夜の森でモンスターと
カサカサと音が聞こえた。
恐る恐る目を開けると、薄暗い森が広がっていた。
幾つも生える大樹が空を隠そうとしている。
木々の間から見えた空は暗かった。暗い中に、点々と明るく儚い光が瞬いていた。
あれは星だろう。冷静に思っていると、今の事態を一瞬で理解した。
腕の中に赤ん坊がいた。
「マジかぁ……。マジなのかぁ~……」
がっくりと肩を落として、盛大なため息を吐いた。
これが夢の続きだと思いたいけど、肌に当たる風の感触から現実としか思えない。
辺りを見回しても、森が深くなるだけで、その先に何があるか分からない。
どこにも人工物はなさそうだ。これって、もしかして詰んでるのでは。
「どうしろって言うんだよぉ~……」
また大きく息を吐いた。
せめて、人がいる所に転移させて欲しかった。
こんな場所からスタートなんて、ゲームでもないよ。
「ふぇ、ふぇ、ふぇ」
赤ん坊がぐずる声に気を取り戻した。
腕を優しく動かして、必死であやす。
「よしよし、大丈夫だからねぇ。泣かないでねぇ」
この時、初めて赤ん坊の顔を見た。
首が座っているから、生まれたてじゃない。
これは女神様の力なのか。そんな力があるのなら、最初から大人に成長させれば良かったのに。
「ふぇ、ふぇ……びぃえ~~~~ん!」
「あぁ、泣かないで、泣かないで。いい子だから、泣かないで」
更にあやす。優しいブランコのように、ゆっくりと体を左右に振る。
泣き声が次第に小さくなっていく。何とか治まったようで、本当に良かった。
赤ん坊が泣き止むと、小さな寝息を立てて、また眠りについた。
寝顔を見つめていると、何故かとても愛おしくなってきた。
小さいのに、もう目鼻立ちがくっきりしていた。これは女神様から与えられた力のせいだろう。
このまま成長したら、周りから愛されまくるんじゃないだろうか。なんか、嫉妬してきた。
モテモテの力があるとすれば、すごい力を持っていることになるのか。そして、その力で魔王と戦わないといけない。
女神様の話からではそうなる。こんなに可愛らしい赤ん坊が、魔王なんて怖い存在と戦う。あんまりではないか。
赤ん坊のことを考えていると、周りから草を踏みつける音が聞こえた。
振り返ると、木々の陰から何かが、僕を見ていることが分かった。
人? いや、人じゃない。目が怪しく光っている。
逃げないと。直感的にそう思った。
絶対に良いものじゃない。この場からすぐに立ち去らないと。
ゆっくり後ずさった時、肌がぞくりとした。
固まってしまった首を回すと、背後にある木の陰から何かが顔を覗かせていた。
それは耳と鼻が尖っており、醜い顔をしている。背は僕のお腹ぐらいで、大きくはない。
「モ、モンスター!?」
思わず声を上げてしまった。
その声に合わせるように、モンスターがその姿を見せた。
体は全体的に細く、枯れ木のようだ。
「ギャア、ギャア!」
「ギャ、ギャアー!」
一体が声を上げると、周りのヤツ等も声を上げ始めた。
周りに五体のモンスターがいる。どれも同じ顔つきで、やせ細っている。
どれも僕を見る目は優しいものではなく、口から粘ついた唾液を垂らしている。
僕はこいつ等の餌なのか。こんな何がなんだか分からない所で死ぬのか。
いや、これで目が覚めるのかもしれない。長い夢の終わりは、こんな唐突なバッドエンドなのだろう。
そう思うと、恐怖も和らいできた。
諦めて、脱力しそうになった時、手が固まった。
僕の腕の中で眠る赤ん坊がいる。僕が殺されて終わりなら、この子も終わりなのか?
こんな気味の悪いモンスターに殺されて終わり。
もし、これが夢じゃなかったら。
僕はこの現実から逃げることはできる。諦めた命を失って。だけど、それと同時に、この子の命も終わってしまう。
この小さな命を僕は見捨てようとしているのか。生まれて間もなく、何も知らない赤ん坊の命を。
「ギャア、ギャア! ギャアー!」
「ギャ! ギャ!」
うるさく吠えるモンスターをキッと睨みつけた。
これが僕の夢の終わりかもしれない。でも、その夢の終わりに、この子を道連れにしてはいけない。
この子は生きている。生きているんだ。
それなら、僕も最後まで生きる。
「うああぁぁぁ!」
目の前にいた一体を蹴りつける。
「ギャ!?」
声を上げると、地面に突っ伏して体を震えさせている。
もしかして、弱い?
「なら、うおおおぉぉぉぉ!」
周りを囲んでいたモンスターを蹴りに掛かる。
一体を蹴り上げると、他のモンスターは木の陰に隠れた。
良し。今の内に逃げるんだ。
「痛っ!?」
額に痛みが走った。
続けて、背中に。足に。後頭部に。
硬い何かが、僕の体にぶつかってくる。
振り返ると、森の木々に隠れたモンスターが石を手に持って、僕に投げつけた瞬間が見えた。
「くっ!?」
足に当たった。
投げた石は小石程度だったけど、当たると結構痛い。
「いっ!? 痛って!」
石つぶてが襲い掛かる。
このままじゃ、じり貧だ。とにかく逃げないと。
襲い掛かる石から逃げるために、駆け出した。
木の根に引っ掛からないように、注意しながら走る。
後ろからモンスターの鳴き声が聞こえた。だいぶ、距離を稼いだ?
森の奥から何かが近づいてくる。
思わず足を止めたが、その何かはどんどん近づいてくる。
それが何か分かった時、腰が抜けそうになった。
さっきいたモンスターと背丈は変わらないが、体つきが違った。
大木のような太さの手足をしている。岩石のようにたくましいモンスターが僕の近くで足を止めた。
「ゲ、ゲ、ゲ」
モンスターが怪しい声を出した。
怖い。足がすくんだ。肌が粟立っている。歯がかち合う。体が震える。
絶望が僕を支配しようとした。
これは無理だろう。
立ち向かえるイメージが湧かない。
ごめん。僕にできるのは、ここまでだったみたいだ。
「ゲ、ゲ、ゲ、ゲ」
のっそりとモンスターが僕に近づいた。
一歩一歩に僕の心臓がとび上がりそうになる。
死刑宣告を待つ人の気持ちが分かった。
諦める。それ以外、考えない。考えちゃいけない。
なのに、僕の中の何かがそれを認めようとしない。
これは、一体。何とか動かすことができた目を落とすと、赤ん坊が僕を大きな瞳で見つめている。
そうだ。この子が僕を支えてくれているんだ。その温もりで、僕を奮い立たせてくれているんだ。
この子も、諦めていない。ここで終わることを望んでいない。そう感じる。
それなら、それなら。
「うわぁぁぁぁぁ!」
モンスターの顔を思いっきり蹴りつけた。
「ゲ?」
僕の蹴りは固い筋肉に弾かれた。
毛ほどの痛みも感じていないモンスターは、蹴りつけた顔を指でかくと拳を振りかぶった。
咄嗟に、赤ん坊を守るため、背中を向ける。
襲い掛かる痛みを堪えるために、歯を強く食いしばった。
「おぎゃーーーーーー!」
赤ん坊が盛大に泣いた。
思わず耳を塞ぎたくなる声量で、森の木々をざわめかせた。
「ゲ、ゲェ~~~!」
モンスターの声が聞こえた。
振り向くと、森の奥に消えていく姿が見えた。
周りを見ても、モンスターは見えない。嫌な空気もしない。助かったのか?
「キャッ、キャッ」
赤ん坊が顔をくしゃっとさせている。
「もしかして、君が助けてくれたの?」
「キャッ、キャッ、キャッ」
「そっか。本当にありがとう」
赤ん坊の体を揺らして、二人して笑う。
その時、土を踏む音が聞こえた。
驚愕して振り返ると、とんがり帽子に、長いローブを着た小柄な人がいた。
人? 本当に人なのか?
「こんな所に赤子連れがおるとは、なんと面妖な」
声から女性であることが分かった。
「あの……、人……ですよね?」
「ふむ。わしの事を知らぬとは、この辺の者ではないな」
「えっ? あなたは一体?」
「森の魔女、ヴィヴレットじゃ」
とんがり帽子のつばを上げたヴィヴレットの顔は、まだあどけなさを残した少女のものだった。