8章
みーんみんみんみん……
どこからか、蝉の鳴き声が聞こえてくる。
私はベランダから私が眠っている部屋を見ていた。
不思議なことに、窓には黒い幕が引かれているにも関わらず、私は部屋の中を見ることが出来た。
私が魂になった証拠だろうか。分からない。
「……ねえ、お姉ちゃん」
私の遺体の横に座り込んだ妹が、ポツリと呟く。
「お姉ちゃんとの約束、あの後、紙に書いたんだよ」
妹の細い声が、まるで本人が耳元で話しているかのように聞こえてくる。
「見てたよ、書いているの」
そう言うが、私の声は、もう、届かない。
ぽたり、と。
妹の涙が、私の遺体の手に落ちる。
「忘れないからね、約束。絶対、忘れない。約束も、お姉ちゃんの、ことも……!」
妹は泣きじゃくる。
「忘れないよ。大好きだよ」
妹にそっと、そう言った。勿論この声も、届かない。
私の頬を、何かが伝っていくのを感じていた。
部屋の中に入り、妹を抱きしめる。
「……お姉ちゃんも、大好きだよ。ずっと、忘れない」
抱きしめても、こんなに近くで言っても、気付いてもらえない。
分かっている。分かっているけど……。
私はせめて、そっと妹の涙を拭ってあげた。
「お姉ちゃん……?」
私の気配を感じたのか、あたりを見回す妹。
でも妹が私を見つけられるわけがない。
「気のせい、かなあ」
「気のせいじゃ、ないよ」
私はそう言ったけど、妹はうなだれてその場を去っていった。
次にやって来たのは、祖父母だった。
ハンカチで目元を押さえながら、2人はポツポツと話す。
「いつも私たちの話を楽しそうに聞いてくれたねえ」
「旅行の土産話も、くだらない日常生活のことも。ありがとう」
「4人の孫を、1番年上だからといつもまとめてくれて」
そう言えばそうだ。いとこの2人と妹をまとめていたのは、いつも私だ。
「今まで本当に、ありがとう」
「2人こそ。いつもありがとう。遊びに行ったら美味しいご飯を作ってくれたし、いつも遊んでくれたし、庭で野菜を収穫させてくれたり、本を沢山貸してくれたり。本当に嬉しかった。ありがとう」
やっぱり2人にも、声は届かない。
2人のことを順番に抱きしめた。
そして枕元に隠しておいた本を出して、「ごめんね、勝手に。ありがとう」と言って返す。
「あら、この本は……」
「いつの間に……?」
2人は首を傾げながら本を元の棚に戻し、いなくなってしまった。
最後にやって来たのは、両親だった。
「最初に生まれた子で、どう育てたらいいのか分からないこともあって、厳しく育ててしまった。それは、ごめんな」
「だけど、私たちよりも早く死んでしまうなんて……思ってもみなかった」
2人は妹や祖父母よりも、泣き崩れていた。
「厳しく接しすぎたこともあったと思うけど、今まで本当にありがとう」
「あなたのことが、誰よりも大好きだった」
私はなんと言っていいのか分からなくなった。
「手伝いだって嫌々ながらもいつも率先してやってくれた」
「大学進学に向かって勉強を始めていて、俺は大学には行ってないからどんなもんだか分からなかったけど、それでも夢に向かって走っているお前を目一杯応援したかったんだ」
「怒ることも沢山あったけど、この子は絶対に守るんだって、決めていたのに……」
「……ごめんな、本当に」
こんなに泣いている両親を、見たことがない。
「……あのね。線路に落ちた女の子を助けるって決めたのは私なんだよ?2人は何にも悪くないよ。それに、あの子を助けたいって思ったのも私。いつのまにか体が動いてたんだよ。それにあの子を庇ったのが2人だったら、2人とも死んじゃってるよ?私はもう死んでたんだから、結果的にそれが一番良かったんだよ。だから、もう泣かないで。2人はなんにも悪くないよ。今まで沢山迷惑かけたけど、本当にありがとう」
私は2人に話しかけた。
2人には届かないことが分かりきっていたのに。
私はふと、私の遺体の髪に髪留めが付いていることに気付いた。母が私のために作ってくれた、レジンの髪留めが。
私は母の髪にそれを留めた。
そして戸棚から本を出してきて、とあるページを出して探した。
確かこの本のどこかに……あった。
そのページを開いて、とあるところでページを折る。本には申し訳ないけど。
「お前、これ……あの子の、髪留めじゃないか?」
「あっ、いつの間に……?」
そして父は、私が開いたページに気付く。
「これ、あの子がよく読んでた本……」
あの本のあのページを折ると、ページの文頭に来る言葉は……
「『ありがとう』……だ」
「それってまさか……あの子からの、メッセージ?」
気付いてもらえた。
私は2人を抱きしめる。
「ありがとう、お父さん、お母さん」
私はまた、ベランダにいた。心地よい風が吹いてくる。
私はしばらくここにいようと決めていた。お通夜や告別式まで見て行こうと思っていた。
『……こっちへ、いらっしゃい』
不意に、優しい声が聞こえる。
『さあ、こっちへ』
こんなに優しい声は聞いたことがない。
しかもこの声……無視が、出来ない。
『さあ、いらっしゃい』
「……今、行きます」
私はもう、ここから去らなければならないのだ。
私は、ベランダの床を蹴った。
その瞬間、私は空へと舞い上がっていった……。
更新が久々になりました。
遅くなって本当にすみません。
感想、評価等頂けますと幸いです。




