第2章 聖鈴学園 4
今日はやたらと疲れたと思いながら、学校を終えた恭平は寮へと向かった。
ここ聖鈴学園は、中高等部の生徒は寮生活を強制される学校だった。当然、恭平も今日からここで生活することになる。昨日荷造りし、学園へと送った。今朝、五月雨先生から受け取った認証キーの中に、寮のものもあった。右手を視界の端へ持って行き現れたカテゴリ一覧の中からライフキットをタップし、中から寮のキーをスワイプし目の前に表示させた。寮の何号室か確認する。一つ恭平は溜息を吐いた。
本当は、寮の部屋とやらへ行ったら、ベッドで横になりたかった。たった一日で、色々なことがありすぎた。六時限目の終わりを告げるチャイムの音を聞くと、どっと疲れが押し寄せてきた。今日は、ロングホームルームがないので、それで終わりだった。将人や伸行にセントラルの街へ繰り出さないかとありがたくも誘われたが、部屋に荷物が届いているはずだから片付けないといけないと言って断った。
日が大分伸びてきて、広大な敷地を有する聖鈴学園内は大公園のように木々が綺麗だが、恭平はまるきりそれに気付かない。その向こうには、クリーン環境が推し進んだ結果得られた碧い海が広がっている。
――もう何も考えたくない……。
人間関係、己の未熟さ。様々なことで悩まされた。自然と思い浮かんでくる。それを、頭を振り恭平は追い払った。考えれば考えるほど、嫌になってくる。
「お疲れ」
もう何も考えまいと思っていたところに、そう声をかけられた。突然だったので、恭平は誰だろうと、きょろきょろ辺りを見回してしまった。
「寮へ行くの?」
もう一度声をかけられた。今度は、どこからかはっきり分かった。ちょうど、高台となったグラウンドへと続く階段に、亜美が立っていた。恭平の位置から見上げる格好なので、亜美のオーバーニーソックスとスカートの間から覗くすらりとした伸びやかな白い太股が、目に入った。慌てて、恭平は目を逸らす。
「う、う、うん」
「そう、一緒に行こうか。わたしも戻るところだから。場所とか分かる?」
瞬間的に身体に緊張が走りまごつき答える恭平に、亜美は普段の彼女らしく淡々と話しかけてくる。
「い、今、ナビアプリを立ち上げようって思っていたところ」
「ここは広いからね。初めてなら、どこに何があるのかも分からないよね。今日引っ越し?」
「うん。これから部屋へ行って届いている荷物を片付けようかなって」
どうにか平静を取り戻し、恭平は答える。
昼休み、八幡涼子から、亜美が自分以外の人間を認めていないなどと言われたが、こうして接している恭平はそのようなことを全く感じない。きっと、祖父同士仲が悪いので、涼子はああ言ったのだと、恭平は思った。
「何号室?」
「五〇一一号室」
「分かった。部屋まで案内する」
そう言うと、亜美は歩き出した。
どうしたものかと迷ったが、恭平は思い切って亜美の横に並んで歩いた。
「声かけたとき、落ち込んでるみたいだった。初日で自信なくした?」
感情の分かりづらい虹彩の色が薄い瞳を向け、亜美は恭平にそう問いかけてきた。シャンプーの自然な香りが恭平の嗅覚を心地よくくすぐった。
「……場違いじゃないかって」
偽らざる恭平の本音だ。
「そう思うんだ? 戻りたい?」
「…………」
「五月雨先生が言ったこと、覚えてる? わたしたちサモンポリスには、大きな責任がある。君は、それから逃げたい?」
亜美の右耳に下がった白いイヤリングが揺れる。それにそっと触れた。恭平を見詰める瞳からは、やはり感情を読み取れない。
「俺にできるなら、やっていきたいと思う。少なくても、今のギリギリの世界は守らないと。そう五月雨先生は言ったんだろう」
白き乙女という二つ名を持ち恭平の憧れの対象である亜美であり、彼が今ここにいる理由は彼女であったが、敢えて挑戦的に言った。不純な動機であったが、今自分がここにいるのは、己で決めたことだからだ。
「いい返事だよ」
恭平の目を見返すその屈託のない亜美の精緻な美貌が、笑みを宿した。
「君は、覚醒し騎士となってここに来た。それは、とても凄いこと。わたしは、オーバーライドプロトコルを親から引き継いで騎士となったけれど、君は違う。どうなっていくのか、わたしも興味がある。君にはきっと何かあるんだと思う」
「そ、そうかな?」
「うん。戦闘は全く駄目みたいだったけど、それはきっと時間と君の努力が解決してくれる。だから、今、誰に何を言われても気にしなくていい」
口調は淡々としているが、自分を励まそうとしていると、恭平は分かった。
天然な面もあり、人と接することが亜美は下手なのかも知れない。その不器用さが、却って亜美に対して、恭平は好感を抱ける。本心から言ってくれていると分かるからだ。
「戦闘訓練の授業ではありがとう」
礼を言う余裕が、恭平の中で生まれた。
「いい。あれは、涼子が悪い。でも、彼女には気をつけた方がいい。八名家の一つ八幡家の令嬢だから」
軽く恭平の礼を受けた亜美だったが、注意を与えてきた。
「知ってる。ちょっと、昼休み色々あって、俺、目を付けられたみたいで」
かなり深刻なことであったのだが、亜美と一緒にいることの方に気をとられていた恭平は、あまり深く考えなかった。
「そう……何があったのか知らないけど……涼子と接するのは慎重にね。彼女に心酔している二人の女子も同じクラスにいるから」
僅かに亜美の眉尻が持ち上がった。
その表情から涼子とその取り巻きとやらが、亜美にどう接しているのか恭平は気になった。
「気を付けるよ」
もう遅いと思いはしたが、恭平はそう答えた。
寮の部屋まで亜美に連れて行ってもらい、ついでに食堂やら必要になる場所も案内してもらった。亜美に軽蔑されていないと知った恭平は、嬉しかった。