一六、ヨーシの部屋
一六、ヨーシの部屋
アルカーナ達は、階段を上り切り、右を向いた。丁度、十数歩先で、扉の閉まるのを視認した。
「どうやら、あそこが、ヨーシの居る部屋みたいね」と、フィレンが、見解を述べた。
「そうね。探す手間が、省けたわね」と、アルカーナも、頷いた。ここで、ヨーシの居場所が判ったのは、大きい事だからだ。
「じゃあ、とっとと、踏み込みましょう! ケーシの顔面を、早いところ引っ叩いてやりたいから!」と、フィレンが、息巻いた。
「でも、ケーシが居るとは、限らないでしょう? ヨーシだけだったら、どうするのよ?」と、アルカーナは、穏やかな口調で、指摘した。意気込んで行ったところで、肝心の相手が居ないのであれば、拍子抜けだからだ。
「ま、まあ、その時は、その時よ!」と、フィレンが、苦々しく答えた。
「ふーん」と、アルカーナは、含み笑いをした。フィレンの空回りなのが、明白だからだ。
「寝坊助は、余計な事は考えないの!」と、フィレンが、語気を荒らげた。
「あっそう」と、アルカーナは、平然とした態度で、受け流した。そして、「あたし達は、ヨーシに、用が有るから良いけど、あんたは、ケーシに、用が有るみたいだったから、聞いてみただけよ」と、言葉を続けた。ケーシが居なかった場合、フィレンの動向が、些か、気になったからだ。
「ケーシが居なかった場合は、代わりに、ヨーシを引っ叩いてやるまでよ!」と、フィレンが、少々、投げやりに、言った。
「アルカーナさん、フィレンさん、私達の用事を済ましましょう。長居は無用ですから」と、ラーサが、提言した。
「そうね。寝坊助が、居眠りしないうちに、行きましょう」と、フィレンが、憎まれ口を叩いた。
「寝坊助は、余計よ!」と、アルカーナは、言い返した。
間も無く、三人は、歩を進めた。そして、ヨーシの居ると思われる部屋の両開きの扉の前で、立ち止まった。その直後、扉へ向くなり、広場の掲示板の前の時と同様に、並んだ。
アルカーナは、フィレンとラーサの顔を一瞥した。そして、力一杯、押し開いた。次の瞬間、黄金色の光が、眼前に広がった。その刹那、目が眩んだので、一瞬、右へ顔を背けた。
その直後、「お、お前らは!」と、ヨーシの棒読み口調の声がして来た。
その途端、アルカーナは、正面に向き直った。少しして、ヨーシに、視点を合わせるなり、不敵な笑みを浮かべた。ようやく、憎たらしい敵と対峙出来たからだ。
「お前は…?」と、ヨーシが、見覚えが無いと言うように、眉間に皺を寄せながら、小首を傾いだ。
「アルカーナさん、あの方、私達の事を覚えていないみたいですねぇ」と、ラーサも、ヨーシの反応に、表情を曇らせた。
「そうみたいね」と、アルカーナも、憮然とした表情で、頷いた。そして、「あの場の勢いで、あたし達を、死刑だの終身刑だって、ほざいていたみたいね。自分の見栄の為にね」と、溜め息混じりに、言葉を続けた。このような物覚えの悪い奴に腹を立てているのが、虚しくなって来たからだ。
「そうですね。ある意味、残念な方なのですね」と、ラーサも、ヨーシの残念な反応を哀れんだ。
「残念なのは、弟もそうよ。あいつ、あそこに居るチビハゲオヤジとデキているんだからね」と、フィレンが、右手で、ヨーシの左手前に居るゲオを指しながら、補足した。
その瞬間、アルカーナは、目をしばたたかせながら、フィレンを見やり、「ええ! そうなの?」と、素っ頓狂な声を発した。ケーシとゲオが、恋仲だとは、思いもよらなかったからだ。
「そうよ」と、フィレンが、得意満面に、頷いた。そして、「昨夜の酒場で、手を取り合っていたからねぇ~」と、ニヤニヤしながら、言葉を続けた。
その直後、「ほう、私の事を、そのように思っておったのか。商売女め!」と、ケーシの威圧的な声が、戸口からして来た。
フィレンが、すぐさま振り返り、「ケ、ケーシ!」と、語気を荒らげた。
少し後れて、アルカーナも、戸口を見やった。間も無く、ケーシが、嫌悪感を露にしながら、踏ん反って居るのを視認した。
「よくもまあ、ぬけぬけと、根も葉も無い事を言えるな。名誉毀損で、この場で串刺しにしてやろうかな…」と、ケーシが、左手を伸ばして、戸口に立て掛けて有る銀色の穂先の槍を取り寄せた。
その途端、「ケ、ケーシ! そこで、物騒な事をするんじゃない! 僕の部屋が、汚れてしまうじゃないか!」と、ヨーシが、慌てて叫んだ。
「そっちの心配ね」と、アルカーナは、溜め息を吐いた。ヨーシの自己中心的な言葉には、ただ呆れるばかりだからだ。
「ケーシ、あなたを黒焦げにしてあげようかしらねぇ!」と、フィレンも、敵意を剥き出しにした。
そこへ、ヤースーが、現れるなり、「おうおう! 中々、面白そうな事をしているみてぇじゃねぇかよ!」と、半笑いで、指の関節を交互に鳴らした。
その瞬間、「ヤ、ヤースー…」と、アルカーナは、即座に、細い剣を抜いた。だが、気持ちとは裏腹に、体が固まってしまった。昨夜の一件が、恐怖として、心身に、刻み込まれているからだ。
「くくく。昨日は、殺り損ねたが、今日は、この手で、殴りまくってやろう」と、ヤースーが、舌舐めずりをしながら、常軌を逸した言葉を吐いた。そして、「退け!」と、右手で、ケーシを払うように、押し退けた。
ケーシが、よろけながら、端へ追いやられた。そして、体勢をすぐに立て直すなり、「お、おのれ! ブヒヒ族の分際で!」と、激昂した。
「あん?」と、ヤースーが、睨みを利かせながら、凄んだ。
「く…!」と、ケーシが、気圧されて、歯噛みをしながら、断念した。
程無くして、ヤースーが、威圧感を漂わせながら、悠然と真っ直ぐ歩み寄って来た。
不意に、ラーサが、ヤースーの進路上に割り込むなり、「アルカーナさんを、あなたの手に掛けさせたりさせません!」と、果敢にも、立ち向かった。そして、ヤースーの顔面目掛けて、両手で、手提げ鞄を振り上げた。
次の瞬間、「おっと!」と、ヤースーが、左手で、ラーサの両腕を捕らえて、寸前の所で阻止した。そして、「へへへ、そう何度も食らう訳にはいかないのでな」と、してやったりと言うように、笑みを浮かべた。
「は、放して下さい!」と、ラーサが、振り解こうと、その場でじたばたした。
アルカーナは、その様を目の当たりにするなり、「ラーサを放せぇぇぇぇぇ!」と、細い剣の切っ先を向けて、ヤースーへ突進を敢行した。ラーサの危機を見過ごす訳にはいかないからだ。少しして、ヤースーの右太腿にぶつかった。その直後、もんどりうって返った。そして、素早く起き上がって、ヤースーの顔を見上げた。
その途端、ヤースーが、憤怒の形相となり、「てめぇ、俺様の足に、傷を付けた以上は、覚悟が出来ているんだろうなあ!」と、ラーサを投げ捨てるように、手放した。その刹那、右足を引き摺りながら、迫って来た。
アルカーナも、立ち上がって、身動ぎせずに、見据えた。ラーサが、解放されたので、思い残す事も無いからだ。
間も無く、ヤースーが、立ち止まった。そして、「この野郎! あの世へ送ってやるよ!」と、両手を首へ伸ばして来た。その直後、締め上げられた。
アルカーナは、次第に、意識が朦朧として来た。不意に、床へ落とされた。そして、腰から着地した。少しして、意識を取り戻すなり、体勢を立て直した。解放されたにしても、気の抜ける状況ではないからた。そして、ヤースーを見上げた。その直後、頻りに、瞬きをしているのを視認した。
「な、何だか、煙てぇなあ」と、ヤースーが、口にした。
「ん? そう言えば、何だか、部屋の中が、ぼんやりとしているわねぇ」と、アルカーナも、同調した。言われてみれば、室内が、霞がかっている事に、気が付いたからだ。
「兄上、何処かが、燻っているのかも知れません!」と、ケーシが、告げた。
「な、何っ! ケ、ケーシよ、ひ、火の始末は、きっちりして来たのか?」と、ヨーシが、狼狽えながら、問い返した。
「ふん、兄上のようなうっかりさんじゃないのだから、そのようなヘマはしないさ」と、ケーシが、嫌味混じりに、答えた。
「ケ、ケーシ! 当主の僕に対して、その言い種は、何だ! 弟の分際で!」と、ヨーシが、激昂した。
「話は後だ。私は、言い争うつもりは無い。先に、失礼させて貰おう」と、ケーシが、ヨーシの言葉を取り合おうともせずに、踵を返した。
「あたし達も、ずらかりましょう。益々、煙たくなっているからね」と、フィレンも、提言した。
「そ、そうね」と、アルカーナも、賛同した。事態が、段々と悪い方へ、流れているような気がするからだ。そして、右斜め前に居るラーサを見やった。だが、煙の充満により、見付けられなかった。その直後、「ラーサ、何処?」と、声を掛けた。
「アルカーナさん、私は、ここです」と、ラーサが、すぐに、返答した。
「ラーサ、あたし達も、早く、ここを立ち去りましょうよ」と、アルカーナは、勧告した。この煙は、明らかに、尋常ではないからだ。
その直後、「アルカーナさん、申し訳ありませんが、今は、出来ません」と、ラーサが、意味深長に、断った。
その刹那、「え? 何で?」と、アルカーナは、面食らった顔で、尋ねた。まさか、断られるとは、思いもしなかったからだ。
「この方を治療して差し上げているのです」と、ラーサが、理由を述べた。
その途端、「ええ! ヤースーに!」と、アルカーナは、素っ頓狂な声を発した。そして、ラーサへ向かって、ずかずかと歩を進めた。助けてやる義理など、微塵も無いからだ。間も無く、ラーサの右側に立つなり、「こんな奴なんか、放って置いて、行きましょう! どうせ、助かったら、すぐに手の平を返して、襲い掛かって来るわよ!」と、必死に訴えた。ヤースーのような輩は、恩を仇で返して来るに決まっているからだ。
「いいえ。例え、そうだとしても、私は、この方の傷を治すと決めたのです! これだけは、やらせて下さい!」と、ラーサが、頑として、主張した。
「寝坊助、好きにやらせてあげなさいよ。ラーサみたいに、普段大人しい性格の子は、自分の信念を軽々しく曲げないものよ」と、フィレンが、助言した。
「分かったわ。ラーサの好きにしなさい」と、アルカーナは、溜め息混じりに、同意した。議論をする時間も、惜しくなって来たからだ。
「ありがとうございます」と、ラーサが、礼を述べた。
突然、「兄上、私は、先に失礼します」と、ケーシが、告げた。その直後、踵を返すなり、足早に、立ち去った。
少し後れて、「ま、待てよ、ケーシ! ぼ、僕を置いて行かないでくれ!」と、ヨーシも、慌てて、ケーシの後を追い駆けた。やがて、煙の中へ姿を消した。
「何なのよ、あいつらは! 仲が良いんだか、悪いんだか」と、フィレンが、溜め息混じりに、皮肉った。
「そうね。我が儘気ままに生きているから、機嫌が取れないわね。だから、チビハゲオヤジのような変な奴らしか寄って来ないのかもね」と、アルカーナも、同調した。そして、「あれぇ? そう言えば、チビハゲオヤジ達は?」と、問うた。いつの間にか、二人の姿が、見当たらないからだ。
「あんたが、そこのブヒヒ族に、首を締められている内に、出て行っちゃったわよ」と、フィレンが、さらりと答えた。
アルカーナは、はっとなり、「この煙って、ひょっとして、あいつらが絡んでいるのかも…」と、口にした。階段の裏で聞いた会話が、思い返されるからだ。
「十分、有り得るかも知れないわね。さっきの話は、こういう事だったのよ」と、フィレンが、口添えした。
「と、すると、この煙たいのは、あいつらの仕業って事になるわね」と、アルカーナが、憶測を述べた。殺る気満々だからだ。
「寝坊助にしては、勘が良いじゃないの。まあ、注意を逸らすのには、屋敷に火を点けるのが、一番でしょうね。屋敷のお金を持ち出すには、最適でしょうからね。あのお坊っちゃん達は、火の不始末としか思ってないみたいだけどね」と、フィレンが、推理を語った。
「まあ、あんたの考えるように、人目を惹くには、最適の方法よね。準備が有るとか言っていたのは、点け火の事で、チビハゲオヤジ達は、頃合いを見計らって、あたしが、首を締められている間に、悠々と抜け出したって事ね。こうしている間にも…」と、アルカーナは、焦れた。ラーサの治療が終わるまでは、移動が出来ないからだ。
突然、「アルカーナさん、細い剣を抜いてやって下さい」と、ラーサが、指示した。
「分かったわ」と、アルカーナは、即答した。その直後、両手を伸ばした。そして、闇雲に、動かしながら、ぶつかった物を触れて回った。煙が、かなり充満しており、視界が利かないからだ。間も無く、ぶよぶよした生暖かい感触が
有った。
その途端、「ぶひゃひゃ、擽ってぇ! や、止めろ! 腹を触るな!」と、ヤースーの怒鳴り声がして来た。
その瞬間、「ええっ!」と、アルカーナは、驚きのあまりに、尻餅を突いた。ヤースーの腹だとは、思いもしなかったからだ。そして、すぐに、体勢を立て直すなり、手探りで、下方修正をしながら、移動させた。少しして、右手に馴染む細く硬い感触を感じるなり、「あ、これね!」と、握った。感触から察するに、自分の細い剣だと確信したからだ。その刹那、迷わず、引き抜いた。
その直後、「痛ってぇぇぇ!」と、ヤースーが、足をばたつかせた。
次の瞬間、「きゃあ!」と、アルカーナは、はね飛ばされた。そして、再び、尻餅を突いた。その際、細い剣を手放してしまった。
その刹那、「ひゃ!」と、フィレンが、小さな悲鳴を発した。そして、「寝坊助、何をやってんのよ! 危ないじゃない!」と、続け様に、憎まれ口を付け足した。
「だって、ヤースーが、いきなり暴れるもんだから…」と、アルカーナは、苦々しく答えた。不可抗力だからだ。
「うるさい! 言い訳なんて、聞きたくないわ!」と、フィレンが、一方的に、突っぱねた。
「あっそう!」と、アルカーナも、語気を荒らげた。物言いに、ムッとなったからだ。
そこへ、「終わりましたわ」と、ラーサの声が、割り込んだ。
その途端、「え?」と、二人は、きょとんとなった。
少し後れて、「俺は、まだ…ぐっ…」と、ヤースーが、涙ぐんでいた。
「ヤースーって、案外、小心者なのかも知れないわね」と、アルカーナは、見解を述べた。ヤースーの打たれ弱さからして、器の大きさを垣間見たような気がしたからだ。
「ラーサ、あなたも、気が済んだみたいだから、早く、出ましょう。このままでは、この屋敷と心中する事になっちゃうわよ!」と、フィレンが、提言した。
「そうですね。でも、この方が、まだ、完治した事に、気が付いていないみたいで…」と、ラーサが、歯切れの悪い返事をした。
「そんなの放って置きなさいよ。あなたは、やるべき事をやったんだから」と、フィレンが、冷ややかに、言った。
「そうよ、そうよ。傷が治ったと判ったら、襲い掛かって来るかも知れないわよ。後は、ヤースーが、気が付くかどうかの問題よ」と、アルカーナも、細い剣を探しながら、口添えした。ヤースーに襲われて逃げ遅れるのは、ごめんだからだ。
「では、これだけは、やらせて頂きます!」と、ラーサが、意味深長に、告げた。
その直後、鈍い音が、聞こえた。
間も無く、「痛ぇじゃないか!」と、ヤースーが、語気を荒らげた。
「やっと、気付かれましたわね。もう、傷は、治ってますわよ」と、ラーサが、にこやかに、教えた。
「ん? 確かに、痛くねぇ。あんたが、治してくれたのかい?」と、ヤースーが、問うた。
「ええ、そうですわ」と、ラーサが、即答した。
その瞬間、「ありがてぇ! 今から姐さんと呼ばせて下せぇ!」と、ヤースーが、低姿勢になった。そして、「姐さん、ここは、危険ですので、避難しやしょう!」と、言葉を続けた。
その直後、「な、何をなさるのですか!」と、ラーサが、驚きの声を発した。
その途端、アルカーナは、その方を見やり、「どうしたの! ラーサ、大丈夫!」と、慌てて、呼び掛けた。乱暴な事をされていると思ったからだ。だが、瞬く間に、ヤースーの遠退く足音しか聞こえなかった。少しして、聞こえなくなった。
「寝坊助、あたし達も逃げるわよ」と、フィレンが、急かした。
「でも、あたしの細い剣が…」と、アルカーナは、渋った。丸腰は、心細いからだ。
「だったら、あたしが、持ってるわよっ!」と、フィレンが、しれっと答えた。
その瞬間、「え!」と、アルカーナが、面食らった顔をした。フィレンが、持っているとは、思いもしなかったからだ。
突然、「早くしなさい!」と、フィレンが、右腕を掴んで来た。
その直後、アルカーナが、引き上げられるように、立たされた。そして、フィレンの顔が、視界に入った。
間も無く、フィレンが、左手を放すなり、「はい、これ!」と、素っ気無く、右手に持つ細い剣を差し出して来た。
「あ、ありがとう…」と、アルカーナは、信じられない面持ちで、細い剣を受け取った。そして、鞘へ収めた。先刻の剣幕では、投げ捨てられてると思ったからだ。
「じゃあ、さっさと出るわよ。煙の色が、かなり黒くなっているからね」と、フィレンが、先立って、戸口へ向かって、すたすたと歩き始めた。
少し後れて、「ま、待ってよ!」と、アルカーナも、置いて行かれまいと、追った。フィレンを見失うと、方向が判らなくなってしまうからだ。
間も無く、二人は、ヨーシの部屋を出て行くのだった。




