人を癒す
眩しい朝日が森を目覚めさせる。
吹き抜ける風は爽やかで優しい。
気持ちの良い朝に、僕は日課の野菜と家畜の世話をしていた。
この世界に来て、もう一年半になる。
生活は順調そのものだ。子育ては苦労の連続だが、何とかやっていけている。
ただ、未だにヴィヴレットの家に居候させてもらっており、独り立ちはできていない。
ヴィヴレットも気にするなとは言ってくれているが、ずっとこのままなのも悪い気がする。
では、どうしたら良いのか。これが考えても答えが出ない。
文字の読み書きは堪能だが、この田舎では役には立たない。
都会に行けば何かあるかもしれないが、何の伝手もなく職に就ける気がしない。
現状できることは、ヴィヴレットの手伝いをすることしかないのだ。
一人の大人になりたい。時々、どうしようもなく、そう思う時がある。
どうしてなのか分からない。ただ、このままではいけないと思ってしまう。
「どうしたら良いのかなぁ」
天を仰いで、雲一つない空を見つめる。
僕の心も、透き通っていればいいのだが、今日はどこか重いようだ。
落としどころのない気持ちを抱えて、家へと帰る。
ドアを開けると、キッチンからアーヤがぽてぽてと歩いて来ていた。
「パ~パ~」
僕を見つめて、にっこりと微笑んだ。
可愛すぎる。食べちゃいたくなる気持ちが分かる程、プリティーだ。
目鼻立ちがくっきりしているため、一目で美人になると確信できる。
それに髪の毛も美しい。ほんのりとした桃色で、綺麗な髪質をしている。
流石、半分は女神様の子供だと思った。
「アーヤ、ただいま。おいで~」
「パ~パ! きゃっ、きゃっ」
駆け寄ってきたアーヤを抱きかかえて、くるくると回る。
アーヤは楽しそうに声を上げ、僕にひしと抱き着いた。
「お~い。朝食ができておるぞぉ」
ヴィヴレットがキッチンから声を掛けてきた。
「今、行きます」
アーヤを抱えたままキッチンへと向かう。
ヴィヴレットがエプロンを外しているところに出くわした。
「ば~ば! ば~ば!」
「おぉ、アーヤ。ばぁばじゃぞ~」
いつの間にか、ヴィヴレットは『ばぁば』になっていた。
僕がアーヤにパパと言い続けた結果、アーヤが最初に口にした言葉がパ~パ、だった。
それが羨ましかったのか、アーヤに話しかける時に自分のことを、ばぁばと呼び始めたのだ。
そのかいあってか、今では僕はパパ。ヴィヴレットは、ばぁばになっている。
本当にこの呼び方で良いのだろうか?
「まんま~」
「あ、ごめんね。じゃ、食べよっか」
アーヤを椅子に座らせて、皆で食事を始めた。
「ヴィヴレットさん、今日は往診はお休みでしたよね?」
「うむ。今日は休日じゃな。のんびりとするとしようかのぉ」
「じゃあ、お昼は庭で食べませんか? 今日はいい天気ですし」
「おぉ、それは良いのぉ。ならば、弁当の準備をせねばな」
僕の提案に快諾してくれた。
家の周りは森が開けているため、日当たりがよく、眺めも良い。
今日のような晴天を存分に楽しむことができるはずだ。
「アーヤ、今日はお庭でまんまだよぉ」
「うっ? まんま~」
多分、分かっていないだろうけど、楽しそうなので、庭での昼食も楽しんでくれるだろう。
この当たり前の日常がとても好きだ。
三人で笑いあって生きていたい。ずっと、ずっと。そう思う時がある。
でも、この時にも思ってしまうのだ。大人の男にならなければ、と。
僕は何でそう思うのだろう。今のままでも十分、幸せなのに。
「ごちそうさまでした」
「うむ。お粗末様じゃ」
食事を終えて、アーヤとリビングで戯れる。
楽しんでいると、アーヤがふと動きを止め、くるりと振り返って、キッチンの方に歩き出した。
「ば~ば~」
ヴィヴレットに会いたくなったのだろう。
アーヤを追いかけていくと、あっ、と声を上げた。
椅子にアーヤが頭をぶつけてしまった。
「びぇ~ん! うぇ~ん!」
「アーヤ、大丈夫? 頭、痛いね。大丈夫、大丈夫」
ぶつけた頭を優しく撫でる。
それでも、アーヤは声を上げて泣き続けた。痛みが治まるまで、なだめるしかない。
何度も声を掛けていると、ヴィヴレットがアーヤの前で屈んだ。
「仕方がないのぉ。ばぁばが治してやろう。痛いの痛いの、飛んでいけ~じゃ」
アーヤの頭に乗せたヴィヴレットの掌から、淡い緑色の光が溢れた。
回復魔法を使用したのだ。
痛みが引いたのか、アーヤは泣くのを止めた。
「ほれ、痛くないじゃろぉ?」
「ヴィヴレットさん、ありがとうございます。アーヤ、ばぁばにありがとう、して?」
泣き止んだアーヤはすぐに笑みを取り戻した。
「ば~ば、ありあと~」
「どういたしましてじゃ。さて、洗い物も終わったところじゃ。少し休むとするかのう」
肩を手で揉むと、リビングのソファに腰を掛けた。
その後をアーヤは付いて行き、ヴィヴレットの膝の上に乗る。
「甘えん坊じゃのぉ、アーヤ」
柔和な笑みを浮かべて、アーヤの頬を優しく突いている。
その光景がとても綺麗で愛おしかった。ぼんやりと二人を眺めていると、ヴィヴレットが僕を見た。
「何じゃ? どうかしたのか?」
「い、いえ。あ、そうだ。疲れたでしょう? 肩でも揉みましょうか?」
「おぉ、気が利くなぁ、ユージン。最近の手つきは、いやらしさが抜けて心地よいからのぉ」
「さ、最初から、いやらしくないです!」
「何を言う。最初は鳥肌ものじゃったぞ? いつ襲われるのか、気が気でなかったわ」
からからと笑うヴィヴレットを、湿った視線で見つめる。
「じゃあ、もうしませんよ?」
「すねるな、すねるな。自分の魔法で解すのも良いが、人にしてもらうのも良いのじゃ。ほれ、さっさとやってくれ」
「はいはい。分かりました」
ヴィヴレットの肩に手を乗せ、優しく力を入れる。
ゆっくりと指を動かして、コリを解していく。
「お、おぉ、良いのぉ。もうちょっと、右……。そう、そこじゃ。う、うぅ、はぁ、おぉ、うぅん」
妙に艶めかしい声を出されて、恥ずかしくなってくる。
最初の頃は、この声のせいで悶々としたものだ。今では慣れたので、声の質からどのぐらいの力を入れれば良いのか分かってきた。
「な、なかなか、やるように、ふぅ……うぅ……んん」
「ありがとうございます。だいぶ、コリは解れたと思いますよ」
「う、うむ、ふぅ。あぁ、気持ち良くなったわい。いつもすまんな」
肩が軽くなったことを確かめるように、肩を伸ばした。
「お主は良い手をしておる。温かくて、優しい。人を癒す手じゃな」
「ありがとうございます。じゃあ、マッサージ屋でも開きましょうか?」
「ふふっ、それも良いかものぉ。魔法で癒すのも良いが、真に良いのは人肌かもな」
「魔法……ですか」
魔法。今まで、ヴィヴレットが使うのを散々見てきた。
人を癒し、笑顔にしてきた魔法。いつも、その力に驚き、感心させられている。
僕にもできたら良いのに。口にはしなかったが、何度も思ったことだ。
僕の手で人を癒すことができたら。
「あの、ヴィヴレットさん」
「何じゃ?」
「僕に……魔法を教えてもらえませんか?」
「……断る」




