第5章 ミッション 3
「ああもあっさり引くのはおかしい」
亜美は、普段の淡々とした口調ながら、細い頤に指を当て思案顔をしている。
今、恭平と亜美の二人は、サモンスーツ不正配布者の拠点と資料にあったうらぶれたビルの屋上にいる。ナイトアーマーもサモンスーツも既に解除してある。聖鈴学園の制服姿に戻っていた。
「三島さんに敵わないって思ったんじゃ……黒ずくめの女もそんなこと言ってたし」
「今回は、黒ずくめ――仮面を付けた女も積極的に参戦していた。不利は補えたはず。彼女がわたしの相手をして、残りは君塚君の相手をすればいいから。彼女の相手をしていたら、わたしは君塚君の援護に回れない。彼女はとても強い。仮面の女を除いた戦士は七人残っていた」
亜美は、恭平の言葉に納得しなかった。腑に落ちないといった顔をしていた。精緻なまでに整った美貌に、普段にない屈託があった。
少しの間、午前中の陽射しを恭平と亜美は浴びた。時間と共に強くなってくる陽射しは、季節柄心地いい。こんなうららかな日であるのだが、とても和めそうになかった。恭平たちは、任務でここに来たのだ。
「取り敢えず、任務失敗だね」
亜美の口から、恭平が認識するのを避けていた言葉が漏れた。結局、誰一人捕まえることはできなかった。亜美の言葉は、深く恭平に突き刺さった。ずしりと、心が重くなる。結局、恭平は亜美の足手まといとなってしまった。
「ゴメン、俺のせいで」
悄然と、恭平はうなだれる。一人の戦士もサモンスーツを消失させることができなかった。尤も、それは、恭平にとっては思い上がりだった。学校の戦闘訓練の授業で一人自習を仰せつかり、クラスの皆の戦い方を見ていてその差を思い知らされているように、それなりに訓練を積んだ戦士の足下に及ばない。相手が名の知れたテロリスト組織の戦士相手なら尚更だ。怪我も負っていないこと自体、奇跡に近い。悪くすれば、命を落としかねないのだ。一〇人の戦士に恭平は攻められたのだから。
「それは、違う。今回失敗した原因は、情報ミス」
恭平の消沈を励ますでもなく、亜美は事実のみを告げる。特に、任務を失敗したことを気にしてるふうはない。彼女から焦りなど全く感じない。恭平の記憶では、確か彼女は単位が危ないはずだが。やはり、ここら辺は天然なのかと恭平も思わなくもない。
「メンフィスの拠点のような場所だったから……本来なら、大パーティーか幾つかのパーティーで組んで攻略するような任務だった」
亜美は茶色がかった背中まで伸びた髪を梳きあげながら、癖のように右手が右耳に触れる。そのとき、ぴたりと動きを止めた。
「……ない……」
固まって亜美は動かない。
恭平も知る亜美の癖。それは、右耳に下がった象牙のような白いイヤリングを弄ることだ。だが、今、その対象は右耳にない。繊細な細工が施された彼女のアクセントとなっていた趣味のいいイヤリング。
「さっきの戦闘で落としたの?」
「……あのとき仮面の女は、何もしないのに突進してわたしとすれ違った……あれは、イヤリングを狙っていたから?」
恭平に答えるでもなく、自分に確認するように亜美はそう口にした。
亜美は、項垂れ精緻な美貌に深刻な表情を浮かべる。その美貌は、青ざめていた。恭平は、そのような彼女を知らない。何があろうと動じない強さ、或いは天然さを持った彼女である。一体どうしたのかと、恭平は訝しく思った。
「それって、取られたっていうこと? あのいつも付けてるイヤリングだよね」
恭平は首を傾げた。確かに悪くないと思える凝った作りの多分値が張る白い装飾。白き乙女の二つ名を持つ彼女を象徴するような。亜美は、あの黒ずくめの女に盗まれたと言っている。恭平としては、何故と思うだけだ。確かに高価であるのかも知れないが、わざわざ盗んだりするのだろうか、と。
「……そう……」
亜美の声は、消え入りそうだった。今にも、彼女はその場に崩れ落ちそうだ。そんな弱々しい亜美を恭平は見たことがない。それほど、あのイヤリングが大切だったのかと、不思議に思う。もう手に入らない物なのかも知れないが、亜美の消沈ぶりは尋常ではない。
「どうしよう……」
小声で亜美は呟いた。今にもその場からいなくなってしまいそうだった。朝露のように日が昇ると共に、現世から存在しなくなってしまうような。そんな儚さが、今の亜美にはあった。
本来の亜美は、ナチュラルさを持ちながらしっかりとした存在感がある。屈託のない細やかな美貌と細すぎず女性的起伏を十分に有した全身。天然なのか常にマイペースさのある言動。そんな彼女が、その不思議な強い印象を薄れさせていた。
「あれって、そんなに大切な物だったの?」
「……うん」
こくりと、一つ亜美は頷いた。心ここにあらずといった体だ。
「ねぇ、あのイヤリングって一体何なの?」
「…………」
亜美は、無言だった。ただ、じっと俯くのみ。
あれは、ただのアクセサリーではないと、恭平は直感した。亜美は、割とそのような物に拘らなさそうに思える。思い悩む亜美の様子からも、何かあるに違いない。恭平は、あのイヤリングが何なのか知りたくなった。と言うより、知るべきだと思った。憧憬を抱く女の子が悩んでいるのだ。助けなくてはと、素直に思ってしまう。果たして、自分が役に立つのかは、疑問だが。
「三島さんの言うとおり、連中、確実に有利だったのに引いたのは変だ。教えてよ。俺じゃ、三島さんの足手まといにしかならないのかも知れないけど」
近くにいながら遠くかけ離れた存在である亜美に、恭平は食い下がる。いつか隣に並べるような存在になりたいと願いながらも、ここ最近無理だと挫けそうになっていた。それでも、せっかく亜美とパーティーを組んだのだ。少しでも役に立ちたかった。
「……それは……」
「ねぇ」
自分の言葉に迷いを見せた亜美に、恭平はやんわりと促す。亜美は言いあぐねている。珊瑚色の唇が何度か開きかけ閉じられる。その唇の艶っぽさに少々目眩を覚えながらも、恭平はじっと亜美が話すのを待った。
「……あのイヤリングは、装飾のために身に付けていたんじゃない。中には機密データを入れてあった。とても大切で危険な」
ぽつりと呟くように、亜美は話し始めた。恭平の真摯さに負けたのか、当事者であると認めたのかは、定かではないが。
「危険?」
「……うん。とても。この世界が終わってしまうほど」
そこで、亜美は恭平の瞳を自分のそれで覗き込んだ。その瞳には真剣な色が浮かんでいる。
見詰められた恭平は、思わず視線を逸らしたくなってしまう衝動に耐えた。亜美の虹彩の色が薄い瞳に迷いなく射貫かれ、あたふたしそうになってしまう。
「あの中にはね、攻撃衛星に組み込まれた攻撃制御回路破壊プログラムが入っていたの。もしも、メンフィスが解読して出回れば、地上はレーザー攻撃の脅威に晒される。僅かな空もわたしたちは失ってしまう」
話し始めて落ち着きを取り戻したらしい亜美の口調は、淡々としたものに戻っていた。
「それって……」
すぐに恭平は、亜美の言葉を理解できない。時間をかけ意味を理解していく。その言葉が意味するところが分かると、
「攻撃制御回路破壊プログラム?」
恭平は、素っ頓狂な声を上げてしまった。そんな物は、存在してはならない。
「どうして、それを三島さんが持っていたの?」
攻撃制御回路破壊プログラムなど、一女子高校生が所持しているような物ではない。尤も、亜美は白き乙女の二つ名を持つ凄腕の騎士でありサモンポリス。普通の女子高生とは言いがたい。その上、八名家の一つ、三島家の子女でもある。それでも、それは物騒すぎた。この世界の秩序を覆しかねない。
「親戚のサモンポリスが押収した物を、わたしが一時的に預かっていた」
「三島さんが? どうして?」
当然湧く疑問だ。いくら亜美が強かろうと、サモンポリスとしても研修期間である亜美が預かるのは変に、恭平は思う。代物が代物である。世界政府が管理すべき物だ。
「あのプログラムの存在が公になることを、世界政府は恐れたの。保管すれば、知る者が出てくる。どこの組織にも内通者はいる。だから、攻撃制御回路破壊プログラムなど存在しない。表向き、そういうことにしておきたかったの。一女子高生でしかないわたしが、そんな物を持っているはずはないって盲点を突こうって考えたの。それで、わたしが預かることに。少なくとも受け取る体制が整うまで」
「そんな……」
無責任だと恭平には思えてしまう。内通者がいようとも、やはり世界政府がしかるべき管理をすべき物だと思う。一人に預けておいていい物ではない。
「もし、世界政府があのプログラムを管理すれば、当然解析することになる。そのデータが流出することを恐れたの。幸い、あれはそう簡単に考え出せるものではない。暫くは、存在しなかったことにしたかったの。制作者の身柄は押さえてあるから」
恭平の考えを察してか、亜美は八名家の子女らしく世界政府を弁護した。
「わたしは、世界に一四種しか存在しない神話級ヴァルキューレアーマーの一つブリュンヒルデアーマーを有している。もしものときも大丈夫だろうって世界政府は、わたしにあれを預けた。管理する人員の査定が終わり、預かる準備が整うまでの間。だけど、わたしは、その責任を果たせなかった。あの仮面の女が狙っているって分かっていたのに」
そう言い、亜美は彼女らしくもなくしょげた。
その亜美の言葉に、恭平はぴんとくるものがあった。
「前、空中庭園で、あの黒ずくめの女を追いかけていたのって?」
「彼女が、学園の定例会で部屋を開けていたとき、泥棒に入ったから。狙いは多分、攻撃制御回路破壊プログラムだと思ったから、追いかけてた。世界政府に入り込んでいるスパイがあれの存在を知り、メンフィスに漏らしたんだと思う。それに、君が巻き込まれた」
今の亜美は少し萎れて見える。世界政府に信頼され預けられていたのに、盗まれてしまったのだ。だが、恭平はそのような物を亜美一人に押しつけた世界政府が許せなかった。そして、今自分たちがおかれた現状の深刻さを理解させられる。そのプログラムが出回れば、今の自分たちに残された僅かな空も失ってしまう。そうなれば七〇年前に逆戻りだ。世界は、容赦のない人工衛星からの攻撃に怯え、戦々恐々となってしまう。
現在は、微妙なバランスの上に成り立った世界なのだ。世界政府が樹立され攻撃制御回路を攻撃衛星に組み込むことを義務づけられた。だから、地上一〇〇メートル、海上五〇メートルの空を、かろうじて自分たちは得てきた。それをも失ってしまう。攻撃衛星のレーザー攻撃を用いた戦いは、早い者勝ちだ。先手を取った方が必ず勝つ。世界は、破壊の恐怖に怯えることとなる。
「一度、学園へ戻ろう。何か情報が入ってきているかも知れない」
気を取り直したように、亜美はそう恭平に告げた。




