三、フィレンの屈辱
三、フィレンの屈辱
メギネ族の娘は、二人が去った後も、掲示板の前のチラシに、見入って居た。名は、フィレン・ソホシーラ。戦災孤児で、幼い頃より、金に苦労している為、金銭に対する執着心が、他人の三倍くらい強いと自負していた。流れ流れて、ここへ辿り着いたのだった。そして、内容を精査している最中だった。
『急募!
今宵、リーン邸にて開催される武術大会の際の給仕兼接客の出来る方のお越しをお待ちしております。
雇用条件 男女・種族不問 未経験可 美男・美女優遇
就労場所 リーン邸中庭
就労時間 武術大会開始から終了まで
受付場所 リーン邸一階 厨房入口
就労手当 一万ヨーシ
但し、細かい事については、面接にて、相談に応じさせて頂きます。』
しばらくして、にんまりとした。報酬は勿論、接客ついでに、客の懐からも、拝借してやろうと目論んだからだ。しかし、すぐに、表情を曇らせた。ライランス大陸では、流通していないヨーシという見慣れない単位が、気になったからだ。少しして、「換金出来ると良いんだけどね」と、溜め息混じりに、呟いた。この町でしか通用しない地域限定通貨が、他所で、リマやアルスに換金出来るかどうか、不安だからだ。間も無く、背を向けるなり、天を仰いだ。すると、十二分に、高い陽を視認した。その瞬間、夕暮れには、まだまだ時間が有ると判断した。その直後、南口へ視線を移すと、すぐさま歩を進めた。時間を潰すには、酒場に入って、混合酒をちびちび飲むのが、手っ取り早いからだ。やがて、南口から、酒場の並ぶ通りへ入り、少し進んだ所で、右手前に、石造りの洒落た感じの佇まいの店が、視界に入った。その刹那、迷う事無く、まっしぐらに、足を向けた。雰囲気も良さそうな気がするからだ。程無く、店内へ踏み入った。
その途端、「いらっしゃいませ」と、気品の有る落ち着いた男の声に、出迎えられた。
次の瞬間、フィレンは、カウンターの奥に居る右側に、古い刀傷の有る強面で、黒の蝶ネクタイに、白シャツと黒ズボンの給仕服姿のウルフ族の男店主を視認した。そして、歩み寄り、手近な円椅子へ、腰を掛けた。その直後、「このお店のお勧めの飲み物を、お願い出来るかしら?」と、柔和な笑みを浮かべながら、間髪容れずに、注文した。経験上、店主の勧める物に、ハズレは無いからだ。
「そうですねぇ。あなたには、こんなのは、どうでしょうか?」と、ウルフ族の男店主が、台座の付いた底の浅い杯を、前に置いた。間も無く、黄色い小瓶を、後ろの棚から持ち出すなり、注ぎ始めた。そして、瞬く間に、橙色に染まった。少しして、「どうぞ。当店、本日のお勧めのリーン邸の夕焼けと言う名前の混合酒でございます」と、告げた。
フィレンは、右手で持つなり、口へ運んだ。そして、接吻するように触れるなり、軽く含んだ。次の瞬間、中いっぱいに、甘酸っぱい柑橘類の味が広がった。少しして、杯をカウンターの上へ置いた。その間に、混合酒を飲み込んだ。その直後、「この混合酒は、オレジの果汁が、基本になっているわね」と、得意顔で、言った。色と味からすると、他に、該当しないからだ。
「ええ。仰られる通り、オレジの果汁をキュル酒で、割ってます」と、ウルフ族の男店主が、さらりと答えた。
「なるほどね」と、フィレンは、知ったか降って、語った。果汁の味は、言い当てられても、酒の味までは、分からないからだ。
「ところで、お客さんは、この町へ、何用で来られたのですか?」と、ウルフ族の男店主が、さり気無く尋ねて来た。
「この町には、特に、用事は無いけど、ここから南西のチモネーカって街へ向かっている途中なのよ」と、フィレンは、しれっと答えた。
「チモネーカですか…。あそこは、 賭け事で成り立っている街ですからね。私は、個人的に、あまり良い街とは、言いませんが…」と、ウルフ族の男店主が、表情を曇らせながら、意見を述べた。
「そうよね。あたしも、興味が有るから、行ってみたいというだけで、賭け事が、目的じゃないのよ」と、フィレンは、愛想笑いをしながら、言葉を濁した。本心は、一攫千金が、目的だからだ。そして、店内を見回した。すると、左の奥まった席に、釣り合いの取れていない服装の三人の男が、向かい合いながら、ひそひそ話をしているのを視認した。その直後、ウルフ族の男店主へ向き直り、「あそこの席の方々って、何者ですの?」と、囁くように、尋ねた。
ウルフ族の男店主が、前屈みになって、右手を口元へ当てるなり、「あそこの方々は、最近、よく御来店されてますね。三人のうちで、二人は存じませんが、一番奥に座っている銀色の背広を着た方は、リーン家の次男のケーシ様です」と、声を低くして、答えた。
その瞬間、フィレンは、両目を見開くなり、息を呑んだ。そして、「リ、リーンって、今夜、剣術大会が、催される所の方って事ですよね?」と、目をしばたたかせながら、問い合わせた。まさか、リーン家の次男坊が居るとは、思いもしなかったからだ。
「ええ、そうですよ。ここより高台の御屋敷に、御住まいですよ。あなたも、今晩の武術大会を、御覧になさると良いでしょう」と、ウルフ族の男店主が、推奨した。
「そうね。どうせ、急ぐ旅でもないんだし。そうだ、ケーシ様に、御挨拶をさせて頂きましょうかしら?」と、フィレンは、杯を持ったままで、席を立った。その直後、ケーシ達の席へ、躊躇う事無く歩を進めた。そして、ケーシの左隣で、立ち止まり、「ケーシ様、ちょっと、良いかしら?」と、柔和な笑みを浮かべながら、甘えるように、声を掛けた。大概の男ならば、鼻の下を伸ばして、気を許すものだからだ。
ケーシが、怪訝な顔で、見回すなり、「何か用か?」と、つっけんどんに、返事をした。そして、「用が無いなら、私は、今、大事な話をしているんだ。さっさと、向こうへ行ってくれないか?」と、無愛想に、言葉を続けた。
フィレンは、必死に、作り笑いを浮かべて堪えた。権力者とは、お高く留まっているものだと心得ているからだ。そして、「わ、私は、御高名なケーシ様と御知り合いになれたらと思いまして、御挨拶に参らせて頂いた次第で…」と、理由を口走った。腹の底では、不快に思ったが、全ては、お金の為だからだ。
その直後、「メギネ族の商売女よ。私は、お前のような卑しい女は、相手にしないので、早々に去れ!」と、冷めた表情で、罵った。
その瞬間、フィレンは、腹を立てた。頭ごなしの物言いには、怒り心頭となったからだ。そして、「あたしは、商売女なんかじゃないわ! これだから、育ちの良い世間知らずのぼんぼんは、腹が立つのよ! ふん!」と、啖呵を切った。その直後、踵を返した。間も無く、席に着くなり、怒りに任せて、一気に、混合酒を飲み干した。
「御客様、ケーシ様の御機嫌を損ねましたので、御気の毒ですが、早々に、御発ちになられた方が、宜しいかと思いますよ御代は、結構ですので…」と、ウルフ族の店主が、小声で助言した。
「そうみたいね~。初対面で、いきなり、商売女だなんて、失礼ね!」と、フィレンは、憤慨しながら、聞こえるように、語気を荒らげた。
突然、「ゲオ殿、宜しくお願いしますぞ!」と、ケーシのにこやかな声が、響いた。
少し後れて、「ケーシ様、お任せ下さい。ゲオ商会が、全力で支援しますから!」と、妙に子供っぽい男の声が、力強く応えた。
「ゲオ殿ぉ~」と、ケーシが、上機嫌に、呼び掛けた。
「ケーシ様ぁ~」と、ゲオも、甘え声で、応じた。
フィレンは、仏頂面で、奥の席へ、冷ややかな視線を向けた。その直後、両目を見開いた。ケーシと向かいの席の黒眼鏡に、胴着を着た子供のような背丈で、チビ・デブ・ハゲの三拍子の揃った男が、互いを見つめ合いながら、握手を交わしている最中だからだ。その瞬間、左手で、目頭を押さえるなり、「気持ち悪ぅ~」と、毒づいた。これ以上は、生理的に、見るに耐えられないからだ。そして、ウルフ族の店主へ向き直り、「あれなら、あたしを遠ざけるのも、仕方がないわね」と、左手を目頭から離した。ケーシが、チビ・デブ・ハゲの男と恋仲だと判明したので、先刻の非礼な態度にも、納得出来るからだ。
「ははは…」と、ウルフ族の店主が、苦笑した。
「じゃあ、あたしは、ケーシ様が、機嫌の良い内に、失礼させて貰うわね」と、フィレンは、杯を置くなり、席を立った。無事に、店を出るのならば、今しか無いからだ。そして、店を後にした。




