第3章 白き乙女 1
〈ピピピピピピ――〉
恭平の頭に直接アラーム音が響き、脳の覚醒を促す信号がMCIデバイスから送られる。どれほど深い睡眠の中にあろうとも、確実に目が覚める。起床時間を設定しておけば、寝坊する者など存在しない。そのはずだが、実際には二度寝をしてしまう者もいるわけで、結局は各個人の意思が問題だった。恭平は、休日などは一度目が覚めても、また寝てしまう。今日は、残念ながら休日ではなかった。目の前に表示されたベルの形をした起床アイコンをタップし、アラームを止める。
見慣れない部屋――。
転校初日の昨日、学生寮に引っ越してきた。サモンポリス養成校聖鈴学園の中等部と高等部の生徒は、寮生活を送らなければならない。家がアトラスにあろうとなかろうと、強制的に。ここには全国から生徒が集められるので、小等部の者で遠距離の者も寮で生活をしている。大学生以上の者は、サモンポリスの基礎が身に付いていると判断され、自宅や賃貸など個人個人の判断に委ねられている。中高等部の生徒は、学園寮で集団生活を送ることで、本格的にサモンポリスとしての有り様を叩き込まれる。
自宅から離れて暮らすなど、恭平には初めての経験だった。家がアトラス第一七区にある。なので、大学へ進学しても地方へ行かなければ、一人暮らしなどできないと思っていた。それが、騎士として覚醒しここに来ることとなり、ある意味叶った。寮というのが気ままさがなく不服ではあるが、一応個室だ。両隣も同じ学園へ通う学生なので、学校の延長といった感覚はどうしても残りはするが。
ベッドで上体を起こし、部屋の中を見回す。
昨日、全ての片付けを終わらすことは、できなかった。色々と考えてしまったからだ。この先、ここでやっていけるのか、偶然騎士となってしまったが相応しい実力を身に付けられるのか。一人、悶々としてしまったのだ。
三島亜美のことも考えた。ここに来るきっかけとなった女の子。昨日、寮へ行く途中一緒になって、亜美は恭平を励ましてくれたが社交辞令のようなものではないのか。本当は、あまりの恭平の不甲斐なさに、失望したのではないか。
そのようなことを考えて、何も手に付かなかったのだ。
段ボール箱が、そこかしこに散らばっていた。中から出して片付けようとして、途中で放り出してしまった。とても、気力が湧いてこなかった。自分は、ここにいて本当にいいのだろうかと、思い悩んでしまった。
現在、機動装甲を用いた犯罪が横行している。元はデータであるので誰かが手に入れれば、プロテクトを外されたものがネットなどで簡単に拡散してしまう。それを世界政府直属のサモンポリスが優先的に取り締まっている。最も危険な職業なのだ。なので、実力が要求される。最新鋭の装備も用意される。
空を失った人類を守る維持機構。それが、世界政府だ。大国の軍にも勝るとも劣らぬサモンスーツを常に配備している。第七世代サモンスーツ・クラディウスは、最高水準の戦闘力を有していた。これは、犯罪の取り締まりは勿論のこと、各国に対する牽制だ。地上一〇〇メートル、海上五〇メートルの空を犯されないための。
――俺、選択、誤ったのかな……。
自信を全くなくした恭平は、弱気だった。
片付け途中の部屋は、今の整理できない恭平の気持ちを代弁していた。
喧噪が響いていた。
着替えを済ませた恭平は、朝食を取るため男子棟と女子棟とを繋ぐエントランスにもなっている両用棟の二階にある食堂に来た。学生寮は、採光のため南側にコの字型に男女別の棟が開いた構造をしている。その二つの棟を、この両用棟が結んでいた。昨日、亜美に案内してもらい、最低限どこに何があるのかは分かっている。三階には、大浴場とフリードリンクコーナーが備えられたラウンジがある。
食堂は、人でごった返していた。
恭平は、列に並び目の前に浮かんだ選択画面から定食を選んだ。列はすんなりと進み、定食を受け取り、空いている席を探した。ちょうど、テーブル席に三人分の空きを見付け、そこの右端に座った。さて、食べようかと思ったとき、
「ここ、いい?」
そう声をかけられた。
聞き覚えのある声に振り向くと、五月雨先生が上着を腕に引っかけトレーを持って立っていた。普段隙なく着こなしているスカートスーツ姿が、今は少々ラフになっている。ブラウスの胸元がはだけ、膨らみが少し見えていた。自然と視線が吸い寄せられてしまった恭平は、慌てて目を逸らす。そんな恭平の様子に五月雨先生は気づいた様子もなく、目で更に問いかけてきた。
「ど、どうぞ」
「ありがとう」
微笑を卵形の整った顔に浮かべると、五月雨先生は恭平の隣に座り上着を左の席に置いた。銀縁眼鏡が、知的な印象を与えてくる。
「先生、ここで生活してるんですか?」
「戦闘訓練を受け持つ教官はね。正直、退屈だけど」
茶目っ気のある笑みを、五月雨先生はその整った顔に浮かべ、
「引っ越しはちゃんと済んだ?」
いかにも世間話といったふうに、尋ねてきた。
「は、はぁ……」
「基本、一人暮らしなんだから、ちゃんとしないと駄目よ」
恭平の生返事に、五月雨先生はしかつめらしく戒めてくる。
先生の内面がおちゃらけていると昨日分かった恭平は、少々冷たい視線を送る。
「色々と考えていたら、手に付かなくて……俺、一般校にずっと通っていましたから、この学園の生徒たちに付いていけるのかなって……」
恭平は、箸を持ったまま俯いてしまう。昨夜も今朝も、散々思い悩まされた。自分がここにいるのは、場違いなのではないか、と。
「なーに? もうギブアップ?」
落ち込んでいる恭平を見て、五月雨先生は目をキラキラさせた。
そんな先生を見て、恭平はやはりこの先生は性格が悪いような気がする。
「初日でそんなんで、この先やっていけるの?」
「だから、俺、そのことを先生に相談っていうか、愚痴っているんですけど」
「意味がないわね。要は、慰めて欲しかったと。だけど、わたしが気休めを口にしても、何にもならないわよ」
「分かってます」
ぶすりと恭平は、答えた。五月雨先生と遣り取りをしていて、相談してはいけない相手に馬鹿なことを言ったと後悔した。五月雨先生は、簡単に恭平の気を楽になどしてはくれない。それどころか、恭平の様子を面白がっているように見える。
「ふふ、いいわねー、若いって」
「全然、関係ありませんよ」
「何言ってるの。君塚君は、まだ高校一年生よ。それも成り立て。時間ならたっぷりあるわ。正式なサモンポリスとなるまでにはね」
恭平が、頼ろうとするのを止めた途端、五月雨先生は慰めめいたことを口にした。銀縁眼鏡越しの目に、うっすらと笑みを浮かべている。
「それまでに、みんなに追いつけってことですか?」
確かに、高校生の期間だけでも、まだ三年間あるのだ。恭平は、少しだけ気を取り直した。時間は、確かに与えられている。
「まぁ、そうなんだけどね」
そこで、五月雨先生の顔に、意地の悪い表情が浮かんだ。
「昨日の模擬戦……先生陰から見てたんだけど、笑っちゃった。君塚くんのクラディウスの扱いはとてもユニークね」
あっけらかんと、五月雨先生の口調はしていた。
「あれは……」
恭平の顔が、カーッと紅潮する。あのたこ踊りを五月雨先生にも見られていたとは、恥ずかしい。五月雨先生の担当教科は、戦闘訓練だ。恭平だけ、皆と授業が別メニューだったのが、頷ける。先生にも、呆れられたことだろう。
「ま、第七世代サモンスーツを扱うのがあれが初めてなら、ああなるのかも知れないけどね。学園のみんなは、クラディウスの試作型を中学生のときから授業で使っていたから」
五月雨先生は、わざとらしい慰め顔をした。
――絶対この人、性格悪い。
朧気に感じていたことを、恭平は確信するに至る。
むっとした表情の恭平を、五月雨先生は面白そうな目で見ている。
「そうそう。今日の放課後なんだけど空けておいて。授業を終えたら、すぐに職員室のわたしのところに来て」
そう、五月雨先生は告げてきた。