一七、リーン邸からの脱出 (ラーサ)
一七、リーン邸からの脱出 (ラーサ)
「な、何をなされるのですか!」と、ラーサは、驚きの声を発した。突然、強い力で、腰を抱え上げられたからだ。
その直後、「な、何が起きたの! ラーサ、大丈夫!」と、アルカーナが、慌てて、問うた。
しかし、ラーサは、答える間も無く、抱えられたままで、成す術も無く、廊下へ出た。そして、右へ曲がった。しばらくして、来た時とは、反対側の階段へ、行き着いた。
「あ、姐さん、痛くなかったですか?」と、ヤースーが、気遣った。そして、ようやく、下ろされた。
「ええ」と、ラーサは、冴えない顔で、小さく頷いた。そして、「でも…」と、表情を曇らせた。二人の安否が、気になったからだ。その直後、引き返そうと、振り返った。
その途端、「姐さん、今から戻っても、間に合いやせんよ! 俺らも、早く出ないと、黒焦げになっちまいやすぜ!」と、ヤースーが、強い口調で、制止した。そして、「取り敢えず、屋敷から出る事に、専念しやしょう」と、言葉を続けた。
少し間を置いて、ラーサは、振り返り、「わ、分かりましたわ…」と、眉根を寄せながら、聞き入れた。戻った所で、退路が無くなってしまう可能性も、否めないからだ。
「では、姐さん、急ぎやしょう!」と、ヤースーが、告げた。その直後、左手で、右腕を掴まれた。そして、「足下に、気を付けて下さいね」と、やんわりとした物言いで、注意を促した。
「ええ」と、ラーサは、小さく頷いた。ここは、従うしかないからだ。
「姐さん、付いて来て下さい」と、ヤースーが、先立って、下り始めた。
少し後れて、ラーサも、続いた。はぐれてしまえば、命は無いからだ。
間も無く、二人は、一階へ下り立った。すると、行く手には、火の手が回っており、進行を妨げていた。
「ちっ! これじゃあ、行く事も、戻る事も、出来ねぇじゃねぇか!」と、ヤースーが、語気を荒らげた。
「そうですね」と、ラーサも、眉根を寄せながら、同調した。火の勢いからして、前へ進む事は、ほぼ不可能だからだ。そして、「ここは、何処なんですか?」と、問うた。間取りが、さっぱりだからだ。
「果実の焦げるような甘い臭いがしやすから、台所辺りじゃありやせんか?」と、ヤースーが、回答した。
「だとすると、水瓶が、何処かに有る筈ですわ」と、ラーサは、口にした。台所だとすれば、必ず、水瓶を置いてあるものだからだ。
「分かりやした。ちょっと、待ってて下さい」と、ヤースーが、目を細目ながら、見回した。程無くして、「姐さん、戸口の方に有るのって、水瓶じゃありやせんか?」と、左手で、指しながら、尋ねた。
ラーサも、すぐさま、その方へ、目を凝らした。すると、十数歩先で、湯気を上げている水瓶を視認した。そして、「そうみたいですね。あれを割れば、何とか、戸口まで行けるかも知れませんわね」と、頷いた。その直後、手提げ鞄を放り投げた。この方法しか、思い浮かばないからだ。間も無く、水瓶へ命中させた。その刹那、粉砕するなり、湯と破片が、周囲に飛散した。次の瞬間、蒸気が、立ちこめて、視界が利かなくなった。少しして、周りが晴れると、火の勢いが、鎮静化していた。
その途端、「姐さん、今ですよ!」と、ヤースーが、声を発した。
「はい!」と、ラーサも、即答した。今が、好機だからだ。
次の瞬間、二人は、踏み出した。
ラーサは、手提げ鞄を取りに、水瓶の方へ、歩を進めた。回収出来る余裕が有ると、思ったからだ。間も無く、手提げ鞄を手にした。
突然、「姐さん、危ない!」と、ヤースーが、叫んだ。
その直後、ラーサは、左腕を強い力で、引っ張られるなり、「きゃ!」と、悲鳴を発した。何事かと思ったからだ。一瞬後、背後で破裂音が聞こえた。そして、間髪容れずに、熱風を感じた。
少し後れて、「姐さん、ヤバかったですよ。もう少し後れていれば、火達磨でしたよ」と、ヤースーが、告げた。
ラーサは、その言葉を聞くなり、振り返った。その直後、再び、奥が、火の海と化しているのを視認した。そして、向き直るなり、「あ、ありがとうございます」と、一礼した。命を救われたからだ。
「姐さん、ここは、危険ですし、中庭へ移動しやしょう」と、ヤースーが、進言した。
ラーサは、頭を上げるなり、「でも…」と、口ごもった。ひょっとしたら、アルカーナ達も、追って来ているかも知れないと思ったからだ。
「姐さん、心配しなくても、あの二人も、上手いこと逃げている筈ですよ。あっしらは、中庭で、待ちやしょう」と、ヤースーが、穏やかな口調で、提言した。
「わ、分かりました」と、ラーサも、冴えない表情で、聞き入れた。一理有るからだ。
間も無く、二人は、中庭へ向かうのだった。




