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三 『愛美のチョコレート』


            三 『愛美のチョコレート』


 愛美がやってきたのは、デパートだった。

 そう、彼女、直人がゾンビになったのは、このデパートのチョコレートを食べたせいなのではないかと考えたのである。

 そして、もし、そうならば、直人の他にもゾンビになった人たちがいる。

 その人たちも、解決策を探すためにここへときているはずなのである。


 ところが、デパートはいつもと何ら変わりなかった。愛美がチョコレートを買った店も、普段どおりに営業している。

 「どうしよう」悩みながらも彼女は、チョコレート店の女性店員に声をかけてみることにした。

「あの、すみません」

「はい。……あら、貴女は」

 店員は、すぐに愛美のことに気づいた。高級チョコを買う小学生などそうはいないため、顔を覚えていたのだろう。

「今日は、どうしたのかな?」

 続けてそう聞いてくる彼女に、愛美は思い切った様子で告げた。

「あの、私が買ったチョコレートなんですけど、あれと同じものを食べた人がゾンビになったなんて話、聞いたことありませんか?」

「ゾンビ? ゾンビって、あの?」

 店員が両手を前に出して見せる。

「はい、そのゾンビです」

 愛美は大きくうなずいた。

「あのね、私、暇なわけじゃないのよ」

 店員が大きくため息をつく。

「いえ、そうじゃなくて……」

「もういいから。ゾンビなんているわけがないでしょう。からかいたいんだったら、他の人にやってちょうだい。ほら、帰って、帰って」

 愛美は、けんもほろろに追い帰されてしまった。


「チョコレートが原因じゃないとすると、どうして、直人君はゾンビになっちゃったんだろう?」

 デパートを出たところでひとり立ちどまり、そう愛美がつぶやく。

 だが、答えなど分かるはずがなかった。

 早くも訪れた手詰まりに、愛美が頭を抱える。

「直人君のためにできること、もう私にないのかな? たったこれだけしかないのかな?」

 悩みに悩んだその瞬間、彼女はひとつの可能性に辿り着いた。

 それは、直人が好きだと言ってくれたチョコレートを作ること。彼に、手作りのチョコを食べてもらうこと。

 王子様のキスで百年の眠りから目覚めた姫もいる。「だったら、私の手作りチョコで直人君のゾンビが治ってもおかしくはない」そう愛美は考えたのである。

「待っててね、直人君」

 彼女は、家へと向かって駆け出した。


 自宅に戻ると、すぐさまキッチンへ。愛美は、デパートからの帰りに買ってきたチョコレートを刻み始めた。

 高級などという言葉からはほど遠い、いつもの板チョコである。

 そのいつもの板チョコに、直人への想いをこめる。丁寧に、細かく刻んでいく。

 刻んだチョコレートをボウルに移す。もうひとつボウルを準備し、そちらには五十度から五十五度ほどのお湯を張る。そこに、刻んだチョコレートの入ったボウルを浸し、溶かしていく。湯煎だ。

 湯煎で溶かしたチョコレートを型枠に流す。直人に初めて手作りチョコを渡した時からずっと使い続けているハートの形をした型枠である。

 あとは、冷蔵庫に入れて固まるのを待てばできあがりだ。

 チョコレートの完成を待ちながら愛美は、直人に恋をするきっかけとなったあの出来事を思い返していた。


 それは、小学三年生の時、マラソン大会を翌日に控えた一月の終わりのことだった。

 その日、母親からお使いを頼まれた愛美は、学校の近くにある八百屋、八百政へと大根を買いに向かっていた。

 そこに、前方から直人がやってきた。

「愛美、どこに行くの?」

 そう聞いてくる直人。

 愛美は答えた。

「お母さんに頼まれて、八百政に大根を買いに行くの」

 その瞬間、直人の瞳が輝いた。

「八百政! 大根! 僕もついて行く!」

 そんなことを言い出す。

「でも、一緒にきてくれても何もいいことはないよ。本当に、ただお使いに行くだけなんだから」

 そう愛美が伝えるが、それでも直人は、彼女について半ば強引に八百政までやってきた。

 八百政で目的の大根を選ぶ愛美。その隣で直人は、店主であるおじさんと何やら真剣に話をしていた。

 そして、帰り道。先ほどの会話が気になり、愛美は直人にたずねた。

「ねぇ、直人君。八百政のおじさんと何の話をしていたの?」

 すると、今にも泣き出しそうな顔で直人は答えた。

「八百政、閉店するかもしれないんだって」

「どうして?」

「お客さんが少なくて、やっていけなくなったって」

「そうか。あんなに美味しいお野菜が並んでいるのに。皆、気づいていないのかな?」

「かも知れない。一度食べてもらえば分かってもらえるのに、って、おじさんも言ってたから」

「そうなんだ。……あ、そうだ。お母さんの話だと、八百政のお野菜って確か地元の畑で育てていて、特に大根は、すぐ近くに畑があるって聞いたような」

「どこに?」

「校区内だったと思うよ。明日のマラソン大会でも、その畑の横を通るんじゃないかな」

「ということは、マラソンのコースに、八百政の大根畑があるってこと?」

「うん」

 そう愛美がうなずいたそのとたん、直人は叫んだ。

「それだ!」

 そして、彼は、いきなり愛美へと抱きついた。

「……え?」

 完全に意表を突かれ、動けなくなっている愛美。

 そんな彼女に、直人は告げた。

「ありがとう、愛美。愛美のお陰で、八百政のお客さんを増やせるかも知れない」

 翌日。マラソン大会の日。

 スタートと同時に直人は、全力疾走で駆け出した。同学年の他の子供たちを大きく引き離してトップだ。

 ところが、何を思ったか直人は、途中でいきなり道路わきの畑へと飛びこんだ。八百政のおじさんが育てているあの大根畑である。

 その畑の土を、直人は一心不乱に掘り始めた。

 後ろからやってきた子供たちが、次々と彼を追い抜いて行く。

 だが、それでも直人は土を掘り続けた。

 やがて、ある程度の深さまで掘ると、

「えい!」

 との声とともに彼が白い何かを引き抜く。それは、一本の立派な大根だった。

 大根を手にすると、直人は再び走り出した。

 マラソンのゴールは、学校の正門だ。そこに一番で見えてきたのは、真っ白な大根をまるでオリンピックの聖火のように持って走る直人の姿であった。

 マラソン大会も終わり、表彰式。

「今年の三年生チャンピオンは、早瀬直人君です」

 そう言われ、全校児童の前に立つ直人。その場でも、彼は大根を握りしめていた。

「それでは、感想をどうぞ」

 直人にマイクが渡される。

 彼は、右手に持つ大根をトロフィーのように掲げてから言った。

「八百政の大根は、うまい!」

 それから、生のままの大根にがぶりとかじりついたのである。

 これには、全校児童四百人が呆気にとられた。

 しかし、同時に、長い距離を走り、腹を空かせた彼らには、直人の手にある八百政の大根がとてもおいしそうなものにも見えていた。

 この日の夕方、八百政にはたくさんの客が集まっていた。直人が行った宣伝が、功を奏したのである。

 そして、そんな客たちの中には、勝手に畑から掘り出した大根の代金を払いにきた直人の姿もあった。


 かくして、この出来事をきっかけに愛美は直人に恋をした。

 愛美は、八百政のために大根を持って走る直人の優しさに恋をしたのである。

 何とも締まらない話だ。それは彼女も思っている。

 だが、恋の始まりというのは得てしてそんなものなのである。

「さて、と。それじゃあ、ゾンビになってしまった私の王子様を助けに行くとしますか。いざ、出陣!」

 そう自分に気合いを入れると、愛美は、冷蔵庫から手作りチョコを取り出した。

 

 自宅を出てから二分後。愛美は、直人の家の前に立っていた。

 右手に持つのは、むき出しのままのハートのチョコレート。ラッピングはもちろん、箱にさえ入ってはいない。

 しかし、そんな飾りなど、もはや必要なかった。

 ゾンビとなった直人を治すことができるのは、愛美の真心。ただそれだけだからである。

 愛美が玄関のインターホンを押す。

 すると、ほどなくして、直人の母親が顔を出した。

「あら、愛美ちゃんじゃないの。直人のお見舞いにきてくれたの?」

「はい。それで、直人君の様子はどうですか?」

「それが、帰ってきてから、まったく部屋から出てこないの。何度呼んでも返事がないし、いったいどうしちゃったのかしら」

「部屋から出てこないって、この時間までずっとって意味ですか?」

「そうなのよ」

 その返事に、愛美の胸の中に悪い予感が押し寄せてきた。

「おじゃまします!」

 そう告げると彼女は、玄間に靴を脱ぎ捨てて二階へと階段を一気に駆け上がった。

 これまでにも何度かきているため、部屋の場所ならば知っている。

 直人の部屋の前に立つと、愛美は、そのドアをノックした。

「直人君! 私、愛美よ!」

 だが、中からの応答はなかった。

「開けるよ」

 愛美がゆっくりとドアを開ける。

 ところが、室内に直人の姿はなかった。

「あれ? 直人君?」

 一歩、二歩、部屋の中へと足を踏み入れる愛美。

 そんな彼女の後方で、ドアの閉まる音が聞こえた。

「……え?」

 恐るおそる、愛美がふり向く。

 次の瞬間、突然何者かの腕が伸びてきて、彼女は両肩をつかまれた。

「きゃ!」

 短い悲鳴を上げるが、両手で肩を抑えつけられ、体はまったく動かない。

 そんな愛美の視線の先には、紫色の顔をした直人がいた。

「な、……直人君」

 愛美が彼の名を呼ぶ。

 だが、その声に応えることなく直人は、愛美の首筋目がけて大きな口を開けた。

 噛まれる痛みを想像し、愛美が全身を硬直させる。

 しかし、その時は一向に訪れなかった。

 そっと視線を移動させ、今も直人の顔がある自らの首筋付近を確かめる。

 そこには、何とか愛美を傷つけまいと、必死に自分の腕に噛みついている直人の姿があった。

 ぽたり、ぽたり。彼の腕から赤いしずくが床へと落ちる。

 両目いっぱいに涙を浮かべて、愛美は言った。

「ねぇ、直人君。自分の腕なんて食べてもおいしくないよ。おいしいのは、こっち。こっちを食べて」

 そっと腕を離させると彼女は、代わりに、手に持つチョコレートを直人の口へと入れた。

 カリッ。小さな音とともに直人がそれを噛み砕く。

 奇跡は起きた。

 瞬く間に、直人の顔色が元に戻ったのである。

「あ、愛美! 大丈夫だった? 僕、またゾンビになっていたみたいで。愛美のこと、傷つけたりしなかった?」

 意識を取り戻した直人が、そう彼女に問う。

 愛美は小さく首をふった。

「ううん、平気。それと、直人君のゾンビだけど、もう治っていると思うよ」

「え、本当? でも、どうやって?」

「これよ」

 愛美は、その一部が小さく欠けたハート形のチョコレートをふって見せた。

「それって、愛美の……」

「そう、私の手作り。これをひと口食べたとたん、直人君のゾンビは治ったの。凄いでしょう? 食べる?」

「うん」

 うなずく直人に、愛美はチョコレートを手渡した。

「それにしても、結局最後まで分からなかったね。直人君がゾンビになった理由(わけ)

 もぐもぐと口を動かす彼を見つめながら、深刻そうにそう愛美が言う。

 だが、直人はこともなげに答えた。

「そうだね。でも、もういいんだ。分からなくても」

「どうして? 気にならないの?」

「それは気にはなるよ。だけど、もし、またゾンビになることがあっても、僕には、それを治してくれる愛美がいる。だから、平気なんだ」

「直人君!」

 愛美が直人に抱きつく。

「ちょ、ちょっと、近いよ。僕、怪我してるんだからね」

 そう言いながらも直人は、愛美を押しのけようとはしなかった。

「直人君、大好き」

 これ幸いと、愛美がさらに近づく。

 そこに、直人は小さく告げた。

「僕も、愛美のことが好きだ」

 “素直な人”と書いて直人。どうやら、彼、今回の一件で少しだけ素直になれたようだ。

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