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Boundary world  作者: 里宮祐
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第6章 激闘 2

 窓の外には、夕暮れが広がっていた。

 打ち合わせ通り、恭平は適当なファミレスで待機していた。大通りに面していて、急場のときに動きがとりやすい。客は疎らで、恭平のような高校生の姿もある。私服に着替えているので、遅くなっても店員に注意されることはない。

〈君塚君の言うことは、ちょっと受け入れらない〉

 MCIデバイスを通した通話で、恭平の眼前に現れたホログラムウィンドウの中に映し出された亜美は、精緻に整った美貌を僅かに顰めている。恭平が、粗相をやらかしたとでも言うように。

 秘匿通話であるので、他人から見えることはなく直接喋っているわけではないので、誰からも会話を聞かれる心配はなかった。現在主流となっている量子カメラは、空間の量子反射観測により形や色を認識する。物理的なカメラは必要としない。

〈だけど、八幡さんは攻撃制御回路破壊プログラムが盗まれたことを、知っているみたいだった。って言うより、あれは確実に知っている〉

 先ほどの涼子の話と態度から、恭平は彼女を疑っている。午前中、恭平たちを襲ってきた連中のリーダー格である黒ずくめの女は涼子なのではないか、と。亜美も認める腕前だった。疑い出すと、身体のラインも似通っているように思えてくる。

〈君塚君の勘違いじゃ……〉

 思案顔をし、亜美は言い淀む。頭から、恭平の意見を否定するのもどうかと考えているのかも知れない。

 亜美から、他人の悪口を恭平は聞いたことがない。普段から淡々とした亜美は、他人への関心が薄いのかも知れないが、そこには彼女の人格が現れていると、恭平は思う。思慮深い亜美は、結論を急くことがないのだ。

〈涼子――八幡家は八名家の一つ。その令嬢である涼子が、今の世界秩序を破壊する側に組みするとは思えない。特に八幡家は、八名家の中でも、開明的な理想家で有名。そんな家の涼子が、メンフィスと繋がりを持つなんてあり得ない〉

 やんわりと、亜美は恭平の話を否定した。

〈でも、それじゃ変だよ〉

 恭平は、亜美の考えは甘いと思う。涼子は敵と定めた者を追い落とすためなら何でもすると思っている。それは恭平が涼子に抱く偏見かも知れないが、疑うには十分な相手だった。

〈世界政府は、攻撃制御回路破壊プログラムの存在を隠しているんだよね。八幡さんの口ぶりは、その存在を知っているみたいだった。メンフィスと繋がりがなければ、知らないことじゃないの?〉

 疑問を恭平は口にする。そうでなければ、涼子からあんな台詞は出てこない。偶然とはとうてい思えないのだ。あのときの会話の流れでも、不自然だ。思わせぶりな様子でありながら、彼女には確信があった。恭平は、あのとき亜美もいればともどかしく思う。それならば、亜美も自分の意見に賛成するはずだと、恭平は歯がゆい。

〈君塚君は、考えすぎだと思う。その……色々あって、涼子にいい感情を抱いていないから。だから、そういうふうに受け取ってしまうんだと思う〉

 MCIデバイスを介しての思考通信は、弱い逡巡のようなものであればノイズとして処理される。亜美の思い自体は伝わらないが、恭平の意見には否定的であることが分かる。

〈でも――〉

〈この話は、もう終わりにしよう。これから、大切なことが控えている〉

 恭平の思考は、亜美の思考通信で掻き消された。もう、この話はお仕舞いと、ぴしゃりとした意思も伝わってくる。

 恭平は、もどかしい。亜美の敵が身近にいるというのに、彼女に伝わらない。恭平の考えすぎだと思っている。天然な側面もある亜美は、自分に敵意を向けてくる相手に同様の敵意を抱くことがない。美点と言えば美点だが、今はそれが悪く作用しているように恭平は感じる。

〈予定通り、わたしは街を目立つように歩く〉

 そう言う亜美の服装は、白を基調としたお洒落なものだった。今日初めて、恭平は亜美の私服姿を見たが、見事なコーディネートとしか言いようがない。センスの良さを窺わせてくる。白き乙女の二つ名にふさわしく、白は亜美によく似合う。色調の違う白とスカートに入った黒をうまく組み合わせている。

 嫌でも目立つことだろうと、恭平は思う。亜美は、屈託のない精緻な美貌と、女性的起伏のあるすんなりとした全身をしている。大きすぎず小さくもない胸から細い腰に続くラインは、とても優美だった。

〈……う、うん〉

 恭平としては、肯定するしかない。世界の命運がかかった作戦だ。失敗は許されない。気持ちを切り替える必要があると恭平も思う。たとえ敵が八幡涼子であったとしても。これから、亜美は危険に晒されるのだ。

〈君塚君は、その場で待機。何かリアクションがあったら連絡するから、フォローをお願い〉

〈分かった〉

 通話が切れた。恭平は、表示させたマップで亜美の位置を確認する。


 恭平にああは言ったものの、亜美は彼に活躍の場があるとは思っていない。

 確かに、恭平には目を見張るべきものがある。初めて出会ったときから感じていたことだ。亜美も実力を認めるアマルガムを装着した仮面の女に追われながら、アシストスーツで果敢に逃げ回っていた。そもそもサモンスーツとアシストスーツでは、基礎的性能が隔絶している上に、アマルガムは飛行能力を有した第七世代のものだ。端から比べものにならない。それをよく凌いだ。がむしゃらではあったが。

 戦闘の素人であった恭平は、亜美に放たれた魔弾をアシストスーツで防いだ。いくらでも亜美ならば、対応できる攻撃であったというのに。だが、それが幸いしたと言える。結果、恭平は騎士として覚醒した。極限状態に追い込まれたからだろうと、亜美は思う。もし、あのとき覚醒しなければ、恭平は死んでいた。

 騎士となったのならば、サモンポリスになるべきだと亜美は思った。だから、ほんの軽い気持ちで恭平を誘った。恭平は、聖鈴学園へとやって来た。無謀かとも、亜美は思わなくもなかった。すべからく、聖鈴学園の生徒は騎士や戦士として精鋭だった。そこで、恭平がやっていくことは大変だろうと、他人事として思っていた。が、他人事とも言っていられなくなった。

 誰とも組んでいなかった亜美は、任務に就くことができなかった。そこで、五月雨先生が、同じく誰とも組んでいない恭平と亜美を組ませたのだ。そこで、亜美に一種の義務が生じた。恭平を使い物にしなければならない。暫く、恭平の訓練に付き合うつもりでいた。迷惑だとも感じなくもなかった。

 その矢先に、任務を五月雨先生から言いつかった。全くと言っていいほど戦闘訓練をしていなかった恭平は足手まといな存在だ。逃げ回るくらいしかできないだろうと、考えていた。その予想はいい意味で裏切られた。思った以上に、恭平は果敢だった。初心者が、あれだけの戦士に殺到されながら、攻勢に転じようとしていた。それは、亜美の予想を超えていた。

 今となって思えば、恭平は騎士として素質の片鱗を見せていた。それでも、まだまだであることは事実だ。今回は失敗が許されない。今の恭平では、やはり亜美のパートナーは務まらない。ならば、戦闘は一人で行うべきだ。一人で、敵を殲滅し盗まれたイヤリングを取り返す。ただ、今後の恭平に、興味があるのは確かだった。

 そんなことを考えながら、亜美は空中庭園へと足を向ける。

 人目につく必要があるのだ。今頃のあの場所は打って付けだ。服装にも入念に気を遣った。亜美なりに目立つように、と。その甲斐あってか、普段よりも道行く者たちは、亜美とすれ違うと高確率で振り返る。自惚れるわけではないが、亜美は自分の容姿がそれなりに優れていることは理解している。ここまでめかし込まなくても、街を歩けばすれ違う者は亜美を見て、ハッとした顔をする。

 空中庭園へと続く、長いエスカレーターに足を乗せる。

 地上一〇〇メートルといった空しか有しない今の世界では、空中庭園はかなりの高所に広がっている。そこへ上っていくと、中々の見晴らしが得られる。亜美は、この場所が割と好きな方だった。こんなときでなければ、景観を楽しむところだ。

 アトラスの街並みは、夕日を受けて窓ガラスをキラキラと光らせていた。

 それは、見渡す限り途切れなく続いている。

 それを見て、まやかしの安寧と亜美は思わないでもなかった。この空には境界がある。それを普段は、皆忘れている。とても脆い今の世界。世界政府が義務づけた攻撃制御回路を攻撃衛星に組み込んだため得られた、一時の平安。それは、いつか破られるのだろうかと、亜美は予感めいたものを感じる。もしかしたら、明日にでもと。

 エスカレーターが、最上部へと亜美を運んだ。

 一歩足を踏み出せば、広々とした庭園が広がっている。床に填め込まれた円形の色とりどりの発光体が、盛んに光を発している。昼間は目立たないが、こうして夕闇が迫り出すと精彩を発揮してくる。

 空中庭園には、学校を終えた学生や主婦、会社へ戻るのであろう男性サラリーマンやOLで賑わっていた。カフェで寛いでいる者も多い。

 亜美は、その人々の中をゆっくりと歩いた。

 人々の視線が、自分に集中するのが分かる。

 ひそひそと囁き交わす声が聞こえてくる。自分の名前が、そこから聞き取れた。それから、白き乙女の二つ名も。亜美の計画通りだった。嫌々だったが、亜美はメディア等に広告塔として出演させられた。そこで顔を晒したことが役に立った。

 亜美は、中程まで歩き立ち止まる。人待ちを装い、何を見るでもなく。

 かなりの人だかりができた。これは、少々、亜美にとって予想外の人数だった。物珍しげに自分を見てくる者。憧れの視線を注ぐ者。品定めでもするような目を向ける者。様々だった。だが、好都合と言えば好都合だ。これならば、確実にメンフィスの者も亜美の存在を知る。

 聖鈴学園にいる間は、メンフィスも手出しをすることは難しい。外出中であれば、亜美を捕まえるチャンスが生まれる。交戦した他のメンバーはともかく、あの仮面の女は手強い。自分を相手にしても、恐れることはないだろうと思う。

 絡みつくような視線を、亜美は感じた。

 十分に大勢の者の関心を惹いた。衆目とは違う視線も感じる。その視線は、敵意じみたものを発している。メンフィスの者だと確証を得ることはできないが、頃合いとしてちょうどいいと思う。

 亜美は、その場を離れた。後は、自分という餌に食い付いてくることを願うのみだ。


 空中庭園を離れた亜美は、街中を歩いた。

 先ほどから、好奇とは違って粘っこい絡みつくような視線を感じている。この類いの邪さのある視線をたまに感じることはあるが、それとも異なっていた。敵意のようなものを感じる。亜美は、その視線の正体をメンフィスと確信し始めていた。

 自然な歩調で、セントラルの中でも人気のない場所へと、足を運ぶ。人が多い場所で戦闘行為に及べば、人的被害が出てしまう可能性もある。亜美自身も能力ちからを遺憾なく発揮できない。サモンスーツやナイトアーマーでの戦闘は、生身の者には驚異だ。

 ちょうど歩道に寄せて止まっていたEVのミラー越しに、背後を確認する。若い男二人が、亜美から目を離さず付けてきている。その顔に、亜美は見覚えがある。仮面の女の仲間だ。作戦がうまくいったことに、亜美は安堵を覚えた。

 気付かれたと悟られぬよう、亜美は身体に余計な力が入らないように注意する。

 一瞬、恭平のことが頭に浮かんだが、連絡は取らないことにした。何気なさを装えば、通話をすることは簡単だったが、必要なしと判断したのだ。戦闘になれば、まだ恭平では足手まといになる。五月雨先生から言いつかった彼の教育と今回のことは別だ。世界の命運がかかったことであり、失敗は許されない。今の恭平では、失敗の原因となりかねないのだ。

 何度か、後ろの二人を亜美は確認した。一人が、ARデスクトップを操作する挙動をしたので、誰かと連絡を取っていると亜美は推察する。秘匿通話は、ホログラムウィンドウを不可視モードで表示するため、何をやっているのか具体的に分からないのだ。直接喋らないため、口の動きはない。

 ――先ずはあの二人を抵抗する間を与えず捕縛する。

 亜美は、そう計画する。二人を捕らえ、仲間の居場所を聞き出す。イヤリング――攻撃制御回路破壊プログラムのありかを。相手の襲撃を待つより、先手をとった方が有利だ。仲間に居場所を伝えている可能性は高いが、それはそれで先に相手の数を減らせる。どのみち、仮面の女とは戦うことになるだろう。

 先が広場となっている裏道へと、亜美は逸れた。

 二人の若い男たちも裏道へ入ってきたことを、ちらりと確認する。

 角で亜美は走った。後ろから聞こえてくる足音が慌てたものとなる。曲がったところで亜美は振り返り、ナイトアーマー召喚の音声コマンドを口にしようとした。だが、できなかった。背中に、何かが当たる。しまったと亜美は思う。付けていた二人は囮だったのだ。亜美は、まんまと誘いに乗ってしまった。

「こちらを向きなさい」

 冴えた女の声。その声に不思議な聞き覚えを感じながら、亜美はゆっくりと振り向く。

「あなただったの?」

 亜美には珍しく、その声には驚きが混じる。手に収まる形をしたフォトンレーザーを向けている相手を、亜美は見知っていた。

「ふふふ。驚いた? さぁ、このMCIデバイス遮断リングを填めて」

 女は、ちょっとしたアクセサリーにも見える銀色の円環を、亜美に差し出した。


 手持ちぶさたな時間が続いた。

 亜美の場所を確認しながらフォローと言われたが、実際にすることもなく暇だった。最初、彼女にこの役割を言いつかったときには責任感に燃えていたのだが、これは一種の邪魔になるであろう自分の排除ではと、恭平は思い始めたというより気づき始めていた。そのことに腹を立てるかと言えば、違った。これまでのことを考えれば、亜美としては当然の選択かと思えてしまう。恭平の実力では、彼女の足を引っ張ってしまうだけだ。

 亜美は、今の恭平にとって遠い存在だ。焦燥にも似た憧憬を恭平に植え付けた相手。直接亜美と出会って、白き乙女としての彼女を見たとき、恭平に刻みつけられた。それは、簡単に消えそうなものではない。少しでも、亜美の役に立ちたいと思う。

 なので、無駄と知りつつも役割を放棄するわけにはいかない。マップを眺めながら、恭平は亜美の場所を追った。

「え?」

 思わず恭平は、声を上げた。

 いきなり、亜美のマーカーが消えたのだ。誤作動かと思ったが、再び表示されることはなかった。がばりと、ソファーから身を起こす。何事かあった可能性が高い。

 すぐに、反応が消えた場所をマークする。

「三島さん……」

 まさかとは思うが、亜美の身に何事かが起きたのかも知れない。恭平は立ち上がり、歩きながらウィンドウを開き精算を済ませる。

 外は、もうすっかり夕暮れを通り越し、夜が迫った闇が降りていた。

 結構な時間、恭平はファミレスにいたと知る。ARデスクトップ表示アイコンの隣に表示された時計は、既に午後の六時半になっていた。寮の門限の時間だった。マークした場所をタップする。たちまち、ガイドカーソルが現れる。それに従い、恭平は向かう。

 マップで確認した亜美が消えた場所は、ビルとビルの谷間にある路地の一つだ。恭平がいたファミレスから、それなりの距離がある。寮生活で暫く無縁だった夜の街を、半ば走るように先を急ぐ。取り敢えず、亜美に連絡を入れてみるが全く呼び出さない。明らかにこれは、おかしい。次第に、不安が恭平を包み込んでいく。

 反応が消えた場所に着いたとき、亜美の姿はそこにはなかった。

「……どこに……」

 辺りを見回す。人二人がどうにか並んで歩けるかといった程度の幅だった。女の子が一人で歩くには、あまりよくないように恭平は感じた。角を曲がると、全く外から見えなくなる。こんなことなら、無理を言ってでも付いてくるんだったと恭平は思う。自分の技量を考え、遠慮してしまった。

 暗かったので、携帯していたライトをジャケットのポケットから取り出し、点ける。もしかしたら役に立つかもと、持ってきていたものだ。いささか頼りない光源だが、狭い路地を照らすには十分だった。

「足跡……」

 舗装されていない路地には、無数の新しい足跡があった。昨夜、少し雨が降ったため、日が当たらぬここはぬかるんでいる。それが、ここに人がいた痕跡を残している。

「一人や二人じゃない……もっと大勢」

 悪い予感が、どんどん恭平を襲ってくる。

 亜美に何かあったと考えるのが、自然だ。ここで、亜美の反応が消えている。MCIデバイスからの発信が途切れるには亜美が恭平のID深度を浅くするしかないが、今それをするのはどう考えてもおかしい。

 ライトを地面に当て、光源で照らす。

 足跡が続いている方向をマップと照らし合わせる。この先には、広場がありそこに今は使われていない、格闘用アシストスーツの競技場があった。恭平は、そこへ向かった。亜美の身を案じながら。


 廃れたスタジアムには全く明かりがなかった。窓から夜光が差し込むのみ。

 手のひらにある小型ライトの光源を頼りに、恭平は円周となった廊下を歩き、闘技場の中へ続くゲートを見付けた。闇に包まれた、巨大なスタジアムは不気味だった。マップもスタジアムまでは案内してくれるが、内部の詳細は分からない。突然、何が出てきてもおかしくない。

 恭平は、こんなときだというのに苦笑を浮かべた。今時、お化けだとか何を馬鹿なと、感じたからだ。量子理論の研究により、魔力すら得た今の人類が不確定なオカルト的なものに恐怖を抱くなど、と。だが、未だに魂は定義されず、未知の領域があるのは確かだ。魔力を得たといっても、ゲームに出てくる魔法使いのように万能ではない。科学のアシストによって或いは偶発的に、初めて使えるものだ。

 ゲートをくぐり抜ける。

 中は、広々とした空間だった。硬質合成樹脂が敷かれた床が、黒々としていた。

 恭平はぴたりと足を止めた。少し先に、人影を見付けたからだ。天井は閉じられているが、ぐるりと囲んだ観戦席には窓があり、夜光が差し込んできていた。さっと、入り口に戻り身を隠す。幸い、誰も気付いていないようだ。ざっと、一〇人以上はいる。

 恭平は、人数を数えた。その途中で、ハッとした顔になる。

 暗闇でも目立つ白を基調とした格好。その姿を、恭平が見間違うはずもない。亜美が、そこにいるのだ。床に横座りしている。一五人の者たちに亜美は囲まれているのだ。これは、最悪の事態だった。白き乙女が囚われるとは、考えられない。否、恭平は、半ばその可能性を想定していた。というより、それしかあり得ないと思考の奥で分かっていた。ただ、現実にそれを見せられると、頭がパニックになってしまう。

 亜美が、何の連絡もなく所在を消すなどないのだ。不測の事態、その中でも最もあり得るのが、敵の手中に落ちたということだった。ならば、忽然とMCIデバイスからの発信が消えたのも頷ける。量子接続端末は、脳とリンクして初めて機能する。接続を絶たれれば、自ずと停止するのだ。

 どうすればいいと自問しながら、恭平はじっと様子を窺う。

 嫌な汗が、背を伝う。最悪な事態となってしまった。すぐに、亜美を助け出したいが、それは難しい。彼女を盾にとられてしまえば、恭平では何もできない。そもそも、一五人もの戦士或いは騎士を相手にして戦えるはずもない。

 ぎりっと、恭平は奥歯を噛み鳴らす。

「やめて」

 亜美の小さな声が届いてきた。

 見れば男の一人が、亜美の身体をまさぐっている。亜美は身を捩らせ儚い抵抗をしていた。恭平は、ある種のショックを覚える。なんて弱々しいのかと。白き乙女――三島亜美は、常に恭平の遙か先を行く強い存在だった。それが、両手を後ろで戒められ、何もできずにいる。そのような亜美を恭平は知らない。

 そんな亜美を見て、がっかりするのかというと違った。

「いや」

 亜美の声は、次第に弱々しくなっていく。屈託のない精緻な美貌が、どうなっているのか恭平の場所からでは中が暗いということもあり分からない。天然な面もあり普段淡々とした亜美の口調が、意思を宿していた。それは、か弱い女の子だった。

 ふつふつと、恭平の中で熱い情念が湧き上がってくる。

 これまで亜美に感じたことがない、感情が。絶対的な憧れの対象であった亜美に、どうしようもない保護欲を掻き立てられていく。少年の純粋な憧れが、少し違ったものに変わる。憧憬を壊されたくない、と。

 どんどん、恭平の頭が真っ白になっていく。

 冷静な判断力など、もはや恭平になかった。

「その手を離せよ」

 恭平は、飛び出していた。クラディウスもアサルトアーマーも纏うことなく。生身で。

 一五人の男女が、弾かれたように驚き突然現れた恭平に視線を注ぐ。一瞬虚を衝かれたが、すぐに身構える。

「君まで、来てしまったの?」

 冴えた声が、恭平の耳朶を打つ。その声に、恭平は聞き覚えがあった。

 熱く沸騰した頭に、冷や水を浴びせかけられたようだった。その声の主は、飾り気がない暗がりでは目立ちにくい色合いのシンプルな衣装に身を固めていた。ふくよかな胸から続くラインはきゅっと引き締まった腰へと優美なラインを描き、腰から下を覆ったパンツは細く綺麗な脚線美を有していた。服装の色合いが暗いので、恭平はある人物と彼女を重ねた。黒ずくめの仮面を被った女。

「何で、マリーナが? 八幡さんじゃなくて……まさか、空中庭園や午前中、俺たちと戦ったのも、君なの?」

 恭平は、愕然とした。敵の正体を、涼子であると思い込んでいた。今思えば、疑っていた涼子とは胸の大きさが違う。恭平の思い込みが、錯覚させたのだ。

 肩上で切り揃えた灰色の髪の二房を後ろで結び静謐な美貌に微笑を湛え、ヘーゼルの瞳で恭平をマリーナは見ていた。

「ええ、そうよ」

 あっさりと、マリーナは認める。悪びれる様子など全くない。

「だから言うとおりにして。君塚君をどうこうするつもりはないから。むしろ、歓迎するわ。苦労したわ。亜美にわたしだって悟られないように、近接戦をするのは」

 言いつつ、マリーナはフォトンレーザーを恭平に向けてくる。赤い点が、恭平の額をポイントする。


 亜美と背中合わせに、恭平は座らせられた。

 背中越しに、亜美の体温が伝わってきた。このようなときだというのに、恭平の心臓は早鐘を打つ。亜美を感じてしまったからだ。それは温かみと亜美の自然な雰囲気を伝えてくる。

 その亜美の体温と雰囲気が、結局自分は役に立たなかったと、恭平に教えてくる。何もできなかった。亜美にサポートを言いつかっていたのに、のこのこと敵中へ対処も考えずにやって来てただ捕まった。機動装甲を召喚することすら、恭平は忘れていた。それだけ、頭に血が上っていた。憧れの亜美が汚されると思うと、後先など考えられなかったのだ。

 不思議と恐怖はなかった。ただ、亜美のことが心配なだけだ。メンフィスの者たちは、盗んだイヤリングの中身に施された八名家固有の暗号化――花押を外させようとするはずだ。亜美が、簡単にはいと言うはずもない。どんなことをしてくるか気が気でなかった。素直に暗号化を解けと、亜美には言えない。何しろイヤリングの中身は、攻撃制御回路破壊プログラムだ。世界の命運がかかっている。

 恭平は世界政府を腹立たしく感じた。そのような重要な物を、一人の女の子に預けるなどやっていいことではないと思う。だが、そうする事情も分からなくもない。そのようなものが世界政府にあれば、解析しなくてはならない。そうなれば、情報流出の可能性が出てくる。組織であれば、裏切り者は当然いるのだ。ならば、一時的にその存在を隠そうというのも頷ける。決していいやり方だとは思わないが、きちんと体制が整うまでの間ということであれば。

 そっと、背中を預け合った亜美を見る。普段は屈託のない精緻な美貌に緊張した表情を浮かべている。恭平は、亜美に任せきりにしていたことを、後悔した。メンフィスというそれなりに名の通ったテロリスト組織が相手だ。こちらが、応援を頼めないというのがいかにも不利だった。下手に他者に協力を求めて、攻撃制御回路破壊プログラムの存在を知られるわけにはいかない。

 どうしたものかと、恭平は周囲を見回す。

 マリーナを除き、若い一四人の男女がいる。恭平たちは、MCIデバイス遮断リングを首に填められ魔術回路マジックサーキットを形成できない。つまり、機動装甲を召喚できず誰とも連絡をとれない。その上、後ろ手に手錠を填められ身動きもままならない。

 亜美を逃がせないかと、観察する。

 割と恭平の神経は図太いと言えた。このような状況にあっても、自分の身の心配をすることはない。それは、ひとえに憧憬を刻み込んだ女の子が、窮地にあるためだった。先ほど、男の一人が亜美の身体をまさぐっていた。それを恭平は許せず、後先考えぬ行動をとった。恐怖は今もない。

 マリーナを観察する。静謐な美貌には、余裕が漂っていた。本来難しいであろう亜美の身柄を確保できたからだと、恭平にも分かる。彼女に好感を抱いていた恭平にとって、裏切っていたことは正直ショックだった。マリーナは、転校初日模擬戦を挑んできて、恭平に恥を掻かせた嫌な相手だった。だが、その後の彼女との遣り取りで、感情は変わっていた。自分のパーティーに戦力外である恭平を誘ってくれたりもした。

「マリーナ、俺が転校してきたとき、どうして模擬戦なんて挑んできたんだ? 俺の実力はよく分かっていたじゃないか。空中庭園で戦ったんだから」

 ともかく、他にやりようがないので、話をしてみようと恭平はする。

「脅威だったからよ、君塚君」

「俺が? 聖鈴学園の誰にも及ばないのに」

「戦闘のことを言っているんじゃないの。君のナイトアーマーが持っているエクストリームアタック。あれはとても怖いわ。相手のエクストリームアタックを無効化してしまうんだから。神話級や伝説級のナイトアーマーじゃないかしらね。あの能力ちからは。だから、誰も君に近づけたくなかったの。わたしのものにしたかった。なのに、君は、三島さんとパーティーを組んでしまった。本当は、こんな形で君と顔を合わせたくなかったのに」

 静謐な美貌に微笑を浮かべ、マリーナは恭平を見ている。

「ねぇ、そんなことより、あれの暗号化を解かないといけないんじゃない?」

 女の一人が、恭平とマリーナの会話に割って入った。

 内心、恭平は舌打ちをする。時間稼ぎをしたかった。

「彼女の説得には、時間がかかるわ」

「説得? はっ、そんな必要ないじゃない」

 ちらりと、女は隣の男に目配せする。男は、にやにやしながら亜美を見ている。

「知り合いの男の子の前で酷いわね」

 マリーナは、積極的に止めはしなかったが、仲間のしようとしていることを暗に肯定した。微笑を浮かべていた顔に、不愉快さが掠める。さっと、その場から離れていってしまった。

「いーじゃねーか、こんな上玉の痴態を見れて、やってる声が聞けるんだからよ」

「止めろ」

 恭平は叫んだ。これから何をしようとしているのかは、明白だ。亜美が、つまらない男の手で汚されようとしている。

 背後の亜美の身体が、ギュッと強ばったのが分かる。恭平は、顔を後ろに向け亜美の顔を見た。唇を噛み締めている。こんな表情の亜美を、恭平は知らない。こんな顔をさせることを許してしまった自分を、恭平は不甲斐なく悔しく思う。自分では、亜美にとっての騎士には成れないのだと、痛烈に思う。恭平は、前を向き俯く。

「駄目」

 絹糸のようにか細い声が、亜美から漏れた。

 若い男二人が、亜美の身体をまさぐりだした。恭平の背中には、ビクリと怯えるような感触が伝わる。見ては、亜美を余計辱めると分かっているが、恭平の視線は背後の彼女へと向いてしまう。

 一人の男の手が、スカートを少しだけずり上げ羞恥に歪む亜美の顔を観察しながら、しなやかな太股を撫ですさっている。亜美は、脚をもじもじさせながら固く閉じていた。もう一人の男は、服の上からでも形がよいことが分かる胸を、楽しむ手つきで揉んでいた。

「やっ」

 亜美の声は、どんどん小さくなっていく。顔は、恥辱に必死で耐えている。

「その手を離せよ」

 恭平は、かっとなり怒鳴った。

「き、君塚君、み、見ないで……だ、駄目!」

 ちらりと亜美が恭平を見た。そのとき、太股に手を這わせていた男の手が、乱暴に動いた。亜美は、後ずさるように抵抗する。が、恭平の身体があるので下がれない。

「止めろーーーーーーーーーーーーーー!」

 何もできない自分が、恭平は悔しかった。卑しい手に、亜美の身体が弄ばれている。誰にも触れられることが許されないような亜美が。恭平が憧憬を抱く亜美が、このままでは失われてしまう。それが、何よりも恭平には許しがたかった。


 ドクッドクッドクッドクッドクドクドクドクドクドクドクドクドクドクドクドクドク――


 以前、感じたものと同様な感覚に恭平は襲われる。純然な怒りが恭平の中で渦巻いていた。それは、変化を恭平にもたらした。接続遮断リングを填められ、MCIデバイスと脳の連動が阻害されているはずなのに、魔術回路マジックサーキットに微かな灯がともった。

「な、何だ?」

「こいつ、何をやった」

 それまで、亜美の身体に興じていた二人が、慌てふためく。

 恭平の身体を青い光が包み込んだ。その光は、アサルトアーマーが召喚されるときの光と同様だった。

「君塚君……」

 亜美の目がありありと見開かれ、恭平を見る。

「まさか、召喚? その状態で……遮断リングでMCIデバイスとは接続ができないのに……これが、初代覚醒者?」

 驚きの声をマリーナは放った。それだけ、非常識なことなのだ。

 青い光が、辺りを染め上げる。

「うおぉおおおおおおおおおおあぁあああああああああああああ」

 ありったけの叫び声を、恭平は上げる。何が起こっているのか分かっていないが。

 更に、青い光が強まる。このまま、ナイトアーマーが召喚されるのかと思われたが、急速に光が止んだ。

「さすがに、召喚はできないみたいね。でも、一時的にとはいえ、その状態で魔術回路マジックサーキットが形成されるなんて、驚いたわ」

「ぐふっ」

 亜美の身体をまさぐっていた一人が、恭平を殴りつけた。血がつっと口元から流れる。

 恭平は、己の無力を再び噛み締めた。結局、何もできないのか、と。

「彼に手を出さないで。今の時代貴重な覚醒した騎士なのよ」

 マリーナが、男を咎める。ヘーゼルの恭平を見る瞳に興味深げな色が浮かんでいる。

「驚かせやがって、この野郎――」

「驚くのは、これからですわよ」

 あらぬ方向、上から上品な女の子の声が降り注いだ。その声に恭平は聞き覚えがある。どうして、ここにいるのか疑問に思える人物。

 恭平は上を見た。そこには、クロムイエローの華奢な乙女型をしたナイトアーマーを装着した八幡涼子の姿があった。初めて見る、彼女のナイトアーマー姿だ。左手には量子力場誘導弓が握られ、光子の矢が引き絞られている。アンダーウェアである戦闘服は、学園のものではなく白と緋色が巫女を連想させる短めのスカートが付いたものだ。それが却って隠れたほっそりとした白い太股を艶っぽく見せている。

 大きな破砕音が響き渡る。

 光子の矢は音もなく放たれた。だが、その衝撃たるや相当のもので、かなり離れた場所にいた恭平や亜美の身体が、硬質合成樹脂の床をずるりと滑る。

「真打ち登場ですわね」

「アルテミスアーマー……どうして、八幡涼子が」

 涼子を確認したマリーナの表情が、険しいものとなる。

 メンフィスの者たちは、この突然の襲撃に右往左往している。涼子が恭平たちのところへ華奢なレッグアーマーに内蔵された補助噴出器でホバリングしながら降り立つと、その場から逃げ出した。

「亜美、これは貸しですわよ」

 涼子はそう言うと、量子力場誘導弓を床に置き細かな作りをしたガントレットを填めた両手で、MCIデバイス遮断リングを引きちぎった。女の子の力ではとうていできない芸当だが、機動装甲の補助を受けているため、造作もない。

「さ、君塚恭平、あなたも」

 そう言いながら、涼子は恭平のリングも引きちぎる。

「どうして――」

「君塚君、ナイトアーマーをすぐに召喚して。クラディウスじゃなくて」

 後ろ手に手錠で戒められたまま、亜美が恭平の言葉を遮り命じてくる。

「う、うん」

 恭平は頷く。今は、せっかく得たチャンスを活かさなければならない。敵は、浮き足立っている。

「オーバーライド・アサルトアーマー」

「オーバーライド・ブリュンヒルデアーマー」

 恭平と亜美は、同時にナイトアーマー召喚の音声コマンドを口にした。

 青と白の光が、辺りを包み込む。それが収まると、青いアーマーを装着した恭平と、純白のアーマーを装着した亜美が現れた。恭平は学園指定の青丹色の戦闘服。亜美は、青っぽいスカートがついた白い戦闘服をアンダーウェアとしていた。恭平は、大型の空制機に軽装なアーマーでいかにも軽快そうだ。亜美は、まさしく白き乙女の二つ名に違わぬ白き乙女騎士といった格好だった。恭平と亜美は、戒めていた手錠を軽々と引きちぎる。

「〈君塚恭平、やはり騎士でしたのね。それも、覚醒した。先ほど面白いものを見せていただきましたわ〉」

 機動装甲の共用帯域回線に思考通信が繋がり、涼子の目に値踏みするような色が宿る。

「〈君塚君。ガードを中心にして戦って〉」

 亜美は、恭平に注意を与えてくる。

 白き乙女――三島亜美は、本来の颯爽とした白き乙女騎士の表情そのものだ。


「サモンアーマメント」

 次々と、機動装甲召喚の音声コマンドが発せられる。と同時に光の柱が林立する。その光が収まると、シャープなデザインをした銀色のアマルガムをメンフィスのメンバーは装着していた。マリーナは、闘技場の隅に移動し、機動装甲を召喚せず眺めていた。

 ぱっと、亜美と涼子は腰の空制機から青白い光の粒子を散らしその場を離れる。

 恭平は、少し遅れ慌てて飛翔する。

「〈うわっ?〉」

 背後へチェストアーマーの両側から突き出た大型の空制機は、軽く飛ぼうとしただけで大量の燐火粒フライアルを撒き散らす。あっという間に、恭平は天井に激突しそうになった。ここの天井は、飛行能力を得た第七世代機動装甲が生まれる以前のものであるので、飛ぶことを前提に作られていない。飛び回るには、不向きなのだ。その上、妙高博士が調整したアサルトアーマーの空制機は、出力が大きくクラディウスに慣れてきた恭平には、扱いづらかった。

 低い天井に四苦八苦しながら、恭平は飛び回る。こんなことならアサルトアーマーでも練習をしておけばよかったと思うが、亜美と組むこととなり、本当は今日から彼女が恭平をコーチしてくれることになっていた。それもないまま、午前中任務を受諾し、攻撃制御回路破壊プログラムの入った亜美の白いイヤリングを盗まれてしまった。なし崩し的に、今の戦闘に参加している。

 チカリと発した光を、恭平の目が捉えた。

 アサルトアーマーを、恭平は煽る。シュッという音がやや遅れて聞こえ、曲線を描き通り過ぎる魔弾を見ながら恭平は躱す。勢いがついてしまった恭平は、慌てウィングを稼働させ制動を試みる。が、空制機の出力が大きすぎ、思うようにいかない。脚部の本来ホバリング用である補助噴出器を全開にして止まる。それが、隙となってしまった。

 シュッシュッシュッという音と共に、魔弾が連射された。音が聞こえてから気付いたので、躱すには遅すぎた。恭平に迫る。左腕の盾を構えて、どうにか防ぎ止める。恭平を相手と見定めたメンフィスの戦士は、見覚えのある若い男だった。

「〈それ、ナイトアーマーだよな。この前、覚醒して手に入れた。見た目は随分増しになったようだが、騎士様にしちゃお粗末じゃないか、えぇ? 逃げ回るだけかよ〉」

 その頭に直接響く思考通信と生の声には、揶揄するものがあった。

 痛くその言葉は恭平に突き刺さるが、今はともかく動きを止めず飛び回る。ナイトアーマーを失えば、亜美や涼子の邪魔になってしまう。あくまで、恭平のするべきことは、この戦闘でアサルトアーマーを消失させず無事であることだ。自分が戦力外であることは、恭平も重々承知している。亜美にも、注意された。

 チカチカチカと光が瞬く。遅れてシュッシュッシュッという連射音。若い男は、逃げ回る恭平に、盾裏に装備された魔弾速射砲を向けている。

 魔弾の弾速は決して速くはない。最初こそ――空中庭園で巻き込まれた戦闘で、恐ろしく脅威に感じたものだが、よく見ていれば避けられないことはない。幸い、恭平の相手は一人だ。慣れないアサルトアーマーの制御に手こずりながらも、恭平は躱す。複数の魔弾が曲がった線を描いて見える。知らず、恭平は戦闘に慣れつつあった。それも急速に。その片鱗を、亜美とマリーナは今日の午前中に見た。

 逃げながら、恭平はちらりと亜美と涼子の方を見る。そこでは、次元の違う戦闘が行われていた。今の恭平では、絶対不可能な戦い。複数の戦士を相手取りながら、亜美も涼子も全く手こずる様子もない。

 亜美は、細身のロングソードを縦横無尽に振るい、今も一人の戦士のアマルガムを消失させていた。アマルガムを失った戦士は、硬質合成樹脂の床に落下していく。激突する寸前、緊急シールドが展開され、一度弾み衝撃が殺される。

 涼子は、クロムイエローのアルテミスアーマーを滑るように制御し敵を近づけず、片手剣は右側の背にあるラックに預けたまま、左手に持つ量子力場誘導弓で確実にダメージを加えていく。恭平が見る限り、魔弾速射砲よりも威力があるように見える。尤も、本来のメインウェポンである刀剣類の代わりだ。それなりの威力がなければ話にならない。八幡ソフトウェア社で試作し特許を持つそれは、十分にメインウェポンたり得た。

 一三人の戦士相手に、二人とも全く危なげなかった。

 ――駄目なのは、俺だけか。

 恭平の中で、羞恥心がちくちく刺激される。自分が劣っていると実感させられる。このままでいいのかと、自分に問う。だが、これだけの戦士たちを相手にして全く平気な亜美と涼子の足を引っ張る可能性があるとすれば恭平だ。自重すべきだ。自重すべきだが、一人くらいどうにかという欲というより、意地のようなものが頭をもたげてくる。

 扱いづらいアサルトアーマーを制御し、恭平は若い男の戦士に向き直る。背のラックから片手剣を外し抜剣し、盾を構える。

「〈逃げるのはもう終わりかよ〉」

 若いメンフィスの戦士は、顔に嘲りを浮かべる。恭平の技量など大したことはないと、分かっている顔だ。

「〈よしなさい、君塚君〉」

 恭平の様子を窺っていたらしい亜美から、思考通信と生の声で注意される。

 が、恭平は、それを無視した。もし、危なくなったら、魔弾速射砲で屋根を吹き飛ばして、この場から逃げるつもりだった。未熟な恭平の中にある意地が、戦闘を強いてきた。

「〈遊んでやるよ〉」

 若い男は、余裕綽々の表情で、恭平の前で滞空する。

 動いたのは、恭平が先だった。片手剣を振りかざし叩き込む。その動きは、この場にいる者たちにとって、素人そのものだった。

「〈あなたは、おとなしく逃げ回ってなさい。そのナイトアーマーを消失させられては、迷惑ですのよ〉」

 涼子からも、注意が飛ぶ。

 亜美や涼子の言葉は正しい。この戦いに負けは許されない。世界の命運がかかった攻撃制御回路破壊プログラムを奪い返さねばならない戦いだ。それでも、恭平はただ逃げ回り見ているだけは嫌だったのだ。

「〈おまえは、ホントにお荷物なんだな〉」

「〈煩いよ〉」

 そう叫びつつ、恭平は若い男に突進する。大型の空制機から噴出される燐火粒フライアルに翻弄されながら。戦闘は、若い男の有利に進んだ。剣と剣のぶつかり合い。技量差が出てしまう。防御に恭平は追い込まれる。

 そう皆の目には見えた。

 恭平が、殆ど初めて扱うアサルトアーマーの制御に短時間で慣れてきたことには、気付かない。恭平は、アサルトアーマーの癖を理解し始めた。妙高博士の言葉が思い出される。暴れ回る大型の空制機は、一撃離脱に向いていた。形勢に変化が現れだした。

 恭平は、攻撃するとすぐに離れるといったヒットアンドアウェイを行い始めた。低い天井に四苦八苦しながら。飛んで戦うには不向きな場所。そこで、アサルトアーマーを実戦で使用したため、通常より遙かに早く嫌でも慣らされる。剣の腕や魔弾砲を用いた戦闘にだけ目がいっていた者たちには、恭平の習得の早さは分かりづらい。

 亜美は、三人目のアマルガムを消失させながら、恭平の動きをじっと見ていた。

 攻撃が相手に入り始めている。

「〈このっ〉」

 若い男は、苛立ち始めた。攻防が荒くなっている。

 そこを、恭平はうまく突いていく。相手の胸部装甲に一撃が入る。相手が攻勢に出ようとしたときには、恭平は既に離れていた。苛立つほど、若い男は集中力が緩慢になった。

「〈ちょこまかと動き回りやがって〉」

「〈もらった!〉」

 恭平は、アサルトアーマーの腰から突き出た空制機から、燐火粒フライアルを目一杯噴出させながら、突きを入れる。見事に入った。これで、五度目のヒット。相手のアマルガムが消失する。

「こんなやつにぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい」

 怨嗟の声を上げながら、若い男は下へと落ちていく。

「〈やった!〉」

 恭平の初めての戦果だ。一人を、戦闘不能にした。

「オーバーライド・金剛の騎士(アルマースアーマー)

 そのとき、マリーナがナイトアーマー召喚の音声コマンドを口にした。煌めきが彼女を包み込む。輝きが収まると、透明なアーマーを装着したマリーナの姿があった。貴石のようなアーマーには、右側の背のラックにサーベル、左腕には魔弾速射砲が透けて見える複雑にカッティングされた透明な盾を装備していた。アンダーウェアは、白銀でオリーブ色の短いスカートが付いていた。

「〈君塚君、わたしの相手をしてもらえないかしら?〉」

 すっとスピードの乗った動きで、マリーナは恭平に肉薄してくる。

「〈君塚君!〉」

 亜美の少々慌てた声が聞こえた。

 恭平は盾を前に出し、しっかりとガードを固める。が、マリーナの剣技は、熟達したそれだった。軽々と、ガードを破り恭平のレッグアーマーに一撃を加える。恭平は、全く動けずそれを受けてしまった。

 左側に展開したホログラムウィンドウが、アラートを発する。大まかにダメージを表示するゲージが、ぐっと削られる。

 恭平は、空制機から青白い光の粒子を散らせ、その場を離れる。

「〈また、この前みたいに追いかけっこをするのかしら?〉」

 余裕の漂ったマリーナの声が、頭と背後から迫る。

 圧倒的に、恭平は不利だった。大型の空制機は確かにスピードは出るが、旧闘技場といった限られた空間では、細かな制御に向かないアーマーであるため、思い切り飛び回ることができない。屋根の低さがネックだ。恭平は、盾裏に装備された魔弾速射砲を屋根に向ける。

 シュッシュッシュッという音と共に、魔弾が発射される。被弾した屋根は、簡単に吹き飛んだ。恭平は、思い切り燐火粒フライアルを噴出させ、外へと飛び出す。

「〈逃げ回ってばかりじゃ、仕方がないわよ。わたしが、あれを持っているんだから〉」

 マリーナは、恭平に追随する。

 以前のように、一方的ということはなかった。クラディウスをベースにオーバーライドされ調整も受けたアサルトアーマーは、速度が速い。マリーナのアルマースアーマーでは追い付けない。だからか、攻撃制御回路破壊プログラムを自分が持っていると、恭平を挑発してきた。

 チカチカチカと恭平の背後で煌めきが数度起きた。複雑にカッティングされた透明な盾裏に装備されたアルマースアーマーの魔弾速射砲から、連続して魔弾が射出される。

 可変ウィングを動かし、恭平はそれを躱す。曲がった弾道が、視界に入る。

「〈随分、飛ぶのがうまくなったのね〉」

 攻撃を躱されたというのに、頭に響くマリーナの声には喜色があった。

 急に、アサルトアーマーが緊急制動をかけた。恭平は、特に何もやっていない。地上一〇〇メートルより上には行けないため、リミッターが働いたのだ。その高さを超えれば、攻撃衛星から容赦のないレーザー攻撃が降り注ぐ。恭平は斜め下に降りた。

 暫く、夜の空を、二つの青白い光が駆け抜ける。

 恭平は、放たれる魔弾を回避しつつ、逃避を続ける。

「〈君塚君、無事ね?〉」

 亜美の声が、頭に響く。下から、純白のブリュンヒルデアーマーを装着した亜美と、クロムイエローのアルテミスアーマーを装着した涼子が上昇してきた。どうやら、戦士たちは片付いたようだ。

「〈どうにか〉」

「〈マリーナ相手によく保ちましたわね。こちらは、急いで片付けて参りましたのよ〉」

 少々、恩着せがましく、涼子は恭平の無事を確認した。

「〈マリーナ、もうあなた一人。投降して〉」

 亜美が、呼びかける。だが、その語調は、相手が言うことをきくと期待している雰囲気はない。一応、意思を確かめるようなものだった。

「〈白き乙女に月光の射手。厄介なのは確かだけれど、負けるとは思えないわ〉」

 そう言い放つと、マリーナは恭平を追うのを止めた。

「〈モーション・金剛の鎧(ダイヤモンドシールド)〉」

 エクストリームアタックを、マリーナは発動させた。透過アーマーが、輝きを発する。

 身構えた恭平は、何も起こらないことを訝しく感じた。

 マリーナが、亜美めがけて突進した。洗練された亜美の剣技が冴える。マリーナは、防御をしなかった。一撃が入る。それを見ていた恭平は驚いた。アルマースアーマーは損傷一つ受けた様子がないのだ。攻撃を意に介さず、マリーナがサーベルを振り抜く。ブリュンヒルデアーマーの白い欠片が散る。

「〈今のは、何だ?〉」

 あり得ないことに、恭平は驚いた。

「〈君塚恭平、あなたは知りませんでしたわね。金剛の女帝の二つ名を持つ彼女が有するのは伝説級アルマースアーマー。そのエクストリームアタックは、絶対防御。あれを発動させた彼女が敗れたなど聞いたことがありませんわ〉」

 恭平の疑問に、涼子が答える。そして、

「〈モーション・月光の矢(ムーンアロー)〉」

 涼子は、ナイトアーマーの真骨頂とも言うべき、エクストリームアタック発動の音声コマンドを口にする。

 亜美が、さっとその場から離れる。

 空間に無数の月光の矢が出現する。それが、一斉にマリーナめがけて降り注ぐ。これで終わりのはずだった。が、彼女は無傷だった。

「〈やはり、駄目ですわね。一度、あれを発動されると〉」

 臈長けた美貌に、険しさが走る。涼子の口調は、悔しげだ。

「〈涼子の神話級アルテミスアーマーのエクストリームアタックも通用しない〉」

 淡々とした口調で、いっそ冷静に亜美はマリーナとアルマースアーマーを観察する。

「〈モーション・セイクリッドソード〉」

 亜美もエクストリームアタックを発動させる。右手に握るロングソードに銀光が宿る。

 バーンと重低音を発し、チェストアーマーから背後に突き出た繊細な空制機から燐火粒フライアルを目一杯噴出させながら亜美は一撃マリーナに入れるが、それは盾に防がれた。以前、恭平が見た映像では、盾も易々と切り裂いていた。

「〈さすがに、亜美のセイクリッドソードはまともに受けられないみたいですけど、たとえアーマーに攻撃を入れてもさほどのダメージにはならないでしょうね〉」

 目をきらりと光らせ、涼子もアルマースアーマーを観察する。

 化け物じみてマリーナは恭平の目に映った。亜美と涼子。二人の強力な騎士を相手にして、微動だにしない。

 数合打ち合い、亜美は離れる。

 光子の矢の速射が、マリーナを襲うが避けもせず弾き返す。いつの間にか、涼子は距離を取り、量子力場誘導弓を構えている。

 攻撃を受けてばかりだったマリーナが、急速に亜美に迫った。牽制の魔弾を放つが、マリーナは意に返さずそれを受け、剣を振るってくる。勝手が違う相手に、亜美はまた斬撃を喰らってしまう。ブレストアーマーに亀裂が走る。攻撃の不確かさが、亜美の動きを鈍らせている。猛攻を、マリーナは開始した。攻撃に迷いのある亜美が、防戦一方となってしまう。マリーナが振るうサーベルが、アーマーを掠める。

「〈三島さん!〉」

 恭平は、叫びつつ空制機から燐火粒フライアルを目一杯噴出させる。

「〈お馬鹿さん、あなたが行ってどうなりますの!〉」

 涼子の叱責が飛ぶが、恭平は意に返さない。

 白き乙女――三島亜美が、窮地に陥っていることにじっとなどしていられないのだ。自分が行って、何の役に立つのか恭平にも分からない。むしろ、足手まといになるかも知れない。だが、憧憬を恭平に刻み込んだ少女の危機を、見過ごせない。

 ――このままじゃ、全員、マリーナ一人に負けてしまう。

 とんでもない強敵に、恭平は戦慄していた。

 マリーナが勝てば、攻撃制御回路破壊プログラムを取り戻せず、彼女は亜美を逃したりしない。亜美が酷い目にあうことを想像するだけで、恭平の心は引き裂かれそうになる。そして、八幡涼子。どうして、彼女がこの場にいるのか未だ分からないが、彼女も無事では済むまいと思う。何しろ八名家の一人で、マリーナがメンフィスであることを知ってしまっている。涼子とは、様々な経緯で良好な関係とは言い難いが、自分たちの危機に助けにやって来てくれた。

 ――負けることは許されない!

 そう思いはするものの、どうしていいのか分からない。

【考えろ、考えろ、考えろ、考えろ、考えろ、考えろ、考えろ考えろ考えろ考えろ】

 呪文のように恭平はそう自身を叱咤し、思考を沸騰させる。一瞬の時間であるというのに、永遠に感じる時間。そのとき、光明が恭平に射した。そのまま突進する。

「〈君塚君、駄目!〉」

 亜美の声が思考通信で頭に、生の声で恭平の耳に届く。

 マリーナのヘーゼルの瞳が恭平を見る。その目に、微かな動揺が浮かぶ。

「〈モーション・キャンセレーション〉」

 エクストリームアタック発動の音声コマンドと共に、恭平は突っ込む。恭平の身体を蒼い光が包み込む。

【一撃目】

 亜美の相手をしていたマリーナに、斬撃が入る。それは、これまでのようにあり得ないような防御力を発揮させなかった。透明なアーマーが砕け散る。

「〈そうか、君塚君のエクストリームアタックなら〉」

 一度、恭平のそれを見て性質を知っている亜美が、ハッとする。

「〈くっ〉」

 はっきりと、マリーナの顔に動揺が走る。

「〈君塚君、わたしがマリーナを抑えるから、攻撃を彼女に入れて〉」

 亜美の指示が飛ぶ。

「〈分かった〉」

 恭平は、亜美の隣に並び、攻撃の隙を窺う。

 さすがは白き乙女。戦局の流れが変われば、その絶対的な技量を確実に発揮した。隙を作り出すために相手の剣のみに集中した剣捌き。再び、攻撃のチャンスが訪れる。

【二撃目】

 亜美が、マリーナのサーベルを大きく弾いた。隣で滞空し攻撃の瞬間を待っていた恭平は、片手剣を叩き込む。ブレストアーマーの半分が砕け、体型が分かりやすい戦闘服をアンダーウェアとしているため、形がはっきりとした胸が覗く。

「〈君塚恭平、やはり危険だった!〉」

 マリーナが、呪詛をはき出す。静謐な美貌に、怒りが湧いている。

「〈わたしも、お手伝いしますわ〉」

 量子力場誘導弓による光子の矢で、涼子がマリーナの視界を奪う。光子の矢は、マリーナの目を狙っていた。

【三撃目】

 片手剣が、身体を覆う超硬度シールドにダメージを与えたと分かる。

 ここで、恭平の身体を覆っていた蒼い光が消失した。

「〈もう少しだよ、君塚君〉」

 亜美が恭平の前に躍り出る。恭平では全く軌道の読めぬような凄まじい斬撃を、亜美は繰り出す。世界に一四種しか存在しない神話級ヴァルキューレアーマーで戦う様は、まさに白き乙女と呼ぶに相応しかった。

「〈モーション・キャンセレーション〉」

 再び、恭平はエクストリームアタックを発動させる。蒼い光が恭平の身体を包み込む。

【四撃目】

 完全に攻勢に転じた亜美と涼子によって、マリーナの動きは鈍っていた。ダメージを受けなくても涼子による光子の矢は視界を奪い、亜美の剣技は彼女のサーベルを狙ってくるので、どうしても隙ができてしまう。恭平は、相手の剣を全く意識せず一撃を確実に入れる。そこで、限界に達した。マリーナが纏っていたアルマースアーマーが、キラキラとした粒子を撒き散らし霧散し消失する。落ちながら、ヘーゼルの瞳は恭平だけを見ていた。

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