第6章 激闘 1
「君塚恭平!」
部屋に荷物を置き普段着に着替え、寮を出ようとしたときそう呼び止められた。その声は、非友好的なものであり威圧するようなものがあった。八幡涼子だ。声を聞き姿を見たとき、恭平は回れ右をしたくなった。
年の割に臈長けた美貌と楚々としたスレンダーな体付きをした涼子は、若い男子高校生であれば見とれるに十分な魅力があったが、恭平は拒絶反応の方が勝った。話をしても、何もいいことはないと思える。学園のカフェテリアで話して以来、二人の間にできた溝は大きい。今では、完全に恭平は涼子を敵に回してしまっていた。
「何?」
嫌な――苦手な相手であっても、無視はできない。恭平は立ち止まり、歩み寄ってくる涼子に問いかけた。
「初任務失敗したんですって」
居丈高に、涼子は抉るような言い方をしてくる。その臈長けた美貌には、冷厳な表情が浮かんでいる。恭平にとっては見慣れた彼女だ。敵と認識した相手に見せる嫌な態度。普段、決してこのような振る舞いを他人に涼子はしたりしない。そつなく愛想よく、クラスの皆とは接している。例外が恭平と亜美だ。
涼子の言葉に恭平はどう答えたものか迷う。どう答えようと、失敗をあげつらってくるはずだと思える。できれば、関わり合いになりたくない相手だ。それに、恭平はこれから亜美のサポートにつかなければならない。涼子相手に時間を無駄にするのは、ご免だった。
「ああ、そうだよ。それが言いたかったの? どうして知ってるのさ?」
素っ気なく、ぞんざいに恭平は答えた。早く離れてくれと願いながら。
「さあ? それにしても、何て口の利き方かしら。無礼でしてよ、君塚恭平」
不適な笑みを一瞬浮かべたが、すぐに咎めてきた。今、涼子は一人だ。普段一緒にいる二人の取り巻きの姿はない。もし、あの二人がいたら、恭平の無礼を責めたことだろう。何しろ涼子は、八名家の一つでもある八幡ソフトウェア社の令嬢だ。恭平自身、正直このような態度はとりたくない相手だ。後々のことを考えれば、かなり怖い。
「それは、悪かったね。涼子お嬢様」
敵と分かりきっている相手であるので、恭平はふんだんに嫌みのスパイスを効かせそう言った。言いながら後悔もしている。八名家の子女相手にこの態度はないと自分でも分かる。それでも、早く会話を切り上げたい恭平は、涼子を怒らせてさっさと去らせてしまおうとした。
「何ですの、そのわざとらしい言い方は。まるで、わたくしと話をするのが嫌なように聞こえますわ」
細い美しい眉を、涼子は鋭角的に吊り上げる。
恭平としては、まさに涼子の言うとおりだった。お互い接してもいいことがあるとは、とても思えない。こうして、積極的に絡んでこられるのは迷惑そのものでしかない。余計な波風しかたたない。
「そう言ってるんだけどさ。俺と八幡さんが話しても、いいことなんてないじゃないか」
クラス委員長でもあり、八名家の一つ八幡家の子女でもある涼子の影響力を考えれば、このような言動は恭平の身の破滅を招きかねないのだが、さすがに腹が立った。分かりきったことを言うなと言いたくなってしまう。
「亜美にも注意されていませんでした? そのような態度をわたくしにとるのは、利口とは言えませんわよ」
「じゃあ、どうしろって言うのさ!」
軽く恭平は涼子を睨み付けた。とことん、自分をいたぶろうというつもりなのかと、恨めしく思う。恭平の立場では、いかんともしがたい相手だ。せめて、亜美が一緒だったらと思う。
そんな恭平を見て、涼子は謎めいた笑みを浮かべる。
「空に境がなくなれば、この世界はどうなるのかしらね?」
唐突に、涼子はそう言った。恭平の瞳を覗き込んでくる。
ぴんとくるものが、恭平にあった。さっと、恭平の顔に緊張が走る。
「おまえか?」
涼子の言葉はまるで、攻撃制御回路破壊プログラムを奪われたことを知っているみたいだ。否、彼女がそれを実行したと考えた方が自然だ。でなければ、知っているはずなどない。
「あなたに、おまえ呼ばわりされる謂われはありませんわ」
つんと澄まし、涼子は怒ったふうもなく恭平に相対する。
「三島さんから、イヤリングを盗んだ」
急に、恭平は目の前の涼子からそれまで感じていた怖さとはまるきり別の、本物の恐怖を覚えた。八名家の子女でありながら、メンフィスというテロリスト組織と通じている。
「何を言っているのか分かりませんわね」
涼子は、楚々とした外連味のない笑みを臈長けた美貌に浮かべた。
それを、恭平は惚けていると認識する。目の前の涼子は、本当に敵なのだ、と。




