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巣立ちの時

 重い。

 頭も体も重い。

 全身が鉛にでも変わってしまったかのように重い。


 この重りに身を任せて、ヘドロのように眠りたい。

 目覚めかけた意識を再度閉じようとした時、身をよじって体に掛かった重みに抗った。

 眠ってはいけない。目を覚ませ。助けを求めている人はまだいるんだ。

 ここで寝てしまってはいけない。起きるんだ。


「う……」


 自分の声が聞こえた。

 意識の中では大声を張り上げたつもりだったが、随分とか細い声だった。

 声を出したことに因るものなのか、次第に意識が明瞭になると、重いまぶたを必死に開ける。

 眩しい光が僕の視界に映った。


 光に慣れると、今の状況が分かってきた。

 僕は床に寝転がって教会の窓から差し込んできている光を眺めている。

 床の冷たさとは対照的に、頭には柔らかく温かな感触があった。


「むっ? ユージン、目を覚ましたのか?」


 聞き覚えのある声がした。

 横に向いていた体を仰向けにすると、視界にヴィヴレットが映った。

 すぐ目の前にヴィヴレットの顔がある。頭を優しく包むような温かさの正体は、ヴィヴレットの膝枕に因るものだったようだ。


「ヴィヴ……レット……さん? うっ!」

「黙って寝ておれ。今は休むのじゃ」

 休む? 休んではダメだ。怪我人は山ほどいたのだから。

「僕、怪我をした人を」

「もう良い。お主はようやった。流石はわしの弟子じゃな」


 柔和な笑みを浮かべたヴィヴレットは、僕から目を離して指をさした。

 その指の先に目を動かすと、杖を持った人達が忙しなく動いている姿があった。


「あの人達は?」

「わしの教え子じゃ。城下町で火事があったと聞いてな。駆けつけた訳じゃ」

「そうでしたか。やっぱり、ヴィヴレットさんですね。優しいです。本当に……」


 困った人を見過ごせないヴィヴレットらしい行動だ。

 それも他の魔法使いを引き連れてくるなんて、流石の一言しかない。

 この人には敵わない。


 少し感傷に浸っていると、ヴィヴレットが噴き出した。

 大口を開けて笑うと、笑みが残った顔で僕に語り掛けた。


「お主にそう言われると、むずがゆいわい。ユージン、本当に優しいのはお主じゃぞ。活躍は聞いておる。ギリギリまで魔法を使って人を癒しておったようじゃの」

「でも……。僕、倒れてしまって……」


 手を強く握って、悔しさを堪える。

 どこで倒れたのか記憶にない。それ程、朦朧とした意識で必死に魔法を使い続けたのだ。

 それでも、怪我人はまだ大勢いたはずで、その人達を救うことができなかった。

 顔を曇らせた僕のデコをヴィヴレットが指で弾いた。


「バカ者め。お主が重傷者を癒して回ったお陰で、死者はおらん。誇っていい事じゃぞ?」

「え? 死んだ人、いなかったんですか!? 本当ですか!?」

「本当じゃ。奇跡と言っても良いじゃろうな。その奇跡の一端をお主は担ったのじゃ。……よくやったぞ、ユージン」

「ははっ……。誰も……誰も……」


 誰も死んでいない。あの大火事で誰も死ななかったなんて、まさに奇跡だ。

 僕がやったことは無駄じゃなかった。多くの人を救うことができたのだ。

 一番嬉しい言葉に、目頭が熱くなってきた。


 熱さを逃がすかのように、涙が僕の頬を濡らしていく。

 嗚咽を漏らして、込み上がる感情のまま声を上げる。


「よがっだでず……。ぼんどうにぃ……よがっだっ」


 流す涙を必死に拭う僕の頭を、ヴィヴレットの柔らかな手が撫でた。

 それがより一層、涙を誘う。赤ん坊のように声を上げて、僕は泣き続ける。

 嬉し涙は止まることなく、僕が眠りにつくまで流れ続けた。


      ・      ・       ・


「パパ~、おきて~」


 体が揺さぶられて目を覚ました。

 ここはどこだ? 少し考えると、クラトスの宿屋だったことが分かった。


「アーヤ、おはよう。って、もう、朝じゃなさそうだね」

「うん! パパ、ばぁばがよんでるよ~」

「ヴィヴレットさんが? うん、じゃあ、行こうか」


 ベッドから体を起こすと、アーヤに服を引っ張られて部屋を出ていく。

 眠気を引きずったまま階段を降りると、食堂は人で溢れていた。


「おっ! ユージン、起きたか」


 クラトスが僕を見つけると、声を掛けてきた。

 挨拶を返そうとした時、食堂中の人の目が一斉に僕に向いた。


「先生! 助けてくれてありがとう! 助かった!」

「あぁ、魔法使い様! 息子を助けてくださり、ありがとうございます!」

「魔法使い様! 妻を助けてくれて、ありがとうございました!」


 僕に向けて感謝の言葉がいくつも投げかけられた。

 あまりの光景に呆気に取られていると、クラトスが食堂の人達を静かにするように言った。


「クラトスさん、これって?」

「あぁ、皆、お前にお礼が言いたいって聞かなくてね。もっといたんだが、ここに入れないからって帰ってもらったんだ。さぁさぁ、皆、今からユージンが良い事を言うぞ」

「ちょっ!? クラトスさん!?」


 意地悪な笑みを浮かべたクラトスは、僕に発言を促すかのように皆に向けて手を差し出した。

 ここまでされると、何か言わない訳にはいかない。覚悟を決めて、咳ばらいをする。


「え~、お集りの皆様……。え~っと、僕は人として当たり前のことをしただけでして~。あの、様づけとかされる身分でもないですし。その、皆さんが無事で本当に良かったです……はい」

「……からの~?」

「からの!? う~ん」


 クラトスの無茶ぶりに頭をフル回転させて気の利いた言葉を考える。

 何て言えば良いだろうか。スピーチをした経験なんて僕にはない。こんな時、何を言えば、何を伝えたら良いのか。

 泳ぐ目が一点で止まった。


 食堂の隅にいるヴィヴレットが僕をじっと見ている。

 その時、ハッとした。僕が人を助けたいと思った原点の人だ。

 僕は伝えたい。この場で、一人の男になった僕のことを知ってもらいたい。


「……僕は、僕はある人に憧れていました。その人はとても慈悲深くて、大らかで、頼りがいがあって……。僕のことを助けてくれました。何もできない、何もしてあげることのできない僕を助けてくれました」


 僕が憧れていた人、ヴィヴレットが少し目を大きくしている。

 まさか自分の話が出てくるとは思っていなかったのだろう。


「だから、僕はその人に憧れました。一緒に並んで歩けるようになりたくて、魔法を学びました。高い理想があって魔法使いになろうとした訳ではありません。ただ、傍にいたかっただけです。認めてもらいたかっただけなんです」


 言えなかった想いを言った。

 あの時から、口にできずじまいだった言葉。それを言えたのだ。心が軽くなった気がする。

 僕の視線を受けていたヴィヴレットが照れくさそうにしていた。もっと言おう、僕の気持ちを。


「今日、僕はその人に褒めてもらいました。嬉しかったです。人を助けることができて、その人に褒めてもらえて。僕は魔法使いになって、本当に良かったです。だから、僕からお礼を言わせてください。……ありがとうございました」


 ゆっくりと頭を下げる。

 僕の想いは伝え終わった。それをヴィヴレットはどう思ってくれたのだろうか。

 しんと静まり返った食堂内に、小さな拍手の音が響いた。


 顔を上げると、満面の笑みを浮かべたヴィヴレットが手を叩いていた。

 次第に拍手の輪が広まって行き、僕を褒め称える声もそこかしこから上がる。

 本当にスピーチを終えたような気がして、急に照れくさくなってきた。

 ペコペコと頭を下げていると、クラトスが僕の肩に手を回してぐっと抱き寄せた。


「ユージン、良い話だったよ。助けられたから、助けたい。言うは簡単だが、やるのは難しい。お前は男だ、ユージン。胸を張っていい」

「クラトスさん……。ありがとうございます。立派な魔法使いになれるように、これからも努力します」

「あぁ、お前ならやれるさ。そうだ! これからも努力するんだよね? ってことは、もっと人を助けたいってことだよね?」

「えぇ、まぁ、そうですね」

「じゃあさぁ、この町で診療所開いてみちゃったりしてはどうかなぁ?」

「えぇっ!?」


 突然のことに身を大きく引いた。

 どうして、そんな話になるのだろう。

 魔法使いになるために努力はするつもりだが、それと何が関係あるのだろうか。


「あの、話の意味が分かりませんが?」

「実はねぇ、ここら辺の地区には医者がいないんだよ。だから、病気になった時は街に行って薬を買うしかないんだけど、俺達の賃金じゃ買える薬もたかが知れているんだ」


 なるほど、そういうことか。

 城下町に人を助けてくれる医者を必要としているんだ。それが魔法使いなら、尚更欲しいのだろう。

 集まった人の口からも僕を求める声が何度も上がった。


 どうしたものだろうか。大きな決断になる。

 自分で決めるには重い話だと素直に思った。助けを求めようと、ヴィヴレットを見ようとした時、ぐっと堪えた。


 さっき、僕は一人前の男になったと言ったばかりではないか。

 ここでヴィヴレットを頼るようでは、子供に逆戻りだ。そうなっては、いつまでも僕は大人になれない。

 ここは自分で決断するしかない。僕の想いのままに。


 僕は人を助けたい。ヴィヴレットのように、人に優しくできるような人になりたいんだ。

 それなら答えは決まっているじゃないか。

 一つ深呼吸をして、クラトスを真剣な眼差しで見つめる。

 クラトスが少し面食らった顔をしたが、小さく笑うと僕の肩から手を離した。


「僕はまだまだ未熟者です。できないことの方が多いと思います。それでも、僕は人を助けられるような魔法使いになりたいです。僕も頑張ります。だから、皆さんも力を貸してください。お願いします!」


 言い終わると、今までで一番大きな拍手が鳴り響いた。

 歓声を上げる人々の中で、ヴィヴレットが優しく微笑んでいる。

 僕が憧れた人、僕が愛した人。その人が僕の決断を祝福してくれているのだ。


 これ程、満ち足りた気持ちになったことはない。

 これから、きっと大変なことが待ち構えているだろう。膝を折って、立ち止まることもあるだろう。

 でも、今日、この日のことを忘れなければ、きっと立ち上がれると思う。僕のことを祝福してくれる人々の笑顔を忘れない限り。


 人々の笑みを目に焼き付けていると、ヴィヴレットと目が合った。


 ヴィヴレットさん、僕は今日、あなたの下から巣立ちます。

 もしかしたら、まだまだ頼ってしまうかもしれない。それでも、一人の男として歩もうと決めました。

 今までありがとうございました。そして、これからもよろしくお願いします。


 僕の想いが届いたかどうかは分からないが、これだけは見せておきたい。

 決意を胸に抱いて大きく頷き、最後に満面の笑みを見せた。

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