月見で一杯
ヴィヴレットは手にした紙を、僕に差し出した。
紙にはヴィヴレットに魔法大学校の教授になって欲しい旨が書かれている。
手紙の差出人は、魔法大学校校長アーネスト・ブルームという人のようだ。
「校長から直々に手紙ですか?」
「うむ。まぁ、わし程になればな。何せ、霊樹王ムンドルグと契約しておるのじゃぞ? 直接、会いに来るぐらいの気概が欲しいところじゃが。あやつも年じゃしのぉ。適当にあしらうのも気が引けるわ」
「えっ? じゃ、じゃあ、教授になるんですか? ここから出ていくんですか?」
突然の話に心臓が大きく鳴った。
これで、もし教授になるなんて言われたら、もう一緒に暮らせなくなるかもしれない。
ヴィヴレットの言葉に身構えた。
「そのつもりはないぞ。頼み込んできたのならば、相応の対応をせねばということじゃ。久しぶりに王都に行こうと思う。しばらく、留守を任せて良いか?」
「そ、そういうことであれば。留守は任せてください。往診もできるだけ頑張ります」
「助かるぞ。今のお主なら、安心して任せられる。さて、準備をするかのぉ」
「じゃあ、僕も手伝いますよ」
「なんじゃ? 準備にかこつけて、わしの下着に手をつけようとでも考えておるのか? 相変わらずのむっつりっぷりじゃわい」
「ち、違います!」
ヴィヴレットにからかわれながら、家へと帰る。
魔法大学校の校長には悪いが、このやり取りが続くことにほっとした。
遠くに行ってほしくない。一緒にここで暮らしていきたい。これからもずっと。
笑みを浮かべるヴィヴレットを見ると、そう思わずにはいられなかった。
・ ・ ・
森が静まりかえった頃に、アーヤは穏やかな寝息を立て始めた。
アーヤを寝かしつけたので、自分の時間がこれから始まる。
魔法の教科書を読んで、魔法について理解を深める。
子育てをこなしながら、魔法使いを目指す。こういう空いた時間を有効に活用しないと、僕は立派な魔法使いにはなれない。
本当に毎日が忙しい。忙しいが充実しているためか、疲れは思ったほど感じない。
目標があるのは良いことだ。そのために頑張ることができる。苦しくても、その先に光があるのだ。頑張れない訳がない。
固い意志を確認したところで、本を読み進めていく。
読みふけっていると、階段が軋む音がした。
ヴィヴレットが下りてきているのだろう。
目を本に戻すと、部屋のドアがノックされた。
「ユージン、起きておるか?」
小声で問いかけてきた。
音を立てないように椅子から立ち上がり、ドアを静かに開ける。
「どうかしましたか?」
「うむ。今宵は月が綺麗じゃ。月見で一杯と思うての。どうじゃ、一緒に?」
「そうでしたか。じゃあ、僕はミルクでお付き合いします」
「しょっぱい男じゃのぉ。まぁ良い、行くぞ」
キッチンからお酒とミルクを持って、外へ出る。
柔らかな風が心地よい。月明りが見える場所まで行くと、ヴィヴレットが杖で地面を叩いた。
地面から木が生えて、二人掛けの椅子が出来上がった。
「便利な魔法ですよね。契約者になると、なんでもできますね」
「霊樹王は使い勝手が良いからのぉ。わしの体が若く保たれているのも、霊樹王のお陰じゃからな」
二人で椅子に座ると、乾杯と言って、ミルク瓶と酒瓶を軽く当てる。
喉を鳴らしながら、ミルクを飲んだ。
ヴィヴレットは酒瓶を大きく傾けながら飲んでいる。
「ぷはぁっ。うむ、今宵の酒は美味いのぉ」
「そうですね。雰囲気って大事ですよね。ただのミルクが、とても味わい深いです」
「そうじゃのぉ。雰囲気は大事じゃな。……このような夜じゃったかのぉ。お主と出会ったのは」
「えっ?」
ヴィヴレットは月を見上げて言った。
僕も同じように月を見上げて、過去に思いを馳せる。
この世界に放り出された、あの日。
モンスターに襲われて、大変な日だった。そして、ヴィヴレットと出会った日だった。
「そうですね。こんな日だったと思います。……ありがとうございます。あの時、僕を家に招いてくれて」
「捨てられた子犬のような顔をしておったからのぉ。流石に見捨てられんわい。そんな顔をしておった、お主がのぉ……」
月から目を離して、ヴィヴレットを見る。
穏やかな顔をして、僕を見つめていた。引き寄せられるような瞳。目が釘付けになった。
「今では、いっぱしの男の顔になりつつある。たった二年、されど二年じゃな。大人の階段を着実に上っておるわ」
「ありがとうございます。そう思ってもらえて、嬉しいです。もっと頑張ります」
「そうじゃのぉ。頑張って、一人前の男になって欲しいのぉ」
「……はい。その時を楽しみにしていてください。その時は……」
僕の思いを告げる。
好きです。一緒にいて欲しいです。ずっと、傍にいさせてください。
今すぐにでも言いたい。でも、まだ言うのは早い。認められるまでは。認めさせるまでは。
「いっぱい、話したいことがあります」
「そうかそうか。ならば、楽しみにしておこう。どんな話をしてくれるのか……。あまり笑わかせてくれるなよ?」
顔を悪い笑みで染めて、低く笑い出した。
僕の思いに気づいていないからだろうか。まったく緊張感がない。
この二人きりの状況。僕なら嫌でも意識してしまう。
本当に言いたくなってきた。いや、僕は未だ何も成し遂げていない。そのような状況で告白したところで、それこそ一蹴されるだろう。
ヴィヴレットが頷いてくれるような男にならなければ。
決意を更に固くし、じっとヴィヴレットの目を見据える。
「な、なんじゃ? 気にでも障ったか?」
「いえ……。ヴィヴレットさん、絶対に笑顔にしてみせますから。絶対に」
「ふむ。ならば、茶化すのはなしにしよう。ユージン。どのような話か、今から指折りして待つとするわ」
「そ、そんなに早くはないかも」
「わしを期待させておいて、チンタラやる気ではないじゃろうな?」
着実に目標を目指せと言った人から、無茶な要求をされてしまった。
でも、ヴィヴレットの言う通り、チンタラするつもりはない。これまで以上に頑張ろう。
目の前にいる人を笑顔にさせるために。
「やってみせますよ。だから、これからも厳しくしてくださいね」
「相変わらずのドМっぷりじゃのぉ。しっかりと付いて来い。……離れるでないぞ」
「はい、離れるつもりはありません。ヴィヴレットさん……」
離れない。絶対に。
何が何でも食らいついていく。その先に、僕の思い描く幸せがあるのだから。
柔らかな月明りに負けじと、僕達も柔和な笑みを浮かべている。
この顔がどんな風に変わるのだろう。盛大に笑われるのか。目が点になるのか。感極まって泣くのか。
どれも見てみたい。だけど、一番見たいのは今日のような微笑みかもしれない。
僕の思いが、あなたに届くように。
年甲斐もなく星に願い、心地よい時間に酔いしれた。
・ ・ ・
ヴィヴレットが王都に旅立ってから、二週間が過ぎようとしていた。
王都まで最短で三日間掛かると言っていたので、早くても一週間は帰ってこれない計算だ。
それが、更に一週間経っている。ヴィヴレット程の人物だ。多くの人と会ったりして、すぐには帰れないのかもしれない。
「ば~ば~、ば~ば~」
「アーヤ、ヴィヴレットさんはまだ帰ってきていないんだよ。大人しく待っていようねぇ」
「パ~パ、ば~ば、だっこぉ」
「帰ったらね。もう少ししたら帰ってくるから」
「ぶ~」
不満をあらわにすると、床にあるおもちゃで遊びだした。
アーヤではないけど、僕も会いたくなってきている。
何の連絡もないのだ。好きな人と離れることが、これ程辛いとは思わなかった。遠距離恋愛はこんな思いを抱えてするものなのかもしれない。
初めて経験する感情に戸惑っていると、窓ガラスに何かが当たった音がした。
目を向けると、あの日に見た鳥が窓をくちばしで突いていた。
窓を開けて、鳥を中に招く。僕の前に鳥は降りると、じっと僕のことを見つめた。
足には筒が付けられている。前にヴィヴレットは、この筒から手紙を取り出していた。
もしかして、またヴィヴレットへの手紙なのかもしれない。とはいっても、今、ヴィヴレットはいない。
とりあえず、受け取っておこう。鳥の足の筒から紙を取り出した。
何と書かれているのだろう。
紙を開いて、目を通す。
「な、何だ、こ、これ?」
信じられない内容に、言葉が出ない。
紙を持つ手が震えている。理解できない。どうして。
何度、目を通しても、紙に書かれている内容は変わらなかった。
「もう帰らないって、何だよ!?」




