一、アルカーナの尾行
一、アルカーナの尾行
アルカーナは、広場の東口から、真っ直ぐ続く通りの道を進んだ。しばらくして、郊外に出た。やがて、華奢な体型の者が、五人くらいが並んで歩けそうな幅の舗装された高台へ通じる麓の坂道に、行き着いた。そこで、立ち止まり、気合いを入れるかのように、一呼吸した。少しして、迷う事無く、上り始めた。リーン邸と思われる屋敷が、在るからだ。そして、ようやく、中腹に、差し掛かった。すると、前方から、角刈りで、人相の悪い黒革の胴着に、ズボン姿のブヒヒ族の大男が、道の大半を占めるかのように、我が物顔で、真ん中を悠然と下って来るのを視認した。
間も無く、ブヒヒの大男が、眼前まで迫った。そして、「退け!」と、問答無用で、丸太のような右腕をつき出して来た。
次の瞬間、「きゃあ!」と、アルカーナは、突き飛ばされた。その直後、成す術無く、後ろ向きにでんぐり返った。そして、坂道を転げ下りた。少しして、回転が止まった。その途端、すぐさま起き上がった。すると、ブヒヒ族の大男が、十数歩先から、先刻と変わらない歩調で、尚も、下って来ているのが、視界に入った。その刹那、「あんた、いきなり突き飛ばすなんて、どういう了見よ!」と、憤怒の表情で、怒鳴った。ふてぶてしい態度が、気に入らないからだ。
間も無く、ブヒヒ族の大男が、再度、眼前まで接近して、立ち止まった。そして、「俺様に、何か、文句でも有るのか? ああ?」と、睨みを利かせながら、威圧して来た。
その瞬間、アルカーナは、怯むどころか、激昂した。そして、「文句も、何も、何様よ! あたしは、あんたに、突き飛ばされる覚えは、無いわよ!」と、食って掛かった。乱暴されて、黙って居られるほど、お人好しではないからだ。その直後、「謝りなさいよ!」と、要求した。
「ぎゃあぎゃあ、うるせぇなぁ」と、ブヒヒ族の大男が、煩わしいと言うように、顔をしかめた。そして、「俺様は、お前の相手をしているほど、暇じゃないんだ! 退け!」と、再び、至近距離から、右腕を突き出して来た。
その直後、「きゃあ!」と、アルカーナは、再度、まともに食らって、同様に、転がり下りた。そして、先程と同じ回数で、停止した。
少しして、ブヒヒ族の大男が、素知らぬ顔で、右側を通過した。
その刹那、「くぅ~」と、アルカーナは、そのままの体勢で、憤りながら、歯噛みした。二度までも、突き飛ばされた事が、悔しいからだ。そして、何とか起き上がり、今度は、謝罪を求めようとしないで、ブヒヒ族の大男の方を向いた。すると、十数歩先を行くのを視認した。その直後、距離を保ちながら、尾行を開始した。何処へ向かうのか、興味がそそられるからだ。しばらくして、高台の向かい側に在る貧民窟へ、足を踏み入れた。その間にも、ブヒヒ族の大男の暴挙が、行使されており、まるで、我が道を行くような振る舞いで、進路上の者達を、次々に、容赦無く突き飛ばしながら、歩を進めていた。その様を目の当たりにするなり、「乱暴者ね」と呆れ顔で、ぼやいた。これほど、我が物顔で進まれると、掛ける言葉さえ見当たらないからだ。
不意に、ブヒヒ族の大男が、歩を止めるなり、今まで気にもしていなかった周囲を見回し始めた。
少し後れて、アルカーナも立ち止まり、咄嗟に、身を隠す場所を探した。このままでは、見つかってしまうからだ。少しして、右手に、都合良く、身を低くすれば、何とか、隠れられる水瓶を見つけた。その瞬間、素早く後ろへ回り込むなり、出来る限り、身を低くした。そして、水瓶越しに、少しだけ、頭を出して、様子を窺った。
しばらくして、ブヒヒ族の大男が、左手の軒先が傷んで、扉の無い玄関の廃屋へと向きを変えて、歩き始めた。そして、屋内へ、悠然と入って行った。
少しして、アルカーナは、立ち上がり、すぐさま、小走りに、廃屋へ近付いた。間も無く、玄関の左脇へ立ち止まった。そして、聞き耳を立てた。しかし、ブヒヒ族の大男が、入ったばかりだというのに、物音一つしないで、静まり返っていた。しばらくして、意を決して、玄関前へ立った。不審に思ったからだ。次の瞬間、信じられない光景を目の当たりにした。何と、ブヒヒ族の大男の姿が、薄暗い殺風景な一室に、無かったからだ。その直後、驚きのあまりに、踏み込むなり、部屋の中央へ立った。その刹那、右回りに、一周、見回した。何らかの仕掛けが、施されていると考えられたからだ。しかし、壁や天井などを見回す限り、不自然な仕掛けのような物など、見当たらなかった。その途端、玄関へ振り返った。完全に、見失って、行き詰まったからだ。一瞬後、視線を落とした。すると、床一面、新雪のように積もった埃の上に残された複数の足跡を視認した。その瞬間、はっと息を呑むなり、すかさず、目で追った。足下に、手掛かりが、はっきりと残されているからだ。やがて、立ち位置の手前で、すべての足跡が、途切れていた。それを見やり、にやっとなった。足下に、からくりが有ると考えられたからだ。それから、数歩後退するなり、柔軟な細い剣を抜いた。その直後、「やーっ!」と、床板の継ぎ目へ、差し込むように、突きを見舞った。そして、間髪容れずに、梃子の要領で、捲り上げた。すると、地下へ通ずる階段を発見した。それを見るなり、「見ぃ~つけた~」と、目を細めた。謎が、解けたからだ。少しして、床板を垂直に持ち上げて、立て掛けた。間も無く、足音を忍ばせながら、下り始めた。しばらくして、通路へ下り立った。そこで、柔軟な細い剣を構えながら、進んだ。ブヒヒ族の大男が、待ち構えて居るとも、考えられるからだ。やがて、前方から、漏れる明かりを視界に捉えた。次第に、人の話し声が聞き取れた。その瞬間、歩を止めた。これ以上の接近は、危険だと、勘が働いたからだ。次に、聞き耳を立てた。ここまで来れば、十分、やり取りの判別が、可能だからだ。
「ヤースー、今晩までの辛抱だ。俺達が、お前さんに、復讐の機会を作ってやるから、大人しくしていてくれよ」と、粗野な男の声が、宥めた。
「うるせぇ! 俺様は、ヨーシの奴のお陰で、その日のおまんまにありつくのもやっとなんだぞ!」と、ブヒヒ族の大男の荒々しい声がして来た。そして、「今晩の武術大会なんぞ、ぶち壊してやっても、良いんだぞ!」と、言葉を続けた。
「落ち着けよ、ヤースー。俺達だって、ヨーシの奴には、ほとほとうんざりしているんだ。あのお坊っちゃんは、世間の厳しさを知らないから、威張ってられるんだよ。ま、計画が上手く進めば、あんたも、前の暮らしに、戻れると思うぜ」と、粗野な男の声が、言い含めるように、語った。
「分かったよ。あんたらの邪魔は、しねぇ。但し、俺様は、俺様で、好き勝手に、行動させて貰うぜ」と、ヤースーが、告げた。
「ああ。好きにしな」と、粗野な男の声が、了承した。
「じゃあ、話は、終わりだ。俺様は、そろそろ行くぜ」と、ヤースーが、言い放った。
「今夜、リーン邸でな」と、粗野な男の声が、にこやかに、言った。
その途端、アルカーナは、踵を返した。話の流れからして、ヤースーが、出て来そうな気配を察したからだ。間も無く、階段まで戻り着いた。そして、速やかに、階段を上り、上へ出た。その直後、床板を静かに倒して、元の状態に、回復させた。次に、柔軟な細い剣を鞘に収めた。その刹那、玄関へ、慌ただしく向かった。ここで、ヤースーと顔を合わせると、何をされるか、知れたものではないからだ。やがて、そそくさと表へ出るなり、リーン邸の方へ、足を向けるのだった。




