八、ヤースーの暴走
八、ヤースーの暴走
夜半過ぎ、アルカーナは、準決勝の試合に臨む為、再び、闘舞台の中央に、立っていた。しかし、待てど暮らせど、対戦相手の異国の甲冑姿の剣士が、来なかった。
突然、無精髭の男が、右手を持ち上げるなり、「勝者、猫耳族の娘!」と、勝ち名乗りを宣言した。
その瞬間、「え?」と、アルカーナは、きょとんとした顔になった。まさかの不戦勝だからだ。そして、右手が下ろされた。
その直後、無精髭の男が、放した。
アルカーナは、信じられない面持ちで、階段へ向かった。間も無く、階段の下り口の手前で、洒落た白い背広姿の狐耳が特徴のイナ族の優男と横縞の服を着た鼠顔で、小柄のラット族の男と貧相な体格の狼の頭が特徴のウルフ族の男に、行く手を阻まれた。そして、三人の二歩手前で、立ち止まった。
「おうおうおう! このまま、何もしないで、帰るってのかよ!」と、右側のウルフ族の男が、言い掛かりを付けて来た。
「あたしに、文句を言わないで! 文句が有るのなら、あそこの審判に言ってよね!」と、アルカーナも、気丈に言い返した。公正な判定なので、言い掛かりを付けられる筋合いなど無いからだ。
その直後、「何おぅ~」と、左端のラット族の男が、凄んで来た。
「お嬢さん、こういうのは、どうだろうか? あんたが、不正をやりましたと認めて、棄権するというのは? そうなれば、俺達の賭け金が返って来て、一件落着という事で」と、正面に立つイナ族の優男が、口元を綻ばせながら、提言した。
「な、何よ! あたしには、得する事なんて、何も無いじゃないの!」と、アルカーナは、憤慨した。汚名を着せられた上に、決勝にも出られないという一リマの得にもならない不利益な話だからだ。
「へへ、そりゃ良いぜ! ついでに、身ぐるみも剥いじまえば良いんじゃねぇのか?」と、ウルフ族の男が、ニヤニヤと笑みを浮かべながら、賛同した。
その刹那、「では、早速!」と、ラット族の男が、嬉々として、両手の指をわなわなと動かしながら、真っ先に、飛び掛かって来た。
アルカーナは、咄嗟に、跳び退って、回避した。そして、「な、何するのよ!」と、声を荒らげた。本気で身ぐるみを剥がしに襲い掛かって来るとは、思いもしなかったからだ。
「へへへ、何を今更、恥じらっているんだよ。ここで脱がされたって、どうって事無いだろう?」と、ウルフ族の男が、薄笑いを浮かべながら、憶測を述べた。
「は? 勝手な想像をしないでよね! あたしは、あんたらよりも、健全に生きてます!」と、アルカーナは、即座に、否定した。これ以上、自分の品位を下げられたくないからだ。そして、男達を退かせようと、細い剣の柄へ、右手を持って行った。ここで言い争っていても、埒が明かないからだ。
「おいおい、丸腰の男を相手に、抜こうっていうのかい? 怖いねぇ~」と、イナ族の優男が、へらへらと笑みを浮かべながら、周囲に聞こえるように、もっともらしい言葉を吐いた。
その途端、「くっ…!」と、アルカーナは、歯噛みをしながら、思い止まった。抜けば、印象が悪くなるので、抜くに抜けなくなってしまったからだ。
「さあ、俺達に、脱がされろ!」と、ウルフ族の男が、踏み込んで来た。
「あんたを助けてくれる奴など、誰も居ないぜ」と、ラット族の男も、詰め寄って来た。
「嫌よ」と、アルカーナは、男を見据えたままで、じりじりと後退を余儀なくされた。視線を逸らすと、即座に、襲い掛かられそうで、気が抜けないからだ。
しばらくして、「あんた、もう、後が無いぜ」と、イナ族の優男が、勝ち誇るように、告げて来た。
その刹那、アルカーナは、イナ族の優男の言葉に促されるように、背後を一瞥した。すると、闘舞台の縁へ追い込まれているのを視認した。その瞬間、向き直り、足を止めて、項垂れた。飛び下りようにも、無事では済まない高さだからだ。
「ようやく、観念したようだな」と、ラット族の男が、息を荒くした。
「待て待て。先に脱がせるのは、俺だぞ」と、ウルフ族の男が、にこやかに、主張した。
「ここで、我々が揉めるのは、得策ではありません。三人で、同時に、この娘の身ぐるみを剥ぐのは、どうでしょう?」と、イナ族の優男が、提案した。
その直後、「それは良い!」と、ラット族の男が、賛同した。
少し後れて、「俺も、文句は無いぜ」と、ウルフ族の男も、同意した。
アルカーナは、立ち尽くしながら、なるようになれと覚悟した。飛び下りても、ジャン・カーズと同じ目に遭うに決まっているからだ。そして、目を瞑った。
突然、鈍い音が、聞こえて来た。
その直後、「いってぇぇぇ!」と、イナ族の優男が、大きな声を発した。
その刹那、アルカーナは、目を開けた。すると、イナ族の優男が、後ろ頭を抱えながら、その場に蹲っているのを視認した。そして、「え? 何?」と、事態の急変に、少し混乱した。どうして蹲っているのか、さっぱりだからだ。
間も無く、「娘、助ける!」と、拙い言い回しの男の声がして来た。
アルカーナは、、イナ族の優男の背後の先の方へ、視線をやった。すると、十五歩程離れた所に立つジャン・カーズを確認した。そして、ジャン・カーズが、何かをしたのだと察した。
ウルフ族の男が、振り向くなり、「何だ! お前!」と、怒鳴った。
「先の試合で、この娘に負けた男だ。びびる事はねぇぜ」と、ラット族の男が、せせら笑った。
「そりゃそうだ。お楽しみの前に、先ずは、邪魔者を排斥だ!」と、ウルフ族の男が、強気になった。
その途端、ラット族の男とウルフ族の男が、ジャン・カーズへ向かって、駆け出した。
少し後れて、「うおぉぉぉ!」と、ジャン・カーズも、呼応するように、雄叫びを上げながら、走り出した。
間も無く、双方が、ぶつかり合った。
ラット族の男が、機先を制するなり、ジャン・カーズの無防備な腹部へ、右の拳を見舞った。しかし、ジャン・カーズの表情に、変化は無かった。
「お前の攻撃、効かない」と、ジャン・カーズが、涼しい顔で、告げた。
その瞬間、「な、何おう!」と、ラット族の男が、激昂した。そして、今度は、両拳を連続で激しく殴り付けた。しばらくして、攻撃の手を止めるなり、「はぁ、はぁ。これだけ食らわせりゃあ、良いだろう」と、肩で息をしながら、吐き捨てるように、言った。だが、ジャン・カーズは、裏腹に、平気な顔をしていた。
「お前、戦士じゃない! 娘、虐める奴、悪い奴! 俺、負けない!」と、ジャン・カーズが、身構えた。その刹那、ラット族の男に組み付くなり、すぐさま、抱え上げた。
その瞬間、「な、何をする! や、止めろ!」と、ラットの男が、じたばたと暴れ始めた。
少しして、ジャン・カーズが、左を向くなり、「ぬがあぁぁぁ!」と、力任せに、放り投げた。
その直後、「うわあぁぁぁ!」と、ラット族の男が、絶叫しながら、滑空するかのように、闘舞台から落下した。やがて、姿が見えなくなった。間も無く、ジャン・カーズが着地をした時と似た音がした。
その間に、ジャン・カーズが、ウルフ族の男を見やった。
その途端、ウルフ族の男が、腰を抜かすなり、「あわわわ」と、恐れおののいていた。
「こ、この野郎…」と、イナ族の優男が、逆上した。そして、ジャン・カーズを見やりながら、左手で、足下に転がっている石斧を掴み上げた。
アルカーナは、その動きを見逃さなかった。次の瞬間、素早く細い剣を抜くなり、イナ族の男の喉元へ、切っ先を向けた。そして、「ふ~ん。あんたは、丸腰の人を、それで殴っても良いんだぁ」と、軽蔑の眼差しで、先刻の仕返しと言うように、指摘した。その直後、「あんたも、武器を持った以上は、今は刺されても、文句は無いわよねぇ」と、薄ら笑いを浮かべながら、脅した。
その瞬間、「ぐ…」と、イナ族の優男が、歯噛みした。そして、観念するかのように、石斧を静に置いた。
その刹那、「それで、よーし」と、アルカーナは、にんまりと笑みを浮かべた。これで、決着がついたので、ようやく、闘舞台を下りられるからだ。そして、ジャン・カーズに、礼を言おうと、顔を上げた。すると、いつの間にか、ジャン・カーズの背後に、怒りに満ちた表情のヤースーが、迫っていた。その瞬間、両目を見開いて、絶句した。
「娘、どうした?」と、ジャン・カーズが、怪訝な顔で、問い掛けて来た。
アルカーナは、左手で、ヤースーを指すなり、「ヤ…ヤ…」と、声にならない声を発した。最凶の厄介者が、現れたからだ。
「ん?」と、ジャン・カーズが、きょとんとした顔で、振り返った。その直後、ヤースーと対峙した。そして、「お前! 何しに来た!」と、敵意を剥き出しにしながら、怒鳴った。
突然、「邪魔だ!」と、ヤースーが、左腕で、ジャン・カーズを薙ぎ払った。
その直後、「うがぁ!」と、ジャン・カーズが、跳ね飛ばされて、宙を舞った。そして、瞬く間に、闘舞台から姿を消した。
アルカーナは、面食らった表情で、ヤースーの圧倒的な暴力に、畏怖した。ジャン・カーズを容易く倒される様を目の当たりしたのが、脅威だからだ。
その間に、「退け! 邪魔だ!」と、ヤースーが、ウルフ族の男とイナ族の優男も、同様に、排斥した。間も無く、半歩前まで詰め寄って来た。そして、「へへへ、お前は、俺様の獲物だ。それに、こんな武術大会なんか、やってられるか!」と、吐き捨てるように、言い放った。
「あ、あっそう…。あ…あたしは、失礼するわ…」と、アルカーナは、引きつった表情で、素っ気無く応えた。これ以上の厄介事は、ごめんなので、早々に去りたいからだ。
「おっと! 逃がさないぜ!」と、ヤースーが、右手を伸ばして、左腕を掴んで来た。
その直後、「は、放して!」と、アルカーナは、振り解こうと、左腕を思いっきり振るった。しかし、ヤースーの右手は、びくともしなかった。
「さあ、公開処刑と行こうか」と、ヤースーが、口元を綻ばせながら、おぞましい言葉を吐いた。そして、同時に、引っ張りながら、中央へ、移動を始めた。
少しして、アルカーナは、中央の赤い線の所まで、無理矢理連れて来られた。
その途端、「おおっと! 怪我をさせられちゃあ、堪らんから、物騒な物は邪魔だな!」と、ヤースーが、左手で、細い剣を持つ右手を叩き上げた。
その瞬間、アルカーナは、手放すなり、「あ…」と、ぼんやりしながら、屋敷側へ飛んで行く細い剣の行方を見送った。やがて、見えなくなった。そして、立ち尽くした。逆らう気力すら残っていないからだ。
間も無く、「さあて、じっくりといたぶってやるか…」と、ヤースーが、不気味に微笑みながら、のし掛かってきた。
程なくして、アルカーナは、押し倒された。
その刹那、ヤースーが、重石のように馬乗りなるなり、右手で、顔面へ張り手を繰り出した。
その瞬間、アルカーナは、一瞬、意識が遠退くのだった。




