表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Boundary world  作者: 里宮祐
9/23

第3章 白き乙女 3

「君塚、今日こそは付き合えるよな」

 将人が、恭平の肩をガシッと掴んできた。大柄な将人は力があり、どちらかと言えば男として華奢な部類に入る恭平は、思わずよろけた。

 授業が終えた放課後、自由を得た生徒たちの喧噪に満ちている。中高等部の生徒は寮生活を送らなければならないので、開放感も一入なのだろう。皆、門限の午後六時半まで、街へ繰り出すなりして過ごす者が多いようだ。

 学校が終えて寮にまっすぐ戻るでは、確かに息苦しさを恭平は感じる。部活なりをやっている生徒からは、贅沢だと言われそうだが。将人に誘いを受けたとき、本来自分は、放課後サモンスーツでの戦闘訓練に励むべきだとちらりと思った。

「転校二日目だからね。息抜きをしていかないとね」

 眉目秀麗な美男子である伸行が、恭平に爽やかな笑みを向けてくる。

 恭平は、将人と伸行の二人を見比べて、どうしてこの二人は連んでいるのだろうと、疑問に思った。将人は、見るからに男らしく勇ましい。伸行は、端正な容姿を持ち優等生といったイメージを与えてくる。ちょっとした、凸凹コンビだ。

 恭平は朝から二人の姿を見かけなかったが、四時限目の途中から授業を受けていた。後から聞いた話だが、朝から任務に就いていたのだそうだ。聖鈴学園の高校生以上の者たちは、研修期間として機動装甲を用いた犯罪を取り締まる任務がある。空中庭園で三島亜美が、サモンスーツを違法所持していた者たちを追っていたように。

「ゴメン。俺、これから五月雨先生のところへ行かなくちゃいけないんだ。誘ってくれてありがとう。本当は行きたいんだけど」

 これは、恭平の本音だ。

 今日は、学園生活を送る上で、友人になってくれそうな二人を当てにして教室へ行った。だが、二人はおらず、一人寂しく過ごすことになった。一緒に出かけるなど、親睦を深めるのにちょうどいいのだが、朝、五月雨先生に言い渡されている。

「そうか、じゃあ、しょうがないな」

「そうだね。君塚君は転入したてだから、色々やらなければいけないことがあるんだろうからね。また、今度一緒に街へ出かけよう」

 将人と伸行は、お互いの顔を見て頷き合った。その様子は、恭平が五月雨先生に呼ばれた理由が分かっているような雰囲気があった。恭平は、首を傾げる。

 今朝、五月雨先生と話したとき、恭平は何の用事なのか尋ねなかった。あまりに自分が酷すぎて、小言の一言も言われるのだろうと思っていた。だが、将人と伸行の二人の様子から、何かあるのだろうかと思った。

「二人とも、俺が、どうして呼び出されたのか知ってる?」

 呼び出しの理由を知っておいた方が気が楽と思った恭平は、そう尋ねた。

「それは、僕たちからは何とも言えないね。君塚くんは、多分、僕たちに隠し事をしているから」

 不思議な笑みを浮かべ、伸行は恭平を観察した。

「え?」

 恭平は、一瞬、何のことだろうと思った。特に隠していることが、思い浮かばない。

「おまえの態度が正しい、君塚。今は、迂闊に言わない方がいいからな」

 将人も、伸行同様、教えてくれない。

「何なのさ、一体?」

「いいから、さっさと行ってこい」

 恭平の背を、将人が思いきりよく押した。

 一体、何なのだろうと思いながら恭平は二人と別れ、職員室へと向かう。将人と伸行の分かってるみたいな態度が、気になったが。

 職員室の前まで行くと、個人認証の有無を確認するホログラムウィンドウが浮かんだ。恭平は、YESをタップする。シュッと音を立て、職員室の扉が開く。中は、席に座る教職員たちが大勢いた。

 五月雨先生の席を見たとき、恭平はおや? と思った。三島亜美が、先生の傍に立っていたからだ。その姿は、端然としていながらしなやかさがあった。亜美の精緻な美貌は、どこにいようと損なわれることはない。

 それから、もう一人女性がいた。スカートスーツの上に白衣を羽織っていた。短めの髪に穏やかそうな顔立ち。見た目キリッとした五月雨先生と比べると、とてものほほんとした雰囲気がある。美人だが、優しそうだ。

「君塚く~ん、やっと来たわね。帰っちゃったんじゃないかって心配したわ」

 めざとく五月雨先生は、恭平の姿を見付け大声でそう呼びかけてくる。

 職員室の教職員の目が、一斉に恭平に向く。迷惑そうな視線だった。恭平は、俺が悪いんじゃないんです、と内心言い訳したくなる。どこでもお構いなしに振る舞う、五月雨先生が悪いと言いたかった。

 そそくさと恭平は、五月雨先生の席へ向かう。迷惑そうな視線が、恭平を追ってくる。目を付けられただろうかと、恭平は憂鬱だった。

「先生、大声で俺の名前を呼ぶのは止めてください。他の先生に名前を覚えられてしまうじゃないですか」

「いいじゃない。名前を覚えてもらえるなんて」

 恭平の抗議を、五月雨先生は全く受け付けない。

「よくありませんよ。悪い意味で目を付けられるじゃないですか。それじゃなくても俺、ここでは劣等生なんですから」

「劣等生か……うーん、そうなるかしらね。ただ、全員が教官じゃないから、それほど気にすることはないわよ。君塚君、普通の教科の成績はいいみたいだし」

「マリーナとの模擬戦のことを言っているなら、気にする必要はない。B組で、彼女とまともに戦えるのは、四人だけ。なのに、他のクラスメイトは君のことを嗤った。本当は、嗤う資格なんてないのに」

 淡々と亜美は、恭平に慰めのようなことを五月雨先生の後を継ぎ口にした。だが、その言葉の裏には、自分を含めた四人以外は、大したことがないと言っているようなものだ。恭平は、クラスでの亜美を思い出してしまう。特に、親しいと言える者がいない。涼子が、亜美は自分以外の人間を認めていないと言っていたことが、思い出される。

「ありがとう」

 取り敢えず、恭平は礼を言っておいた。少し、亜美のことが心配になったが。

「さてと、君塚君も来たところだし本題に入りましょう。君塚君に、妙高みようこう博士を紹介するわ」

 五月雨先生は、白衣を着た女性を指し示した。

「妙高香奈恵(かなえ)と申します。学園専属のナイトアーマーマイスターですの」

 穏やかな見た目どおりの、おっとりとした自己紹介を妙高博士はした。

「ナイトアーマーマイスター?」

 初めて、恭平が耳にする言葉だ。それに、博士というのが、気になった。それは、何らかの専門分野にある者であるということだからだ。

「君塚君は、何も分からないわね。ナイトアーマーマイスターっていうのは、オーバーライドプロトコル調整者のことなの。彼女は、博士号を持っていてとても優秀なの」

 五月雨先生は、妙高博士を持ち上げた。親しいのかも知れない。

「オーバーライドプロトコル?」

 恭平は、首を傾げる。先ほどから、分からない言葉ばかりが耳に入ってくる。だが、その言葉には聞き覚えがあった。

「歩きながら説明しますの。あまり時間がありませんから、わたくしの研究室へ行きますの」

「そうね。じゃ、行きましょうか」

 五月雨先生が立ち上がった。

 妙高博士が、歩き出した。五月雨先生に押され、恭平が博士のすぐ後に付いていく。説明を聞くのは恭平だからだ。後には、五月雨先生、亜美の順番だ。

 四人で、職員室を後にした。


「それで、オーバーライドプロトコルって何ですか?」

 先を行く妙高博士に、恭平は問いかける。一見おっとりしているが、博士の歩くペースは速い。遅れぬよう、付いていく。

「君塚君は、全くの素人ですの。騎士となったばかりでは、全く分かりませんの。分かりやすく、順序立てて話していきますの」

 のほほんとした口調で話しながら、妙高博士は恭平の横に並んだ。

 妙高博士の口癖は、ですのだと恭平は理解する。博士はいかにも恭平と距離が近かった。ぴったり寄り添っている。年上の女性に近づかれ、恭平は少しドキリとしてしまう。五月雨先生とは違った大人の魅力を感じてしまう。それに、香水の薫りが、ちくちくと恭平の劣情を刺激してくる。

 後ろには、五月雨先生と亜美がいる。恭平は、自分が抱いてしまった思いを悟られぬよう努めた。特に亜美は、恭平にとって憧憬の対象だ。隣にいる妙高博士にドキドキしているなどと知られたくない。

「すみません。よろしくお願いします」

 殊勝げに、恭平は頭を下げる。実際、恭平は、ずぶの素人だ。一般校にも機動装甲使用訓練の授業はある。アシストスーツには一応触れていたものの、この二日間使用したクラディウスに四苦八苦している。第七世代サモンスーツは、それまでの機動装甲と根本的に異なり、飛行能力を有している。今は、慣れるのに必死だ。

 教えてもらえるなら、素直に聞こうと思う。今更ながら、機動装甲は扱うだけで、科学と魔術が関与しているくらいしか知らない。少しでも、聖鈴学園の生徒たちとの間にある溝を埋めたいと思う。

「初歩の初歩からお話ししますの。これは、君塚君も知っていると思いますが、そもそも量子物質を出現させる召喚技術は、拡張現実《AR》の発展によって可能となったものですの。これを簡単に理解するには、まず現在のホログラムを理解すると早いのですの。光学機器を用いて、以前はホログラムを出現させていました。現在は量子力場を用いて、空間に存在する原子に干渉し任意の場所に表示できますの。これが、召喚技術へと進化しましたの」

 恭平は、一つ頷く。これは、この時代誰でも知っていることだ。恭平の知識を測りかねている妙高博士は、基礎の基礎から教えてくれるらしい。おさらいになるが、余計な口は差し挟むまいと聞く態度を取る。

「機動装甲は、素体として組まれた情報――一種のプログラムを、量子物質化させ出現させますの。人間を媒介とする実験の過程で魔力が生まれましたの。人間の精神殻を用いたシールドフィールドもそれに当たりますの。MCIデバイスにより人間の脳と遣り取りすることで、それまで未知であった魔力を人類は獲得しましたの。脳を記憶媒体とした情報を現実のものとする過程が、人間の潜在能力を引き出しましたの。MCIデバイスと脳との遣り取りで魔術回路マジックサーキットを作り出すことが可能となりましたの。この魔力は、ホログラム技術のみで作り出される不安定な仮想物質を安定化することを可能としましたの。魔力組織を張り巡らせることで量子物質が初めて完成します。魔力の核はあくまでも人間ですの」

 ちらりと、妙高博士は恭平を見る。

 恭平は、理解していると目で伝える。

「ここまでは、一般で知られている基礎の基礎ですの」

 満足そうな表情を、妙高博士は浮かべる。「では」といよいよ本題に入る。

「オーバーライドプロトコルと言うのは、ナイトアーマーを召喚したときのデータのことですの。魔術回路マジックサーキット内に保存されますの。一度でも覚醒しナイトアーマーを得て騎士となった者は、このデータを恒久的に使用可能ですの。そして、血縁者であれば引き継げる可能性も高いのです。逆を言えば、血縁者以外は引き継ぐことはできませんの。なので、騎士の家系が存在しますの」

 門外漢である恭平に分かりやすく、妙高博士は噛み砕いて話していく。

魔術回路マジックサーキットの記憶媒体は、人間の脳。尤も、このデータは、MCIデバイスを通してのみ取得したり流し込むことが可能ですの。基本的に記憶している人間には、理解不可能。ですので、通常の学習をわたくしたちは必要とします。あくまで、魔術回路マジックサーキットは、アプリなどを別とした機動装甲のデータや魔力を扱いますの」

「分かります」

 魔術回路マジックサーキットに関しては、この時代誰でも知っている。だが、覚醒したときのデータが騎士を作り出すということは、初めて恭平は知った。

「ここまでは理解できたみたいですの。つまり、オーバーライドプロトコルというのは、機動装甲を上書きするデータですの。君塚君は、ホズミで無調整のままナイトアーマーを召喚しましたの。アシストスーツをベースとしたので、武装もなく不完全でしたの。わたくしが、君塚君とナイトアーマーのベスト状態を作り出しますの」

 にこりと、妙高博士は笑った。

 恭平も、ようやく理解できた。覚醒――機動装甲のオーバーライドを行ったデータが、オーバーライドプロトコルということだ。一度でも覚醒すれば、それをずっと使い続けることができる。騎士とは何なのか、よく分かった。どうして、ナイトアーマーといった強力な機動装甲を保持できるのかも。

「今いる騎士の殆どは、覚醒して騎士となった者は少ない。先祖の誰かが覚醒して、オーバーライドプロトコルを手に入れた。わたしもそれを受け継いだだけ。君塚君は、自ら覚醒した。今の時代、とても異例なこと」

 亜美が、普段通りの淡々とした口調で、右耳に揺れる白いイヤリングを触りながら告げてきた。恭平を見る目には、微かに興味がちらついている。感情をあまり表に出すことのない亜美から読み取れる、僅かな情緒の欠片。

 亜美の微細な反応を、恭平は分かるようになってきた。物珍しさで亜美はここへ来いと言ったのかと、恭平は少しだけ悲しくなる。お世辞にも、恭平は騎士として優れているわけではない。まだ、ナイトアーマーを使用してこの学園で戦ってはいないが、クラディウスを使いマリーナにぼろ負けしたことが思い出されてしまう。

 亜美は、遠くかけ離れた存在だった。隣に並び立ちたいと望み、恭平は聖鈴学園にやってきた。もしかしたら、亜美もそう望んでいるのかもといった、仄かな期待を抱いて。だが、現実は厳しい。まず亜美に騎士として、一人の男として認められる存在になれる可能性はないにも等しい。

「ホント、君塚君って希少レアよねぇ。サモンスーツの開発と同じくして騎士がこの世に誕生して約七〇年。素質のある者はとっくに騎士となっている。戦闘中覚醒っていうもの珍しいわ。それだけに期待できる。妙高博士の調整でどんなナイトアーマーになるか、とても楽しみだわ」

 五月雨先生は、己の欲求を隠そうともしない。興味津々といった体だ。瞳を輝かせて、恭平を見ている。隙なくスカートスーツを着こなし、卵形の美形に銀縁眼鏡をかけた先生はとても知的に見えるのだが、内面とのギャップが激しい。

「嫌な言い方ですね」

 ぶすりと、恭平は一言口にした。じと目を、五月雨先生に向ける。

「珍妙な動物を見るような目で見ないでください」

 構われると面倒だと思った恭平は、ぞんざいな言い方だ。五月雨先生の言葉を、そのまま受け取れば、物珍しさでサモンポリスに恭平を誘ったということになる。どこまで、自分本位な人なのだと、恭平は思う。

「あれ? 気を悪くしちゃった?」

「そりゃそうでしょう。見世物のように言われたんですから。俺をここに誘ったのも、面白がるためでしょう」

 悪びれた様子のない五月雨先生に、恭平はげんなりする。

「そんなつもりはない」

 亜美が、少しだけ済まなそうな表情を、その美貌に浮かべる。

「君塚君は、初めての実践で果敢だった。君のナイトアーマーが放ったエクストリームアタックには、驚かされた。君には素質が眠っているって思ったから、誘った」

「べ、別に、三島さんに文句を言いたかったんじゃないよ。ただ、先生が」

 じろりと、怖い一瞥を恭平は五月雨先生に送った。

 五月雨先生は、お茶目な仕草で肩を竦めただけだ。

 ――エクストリームアタックってあれのことかな?

 また一つ、恭平の知らない言葉が出てきた。尋ねようかと思ったが、先ほどあった妙高博士の話を租借する方が大事と、恭平は疑問を取り敢えず棚上げした。覚醒したとき流れ込んできた情報から、何となく察しはついている。

「うふふ、楽しそうですの」

 柔らかく笑うと、妙高博士は校舎の出口へと向かった。


 妙高博士が向かったのは、遠くに見える大学棟だった。

 まだ、聖鈴学園にやってきて二日目である恭平は、改めて学園の敷地の広さに感嘆させられた。一番目立つのが、真新しい高々としたスタジアムだ。これは、初めて学園にやって来たとき、遠くからよく見えた。建築されてまだそれほどの年数が経っていないと、使用してみて実感している。横にそれの四分の一ほどの高さしかない、旧スタジアムがある。これは、第七世代機動装甲が開発される以前に使用していたものだと、分かる。

 それまでは、ホバリングしか有しないサモンスーツだった。地上戦用のもので、殆どの空が失われた今の世界では、積極的に飛ぶ必要があまりなかった。だが、無人機《UAV》などへの対応のため、限られた空でも飛ぶことの必要性が考慮された。それにより、機動装甲に飛行能力が付与された。これは、実に大きなことだった。クラディウスを使用してみて、これでは前世代のサモンスーツでは敵わぬだろうと、素人である恭平にも分かる。

 元の必要性を実用性が遙かに勝ったと言える。

 臨海の立地であるこの学園からは、どこからでもクリーン環境により本来ない美しさを持つ海がよく見える。空は晴れ、青と碧が心地よい。そこに、恭平が疑問を覚える物が見えた。

「あれは何ですか? メガフロートに作った市街地? それにしても、随分荒れ果ててるっていうか、攻撃でもされたような」

「あれは、市街戦訓練のために作られた模擬戦地帯だよ。その内、君塚君も使う」

 恭平の疑問に亜美が答えた。

 巨大なメガフロートに、ビルやマンションが立ち並んでいた。それらは、うち捨てられたように、破壊されているのだ。亜美の言葉に、恭平はなるほどと思う。

 珍しげに市街戦訓練のために作られた広大な模擬戦地帯を見ながら、先へと進んだ。大学棟へ着くまで、たっぷり一〇分以上かかった。高等部までの近代的なデザインの校舎と異なり、西洋のシャトーを連想させる尖塔が連なっているのが特徴的だった。それに合わせて、色調はシックな色合いのチョコレート色をしていた。大分、落ち着いた雰囲気に、中へ入るのが楽しみに恭平は感じた。

 妙高博士が、守衛のいる入り口で、来客用のIDを発行してもらっていた。恭平の目の前にインスタンスIDが表示され、右端から表示されたライフキットへと収まる。

「こちらですの」

 特に恭平の方を振り向き、妙高博士は歩き出した。亜美や五月雨先生は、来たことがあるのだろう。

 恭平は、物珍しげにきょろきょろしていた。

「三年後には、君塚君もここの生徒ですの」

 そんな恭平の様子を見て、妙高博士は穏やかそうにクスリと笑う。美人でスタイルも悪くなくのほほんとしたところがある博士がそうすると、ほんわかした雰囲気が漂う。

「そうね。それまで君塚君が逃げ出さなければね」

 恭平に値踏みするような視線を送りながら、五月雨先生は意地の悪い言い方をした。

「そうですね。今の俺じゃ、ここにいるのが不思議ですから」

 じろりと五月雨先生を睨み、ぶすりと恭平は投げやりに言う。

「大丈夫。まだ、君塚君は、ここに来たばかり。結果が出るには、時間がかかるだけ。騎士は貴重。世界政府もそう簡単に手放したりしない」

 淡々と、亜美が事実を口にする。

 それは、自分を慰めてくれているのだろうかと、恭平は亜美をちらりと見た。その精緻な美貌には、特に感情らしきものは浮かんでいない。内面が分かりづらい亜美の心情を推し量ることは、恭平には難しい。

 メディアを通しての亜美と実際に接した彼女は、やはりどこかしら天然なのだ。世界政府と密接な繋がりがある八名家の子女として、恭平を将来の戦力と見越しての発言かも知れず、ただの気休めかも知れない。

 ただ、最後の言葉――世界政府もそう簡単に手放したりはしないとの言葉は、恭平を少々戦慄させた。もう既に自分は、巨大な組織に組み込まれた歯車の一つなのだと、実感させられてしまう。亜美も、その一員として、冷厳に恭平を見ているだけなのかも知れない。その組織の遙か上から。

 亜美に憧憬を抱いている恭平にとって、ただの戦力として見られているとなると、それはそれで悲しい。尤も、白き乙女――亜美の隣に立てるようになれなければ、いつまでも彼女に手など届きっこないのも事実だが。家格の問題も大きい。取り敢えず今は、騎士とはなった。だが、少し前まで恭平はただの庶民。実家も普通の家だ。騎士として代を重ねているならともかく、ぽっと出の自分などではと思えてしまう。

 まだまだ、亜美は、恭平にとって遠い存在なのだ。

「君塚君は騎士ですけれど、主流の戦闘科へ行くのもいいのですが、魔道科学系へ進むことも考えていて欲しいのです。将来正式なサモンポリスとなることは決定事項ですが、自分でもオーバーライドプロトコルをいじれるのは、とても便利ですの。ナイトアーマーマイスターとなるには修士課程修了が必要ですが、その助手なら学士で資格を取れますの」

 妙高博士は、にこにこと恭平を見ている。

「俺が、魔道科学系へ……」

 これまで、全く考えたことのない方面だ。平々凡々と生きてきた恭平は、ここに来るまで普通に多勢と同じ学部へ進学し就職するものだと考えていた。

「はい。君塚君の編入試験の成績を見せてもらいましたの。とても優秀ですの」

 その妙高博士の言葉で、そう言えば形だけだからとここへ編入を決めてから、試験をベッドの上で受けさせられたことを、恭平は思い出した。

「……優秀……ですかね……」

 五月雨先生にも言われたが、先生は毒気が強く素直に受け入れられない。それに対して妙高博士は、見た目奥ゆかしく穏やかな性格をしている。ここに来て、初めて褒められたような気が、恭平はした。ここでの恭平は、劣等生そのものだった。サモンポリスに最も要求される戦闘は、からきし。

「確かにねー。うちの生徒も馬鹿じゃないけど、重要なのは戦闘訓練とサモンポリスの授業だから、少し偏ってるのよね。今のままなら、君塚君は、学業だけなら上位だから。三島さんもテストで五位より下に落ちたことないわよね。魔道科学志望だから」

「はい」

 亜美は、五月雨先生の言葉に、特に何の感情も交えず答えた。

「今のままの成績なら、二人とも魔道科学科へ進めますの。君塚君も、技術に精通したサモンポリスを目指すといいですの」

 五月雨先生と妙高博士の言葉で、恭平は意外な視線を亜美に向けた。亜美は、当然、戦闘科へ進むのだろうと思い込んでいた。だが、魔道科学科へ進むことを志望している。


 曲がりくねった廊下をそれなりに歩いた後、エレベーターに乗り上階へと向かった。

 そこには教授や講師の研究室が、ずらりと並んでいた。それらのドア群の一つ前で、妙高博士は立ち止まり、スワイプした認証キーで開けた。部屋の中は綺麗に片付いており、きちんとした物質の端末も置かれてある。

「どうぞですの」

 妙高博士は、恭平たちに中へ入るよう、促す。

 研究室というだけあって、飾り気はあまりなかった。ただ、窓辺の棚に置かれた大きな熊のぬいぐるみが、目立った。なまじ真面目な感じのする部屋だったので、存在感があり違和感があった。だが、この部屋の主は妙高博士だ。どことなく、博士の穏やかな性格とマッチしているとも言える。愛嬌というか癒やしを与えてくる。

「それでは、君塚君の方から始めますの。その量子観測機の上に立ってください」

 円形のアイアンブルー色をした落ち窪んだ場所を、妙高博士は示した。

「はい」

「もう雛形はありますの。ですけど、戦闘用ではないホズミをベースにしたデータのままでは駄目ですの。そのままでは、使い物になりませんの。クラディウスをインストールしたのですから、ナイトアーマーを召喚してください」

 やんわりと夕出博士は、恭平に命じてくる。

「サモンアーマメント」

 恭平は、機動装甲召喚の音声コマンドを口にする。たちまち、恭平の身体が水色の光に包まれた。それが収まると、流線型でハンサムなサモンスーツ・クラディウスを、恭平は装着していた。アンダーウェアは、聖鈴学園で支給されているものに、制服から変わる。身体のラインが見えやすいので、女性二人と女の子の前で、少々、恭平は気恥ずかしい。

「音声コマンドが違いますの。召喚上書オーバーライドですの。それで、ナイトアーマーが召喚されますの。本来は、その後に固有名を付けることで複数のオーバーライドプロトコルから選ぶのですが、君塚君は一つしかないのでそれだけで大丈夫ですの」

 おっとりと、妙高博士は恭平の間違いを指摘する。

 恭平は知りませんでしたと言いつつ、ちらりと五月雨先生を見た。五月雨先生は、てへというお茶目な表情を浮かべている。担任というだけでなく戦闘訓練の教官でもあるのだから、それを教えるのは先生の役目だ。なのに殆どナイトアーマーに関することは、妙高博士に丸投げしている。

 妙高博士に向き直り、再び覚えたての召喚用音声コマンドを恭平は口にする。音声コマンド自体は、本人がそう意識しなければ発動することはない。

「サモンアーマメント」

 今度は、恭平の身体を青い光が包み込む。それが収まると、以前よりずっと引き締まったナイトアーマーを恭平は装着していた。ホズミのときは、ずんぐりとした冴えない代物だった。二度目のナイトアーマー召喚だ。クラディウスを素体としているので、チェストアーマーの両側から背後へ突き出た可変ウィングを有した小型の空制機がある。

「よくできました」

 まるで園児でも相手にするように、妙高博士はぱちぱち拍手した。

 恭平としては、馬鹿にされているように感じなくもないが、五月雨先生と違い嫌みのなさそうな妙高博士であるので、悪意はないと分かる。

 ARデスクトップを妙高博士は立ち上げ操作し、恭平と深部接続を要求する。恭平は、少々慌ててしまう。このレベル――魔術回路マジックサーキット同士の接続は、関係が緊密な相手同士でしか行われない。とても、デリケートな行為なのだ。

 接続の是非をシステムに問われ、目で妙高博士に促されYESをタップする。途端、やんわりとした春の陽射しを浴びてでもいるような、心地よい感覚に恭平は包まれる。妙高博士を感じているのだ。これが女の人なのかと恭平は思う。これまで、異性と魔術回路マジックサーキット同士を接続などしたことはなかった。どうしても、妙高博士を大人の女性として意識してしまう。

「調整は明日には終わりますの。試験運用的なものですから、仮調整ですの。今後のデータを元にカスタマイズしていきますの。オーバーライドプロトコルのコピーを取らせてもらいますの」

 そう言いつつ、浮遊する仮想物質サブスタンスキーボードに指を走らせ、妙高博士は接続を切った。恭平を包み込んでいた博士の気配が消える。

「どんなナイトアーマーになるか、楽しみにしていて欲しいですの」

 にこりと、妙高博士は微笑んだ。

解除イレース

 恭平は、解除コマンドを口にして、ナイトアーマーを消す。

 コホンと、五月雨先生が咳払いをした。

「じゃあ、初心者の君塚君にナイトアーマーとは何なのか、レクチャーするわね」

 やっと、教官らしいことを、五月雨先生は言い始めた。

「ナイトアーマーとは、素体となる機動装甲を召喚者自身で上書きしたもの。これは、分かるわね。サモンスーツ――機動装甲が開発されたとき、そういったことが起こるだろうことは、一部の科学者たちが言っていたわ。当時はトンデモ扱いされ空想科学の領域だと揶揄されていたけれど、実際にそれは起きた。最強兵器であるサモンスーツを遙かに凌駕するナイトアーマー。それが、何なのか知っておく必要があるわ」

 言いつつ、五月雨先生はARデスクトップを立ち上げる。ホログラム動画再生プレイヤーが現れた。そこに映し出されていたのは、ブリュンヒルデアーマーを纏った――白き戦乙女三島亜美だった。場所は、空中庭園。近くに恭平が気を失い倒れている。間違いなく、先日の映像だ。この時代のAR環境におけるカメラは、空間へ対する量子反射観測を用いているため、撮影者の亜美の姿形ばかりでなく色も正確に映し出される。

「百聞は一見にしかず。まずは、ナイトアーマーがどんなものか、目で見て知って」

 プレイヤーの再生ボタンを、五月雨先生はタップする。

 シュッシュッシュッ――魔弾砲が射出される。それを、亜美は、盾で受け止める。

 青銅色のナイトアーマーの女騎士が、片手剣を振るってくる。亜美の右手にある細身のロングソードが、鋭く一閃する。軽々と弾く。

 ブリュンヒルデアーマーの空制機に、ぱっと青白い光の粒子が散る。その場を一気に離脱する。空制機に取り付けられた可変ウィングが、細かく角度を変える。それに従って白き戦乙女――亜美は、銀色のシャープなデザインをしたアマルガムを装着した一人を、急襲する。相手は、慌てたような動きをし、燐火粒フライアルを噴出し離脱しようとする。

 それを、亜美は許さなかった。

【一人目】

 横合いに回り込み、手練の一撃を加える。胸部装甲が吹き飛ぶ。

「凄い」

 思わず恭平の口から、感嘆の言葉が漏れた。それほど、洗練された剣技なのだ。

 そのまま亜美は、その戦士に連撃を加え、アマルガムを消失させる。叫び声を残しながら、男が落ちていく。

 チカチカチカと光が瞬く。それから少し遅れて、シュッシュッシュッという音が聞こえる。アマルガムを纏った黒ずくめの女が、死角から亜美を狙い魔弾を放ったのだ。それを、くるりと一回転して亜美は躱す。

「てやー」

 ボイスチェンジャーを通した声で気合いを迸らせつつ、青銅色のナイトアーマーを纏った方の黒ずくめの女騎士が亜美に突進していく。

 側面から連射される魔弾を左腕の盾で防ぎつつ、ロングソードを閃かせる。またも、圧倒的技量で受け流す。

 魔弾を撃ってくるのは、黒ずくめの女戦士だけではない。他の男女の戦士たちも、彼女に倣い魔弾を連射してくる。それらを盾で受け止め、チェストアーマーの背後へ両側から突き出た空制機を用い、躱していく。一人欠け六対一になったものの、それでも不利だ。

発動モーシヨン聖宿の剣(セイクリツドソード)

「これって、魔道攻撃の音声コマンド?」

 映像の亜美を見つつ、恭平は概念としてのみ知っている事柄を口にする。

「そう。魔道攻撃というのは正しい。特殊魔道攻撃エクストリームアタツクって言われるもの。ナイトアーマーのみが有する攻撃」

 淡々と、亜美が恭平の疑問に答える。亜美は、映像よりも恭平を見ていた。

 その視線をこそばゆく感じた恭平は、再び戦闘映像に目を戻す。

 世界に一四種存在するヴァルキューレアーマーの一つブリュンヒルデアーマーの右手に握られた細身のロングソードから、白銀の光が発せられている。

 バーン――重低音を響かせ、亜美は女騎士に突進する。咄嗟に構えられた盾に構わず切り付ける。驚くべきことが起きた。盾は易々と白銀の光を放つロングソードに切り裂かれたのだ。盾はただ装甲が厚いだけでなく、強力な魔力による防御が施されている。

「嘘だろ」恭平が、呟く。

 盾を切り裂かれた女騎士は、慌ててその場から離れる。

 それを、亜美は追わなかった。追ってきた戦士たちに向き直る。

【二人目】

 通常ではあり得ない切れ味を示すロングソードで、一撃。盾を失う。女戦士は、狼狽した顔をしている。そのまま、無駄のない剣捌きで攻撃を加え、アマルガムを消失させる。

【三人目】

 後退しながら若い男が放ってくる魔弾を、亜美がアクロバティックな動きで軽々と躱しながら急襲。白銀に輝くロングソードを盾や剣で受けることも許さず、叩き込む。一瞬で、またもやアマルガムを失い落ちていく。

 戦士たちに動揺が走った。

「これ以上は、意味がない。引くわ」

 アマルガムを纏った黒ずくめの女戦士が、後退を合図。自らも機動装甲を失った若い女を抱きかかえ、他の者にも戦闘不能となった者を回収させ逃げ去った。

 恭平は、呆然とその戦闘映像を見ていた。

 ――強いなんてものじゃない。まるきり次元が違う。

 白き乙女を、改めて強く意識させられる。亜美と自分の立ち位置の違いを。

「お見事ね、三島さん」

 賛辞を、五月雨先生は口にする。それに、亜美は特に答えなかった。

「君塚君もいいものが見られたでしょう」

 そう言いつつプレイヤーとARデスクトップを、五月雨先生は消す。

「妙高博士、君塚君はもういいかしら」

「はい。後は、三島さんのオーバーライドプロトコル調整ですが、これは時間がかかりますので、君塚君は帰って結構ですの」

「分かったわ。行きましょう、君塚君。先生、少し君と話したいから」

 言いつつ、五月雨先生は恭平の背を押す。

 研究室には、亜美と妙高博士が残り、恭平は五月雨先生と出て行った。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ