してはどうだ? 本当に危険だと思ったら、その時に止めればいいと思う」
「……そうだね。僕達がきちんと見てあげれば良いよね。ありがとう、セシル」
「私達の想いはきっとアーヤに届くはずだ。ユーたん、一緒に見守ろう」
うん、と言うと、改めてベッドに横たわった。
アーヤの選択が、これからの人生でどうなるのか分からない。ただ、それは何もしなかった場合でも同じだ。
それなら本人の思うように進んで欲しい。考えれば悩みは尽きないが、考えなければ親の成長もない。子供だけでなく、親も成長しなければ。
新たな世界に一歩を踏み出したアーヤを追うように、僕達も親としての一歩を更に進めた。
・ ・ ・
ヴィヴレットの教授室のソファに座って、ヴィヴレットの到着を待っていた。
ご機嫌なアーヤと談笑をしていると、ヴィヴレットが教授室に戻ってきた。
「二人とも、すまぬ。遅くなってしもたわ。さて、早速、アーヤの魔法適正を測ってやるとするかのう」
「よろしくおねがいしまーす!」
アーヤは右手を高々と上げて声を上げると、その手をヴィヴレットに差し出した。
微笑んだヴィヴレットは手を取って、目を閉じて集中しだした。昔、僕も同じことをされた。それと同じなら、すぐに結果が出るはずだ。
だが、答えは出なかった。
眉間にしわを寄せて、唸り声を上げ始めた。どういうことだろうか。ドキドキしてきた。
ヴィヴレットは目を開けると、僕の目をじっと見つめてきた。その目は少し悲し気なものに見える。
「アーヤよ、正直に言おう。……お主に魔法の適正はない」
ヴィヴレットの言葉に呆気に取られてしまった。それはアーヤも同じで目をぱちくりさせている。
「ちょっと待ってください。アーヤは魔法が使えないってことですか?」
「うむ。魔法を使うためには、魔力が体から漏れていることが重要じゃ。じゃが、アーヤから微塵も魔力が漏れだしておらぬ。魔力を放出することができないのじゃ。こうなると、魔法を使うことはできん」
「そんな……」
勇者として生まれたアーヤが魔法を使えない。そんなことがあるのか。
困惑する僕を見て、ヴィヴレットは続けた。
「魔力が漏れていない。もしくは、漏れる量が少ないことは悪い事ではない。魔力は生命力と密接に繋がっておる。剣士で大成した者の多くは、魔力を生命力に変えて、肉体を強化しておる。じゃから」
「まほう……使えないの……?」
アーヤの問いにヴィヴレットは力なく頷いた。
「いや……。やだ! ばぁば! まほう教えて!」
「すまぬ。できぬのじゃ。お主では……」
「いや……。ねぇ、パパ! パパ、教えてよ! ねぇ!?」
懇願するアーヤの瞳から目を逸らした。
あのヴィヴレットが匙を投げたのだ。僕に何かできる訳がない。
アーヤが僕に呼び掛ける声が、徐々に涙交じりになっていく。
「ねぇ、パパ! パパ、教えてよぉ……。ねぇ、パパぁ」
アーヤがしゃくり上げだした。涙をボロボロと流して、泣き声を上げている。
ここまで魔法を使いたかったなんて。だが、僕が魔法を教えてあげることはできない。
僕にできることと言えば、ただ泣きじゃくるアーヤの肩を抱きしめて、涙が治まるのを待つことしかなかった。
・ ・ ・
泣きつかれて寝てしまったアーヤを背負って、城下町へと向かっていた。
陽が傾き、空の色が変わって行く。夕刻を告げる鐘の音が鳴り響くと、背負っていたアーヤが微かに声を上げた。
「ん……。パパ?」
「あ、起きちゃった? 今日の夕飯はなんだろうね。楽しみだ」
「うん……」
まだ、気落ちしている。当たり前か。夢が一瞬で瓦解したのだ。大人でも苦しい事が、子供に苦しくない訳がない。
魔法のことに触れないでおこうか。このまま時間が経てば、夢もくすんで、思い出の片隅に追いやられるに違いない。
そうしたら、忘れることができる。何もなかったことに。
いや、それではダメだ。納得して欲しい。決別して前に進んで欲しい。だから、僕は聞く必要がある。
「ねぇ、アーヤ? どうして、魔法が使いたいの?」
「……パパみたいになりたかったの」
「パパに?」
アーヤが僕の服をぎゅっと握ったのが分かった。
「パパがまほうを使うと、みんな笑うの。ケガして泣いていたのに、笑うの……。だから、アーヤもまほうを使いたかったの」
アーヤは僕に憧れていたのか。多くの人の笑顔が見たい。心優しいアーヤらしい動機なのが、とても嬉しい。
皆を笑顔にしたい。それなら、アーヤはもうできている。そのことを伝えよう。
「実はね、アーヤは魔法使いなんだよ?」
「えっ? でも、まほう使いになれないって……」
「ううん、魔法を使っているんだ。どんな魔法か分かる?」
アーヤは考え込んでいるのか、返答はなかった。
小さく笑って、言葉を続けた。
「皆を笑顔にする魔法だよ。思い出してごらん。パパやママ。ユーグくん、クラトスさん、レモリーさんもそうだ。皆が笑顔で話してくれるでしょ?」
「うん」
「それが魔法なんだよ。アーヤだけが使える魔法。怪我は治せないかもしれない。でも、本当の笑顔になるのは、きっとアーヤの魔法しかないと思う。だから、アーヤは魔法使いなんだよ」
「アーヤ、まほう使いなの?」
「そうだよ。パパ、嘘を吐いたことないでしょ?」
「うん! パパとアーヤはまほう使いだね!」
「うん。じゃあ、家に帰ってママに魔法を使おうか」
「おー!」
アーヤの魔法は真っ先に僕に届いたのだろう。先ほどまで抱えていた不安がどこに行ったのか分からない程、幸福感に包まれている。
笑顔の魔法ほど、人の心を救うものはないと思う。僕が知っている魔法使いで一番なのはアーヤなのかもしれない。
小さな魔法使いの屈託ない笑い声を聞いて、そう思った。




