第5章 ミッション 2
スカイバイクが風を切り疾走する。
亜美が操るそれは、スピードタイプで制服姿の女の子が乗っているとかなり目立つ。だが、その様はある種の格好良さがあった。亜美のドライビングは鋭く、風圧もあり恭平は彼女に抱きつかねばならぬ格好悪さで、羞恥心をちくちく刺激された。同時に、腕から伝わる亜美のしなやかな感触に、気分が浮ついてしまう。
フォーンという燐火粒特有の冴えた重い音を響かせながら、亜美操るスカイバイクは路面を数十センチ浮き上がり猛スピードで突っ走っていく。恭平は、亜美が案外スピード狂なのではと疑いそうになるが、サモンスーツでの戦闘を行うのである。このスピードも何ということもないに違いない。だが、恭平にとっては驚異だ。曲がり角でも速度を落とさず、鋭角的な動きをする。その度恭平は、ぎゅっと亜美にしがみつく。燐火粒の扱い方を熟知したテクニックだ。
〈しっかり掴まって〉
MCIデバイスを通して亜美の忠告する声が、恭平の頭に響いてきた。
「〈えっ?〉」
突然の言葉に、恭平はつい直接声も発してしまう。ヘルメットを被り高速で疾走しているので、口で話しても大声を出さなければ相手に伝わらない。なので、プライベートモードである思考通信による秘匿通話は便利なのだ。
フォアーン――大音量をスカイバイクは発した。と、同時に、空高く舞い上がる。飛行へと移行したのだ。恭平は、いきなりの衝撃に、舌を噛みそうになった。そうならそう言ってくれと、亜美の綺麗なうなじを恨めしげに見てしまう。
眼下に街が広がる。
尤も、地上一〇〇メートルでリミッターがかかってしまうため、広大な光景を俯瞰することはできないが……。それでも高所から見る景色は、ここ最近クラディウスで飛行している恭平にも、新たな視点を与えてくる。スタジアムは壁に覆われ、街を見晴るかすことはできない。だから、その景色は新鮮に感じる。
〈あのビルが、サモンスーツ不正配布者の拠点〉
左下方に見えるように、亜美はスカイバイクを旋回させる。
〈使われていないみたいだ〉
そのビルは雑然としていて、うらぶれた雰囲気が漂っていた。廃墟のような寂れた感じがする。サモンスーツは本来データだ。配布に大がかりな施設など必要としない。少々、大げさに恭平は感じた。
〈そう、資料に書いてある。君塚君は、任務前にもっと資料に目を通すべき〉
〈ご、ゴメン〉
〈今日は、仕方がない。君塚君は、まだサモンポリスの授業を二回しか受けていない〉
無音思考通信でも、亜美の声音は淡々としていた。
戦闘訓練の他にも、サモンポリス養成講座の授業が、毎日ではなかったがあった。恭平は、月曜と、昨日受けただけだ。その授業では、フォトンレーザーなど銃器の扱いも学ぶらしい。二回は、教室で授業を受けた。
〈ビル内に入ったら、クラディウスを装着して一気に制圧する〉
〈分かった〉
短く恭平は返事をした。そのとき、ビルの屋上の一角に、きらりと何かが光った。何だろうと、それを恭平は凝視する。それが何か分かると、恭平は慌てた。
〈サモンスーツを装着した奴らがいる。この前、三島さんが戦ったのと同じ奴〉
〈えっ?〉
短い言葉だが、感情が乗ることがなかった亜美の思考通信に、驚きが混じる。
〈確かに、アマルガム。情報ミス。ここは、ただの不正配布者の拠点なんかじゃない。メンフィスの拠点。君塚君、すぐにクラディウスを装着してわたしから離れて――〉
その言葉が終わらぬうちに、チカリと光った。少し遅れてシュッという音。魔弾砲を撃ってきたのだ。燐火粒を目一杯スカイバイクに噴出させ、亜美は躱す。
「〈君塚君、スカイバイクから離れて、すぐに装着を〉」
言うや、亜美はスカイバイクに片膝立ちとなり、空中へ身を躍らせる。
「〈サモンアーマメント〉」
亜美の口から機動装甲装着の音声コマンドが発せられる。たちまち、空色の光に彼女は包まれる。それが収まると、水色の装甲をしたクラディウスを装着していた。着ていた制服は青丹色の戦闘服に変わり、予め装備として指定していないヘルメットはなくなっていた。茶色がかった髪がさらりと半結い状態から、元へ戻る。
「〈サモンアーマメント〉」
恭平もスカイバイクから飛び降り、クラディウスを召喚する。
スカイバイクは、オートモードで飛び続けている。
次々と銀色のシャープなデザインをしたサモンスーツ・アマルガムを装着した戦士たちが、屋上から飛翔してくる。その数、一〇。
恭平は、空中でクラディウスを装着し、慌て腰から突き出た空制機と脚部の本来ホバリングに使用する補助噴出器から、燐火粒を噴出させ制御を試みる。第七世代サモンスーツ初心者には難易度が高い。飛ぶことに慣れてきた恭平だったが、突然のことで慌ててしまっているのと、上下逆さまに近い状態だったので、下方へと加速を得てしまう。クラディウスは戦闘用でこれまで使い慣れてきたアシストスーツとは別格の燐火粒排出量を、空制機自体は超小型ながら誇る。あっという間に地面が迫る。
地上にぶち当たる直前で恭平はクラディウスの姿勢を立て直し、ソニックウェーブを巻き起こしながら地面を舐めるように進みどうにか上昇する。先にスカイバイクから飛び降りた亜美のことが気になり見回すと、既にアマルガムを装着した戦士たちと火線を交えていた。魔弾が飛び交う。逸れたそれが地面やらに着弾し、爆発を巻き起こす。恭平は、一人無様を演じている間に自分が出遅れたと痛感する。
「〈三島さん〉」
「〈君塚君、大丈夫?〉」
「〈どうにか〉」
機動装甲召喚時自動的に共用帯域回線で繋がる思考通信を行っていることも、直前まではMCIデバイスによる秘匿モードで通話をしていたことも忘れ、恭平も亜美も直接口で話している。とても、距離と爆音から生の声など聞こえるはずもないのだが。亜美も少なからず動揺はしているのだ。
「〈どうして、こいつらが……メンフィスって三島さん言ってたけど何?〉」
メンフィスという単語に聞き覚えを感じつつ、恭平は尋ねた。今の状況を理解したいのだ。
「〈世界政府を快く思わないテロリスト組織の一つ。その中でも、最近急速に台頭してきた。おそらく、バックは世界政府を警戒する各国〉」
端的に亜美が告げた。
そうかと、恭平は思い出す。五月雨先生の授業で、その組織の名が出ていた。そうすると、疑問が湧いてくる。亜美は、彼らを見てメンフィスと言っていた。受諾した任務は、サモンスーツ不正配布者の摘発。どうしてその拠点に、世界的なテロリスト組織がいるのか分からなかった。恭平は、そのことを尋ねてみた。
「〈そんな奴らが、どうしてここに?〉」
「〈分からない。ここは、ただのサモンスーツ不正配布者の拠点なんかじゃない。サモンポリスの諜報機関がこんな初歩的な情報ミスを犯すのはおかしい。何かあるのかも知れない〉」
そう答えている間も、亜美は敵と交戦している。
恭平も、傍観者をいつまでも演じているわけにはいかない。だが、魔弾が飛び交う中には突っ込まない。それくらいの知恵はある。距離を取りつつ、左腕を前に差し出す。盾裏に装備された魔弾速射砲の照準がAR環境で出現する。魔弾砲は比較的扱いが簡単だ。剣の腕が全くである恭平にとって、唯一戦闘で役に立てる。今朝あった戦闘訓練の授業で一人自習を言い渡さた恭平は、せめてと魔弾速射砲は試していた。
視覚と照準が同調し、微調整は砲身が僅かに動くことで行われる。ロックオンのサインと同時に、狙ったアマルガムを装着した戦士の一人に魔弾を放つ。シュッと音がして着弾。俄に、恭平は喜んだ。相手は被弾している。だが、喜んでばかりもいられなかった。
敵勢は、恭平の存在に気付いた。それまで亜美一人を相手にしていたが、半数、五人の戦士が恭平に向かってきた。恭平は、あたふたした。近接戦など、まだできそうもない。でたらめに魔弾速射砲から、シュッシュッシュッと音をさせながら魔弾を発射させる。だが、照準などしていない。当たるはずもなかった。
「〈君塚君、止まったまま撃っちゃ駄目。移動しながら、確実に当てていって〉」
亜美の注意が飛ぶが、恭平はそれに構ってはいられなかった。ともかく、来るな来るなと、魔弾を撃ち続けるだけだ。その間、恭平は、空中で静止していた。
銀色に輝くシャープなデザインをしたアマルガムを装着した五人の戦士が、恭平に殺到してくる。この段階になって、恭平は、腰の空制機から噴出される燐火粒を増大させ可変ウィングを動かし離脱を試みる。だが、メンフィスの戦士たちは、戦い慣れていた。抜剣した片手剣で斬撃を与えてくる。確実にシールドフィールドを破り装甲や身体を覆う超硬度シールドにダメージを与えてきた。恭平は、まだ背に片手剣を預けたままだ。
「〈君塚君?〉」
亜美の焦りの混じったノイズとして排除しきれない思考が、通信に乗り恭平に伝わる。
バーン――爆音。
恭平は、背後へ腰部の両側から突き出た空制機から燐火粒を最大限噴出し、その場から離脱を図ろうとした。だが、銀と黒が前を遮った。空中庭園で出会った相手だと、恭平は直感で悟る。身体にぴったりと張り付く伸縮性の良さそうな黒い衣装で全身を包み、顔には不気味な文様が入った仮面を付けていた。恭平の記憶にある彼女の身体のラインも、一致している気がする。気がするとは、戦闘中であるためそこまで意識を向けられないからだ。はっきりと覚えているわけでもない。
「〈白き乙女は後回しにしなさい。あなたたちもこの前で懲りたでしょう。先ずは、確実に仕留められる彼から片付けなさい〉」
銀色のアマルガムを装着した黒ずくめの女は、そう仲間たちに指示を出した。
亜美相手に手こずっていた残り五人の戦士たちも、恭平に殺到してきた。逃げようにも黒ずくめの女は、巧みな位置取りをして恭平を戦場から逃さない。
「〈させない〉」
亜美は、空制機から青白い光の粒子を散らさせる。全員が、恭平に向かったことに、焦燥を感じているようだ。今の恭平では、戦士一人の相手も覚束ない。身体を覆う最終防御ラインである超硬度シールドを破られれば、死ぬこともあり得るのだ。
恭平は悔しかった。また、白き乙女――三島亜美の足を引っ張ってしまうのか、と。盾で迫り来る斬撃を受けるが、数が多すぎてとても対応仕切れていない。装甲が欠損していく。このままでは、身体を覆った超硬度シールドも破られてしまう。そして、クラディウスに張り巡らされた魔力組織を一定以上破壊されれば、機動装甲が消失してしまう。そうなれば、恭平は、亜美の足枷になりかねない。空中庭園での出来事の再現だ。
「〈オーバーライド・ブリュンヒルデアーマー〉」
亜美は、ナイトアーマー召喚の音声コマンドを口にする。たちまち、彼女の身体が白い光に包まれる。それが収まったと思うと、初雪のような純白のアーマーを纏った白き乙女騎士が姿を現した。とても凜々しく繊細に、恭平の目に映る。
恭平の心に消えぬ憧憬を刻んだ白き乙女――三島亜美がそこにいた。
ブリュンヒルデアーマーを纏った白き戦乙女亜美は、恭平に殺到しているアマルガムを装着した戦士たちのところへと、突進する。精緻な美貌には普段の屈託のない表情ではなく、これ以上はないというほど真剣な表情が浮かんでいた。恭平が亜美と出会うきっかけとなった空中庭園での戦闘。危機に陥った恭平を助けようとしたときと、同様の顔つきだ。
やはり、また亜美の足を引っ張ってしまっていると恭平は、繰り出される剣戟に翻弄されながらも、悔しく思う。五月雨先生に二人で組むように言われたとき、きっぱりと亜美は恭平では役に立たないと言っていた。全くそのとおりの状況だった。ただ、恭平は、亜美の助けを待つばかりだ。
シールドフィールドを切り裂き装甲や超硬度シールドに到達する刀剣の斬撃に怯え、いつクラディウスが消失するかと恐れていた。きっと、自分の顔は蒼白に違いないと恭平は思う。これがサモンスーツを用いた戦闘なのかと再認識させられる。恐怖に、心が折れそうになってしまう。自分は場違いな場所に来たのだ、と。
ふと、亜美の戦う姿を見た。黒ずくめの女戦士が増え、実質一一対一の戦いに怯みもせず、的確に細身のロングソードを振るっている。見る間に、一人の戦士が装着するアマルガムを消失させていた。敗北など知らぬように精緻な美貌は冴え渡っていた。
美しいと恭平は思った。盾でがっちりガードしながら、恭平は亜美の戦闘に一瞬心を奪われた。世界に一四種しか存在しないヴァルキューレアーマーの一つブリュンヒルデアーマーを纏い戦う彼女は、まるで戦いの女神めいていた。亜美に気を取られた隙に、片手剣の突きが確実に恭平に入る。身体を覆う超硬度シールドにダメージを受け、左側に表示されたウィンドウがアラートを発する。途端、恭平の背筋に冷たいものが走った。が、同時に直前見た、亜美の戦闘が脳裏をよぎる。
――俺は、このまま無様にがたがた震えているだけなのか?
恭平の中で灼熱したものが生まれる。
いつの日か、恭平は亜美の隣に立ちたいと願い、今の時代最も危険なサモンポリス養成校聖鈴学園へとやって来た。亜美と対等になれるだけの実力を手に入れたいと。そして、憧憬の対象でしかない亜美に触れたい。物理的にではなく心が、と。
それが、この体たらくでは、一生亜美に手など届きはしない。
恭平の身体の震えが止まった。それまで盾を前に出しガードに努めていたのだが、そのままそれを近くにいた女戦士に叩き込む。いきなりの反撃に、女戦士はまともに盾の一撃食らい空中でよろめく。
「〈こいつっ!〉」
盾で恭平に殴られた女戦士が、殺意に満ちた目を向ける。
恭平は、腰から突き出た空制機から青白い光の粒子をまき散らさせた。幸い、黒ずくめの女戦士は離れていた。彼女の指示で自分に群がっていた戦士たちから距離を置く。そのまま逃げるかと言えば、違った。恭平は、右側の背のラックにある片手剣を外し、抜剣。
「〈うおぉおおおおおりゃぁああああああああああ〉」
雄叫びと共に、右手に握った片手剣を後ろに引き盾を前に出し突っ込んで行く。突然の反撃に、戦士たちは僅かに混乱した。恭平の鋭い突きが、一人の戦士に入る。アマルガムの銀の装甲に確実なダメージが入った。
「〈君塚君?〉」
驚いたような顔を亜美はした。亜美は、ちょうど三人目のアマルガムを消失させたところだった。亜美の瞳に観察するような色が浮かぶ。未熟ながら、恭平は反撃に転じ始めている。
白き乙女の強さを知っているメンフィスの戦士たちは、先ずは簡単に倒せるであろう恭平に狙いを定めてきた。確実に恭平を戦闘不能にし、有利に事を運ぼうとしていた。場合によっては仮面の女が人質に使うつもりでいたのかも知れない。だが、恭平は、剣の腕の未熟さを、突進と離脱を繰り返し補い戦っている。確かに素人同然の戦い方だが、確実に多数の戦士たちを相手取っている。
「〈……そのまま……〉」
この場を離脱しろという言葉を、亜美は飲み込んだ。素人で役には立つまいと思っていた恭平が、変わろうとしている。機動装甲はクラディウスのまま、ナイトアーマーを召喚することすら思い浮かばない恭平だったが、急激に。
そう言えば、恭平には騎士としての素養があったと亜美は思い出す。空中庭園で初めて恭平に出会ったとき。戦闘の役にも立たぬアシストスーツで必死に足掻き逃げ回り、覚醒までして戦った。恭平の本質に、亜美は少しだけ気づき始めていた。今の時代ナイトアーマーを得るなど、そうそうあることではない。恭平の奥底に、戦いを肯定する部分が存在しているのだ。その片鱗が、今垣間見られている。
「〈見物なんて、随分余裕ね。なら、わたしと遊んでくれないかしら?〉」
ボイスチェンジャーを通した声で仮面の女が、亜美にそう呼びかけてきた。
他の戦士たちは、彼女の指示で恭平にかかり切り。進んで、白き乙女――三島亜美の相手をしようとする者などいない。先ほどまでは、亜美の方から仕掛けていたのだ。
シャープなデザインをした銀色のアマルガムを装着した仮面の女は、片手剣を手に向かってくる。さっと、亜美の顔に真剣さが宿る。以前、空中庭園での戦闘でも感じたことだが、この仮面の女はかなり強い。
ロングソードと片手剣が、ぶつかり合う。
亜美をハッとさせるほど、仮面の女が繰り出した斬撃は、熟達したものだった。
数合打ち合い、亜美と黒ずくめの女は離れ、距離を取る。
――やはり、強い。
この前、黒ずくめの女は近接戦を避けていた。だが、今回は、真っ向から挑んでくる。
銀と黒が動いた。腰から突き出た空制機にぱっと青白い光の粒子を散らせ、さっとスピードの乗った動きで亜美に接近する。構えた片手剣を打ち込んでくるかと思えばそうではなく、亜美を掠めるように急激に角度を変え通り過ぎていく。
そのとき、亜美は気付かなかった。すれ違う瞬間、亜美の顔近くを仮面の女の盾を装備した左手が通り過ぎていった。それは分かる。が、まさに一瞬の出来事だった。黒ずくめの女は、亜美の右耳に揺れる白いイヤリングを掠め取ったのだ。亜美に全く気付かれぬような手業で。
「〈彼を倒せないんじゃ、話にならないわ。白き乙女の相手なんて冗談じゃない〉」
仮面の女は、仲間に呼びかけた。
「〈これ以上数を減らされたら、逃げられなくなる。その前に、下に落ちた連中を回収して引くわ〉」
その指示で、メンフィスの戦士たちは戦闘を止め、数人が下へ降り残りは撤退を開始した。
「〈君とは、縁がありそうね。素人だった君が、少しの間にそこまで強くなるなんて、感心したわ〉」
最後に、仮面の女は、恭平に緑色のアイレンズを向けた。そのマスクの下の顔が、笑ったように亜美は感じた。




