第2章 聖鈴学園 1
約一週間入院した。怪我は三日ほどで治り後半は様子見だった。一昨日退院したばかりだ。今日は、休み明けで切りもよいということで、転校初日となった。海が広がっていた。聖鈴学園は、海を望む立地だった。広大な敷地を有する世界政府直属の聖鈴学園は、恭平に緊張感を与えてきた。これまで通っていた高校が、一体いくつ入るだろうとぼんやり考えてしまう。正直、場違いと思わなくもない。
国防軍のお誘いと父の反対を押し切っての、聖鈴学園への転入だった。サモンポリスは、今現在、最も危険な職業である。選んだ理由は、一人の女の子だ。三島亜美――彼女が、恭平に強烈な憧憬を刻み込んだ。いつの日か、恭平は、亜美に並び立てる存在となり、認められたいと願いここにやって来た。
だが、亜美を抜きにしても年若い恭平は、サモンポリスに漠然とした憧れを抱いていた。妹にも羨ましがられた。真新しいブレザーに身を包み、恭平は守衛がいる校門をくぐった。
三島亜美と再び会うために。
「ヤッホー、君塚君。ちゃんと来たわね」
職員室の五月雨先生の席へ行くと、フランクな挨拶を彼女は恭平に送ってきた。
ここに来るまで、なかなか大変だった。守衛から受け取った学園のマップをナビアプリで表示させ、AR環境のガイドカーソルに従って辿り着いた。そうでなければ、広大な敷地の中で迷子になっていたに違いない。
「ど、どうも」
初めての転校に緊張し、恭平は答える。
席に座る五月雨先生と会うのは二度目だ。卵形の整った顔立ち。スーツの上からでも、はっきりと分かる起伏。恭平はドキリとしてしまう。五月雨先生は、美人でスタイル抜群なのだ。年上の女性の魅力に溢れている。
「君が、ここを選んでくれて嬉しいわ」
「取り敢えず、俺はここしか行くところがありませんから」
ぶっきらぼうに、恭平は答える。
五月雨先生を前にして、抱いてしまった情念を追い払う。今日は、転校初日の大切な日なのだ。あらぬ思いを抱いて、間抜け面を晒すわけにはいかない。気を引き締めた。
「その言い方、素直じゃないわね。君のたっての希望に押し切られたって、ご両親から聞いたけど。ここに来ることが決まったとき、君塚君のご両親と面談したのは、わたしなの。君は、自分の意思でここに来た」
恭平の態度に、五月雨先生は意地の悪い言い方をした。
「……そ、それは……そうですけど……俺は……もう、普通の生活は許されないみたいでしたから、どうせなら自分の能力を一番活かせるところを選んだだけです」
どうやら、家庭の事情を知られているらしいと悟った恭平は、サモンポリスを選んだ下心だけは知られまいと、消極的に答えた。用心した理由は、五月雨先生の茶色がかった瞳から、そこはかとない底意地の悪さを感じるからだ。
「……いい答えね」
観察する目を、五月雨先生は恭平に向ける。
その目が、恭平は嫌だった。気さくに感じる五月雨先生の瞳にはある種の鋭さがあり、見透かされているようで落ち着かないのだ。つと、恭平は目を逸らす。ここを選んだ理由は、女の子だ。以前から憧れていて、実物を見て魅せられてしまった。三島亜美が、恭平に己の存在を刻み込んだ。まるで、伝説の中に登場する戦乙女の英雄のような彼女を。
五月雨先生のクラスになれたことは、恭平にとって実は幸運だった。亜美も先生のクラスなのだ。今日からクラスメイトになれるのかと思うと、恭平の心は浮き立つ。それを押さえ込むのに、実のところ四苦八苦している。早く、亜美の姿を見たい、会いたいと思ってしまう。亜美は、恭平に待っていると言ってくれた。期待してしまうのは、健全な男子なら仕方のないことだった。
「それが本心なら、凄いとは思うけどね」
悪戯っぽい笑みを浮かべ、五月雨先生は恭平に片目を瞑ってみせた。
その態度に恭平は、ぎくりとしてしまう。五月雨先生の言葉も、ちくちく刺さる。まるで、恭平の邪な本心を見抜いているみたいで。
「本心です!」
思わず大声で、恭平は答えた。
「そういうことにしておいてあげる」
にんまりとした五月雨先生からは、おちゃらけた雰囲気が漂っていた。
「君が来てくれて、わたしも嬉しいから、理由なんてどうだっていいんだけど」
「なら、変な言い方をしないでください」
軽く恭平は五月雨先生を睨んだ。軽薄を装っているが、鋭く手強いと思えてしまう。
「今日から世界政府直属の聖鈴学園の生徒となるわけだけど、心構えを言っておきます」
五月雨先生は、居住まいを正した。表情も真面目なものとなる。そうすると、できる知的な女性の雰囲気が漂う。
「はい」
「ここ聖鈴学園は、小中高大院とあるサモンポリスの養成校です。頻発する機動装甲を用いた犯罪を取り締まる者を、育成しています。高校生以上の者は、研修として実地で任務に当たります。学校を卒業した後は、サモンポリスのエキスパートとなってもらいます」
確認をするように、五月雨先生は一度言葉を切った。
「日本にも機動装甲――特にサモンスーツ使用者である戦士を育成する機関があります。これは、将来的に国防軍や警察機構の仕事に従事するためです。ですが、サモンポリスはそれらと根本的に異なります。世界政府直属の、国の枠を超えた組織です。当然、生まれ育った日本のためにも働きますが、基本的には世界のために働いてもらいます。その心構えを持つように」
「は、はい」
少々いかめしい五月雨先生の雰囲気にのまれ、かしこまって恭平は返事をする。
「それで、今知っておいて欲しいサモンポリスの立ち位置なんだけど、各国の警察機構より上で軍とは立場的に対等です。有事の際には、世界政府の軍隊としても機能することを忘れないでね。学費は免除。OK?」
そこで、五月雨先生は表情を緩めた。
「分かりました」
「宜しい。それじゃ、クラディウスをインストールするわ」
そう言うと、五月雨先生は可視モードでARデスクトップを立ち上げた。恭平の前に接続要求のダイアログボックスが開く。YESをタップする。恭平の方もARデスクトップが立ち上がった。五月雨先生は、ARデスクトップを操作し、インストールはほんの数秒で終わった。
「それと、これが寮の部屋とその他の鍵」
五月雨先生は、認証キーを恭平のMCIデバイスに送った。
一ーBと表札がかけられた扉の前で、五月雨先生は立ち止まった。
「ま、色々あると思うけど、めげないでね」
片目を瞑り、五月雨先生は教室の扉を開き、さっさと中へ入っていく。恭平は、前置きなしで先へ行ってしまった先生の後を、慌てて付いていく。
「みんな、お早う」
陽気に、席に座る一年B組の生徒たちに、そう呼びかけた。
「オーッス、ゆかりちゃん」
「お早うございます」
「先生、お早う」
統一感のない挨拶が、ばらばらに返される。
いかにも、この先生が担任を務めているクラスだといったムードが、伝わってくる。五月雨先生のおちゃらけた空気が、クラスに感染している。
「前にも言ったと思うけど、今日からみんなの仲間が一人増えます。まぁ、転入生には慣れてるとは思うけど、仲良くしてあげてね」
よく言えばフランクな感じを崩さず、さらりと五月雨先生は恭平の転入を告げた。
それに対して、クラスメイトたちの反応はどことなく冷ややかに恭平は感じる。皆、測るような視線を、恭平に向けてくるのだ。さすがに、居心地が悪かった。大勢の者に見られているという感覚は、どうにも嫌なものだ。
非友好的な視線が多いのは、恭平の気のせいではあるまい。皆、とても歓迎している雰囲気はない。最初にあるべきはずの、好奇の視線をクラスメイトたちから向けられることもない。
「オッホン」
一つ、五月雨先生は咳払いをした。何となく、皆の反応を予期していた感じだ。
「えー、彼、君塚恭平君は、様々な事情でここに来ることになりました。前にも言った通り、彼は一般校に通っていました。よって、サモンスーツの扱いや戦闘に関して素人です。みんなも、そのことを考慮するように」
五月雨先生の言葉に、クラスの者たちの目が白んだように恭平は感じた。何となく、居心地が悪い。取り敢えず、自分が歓迎されていないことは、よく分かる。
「さ、君塚君。みんなに自己紹介して」
そんなクラスの雰囲気を全く気にせず、五月雨先生が促してきた。
恭平は、冷めた視線を送ってくるクラスメイトたちをぐるりと見渡した。その中に、三島亜美の姿があった。相変わらず、屈託を感じさせない精緻な美貌だった。その面には、特に感情らしきものは浮かんでいなかった。尤も、亜美は普段から淡々とした物腰で、各種メディアでは有名だった。だから、別段不思議でもない。だがその瞳には、どことなく憂いのようなものが浮かんでいるようにも見える。
恭平と亜美の視線が合った。何となく、つと恭平は視線を逸らした。瞬間的に、引け目のようなものを感じたからだ。
「君塚恭平です。ご紹介の通り、一般校からここに来ることになりました。どうぞ、よろしくお願いします」
型どおりの自己紹介を、恭平はする。
お世辞のように、ぱらぱらと拍手が湧いた。
愉快ではなかったが、これで一応恭平はやるべきことを終えた。後はなるようになれだと、半ば投げ遣りに思った。憧れの亜美には、こんな情けないところを見られている、後ろめたさを感じながら。
「先生」
そんなとき、一人の女生徒が挙手をし立ち上がった。
その女生徒は、恭平の興味を惹いた。彼女は、日本人ではなかった。灰色の髪を肩上で切り揃え、二房三つ編みにし後ろで結んでいる。淡褐色の瞳が、印象的だった。静謐さを感じさせる美貌に、起伏のあるすらりとした全身。
「何かしら、マリーナ?」
五月雨先生が、マリーナという外国人の女生徒に、疑問の視線を投げかける。
「わたし、彼の実力を見てみたいんです。一般校からここへの転入なんてまずあり得ません。昼休み、模擬戦の許可を要請します」
マリーナは、ヘーゼルの瞳を恭平に向けた。その視線は、皆のように別段蔑むようなものではなく、あくまでも冷厳なものだった。
「うーん」
五月雨先生が、思案顔になった。
「そうね……模擬戦は、認められているから反対する理由はないわね。マリーナが君塚君の実力を見てみたいっていうのも分かるし」
「それでは宜しいんですね」
「ええ。模擬戦を許可します」
教師の顔になった五月雨先生は、マリーナの申し出を認めた。そして、小声で恭平にこう言った。
「さっそく洗礼ね。まぁ、君塚君もここに慣れるには、ちょうどいいかもね」
皆に分からぬように、五月雨先生は片目を瞑ってみせた。
「いきなり、とんでもない相手と模擬戦をすることになったね」
休み時間、一人でいる恭平に亜美が話しかけてきた。突然のことで恭平は驚いた。クラスメイトたちもざわついている。
「あっ、み、三島さん」
恭平はまごついてしまった。憧れの亜美に、話しかけられたのだ。もうクラスで孤立してしまっていると言っていい恭平に。
亜美は、周囲のざわつきなど、まるで気になっていない様子だった。細すぎず伸びやかでしなやかな全身からは、自然な雰囲気が漂っている。その美貌といい恭平には眩しく映る。そして、メディア等でも知られている通り、亜美は少々天然なことでも有名だった。それが、人気に拍車をかけている面はあるが。
「彼女、マリーナ・アンブラジェーネは、ロシアからの交換留学生なの」
そんな恭平の様子や周囲を気にせず、亜美は話し出した。
天然であると言われているのは、本当だと恭平は軽く思ってしまう。それは、亜美の場合悪いことではない。魅力の一つとなっている。
「そ、そうなんだ……」
マリーナが外国人であることは、見れば分かる。交換留学生だと言われれば、そうかと思うだけだ。今日転校してきた恭平には、マリーナがクラス内でどのような立ち位置なのか、分からない。それよりも、亜美のことが気になってしまう。
「マリーナは、学園でも指折りの実力者。金剛の女帝っていう二つ名を持っている」
淡々と、亜美はマリーナについて、恭平に知識を与えてくる。
恭平は、亜美と話しているだけで、ドキドキしている。だから、マリーナがどれほど脅威であるのか気にもしていない。
「金剛の女帝だなんて、ご大層だね」
二つ名からくる語感から、恭平は歴史で習った昔の王朝を思い起こす。
正直、亜美を近くに感じていることで、話自体は頭を素通りしている。
「君塚君とは、ミスマッチもいいところ。彼女、何を考えているのか分からない」
美しい面に、亜美は少々困惑気味な表情を浮かべる。
恭平も、いきなり模擬戦を申し込まれて少々面食らってはいる。初心者である自分にどうして、と。亜美の様子に、そう指摘されているようで、恭平は少し落ち込んだ。
「俺が、戦闘の素人だっていうのは、分かってる」
白き乙女の二つ名を持つ実力者である亜美を前にして、恭平はしがない思いをついつい抱いてしまう。亜美との差を、距離を、再認識させられる。
「そういうことを言いたいんじゃない。このクラスでマリーナと渡り合えるのは、四人だけ。他の者では勝負にならない。それを転入したての、一般校にいた素人だって分かっている相手に、挑む理由が分からない」
亜美は、ほっそりとした頤に指を当て、思案顔をする。
「決して、ナイトアーマーは召喚しないで。彼女も騎士。アルマースアーマーっていう伝説級ナイトアーマーを召喚できる。出してくるかは分からないけど、今は君塚君が騎士だっていうことを知られるのは、よくないから。その能力もね」
そう、亜美は忠告を与えてきた。