己の心に
クーンとアミーに連れられて、街から遠ざかる。
その歩みは止まることなく、どんどん街の中心部から離れて行き、城門までくぐってしまった。
城の外には、城塞内に収まり切れなかった人々が営む城下町がある。
都市部に比べて、行きかう人々の格好は質素なものが多い。森にいた頃の村を彷彿とさせる木造りの家が立ち並んでいた。
露店がいくつもあり、都市部の商店街とはまた違った賑わいを見せている。
露店が並ぶ通りを抜けると、一本の脇道に入って行った。
「クーン、家はもう近くなの?」
「うん。もうすぐ。魔法使いが来たって聞いたら、父ちゃんも母ちゃんもビックリするだろうなぁ」
クーンが期待に胸を膨らませている。
それを聞いて少し胸が苦しくなった。僕の魔法で治せる保証はない。変な希望を持たせてしまっているのではないか。
どれほど悪いのか、見てみるまでは分からない。考えても仕方がないことだ。
「ここだよ。俺達の家」
クーンの声で我に帰った。
指さした家は簡素な木造りの家で、見るからに安普請であることが分かる。
クーンが建付けの悪い玄関のドアを開けると、開口一番に叫んだ。
「父ちゃん! 母ちゃん! 魔法使いを連れて来たよ!」
嬉々とした声色で言うと、家の中に慌ただしく入って行った。
少し呆気に取られていると、家の奥から一人の中年の男性が姿を見せた。
「クーンから聞いたが、あんた魔法使いなんだって? そうは見えないが?」
不審な目で僕をまじまじと見てきた。
確かに、立派なローブは着ていないし、持っている杖も良いものだが木造りなので迫力はない。
そこら辺にいる町人と変わらない格好をしているのだ。怪しまれるのも仕方がない。
「お父さん、ユージンお兄ちゃんね、アミ―の傷を治してくれたんだよ」
「本当か? あんた、本当に魔法使いなのか?」
真剣な眼差しを向けた父親に対して頷く。
「駆け出しですが、少しは魔法が使えます」
「そうなのか。いや、何でも良い。家の母親を見てもらえないか? 頼む」
深々と頭を下げられたので、慌てて頭を上げるように言う。
まだ見てもいないのだ。期待されると、それだけ気が重くなってしまう。
家の奥に通されると、一つの部屋に連れていかれた。
ベッドに横たわるのは、ひどい土気色をした老婆だった。
「おばあちゃん、魔法使いが来てくれたよ。もう大丈夫だからね」
寝ている老婆にクーンが呼び掛けている。
だが、祖母に反応はなかった。
「昨日から意識が戻らないんだ……。どうだ? 治せそうか?」
「治せるかって言われても……」
素人目からでも分かる。もう、死の淵に立っていることが。
僕程度の魔法でどうにかできる訳がない。ヴィヴレットでも治せないと思う。
魔法で生命力を注入しても、受け取ることができなくなるとヴィヴレットは言っていた。
霊樹王の力を持ってしても、それは覆らない。覆らなかった過去を思い出し、あの時の悔しさがこみ上げてきた。
僕には治しようがないことを悟った。
「すみません……。僕には」
「そうか……。いや、家には払う金も大してない。変なことを言ってすまなかった」
二人で顔を伏せると、部屋の中に沈黙が訪れた。
悔しくて握った拳にそっと触れてきたのは、アミ―の手だった。
「魔法、使ってくれないの?」
「アミ―、もういい。もういいんだ」
「やだ! ユージンお兄ちゃん、魔法! おばあちゃんに魔法をかけて!」
「アミ―!」
駄々をこねるアミ―を父親は必死に抑えている。
魔法を使ってどうなる。変に期待させて、余計に落胆させるだけではないか。
自分の無力さを思い知らされるだけだ。
「ユージン兄ちゃん、お願いだよ。おばあちゃんを……」
クーンが涙を目に溜めて、僕に懇願してきた。
僕はどうしたらいい。人の命が関わってくるなんて、思ってもいなかった。
助けられるなら助けたい。でも、助けられないなら、関わりたくない。
怖い。怖いんだ。何もできなかった時の、失望感が。
『ユージン、魔法使いとて万能ではない』
頭の中でヴィヴレットの言葉が蘇った。
昔、ウーベルト村の老人を助けることができなかった時に、暗くなっていた僕に掛けてきた言葉だ。
『じゃが、万能でないからと言って、手を尽くさぬ言い訳にはできぬ』
だけど、手を尽くしたって、ダメだったら。僕は何て言えばいいんだ。
『何も言うな。ただ、己の心にだけ語ればいい。助けたかったとな』
でも、僕が何もできなかったことに変わりはない。
『己の心に背けば、その先は暗闇じゃ。弱い己と向き合え。怖い、見たくはない。じゃが、光はその先にある。ユージン、励むのじゃ』
ヴィヴレットの声が消えた。
怖い。僕は無力な僕が怖い。
弱い僕が言う。この現実から逃げてしまえと。
ダメだ。逃げてはダメだ。
僕は知っている。逃げずに前に進もうとする人達を。
僕だって。僕だって。
「クーン、どいて」
静かに言うと、祖母に近づいて杖をかざす。
今、僕にできること。それはこの人に生命力を与えることだ。
助けるんだ。助けたいと願うんだ。
「メディク!」
杖の先が緑色の光で覆われる。
発せられる光は、祖母の体を包むと、小さな泡をいくつも浮かび上がらせた。
体を包んだ光が消えていく。
祖母に変化は見られなかった。
「くっ! ……メディク!」
魔法を唱える。
また、光が祖母を包み、生命力を与える。
土気色の肌は変わらず、閉じた目も開かない。
「まだだ! メディク! メディク! メディク!」
何度も唱えた。間断なく回復の光は発せられる。
だが、それでも反応はない。それでも。
「メディク! メディク! メディク! メディクー!」
脳内のイメージがぶれないように、癒しの光を想像し続ける。
息が上がる。頭がくらくらする。もう寝転がりたい。
だが、それでも。まだ、僕にはできる。やれることがある。
「はぁ、はぁ、メディク。ふぅ、はぁ、メディク……。メ、メディク」
息も絶え絶えで、何とか魔法を詠唱し続ける。
止まるな。止めるな。まだ、分からない。この人の生は終わっていないのだ。
「メ……ディ……ク!」
持てる魔力を振り絞って願いを込めた魔法を唱えた。
イメージが半端だったせいか、光は朧気なものだった。
これが限界だ。もう、カス程の魔力も残っていない。
体が震え、立っていることができなくなった。
床に崩れ落ちて、荒い息を上げる。
「はぁ……はぁ……くっ!」
こみ上げてきた弱音が口からこぼれそうなのを堪えた。
ここで僕が弱音を吐いても、誰も喜ばない。皆を暗くさせるだけだ。
僕の荒れた呼吸が部屋に響く。
「ん……。私は……?」
か細い声が聞こえた。
父親でもクーンでもアミ―でもない。この声は。
顔を上げると、目を開けた祖母の姿があった。
「お、お袋!?」
「おばあちゃん!」
皆が祖母に駆け寄って声を掛けている。
何を言っているのか、ぼんやりとした頭では理解できなかった。
だが、嬉しそうだった。ただただ、喜びにあふれた声だ。
耳に届く声が遠くなっていくと、意識も遠退いて行く。
まだ、聞いていたい声だったのに。明るい声に心を満たされながら、僕の意識は暗闇の中に落ちていった。




