大樹の中で、お茶会を
大樹に近づくと、改めてその大きさに息を呑んだ。
二十メートルはあるだろうか。木の根が盛り上がっており、幹が太くて重量感がある。
その樹にコブのようなものが三つあった。そこには窓があり、光が漏れていた。
樹の周りには小さな畑や、木造りの小屋がある。
自給自足の生活をしているのだろうか。
「どうかしたか? 早く付いてくるのじゃ」
ヴィヴレットは言うと、樹の幹に取り付けられている階段を上って行った。
見れば、階段を上った先にドアがあった。そのドアを開けて樹の中に入って行ったので、慌てて後を付いていく。
「お邪魔しま……うわぁ……」
言葉を失ってしまった。
そこら中に物が散乱しており、足の踏み場に困ってしまう。
部屋は樹の中だけに、木目調で温もりのある造りをしていた。
そんな柔らかで清らかな雰囲気を、整理されていない物たちで台無しにしている。
「こっちに来るがよい。茶を入れてやろう」
声のする方に振り向くと、帽子を取ったヴィヴレットがいた。
暗闇の中で見た時よりも可愛らしい。紫色の長めの髪が緩いパーマを掛けたように、柔らかな曲線を描いていた。
魔女と言うよりは、正統派美少女だ。こんな子が森の中で暮らしているなんて。
「あの、ヴィヴレットさんは誰かと住んでいるんですか?」
問いながら、床に散らばった物を踏まないようにして、手招きをするヴィヴレットの下へ向かう。
「いや、一人じゃぞ。人を招く時もあるが、普段は気ままな一人暮らしじゃ」
「そうなんですか? モンスターがいる森の中で一人で生きるって大変じゃないんですか?」
「わしは魔女じゃぞ? モンスターなんぞ怖くもないわ」
軽く笑うと、床に散らばった物を適当に隅へと追いやった。
その雑さから、この状況が出来上がったことは容易に察することができた。
ヴィヴレットは鼻歌交じりで掃除……といえるのか分からないことを続ける。
「あの、魔女って、魔法を使うからですよね?」
「もちろんじゃ。もしや、魔法を見たことがないのか?」
こくりと頷く。見たことがある訳がない。
魔法なんてゲームや漫画とかでしか知らないのだ。
「ならば、見せてしんぜよう」
何も無くなった床を、ヴィヴレットが持っている杖で軽く叩いた。
床から木目調の何かが、せり上がってきた。それは正しく木である。木が床から生えてきたのだ。
木は僕の股下辺りまで伸びると、先端が分かれて円が広がって行った。
気づけば、立派な丸テーブルが出来上がっていた。
「す、すごい!」
思わず声を上げてしまった。
本当に魔法としか思えない。何もない所からテーブルが作られるなんて、手品でもできない。
感激していると、ヴィヴレットが軽快に鼻で笑った。
「この程度のことで驚くとは、可愛いものよのぉ」
「だって、本当にすごいじゃないですか!? すごい、すごいすごいすごい!」
「少しは落ち着け。椅子も作ってやろう」
ヴィヴレットはそう言うと、テーブルの傍を杖で叩いた。
先ほどと同じく木が生えると、背もたれのある椅子が出来上がった。
「うわぁ! 座ってみても良いですか?」
「座って待っておれ。腹は減っておるか?」
「えっ、お腹……」
そう言われるとお腹が空いてきた。
怖い思いから解放されたせいだろうか。
照れ笑いをして頷く。
ヴィヴレットは優しく笑うと、部屋の隅にあるキッチンに向かった。
「あの、色々とすみません」
「謝るほどのことではない。森の魔女は慈悲深いと決まっておる。じゃなければ、森の中になんぞいたくはないわ」
声を大にして笑った。
陶器の触れ合う音と、水が沸騰する音が混ざる。
透き通るような良い匂いが部屋を満たすと、ヴィヴレットがテーブルに二つのカップと、パンのような物が入ったバスケットを置いた。
ヴィヴレットも同じように椅子を作ると、腰を掛けた。
「すぐに出せるのはパンくらいでのぉ。許せ」
「い、いえ! ありがたくいただきます」
この世界でもパンなんだ。いや、実はパンのように見えて、全然違う味かも。
手に取った感じではフランスパンのような手触りだ。小さく千切って、口に含んだ。
普通に美味しいパンの味だった。
「美味しいです。ありがとうございます」
「うむ。茶も飲むと良い」
「あ、はい。いただきます」
湯気の上がるお茶に息を吹きかけて、少し冷ます。
口に含むと抜けるような爽快感を味わった。緊張が解れたのか、大きく息を吐いた。
「美味しい……」
「それは良かった。淹れた甲斐があったというものじゃ」
小さく笑うと、カップを口に着けた。
2人して口からため息をこぼす。
思わず笑みになっていると、ヴィヴレットが顔色を変えた。
じっと僕の目を見据えてきた。
「詮索するのもどうかと思ったが……。お主は何者じゃ?」
ぎくりとした。
ヴィヴレットの真っ直ぐな瞳から目を逸らしたくなる。
本当のことを言うか? でも、下手なことを言って追い出されてしまったら。
言葉を出せずにいると、ヴィヴレットが少し笑った。
「よいよい。無粋じゃったな。茶が不味くなるわ」
「えっ!? 良いん……ですか?」
「悪者には見えぬしのぉ。アーヤの寝顔を見れば、尚更そうは思えぬ」
ヴィヴレットは微笑むと、またお茶を飲んだ。
その顔と声に、思わず涙腺が緩みそうになった。
何も言わなかったのに、僕を許してくれたんだ。お礼の一言ぐらい言わないと。
「あの、ありがとうございます。ありがとうございます」
頭を下げて、思いの限り感謝を伝えた。
「もう良い。しかし、わしに出会えて良かったのぉ。夜の森の中で一般人が過ごすなど、恐ろしいことじゃからな」
「そう思います。そういえば、どうして夜の森の中に?」
思ったことを聞いた。
何か用事がなければ、夜の森を歩くなんてしないだろう。
「森がざわめいたのを感じてな。今まで聞いたことのない程のものじゃったから、気になって散策に出かけたのじゃ」
「そこで僕と?」
「まぁ、そうじゃな。じゃが、お主と会ったのは別のものを感じてじゃ」
「別の?」
僕の問いにヴィヴレットは小さく頷いた。
表情を硬くすると、一呼吸開けた。
「殺気……といえば良いのじゃろうか。森全体を恐怖させる程の力を感じたのじゃ。このわしですら、足を一歩引いてしまった。それ程までに強かったのじゃ」
「殺気? 僕は感じてない……と思いますが」
「あれを感じなかったと? ……まぁ、いい。その力を追っていたところで、お主に出会ったのじゃ」
殺気。名前からして恐ろしい、そんな力を感じたことは今までない。
でも、そんな力が実際にあった、とヴィヴレットは言っている。
ヴィヴレットが嘘を吐いているようにも思えない。じゃあ、僕だけ感じなかったのは?
「ふぇ、ふぇ、ふぇ」
アーヤが泣き出してしまった。
ヴィヴレットとの会話を中断して、優しく体を揺らす。
それでも、泣き止む気配はなかった。次第に泣き声が大きくなっていく。
「む? アーヤは腹が減っているのかもしれぬな。ちょっと待つが良い。ヤギのミルクを飲ませてやろう」
ヴィヴレットがキッチンの棚を開けると、小さなビンに入ったミルクを持ってきてくれた。
渡された木のスプーンにミルクを注いで、アーヤの口に近づける。
「あ~んして、あ~ん」
アーヤに口を大きく開けて見せると、アーヤも小さな口を開けた。
スプーンを近づけて優しく傾け、ゆっくりと口に含ませる。
「良い子だねぇ。しっかりと飲むんだよぉ」
アーヤに声を掛けていると、ヴィヴレットが笑った。
「父親じゃのぉ。良い顔をしておるわ」
「そ、そうですか? そう見えました?」
「うむ。その優しさが、お主の良い所じゃろうな」
嬉しい言葉だった。人から素直に褒められることがこんなに嬉しいだなんて。
「妻に逃げられるダメ男じゃがな!」
「まだ、それ引っ張ります!?」
腹を抱えて笑うヴィヴレットを見ると、僕もどこか楽しくなって笑いがこみ上げてきた。
何が何だか分からないまま異世界に放り出され、恐怖し、奮い立ち、絶望しかけ、今は笑っている。
今日一日の出来事は夢のようだ。夢だと思いたい時があった。でも、今は夢じゃないと思いたい。
この楽しい時間は夢であってほしくない。
出会ってほんの少しの時間しか経っていないけど、ヴィヴレットの優しさは十分過ぎる程、伝わっている。
そんな人と過ごす時間は本物であって欲しい。できれば、もっとこんな時間を過ごしたい。
素直にそう思える時間だった。