結婚! 結婚! 結婚!
言葉遣いと表情を豹変させた女性に襟を掴まれて、前後に体を揺さぶられる。
「ちょっ、待っ!」
「結婚するのか!? したいのか!?」
「選択肢じゃっ! ないっ!」
首根っこを掴まれてガタガタ言わされるとは、正にこのことだ。
結婚しないという選択が与えられていないが、僕はこの程度で屈しはしない。
「とっ! 友達からっ! 始めっ!」
折れてしまった。いや、この程度なら致し方がない。とにかく、自分の命を大事にしなければ。
「友達だと!? そんな悠長なことはできん!」
「じゃっ! こ、恋人っ!」
唐突の女性が動きを止めた。
襟を掴んでいた手を離して、顔をニヤけさせている。
「こ、恋人……? 本当か?」
「あ、その……」
「本当か?」
「は、はい」
またしても折れてしまった。ここまで来ると、ヘタレの境地だ。
女性は満足そうに笑みを浮かべると、腕組をして何度も頷いている。
「恋人……。恋人か……。良いな、恋人……」
ぶつぶつと呟いている。なんか怖い。
逃げるなら今だ。魔法大学校に逃げ込めば、警備の人が女性を止めてくれるに違いない。
体を引こうとした時、女性が僕をギラリと見てきた。
「どこに行く?」
「え? い、行く訳がないじゃないですか。こ、恋人ですよ?」
「それもそうだな。そうだ、私の名前はセシル。セシル・ヴァージルだ。君の名は?」
「あ、僕はユージン・モトキです。よろしくお願いします」
ぺこりと頭を下げる。
いやいや、何をしているのだ僕は。このまま、この人に関わるのは危険だ。なんせ、いきなり結婚を迫るような人なのだから。
後ずさりしようと、重心を後ろに少し傾けた時、目にも留らぬ速さで僕の右手が捕まれた。
「どこに行くのだ?」
据わった目で僕を見ている。
獰猛な獣に睨みつけられたように、体が委縮してしまった。
どうする。結婚はしなくて済みそうだが、なし崩し的に恋人になってしまう。
謝るなら今だ。謝って、この話を終わらせよう。
「僕、やっぱり」
「何だ、ユーたん?」
「ユーたん!?」
「恋人なのだから、愛称で呼ぶのは普通だろう?」
やばいやばいやばい。完全にセシルのペースだ。
どうしたら逃げることができるかを考えろ。頭をフル回転させる。
「ユーたん、結婚しよう」
「結果、それ来た! せ、せっかく恋人なんですから、結婚はもう少し待ちませんか?」
「……なるほど。それも、ありかもしれん。ならば、このままデートをしよう。どうだ、教会に行ってみないか?」
「絶対、結婚する気満々じゃないですか! そ、それに今日は予定があるので、デートはまた後日ということで」
とにかく、この場から去ろう。どうするかは、それから考えれば良い。
僕の提案にセシルは考え込むと、優しく微笑んだ。
「良し。ならば指切りをして、約束しよう」
そういえば、この世界にも指切りの文化があったことを思いだした。
この程度で納得してくれるなんて、意外に優しい人なのかもしれない。騙すようで悪いけど、僕の身を守るためだ。許してほしい。
セシルが差し伸べた小指に自分の小指を巻く。
「じゃあ、今度、デートしましょう」
「うむ。嘘ついたら、この指をいただくぞ」
「極道!?」
まさか、指をつめる羽目になるとは思ってもいなかった。
やっぱり、この人は危ない人だ。
きつく巻かれた小指に更に力が込められた。やばい、折られる。
「あ、明日、デートしましょう。待ち合わせは、どこにしましょうか?」
慌てて提案した。そのお陰か、僕の小指が自由になった。
助かった。お帰り、僕の小指。いや、まだ予断を許さない状況だ。
この場から逃げるのは不可能だろうが、やり過ごせば逃げ切ることができるに違いない。
「待ち合わせか。ならば、中央公園の噴水前はどうだ?」
「ちゅ、中央公園ですね。じゃあ、お昼前に集合で」
「いや、朝の六時にしよう」
「はやっ!?」
「何を言う? 恋人なら一日中、一緒にいたいと思うものだろう? ……それとも?」
「良いですね! 朝の空気美味しいですし!」
状況は悪くなる一方だ。
逃げようとすればするほど、ピンチに陥っている気がする。
セシルはうんうんと頷いて、本当に満足そうにしている。
「デートプランは私に任せてもらおう。ユーたんは、ドンと構えたままで良いぞ」
ドンとできる訳がない。今もビクビクして仕方がないのに。
しかし、プランをそのまま任せるのは危険だ。教会に連行されかねないのだから。
「あ、あの、セシル……さん?」
「……セシルさん?」
「ひっ! セシル、教会だけはなしで、お願いします」
「教会は良い所だと思うが? 心が落ち着く」
僕の心が落ち着きません。とは言えなかった。
あぁ、どうする。本当にデートをすることになってしまう。
もし、デートをドタキャンしようものなら、小指だけで済まない気がして止まない。
進退窮まってしまった。仕方がない。一度くらいデートをしよう。
お互いのことを全く知らないのだ。知ったら、諦めてくれるかもしれない。
「じゃあ、明日、中央公園ですね。……朝、六時に」
「うむ、楽しみにしているぞ。もし、来なかったら……」
「もう……。行きますから、安心してください」
「よし、それならば良い。ユーたん、では、また明日」
そう言うとにこりと笑い、セシルは街の人の波に乗って消えていった。
一体、何だったんだ、あの人は。モデルのような容姿をしていたから、僕に惹かれるとはとても思えない。
本当に運命を信じているのだろうか。ベタベタな恋愛小説のようなことを。
あまり考えても仕方がない。とりあえず、明日はデートだ。
心がときめく暇さえ与えなかった美人とのデート。ぶっちゃけ、面倒くさくなってきた。
だが、あの笑顔を曇らせるのも気が引ける。どうせなら、笑顔で別れたい。けじめをつけるために、明日は心を引き締めてデートに挑もう。
何のけじめだ?




