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一 『“特別”なチョコレート』


           一 『“特別”なチョコレート』


 今年もこの日がやってきた。本日、二月十四日はバレンタインデーである。

 放課後、()()は、自宅から歩いて二分ほどの距離にある(なお)()の家の前に立っていた。

 手に持つ箱は、言うまでもなくチョコレート。しかも、例年とは異なり、少しだけ“特別”なものとなっている。

「今年こそ、きちんと話を聞いてもらうんだから。いざ、出陣!」

 そう自分に気合いを入れると、彼女は、玄関のインターホンを押した。

 すると、

「はい」

 すぐに返事が聞こえ、ひとりの少年が姿を現す。

「直人君!」

 愛美は、まるで飼い主を見つけて喜ぶ犬のように、そそくさと彼の前に立った。

 一方、直人のほうはといえばつれない態度だ。

「何だ、愛美か」

 そう言って、あからさまに面倒そうな顔を向けてくる。

 「やっぱり、こんな日でもいつもどおりなのね」愛美は、少しだけがっかりした。

 とはいえ、そこは小学三年生から六年生の(こん)(にち)まで、ずっと直人への片想いを続けている彼女だ。これくらいのことではくじけない。

 背に隠しておいた箱をおもむろに差し出すと、愛美は告げた。

「今日はバレンタインデーでしょう。だから、これ」

 その瞬間、直人の瞳が輝いた。

「おお! チョコレート!」

 そう叫び、「くれ! くれ!」と両の手の平を上にして催促してくる。

「はい、どうぞ」

 愛美は、彼の手にそっとそれを置いた。

「ありがとう!」

 礼を言うのと同時に、直人が包装の開封作業に取りかかる。

 そこに、愛美は確認するように言った。

「直人君って、本当にチョコが好きなんだね」

「うん、好き。でも、八百(やお)(まさ)の大根のほうがもっと好き」

 開封作業を続けながら、直人はそう答えた。

「そっか。ということは、直人君が一番好きなのは八百政の大根で、二番目がチョコレートなのね」

「そのとおり」

「じゃあさ、私は? 私は、何番目に好きなの?」

「……え?」

 直人の視線がチョコレートの箱から愛美へと移った。よほどの不意打ちだったらしく、開封の手はとまり、瞬きをするのさえ忘れている。

 そんな彼に、愛美はさらに続けて聞いた。

「ねぇ、直人君。私のこと、……好き?」

「えっ? な、な、何? き、急に」

 直人は、慌てて愛美から目をそらした。

 耳まで真っ赤になっているその横顔に、愛美がそっと笑みを浮かべる。

 もちろん、本音を言えば、「僕は愛美のことが一番好きだ。八百政の大根よりも好きだ」そう答えて欲しかった。

 だが、名前は“素直な人”と書いて直人なのに、まったく素直ではない彼にそれを望むのは、ノミにリュックを背負わせ富士登山させるよりも難しい。

 そのため、照れている直人の顔は、言葉での答えではないものの、何よりの返事。愛美にとっては、それで満足だったというわけなのである。

「それにしても、この包装、全然開けないんだけど」

 やはり素直ではない直人が、赤い顔をしたまま話題を変える。

「ちょっとラッピングがきつくなりすぎちゃったかも。貸してみて」

 そう言って愛美が手を出すも、彼は、

「もういい。こうしたほうが早いし」

 と、一気にそれを破ってしまった。

 「あーあ。せっかく、時間をかけて包んだのに……」無残にもビリビリになった包装紙に愛美が目を落とす。

 しかし、そんなことを気にする様子もなく直人は、チョコレートの入った箱と無事に対面を果たした。

「さて、どんなのが出てくるかな?」

 わくわくした声とともに箱を開ける。

 ところが、次の瞬間、

「あれ?」

 彼は不思議そうに首をかしげた。

「どうしたの?」

 そう愛美がたずねると、直人は、箱にいくつか入ったチョコレートの中のひとつをつまんで見せてから言った。

「これ、本当に愛美が作ったの?」

「もちろんよ」

「ふーん。でも、何かおかしい」

「どこが?」

「いつもより、上手にできてる」

「それはそうでしょう。六年生になって、私も少しはお料理できるようになったんだから。まぁ、とにかく食べてみてよ」

「分かった。いただきます」

 愛美に促され、直人は、手に持つチョコレートを口の中に放りこんだ。

「どう? おいしい? おいしいでしょう? おいしいよね?」

 愛美がぐいっと顔を寄せてくる。

 それを「近い」と手で押しのけると、彼は答えた。

「うーん、普通。というより、去年のほうがまだましだったな。今年のは、何だか愛美の味がしない」

「私の、……味?」

「そう。愛美の味」

 それだけを告げると直人は、残りのチョコレートも次々と口の中に入れていった。

 黙ってもぐもぐと口を動かし、やがて全てを食べ終える。

 最後に、彼は、

「ごちそうさま」

 とひと言残すと、さっさと愛美に背を向けてしまった。

「あ! ちょっと待って!」

 今にもその場から立ち去ろうとする直人を愛美は慌てて呼びとめた。

「ん?」

 直人がふり返る。

 そこに、愛美は思い切った様子で言った。

「あの、さっきのチョコレートのことなんだけど、実は……」

 だが、彼女がそれを最後まで言葉にすることはできなかった。

 突然、目の前で直人の顔が紫色に変わったのである。

「……え?」

 戸惑いの声を上げ、愛美が両目をこする。

 だが、次に見た直人の顔は、彼女の見間違いだったか、元の肌色に戻っていた。

「どうかした?」

 そう直人が問う。

「い、いいえ、別に……」

「そう。じゃあ、また明日」

「うん。また明日、学校で。さようなら」

 愛美が小さく手をふると、直人は何事もなかったかのように家の中へと入って行った。


「……はぁ。結局、言えなかったなぁ」

 直人の家からの帰り道、愛美が小さくため息をつく。

 実は、今年のチョコレート、愛美の手作りではなかった。デパートで買った高級チョコの中身だけを取り出し、さも手作りであるかのように包み直したのである。

 「どうして、そんなことをしたのか?」と問われれば、理由は単純だ。

 三年生のバレンタインデーから毎年、愛美は、直人に手作りチョコを渡し続けてきた。

 しかし、八百政の大根に次いで二番目に好きなチョコレートであるにもかかわらず、直人が愛美の手作りチョコを「おいしい」とほめたことは一度もない。

 そのため、そんな彼の口から「おいしい」のひと言を出させようと、高級チョコの力を借りることにしたというわけなのである。

 ところが、直人はそれをひと目見ただけで、「本当に愛美が作ったの?」と怪しんだ。食べたあとには、「愛美の味がしない」とも言った。

 愛美が思っていた以上に、直人は鋭かったのである。

「いくらほめて欲しかったからって、デパートのチョコを手作りだなんて嘘ついたのはよくなかったよね。明日、きちんと謝らなきゃ」

 うつむき、愛美が反省する。

 それと同時に、先ほど一瞬だけ見えた気がする直人の紫色の顔が頭に浮かんだ。

 そう。あれは、まるでゾンビ。一度死を迎えた者がよみがえり、次々と人を襲いだすあのゾンビのような……。

「そんなわけないじゃない。だいたい、直人君は生きているんだから、ゾンビになんかなるはずがないでしょう。いったい何を考えているんだろうな、私」

 あまりにも馬鹿げた想像に、彼女は思わず笑ってしまった。

 暮れ始めた夕日を背に、家路を急ごうと足を速める愛美。

 まさか、その笑って終わらせたはずの想像が、次の日には現実のものとなってしまうことなど、今の彼女が気づくはずはなかった。

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