繋いだ命
「ほぇ~、ユージンはシングルファザーなのか。そいつは大変だねぇ」
「先生からは女っ気が感じられないからなぁ。優しさだけじゃ、女はゲットできないぜ?」
「いや、案外いい女かもしれん。ただ、繋ぎ止められなかったんじゃないか? 女は一筋縄では行かないからな」
そう言うと、皆が口を開けて笑った。
いつの間にか僕は皆の中で先生になってしまった
僕の回りに店の中にいた人達が集まって酒を飲んでいる。
クラトスから色々と聞かれたので、それに答えた結果だ。
あまり語るつもりではなかったが、クラトスの問いかたが良いのか、普段よりも饒舌になってしまった。
僕を除いて、周りの人達は更に酒を飲み進めている
「本当に先生には頭が上がらないぜ。魔法使いって、鼻につく奴等ばかりだったからビックリだ」
「そうなんですか? 僕、あまり他の魔法使いのこと知らなくて」
改めて思えば、大人の魔法使いで知っているのはヴィヴレットだけなので、普通の魔法使いがどんな人なのか知らない。
「魔法はある程度の適正がないとダメだし、学校で学ばないとまず覚えられないしねぇ。その学校に入るには金がいるから、魔法使いの多くは、良い所の出なのさ」
なるほど。クラトスの言葉で納得した。
魔法大学校で見掛ける生徒達の身なりは良い人がほとんどだ。
貴族等の出が多ければ、僕達のような平民は低く見られているのだろう。
やはり、ヴィヴレットは稀有な存在なのだ。
「僕、良い人に出会うことができたんですね」
「だと思うよ。良い巡り合わせじゃないかぁ。ユージンくんの人が良いからかもね」
「ありがとうございます。巡り合わせですか……」
少しだけ過去を思い出した。
魔法大学校の副校長が僕には良い縁が、いくつもあると言っていた。この城下町に来たのも、一つの縁なのだろうか。
「ここに来たのも、巡り合わせかもしれませんね」
「だねぇ。俺の日頃の行いの良さかなぁ」
クラトスがおどけて言うと、レモリーが呆れ顔を見せた。
「あなたじゃないでしょう? クーンくんやアミーちゃんが良い子だったおかげよ」
「えぇ~? 俺も文字の読み書きや計算の教室を開いているんだよ? 人の役には立ってると思わない?」
「本業の方を頑張ってないんだから、日頃の行いは悪いのよ。ねっ、ユージンくん?」
強烈な破壊力のあるウィンクが、僕のハートに襲いかかった。
この人は凶器だ。美人なだけでなく、その仕草なども魅力的で、気を抜けば顔の筋肉がだるんだるんに緩んでしまう。
レモリーの魅力から目を逸らすと、クラトスがしょげた顔をしていた。そういえば、文字の読み書きや計算を教えていると言っていた。
「クラトスさんは先生なんですか?」
「そだよぉ。って言っても、青空教室だし、生徒数も少ないもんだよ」
「そうなんですか? 皆、勉強しないんですか?」
せっかく学ぶ機会があるのだ。勉強は無駄にはならないと思う。
クラトスが高い授業料を取るとは思えない。それなのに生徒が少ないのはなぜだろうか。
クラトスが首を力なく横に振った。
「勉強に割く時間があれば、少しでも稼いでこい。っていう考えが城下町には多くてねぇ。先々を思えば、損にはならないとおもうんだけど」
生活を優先してのことだったのか。
確かに勉強をしても、お腹は膨れない。その場だけを考えれば、お金を稼ぐという選択肢をとる人が多いのだ。
「そうなんですね。それでも、子供達に勉強を教えるのは、すごいことだと思います」
「だってさ、レモリー?」
意地悪な笑みを見せると、レモリーはため息をついて厨房に向かった。
その光景を見て、クラトスが低く笑う。
「可愛い女房だと思わないか? ユージンも、良い嫁さんを見つけろよ。あっ、その前にアーヤちゃんを連れてきなよ。俺もレモリーも子供大好きなんだ」
「はい。機会があったら是非」
「よしっ。なら、今日は解散にしよっか。ほらほら、酔っぱらいはお金をしっかり払って帰ってくれ」
客からのブーイングをクラトスは笑いながら、かわしている。
終始気分よく、楽しい時間を過ごすことができた。
昔、往診で村を回っていた時にも歓待を受けたが、こんなに楽しいとは思わなかった。
名残惜しさを感じながら、宿屋を後にした。
・ ・ ・
魔法大学校の教授室で、ヴィヴレットとアーヤと僕で午後のお茶の時間を楽しんでいた。
「ほほぉ。人を治療したか」
「勝手なことをして、すみません」
「よい。お主が助けたいと思ったのであろう? 悪い事ではない。優しいお主らしいではないか」
そう言うと、紅茶を口に含んだ。
僕もならって紅茶を飲んだ。アーヤにはまだ紅茶は早いので、ヴィヴレットが焼いてくれたクッキーとミルクでお茶会に参加している。
「ありがとうございます。助けることができて本当に良かったです」
「うむ。……じゃがな」
手にしたティーカップをソーサーの上に置いた。
硬い表情で僕を見つめてきた。思わず、身構えてしまった。
「命には限りがある。それだけは忘れぬようにな」
「……はい」
ヴィヴレットの言いたいことは分かった。
僕は助けることができたが、それは一時的なものなのかもしれないということだ。
命には限りがある。それはヴィヴレットの力を持ってしても、逃れることのできないことだ。
その日が、いつ来るのだろうか。その時、僕はどう思うのだろうか。
今、考えても答えが出るものではない。
紅茶に映る暗い顔を消すように、一息で飲み干した。
・ ・ ・
図書館での仕事を終えて、その足で城下町へと向かう。
相変わらず、城下町は喧騒で溢れている。
ダナンの家への道は覚えているので、迷うことなく路地を進んでいく。
空を見上げると雨雲が掛っており、今にも泣きそうだ。
足早に進んでいくと、人だかりができているのが見えた。
何があったのだろうか。人の合間から覗くと、クーンとアミ―が泣いていた。
ダナンとその妻も沈痛な面持ちをしていた。
全員の表情で分かってしまった。
おばあさんが死んでしまったのだ。
どうしてだ。顔色も良くなっていて、元気だったじゃないか。
なんで、どうして。僕は助けることができなかったのか。助けた気になっていただけだったのか。
どうする。僕はみんなに何て言えば良い。変な期待をさせて、その結果、助けることができなかったのだ。謝るしかない。謝ることしか思いつかない。
人の合間を縫って行こうとした時、僕の腕が引っ張られた。
振り向くと、クラトスが険しい顔で僕を見ていた。
「ユージン。そんな顔をして、どこに行く気だ?」
「どこに……って。謝りに行くんです。僕のせいなんです。結局、僕は……」
思わず顔をしかめた。
僕は何もできなかったから、謝るしかないのだ。
「来い」
「えっ?」
「良いから、来い」
クラトスに腕を引かれて、路地を歩いていく。
着いたのはクラトスが経営する宿屋だった。
中に入ると、人はおらず、カウンターに暗い表情をしているレモリーがいた。
クラトスは更に僕を引っ張って、カウンターまで連れて行った。
「レモリー、酒と食べ物をなんか作ってくれ」
「……えぇ、分かったわ」
木樽ジョッキに注がれた葡萄酒を、クラトスは僕の前に置いた。
「飲め」
「えっと……。今はそんな気には」
「良いから。少しでも良いから飲め」
有無を言わさぬ雰囲気に飲まれて、葡萄酒を一口飲んだ。
芳醇な香りが漂い、ほのかにアルコールの匂いがする。
なんで僕はここでお酒を飲んでいるのだろうか。そんな場合じゃないだろう。
「クラトスさん、僕、ダナンさんの家に」
「行ってどうする? そんな顔で謝りに行くのか? 他人の気持ちまで重苦しくさせるような顔をして」
「そ、それは」
「お前は何を悪いと思っているんだ? 助けることができなかった。何もできなかった、とでも思っているんじゃないだろうな?」
言葉を返すことができなかった。事実、そう思っているからだ。
クラトスは僕の心が読めるのだろうか。いや、そう思える顔を僕はしているのだろう。
全てを認めて、小さく頷く。
クラトスの深いため息が聞こえた。
「ユージン、お前は何も悪くない。悪くないんだよ」
「そんなことないです。僕がぬか喜びをさせてしまったんです。助けることができなかったんです」
「お前が繋いだ命が無意味だって言うのか?」
「えっ?」
命を繋いだ。確かに、一時的には助けることができた。でも、所詮は一時的だ。数日、延命しただけだ。
「でも、僕は」
「おばあさんはな、お前が作ってくれた時間で、みんなにお別れを伝えたんだとさ。あのまま死んでしまえば、伝えることができなかった思いを伝えることができたんだ。これが無駄な訳がない。無駄なんて言ったら、俺が張り倒してやる。だから……」
一呼吸すると、優しく微笑んだ。
「お前は悪くない」
にかりと笑ったクラトスの顔が、滲んで見えなくなってきた。
温かいものが頬を伝って、顎から垂れていく。鼻水が流れ出るのを必死に堪えるため、何度もすする。
それでも、涙と同じように止まることなく流れ続ける。
「僕、僕……」
「飯ができるまで、しっかり泣いとけ。んで、飯を食ったら、ダナンさんの所に行こう。おばあさんも会いたがっているだろうしさ」
「はい。行きます」
「よし。おや? 雨が上がったようだねぇ。誰かさんが代わりに泣いてくれたからかな?」
僕をからかうと、からからと笑った。
窓に近づいて空を見上げる。雲の切れ間から青空が覗いていた。
空が、おばあさんの旅立ちを祝福してくれているのかもしれない。
おばあさんは、みんなに別れを告げることができたと、クラトスは言った。
それなら、これ以上嬉しいことはない。僕の頑張りは無駄になっていない。誰も傷つけずに済んだのだ。
誰かの役に立てた。ヴィヴレットのようにはできなかっただろう。それでも、少しは助けることができた。今はそれだけで良い。
頑張った自分を少しだけ褒めて良いのではないかと思った。




