あなたへの思い
「えっ?」
ヴィヴレットの言葉に耳を疑った。
2人の間に沈黙が流れた。
「ダメ……なんですか?」
「何度も言わせるでない。ダメじゃ」
「ど、どうしてですか?」
「お主、魔法を覚えてどうしたいのじゃ? 覚える前にすることがあるのではないのか?」
ヴィヴレットの問いに、すぐに答えることができなかった。
僕が魔法を覚えることに何の問題があるのだろう。
「お主は、アーヤの父親じゃぞ? 魔法を覚える前に、子育てに集中すべきとは思わぬのか?」
「そ、それはそうですけど……」
「魔法を覚えるのは簡単なことではないのじゃ。学ぶことも多い。家族の時間を削ることになるのじゃぞ?」
言われて気づかされた。
僕が勉強をするということは、それだけアーヤと過ごす時間が減るということだ。
それにアーヤとの時間が減るという事は、誰かにアーヤを任せるしかない。任せられる相手は、今の状況だとヴィヴレットしかいない。
僕はアーヤだけでなく、ヴィヴレットにも苦労をさせようとしていたのだ。
でも、僕は魔法を学びたい。その欲求が今は強い。
「そ、それでも」
「父親としての責務を果たせ。魔法を学びたければ、それからじゃ。……この話は終いじゃ。わしは部屋に戻る」
僕との会話を打ち切ると、ヴィヴレットはリビングを去って行った。
残された僕は、ヴィヴレットの温もりが残っているソファに腰を掛ける。
ヴィヴレットがいた場所に触れる。温かい。その温かさが、何故か僕の心を切なくさせた。
温もりが消えていく。僕の手からすり抜けていくように。
離したくなくて手を強く握った。でも、温もりは僕を置き去りにして、どこかへ流れて行った。
「く……」
歯を噛み締めて、こみ上げてきた感情を必死に抑えた。
・ ・ ・
太陽が中天に差し掛かると、アーヤを連れて庭に出る。
「パ~パ~。めぇめぇ」
アーヤが小屋にいる、お気に入りのヤギを指さして言った。
「そうだね。めぇめぇだね」
「めぇめぇ~。パ~パ、ば~ば?」
「ヴィヴレットさんは、後で来るからね。先に準備していようねぇ」
ヴィヴレットは昼食の準備をしているので、少し遅れてくる。
大樹の木陰に布を敷いて、ヴィヴレットの到着を待つ。
あの後は、会話らしい会話をしていない。
僕が遠慮をしているのもあるし、ヴィヴレットが避けているようにも感じた。
魔法を学びたい。周りに負担を掛けることは承知している。だが、それでも。
「待たせたのぉ」
ヴィヴレットがバスケットを片手に、僕達の方へと歩いて来ていた。
「ば~ば~!」
「これこれ。じゃれるのは弁当を食べてからにせい」
優しくたしなめたヴィヴレットの足にアーヤは引っ付いてる。
「ば~ば、だっこぉ」
「仕方がないのぉ。ユージン、弁当を持ってくれ」
ヴィヴレットの手からバスケットを受け取った。
アーヤをヴィヴレットが抱きかかえると、優しく体を揺らした。
昔からアーヤが大好きな抱っこの仕方だ。満面の笑みを浮かべて、ヴィヴレットの胸にしがみついている。
微笑ましい光景が僕の心を強く打った。
二人が笑っている。アーヤが、ヴィヴレットが。
愛おしい二人。アーヤと、ヴィヴレット。
一緒にいたい二人。離れたくない二人。離したくない二人。
掛け替えのない二人が、僕の視界で光り輝いていた。
「パ~パ」
アーヤが僕に向けて、手を伸ばした。
その手に、そっと触れる。アーヤが僕と繋がった時、胸が大きく鳴った。
伝わったのはアーヤの温もりだけじゃなかった。
ヴィヴレットの温もりも伝わってきたのだ。
確かに今、僕の手にヴィヴレットの温もりがある。
気持ちを穏やかに、そして幸せにさせる温かさが僕の胸に届いているのだ。
何でこんなに満たされた気持ちになるのだろう。
他に何もいらないと思える程、僕の心は幸せで溢れている。
何が幸せなんだろう。どうして幸せなんだろう。
頭の中にあった悩みは、次の瞬間に霧散した。
「好きなんだ、僕……」
ヴィヴレットのことが好きなんだ。
間違いない。だから、こんなに幸せなんだ。
大好きな人が傍にいてくれる。掛け替えのない人と、一つの世界を築いている。
好きだから、世界が輝いて見えるんだ。
好きだから、大好きだから。
「ヴィヴレットさん、魔法を教えてください」
「……何度言ってもダメじゃ。ダメなものは」
「嫌です。僕は魔法を覚えたいんです。覚えないとダメなんです」
「ユ、ユージン?」
一つ息を吐いて、真剣な眼差しでヴィヴレットの目に訴えかける。
「僕は父親にならないといけません。でも、その前に大人に……一人の男にならないとダメなんです。ならないと、僕は」
ヴィヴレットの横に並べない。一緒に歩んでいけない。
ヴィヴレットの庇護の下で生きていれば、今の世界が維持できるだろう。
でも、それ以上の世界は望めない。もっと光り輝かせるためには、僕が大人にならないとダメなんだ。
「見て欲しいんです。一人の男になった僕を」
「ユージン……」
「ヴィヴレットさん、お願いします。僕に、魔法を教えてください!」
深々と頭を下げる。
少しでも、ほんのわずかでも良い。この思いが伝わるようにと。
「……これで断っては、わしが悪者のようではないか。仕方がないのぉ。わしの修行は優しくはないぞ?」
「は、はい! 頑張ります! よろしくお願いします!」
「うむ。さて、早速、魔法の修行に……と言いたいところじゃが、先に食事にしようかのぉ」
「そうですね。お腹が空いてはできるものも、できないですからね」
早速、バスケットを開いて、3人で食事を取る。
アーヤもヴィヴレットも笑っている。僕も、2人に負けじと笑う。
今までの悩みが晴れて、本当に清々しい。
好き。たった、この二文字が出てくるまでに、どれだけ悩んだことだろう。
ヴィヴレットへの思いが、子供の僕を悩ませ、成長させようとしていたのだ。
一つの感情が切っ掛けで、僕は一人の男になることを決意させた。
もちろん、父親になることは忘れてはいない。
アーヤの父になる。その上で、ヴィヴレットに認められる。そうして、初めて僕は僕の思いを告げられるのだ。
あなたのことが好きです。
この思いを早く伝えたい。でも今は、この瞬間を楽しもう。
僕の願いの出発点となった世界を。
笑顔に満ちた世界は、透き通った空よりも気持ちの良いものだった。




