少女の決意
「ほぉ……ん。なぁるほ……おうん。それはちと……ふっ。厄介、じゃのぉぉぉぉあぁぁぁぁ」
ヴィヴレットの首と肩をマッサージする。
相変わらず、艶めかしい声を出してくれる。
「神言に方言があるなんて知りませんでしたよ」
「多少のなまりはあるとは聞いておったがぁ、あ、あ、あ。そう、そこ! そこじゃぁぁぁぁ」
「なまりどころじゃないですけどね」
エミリアが持っている魔導書の話をヴィヴレットにしたところ、色々教えてもらった。
先ず、魔導書は専門の製作者が、持ち手の魔法使い専用に作っているそうだ。
その魔導書と魔法使いは、言葉を交わしてお互いのことを知って行き、信頼関係を築いていく。
そうして、魔導書使いになれるのだ。
ただ、信頼関係を築くための神言も簡単なものの場合もあれば、そうでない場合もあるらしい。
今回の件は特別すぎるが、辞書で読み解くことが難しい場合はあるという。
エミリアの魔導書に書かれた文字は、図書館の辞書には載っていなかったので、僕がいなかったら読めないまま終わったかもしれない。
神言にも色々あるのかもしれないが、卑猥な言葉を読ませようとするぐらいなら、持ち手に優しい言葉を選ぶべきだと思う。
「しかしのぉ、うっふ。んん! スケベな言葉をねじ込むとは……はぁ! なかなか根性あるわい」
「そうですね。本気で本を裂きそうになりましたよ」
「とか言って、うっ。読ませたい気持ちもあったのではないか? ふっ……ん」
「微塵もありませんよ。はい、マッサージは終わりです」
ヴィヴレットは首と肩を回して、解れ具合を確かめると、清々しい顔を見せた。
「うむ! 相変わらず、良い手をしておる。ほれ、回復魔法の練習台になってやろう」
「はいはい。じゃあ、行きますよ。メディク!」
「んん、良いのぉ良いのぉ。更に気分が良くなったわ」
からからと笑うと、腕組みをして頷いた。
「着実に上達しておるのぉ。日頃の鍛錬のたまものじゃわい」
「もぉ……。こういう時だけ、褒めるんですから」
「他の魔法はまだまだじゃからな。褒められたいなら、それだけ磨いてみよ」
「分かっていますよ。研鑽を続けます」
僕は攻撃魔法よりも、回復や補助魔法の方に適性があるようだ。
まだ、初歩の魔法から抜け出してはいないが、それでも回復魔法については十二分な力があると言ってくれている。
と言いつつも、自分を癒す相手が欲しいからという邪な気もありそうだが。
「パパ~、まほ~、まほ~」
ヴィヴレットのマッサージが終わったのを見てか、アーヤが小走りで近寄ってきた。
「うん、いいよ。はい、メディク」
「うわ~い! まほ~!」
アーヤが光に包まれて、はしゃいでいる。
アーヤに魔法を使うのは、ヴィヴレットを癒した時に限定しているため、喜びを爆発させているようだ。
普段も使っても良いのかもしれないが、あまり多用し過ぎるのも教育上よくないと思って、我慢させている。
光が消えていくと、飛び跳ねていたアーヤがしょぼれくた。
「まほ~……。パパ~?」
「ダメ。一回だけだよ」
「ぶ~。ばぁば、だっこぉ」
不満を垂れられてしまった上に、早々にヴィヴレットに構われに行った。
今ではアーヤも立派なおばあちゃん子になっており、休みの日に会いに行くとずっと甘えている。
「仕方がないのぉ。ほれ、こっちへ来い」
「わ~い! ばぁば、ちゅきぃ」
二人が楽しそうにしている姿を遠い目で見つめる。
嫉妬なんてしない。普段から言われているから、嫉妬なんてしない。
ただ、どことなく寂しい。
「ばぁば、だいちゅき!」
「大好き!?」
僕とヴィヴレットの間に大きな差が生まれた瞬間だった。
・ ・ ・
仕事が終わり、エミリアの待つ学習室へと向かう。
一つの机にエミリアの姿が見えた。声を掛けようとしたが、止めた。
机に突っ伏して、寝ている。長い時間集中して勉強するのだから、眠ってしまうのも分かる。
少しの間、そっとしておこう。
冷えるといけないので、羽織っていた上着をエミリアの背に静かに掛ける。
ただ待つのも何なので、鞄の中から魔法の教科書を取り出して読み始めた。
「ん……。あっ」
しばらくすると、エミリアが目を覚ました。寝ぼけ眼をこすると、背に掛けた服を手に取った。
「えっ? もしかしてこれ、ユージンさんの?」
「うん、そうだよ。寒いかなって思ってさ」
「ユージンさんの心泥棒!」
「心泥棒!?」
先ほどの眠気はどこにいったのだろうか。目を煌々とさせている。
「エミリアちゃん、よく分かんないけど、勉強しようか」
「あ、そうですね。実は最近、分かる言葉が記されることが増えてきて、いっぱいお話しているんです」
「そうなんだ。どんな話をするの?」
「好きな男の子のタイプとか」
「恋愛トーク!?」
まさか、本との会話で恋愛話に花を咲かせることがあるなんて。
少し楽しそうと思ったのは、内緒にしておこう。
「そんな話をするんだ。けっこう、仲良くなっているみたいだね」
「はい。エミちゃん、ドリちゃんと言い合う仲になりました」
「ドリちゃんって、本の名前?」
「はい、ドリアドネラというそうです。略して、ドリちゃんです。ね、ドリちゃん?」
エミリアが言うと、本のページが一人でに開いた。
真っ白なページに文字が浮かび上がってきた。
『あぁ。ドリちゃんと呼んでくれ』
自分でちゃん付けするのって、少し恥ずかしい気がするが本人が言うのだ、今後はドリちゃんと呼ぼう。
「エミリアちゃん、ここまで話せるのなら、もう魔導書使いなんじゃないの?」
「いえ、まだです。ドリちゃんが認めてくれないんです」
「えっ? そうなの? ドリちゃん、なんで?」
本のドリちゃんに問いかけると、ページの空白に文字が浮かんだ。
『覚悟。エミちゃんには、覚悟が足りない』
「覚悟?」
エミリアに目を向けると、顔をうつむけていた。
何かあるのだろうか。聞くのも悪い気がするが、解決の手助けできるかもしれない。
「エミリアちゃん、何かあるの? 怖い事とか?」
「いえ、怖くはないです。怖いんじゃなくて……。私、巡導師志望なんです」
「巡導師?」
僕の問いかけに、エミリアが小さく頷いた。
「巡導師は、国中を歩いて回って、人を癒し、不浄なものを浄化する仕事をする人のことを言います。私はその尊い仕事に憧れて魔法使いになることを選びました」
そんな職業があったのか。まだまだ、この世界では知らないことが多い。
「幸い、魔法使いの適正は良かったので、成績は上位。このまま行って、魔導書使いになれれば、巡導師になることは間違いない。……そうなるはずでした」
エミリアの顔が歪んだ。膝の上に置いた手を強く握りしめている。
「ですが、ご存知の通り、魔導書との対話が上手く行かなかったのです」
「あれ? でも、今なら行けるんじゃないの? 仲良く話せていたし」
「足りないんです、私には。いえ、躊躇してしまっているんです。巡導師になることを……」
「どうして? なりたかった職業じゃないの?」
「そうなんですが……」
なりたかった職業になるのを躊躇する。何を躊躇することがあるのだろうか。
エミリアは、顔を伏せると小さくわなないた。
「行きたくないんです。嫌なんです、ここから出ていくことが。でも、巡導師になるためには、ここから出て行かないと。だから、私……。私……」
「それなら、無理になる必要もないんじゃない? 違う形でも人の助けにはなれるよ?」
「でも、なりたいんです。だから……」
震えていたエミリアが急に顔を上げた。
潤んだ目で、真剣な表情をして僕を見ている。
その目に一瞬怯んでしまった。
「ユージンさん!」
「は、はい」
「私とデートしてください!」




