第5章 ミッション 1
「何だろう?」
「分からない」
恭平は、亜美と並んで廊下を歩いていた。五月雨先生から呼び出しがあったからだ。廊下には、休み時間ということもあり生徒たちの姿が多い。その中を、恭平は亜美と連れだって急いで歩いている。嫌でも目立った。
白き乙女――三島亜美は、歩いているだけで人目を引くのだ。一緒にいるのは、どこぞの馬の骨とも知れぬ恭平。エスカレーター式の学校で、皆顔見知りだ。他クラスで恭平を知る者はまずいない。恭平と亜美を見て、そこかしこで囁き交わす声が聞こえてくる。どうも、恭平に対して非友好的な囁きだ。
恭平は聞こえぬ振りをする。自分が亜美に相応しくないことは、よくよく理解している。隣に並べるような存在になりたいと願ったが、それは果てしなく遠い道のりだと承知している。だが、彼女への憧憬が止まぬ限り、恭平も歩みを止めることはないのだ。絶望的な差だと分かってはいても。
「ゴメンね。いきなり呼び出して」
職員室の席に座りARデスクトップを立ち上げ、五月雨先生は資料を表示させていた。
「何でしょうか?」
普段の淡々とした口調で、亜美が尋ねた。
「うーん、こう言うと気を悪くするかも知れないけど、三島さんの単位が危ないのよ。君塚君は転入生ってことでごまかせるけど。そこで、救済措置。急ぎの任務が入ったから、これから二人で行ってきてちょうだい」
そう言いつつ、五月雨先生は恭平と亜美のMCIデバイスに任務概要と資料を送ってきた。そこには、サモンスーツ不正配布者摘発とあった。
「本来は、生徒が受注する任務を選ぶんだけど、今回は時間がないからすぐにできるものを選んだわ。だけど、自分に合った任務かどうか判断するのもサモンポリスには必要なことなのは承知しておいて。己の技量に合っているか、緊急性のあるものか。もうみんな、任務をこなしてる。任務中は出席扱いになるから、そっちは心配しないで。ただ、月単位でこなしておかないといけない最低ラインがあるから、二人でこれから行ってきて。手順は、三島さん、分かるわよね」
「はい」
「なら、結構。君塚君は、三島さんのやることをよく見ておいて。戦闘になった場合、フォローに徹して。彼女に頼り切りでいいから」
「はぁ」
お荷物のように言われて、恭平はかなりへこんだ。憧れの女の子である亜美に負んぶに抱っことは、情けない限りだ。
「じゃあ、いい報告を期待しているから」
笑顔で、五月雨先生は恭平と亜美を送り出した。
初任務ということで、恭平はかなり緊張した。まだ、まともな戦闘すら恭平は行えない。いいところを亜美に見せたいところだが、今更感もある。彼女は、恭平の実力をよくよく理解している。
「お二人でどこへお出かけかしら?」
亜美の後を追って廊下を歩いていると、少々気取った声が恭平の耳に聞こえてきた。
「……涼子……」
立ち止まり、その声の人物を亜美は確認する。
八幡涼子が、長く伸ばした艶やかな黒髪を右手で梳きあげた。臈長けた美貌に、酷薄さを浮かばせている。普段皆に振りまく笑顔がなくなると、氷のような冷たさを感じる。清楚でスレンダーな容姿は、異性である恭平をちくちく刺激してくるが。
「これから、お二人で任務に就くのでしょう。午前中のこんな時間に二人揃って呼び出しなんて、それ以外あり得ませんわ」
黒目がちな涼子の瞳に、ちろちろとした鬼火が燃えているように恭平は感じた。
「そう。これから任務。こんなところにいると、次の授業に遅れるよ」
涼子を前にしても、亜美の態度は変わることはない。
同じ八名家の子女同士が向かい合っていることに、恭平は少したじろいだ。涼子は、亜美を目の敵にしている。それは、祖父同士の諍いが元であるらしいが。世界政府のお膝元にいる限り、八名家の子女である彼女らの影響力は大きい。二人の間で、恭平はおろおろしてしまう。
「亜美にそんな心配をしていただく必要はありません。それより、よりにもよって彼と組まされるだなんて、災難ですわね」
冷たい涼子の瞳が、恭平を捉える。その視線には、明らかな敵意がこもっている。初めての戦闘訓練の授業前に涼子が取った行動や昨日の朝の態度で、どのように見られているか恭平も分かってはいた。亜美同様、敵と見定められている。
「うん。わたしは君塚君とパーティーを組むことになった」
亜美の態度は、涼子に対してだろうと変わることがなかった。
「大丈夫ですの? これまで任務に出られなくて、単位が危ないんじゃありませんの? それを素人と組まされて平気ですの?」
涼子は、天然であり感情をあまり顕わにすることがない亜美よりも、恭平を攻撃する方が効果的と思ったのか執拗に話に絡めてきた。昨日の仕返しであるのは明白だ。
「平気。君塚君も慣れるのにちょうどいい」
「よかったですわね、君塚恭平。亜美に守ってもらえて。でなければ、あなたの居場所なんてここにはありませんわよ」
亜美の反応が面白くないのか、涼子は間接的ではなく確実に恭平をターゲットに変えた。
ギュッと、恭平は唇をかみ締め、俯いた。ぐつぐつと、何かが湧き上がってくる。
「それは――」
「そんなこと分かってる。だからいちいち言わなくていいよ。昨日も言ったけど」
亜美の言葉を遮り、恭平は涼子に面と向かって言い放った。頭では理解していたことだが、亜美に守られているとの言葉に、カチンときたのだ。恭平が憧れるいつか並び立ちたいと願う亜美の庇護を受けていると言われ、羞恥心が刺激された。
「また、昨日と同じことを言わせたいのか。学習能力がないんだな。昨日、はっきり言ってやったと思ったけど」
「なっ――」
涼子は、絶句していた。あり得ない者を見るような目をしている。
「……無礼でしてよ、君塚恭平。そのような態度をわたくしに取った者などおりません」
憤懣やるかたなしといったふうに、涼子の声と表情は怒気を含んでいた。
「それは不幸だったな。その性格を矯正してもらえなかったなんて」
「きょ、矯正……な、な、な……」
わなわなと、涼子は肩を震わせていた。怒り骨髄であることがよく分かる。
「覚えていなさい、君塚恭平。そのような態度をわたくしに取ったことを、きっと後悔させてさしあげますわ」
そう言い放つと、ぷいと顔を背けて涼子は去って行った。
「そういう言い方は、よくない」
少し困った顔をして、亜美が恭平を窘めた。
校舎を出ると、学園の緑を突っ切り亜美が向かったのは地下へ通じているように見える出入り口だった。やけに重厚な扉が入ることを拒んでいた。近づくと、恭平や亜美の目の前に、ID認証の許可を求めるホログラムウィンドウが浮かんだ。亜美が、YESを選択したので、恭平もそれに倣う。すると、扉がその重量に似ずシュッと音を立てさっと開いた。
「ここが、格納庫。覚えておいて」
感情を感じさせぬ淡泊さで、亜美が恭平に教えた。
「格納庫?」
「そう。任務のために使用する、各種装備が揃っている」
入り口近くの階段を少し下ると、いきなり広くなりエスカレーターが上昇下降を繰り返していた。亜美は、下りのエスカレーターへ足を運ぶ。恭平も黙って付いていく。初任務ということで緊張していた。増して、恭平は学園の勝手がまだ分からない。
エスカレーターの終点に着くと、だだっ広い空間が地下にぽっかりとあった。かなりの面積だ。そこには、電気自動車《EV》やらスカイバイクがずらりと並んでいた。これらは、サモンポリスの任務に使用するのだろう、と恭平は感心して眺めた。学園の地下に、ちょっとした秘密基地のようなものがあり、格好いいと思えてしまう。他人に今抱いている気持ちを知られれば、恥ずかしいが。それでも、目を輝かせてしまう。
内装もかなり先進的で、ここがサモンポリスの重要拠点の一つであると、恭平は再認識させられた。さすがは、凶悪な機動装甲――主にサモンスーツを用いた犯罪を取り締まる専門機関であるだけのことはある。ここは学園だが、任務もこなす場所でもあるのだ。
「今回は機動性を重視したいから、スカイバイクで行く。二台借りる」
燐火粒を用いたホバリング走行からある程度飛行が可能なスカイバイクを、亜美は指し示した。全てが同じもので、軽快なデザインをしていた。奥にはスカイカーも置かれていて恭平の興味をそそった。スカイカーは地上に車輪を付けて走るEVとは違って、燐火粒で走行する。飛行も可能だ。恭平は、スカイバイクはおろか、スカイカーに乗ったことがない。特にスカイカーは高級車の位置づけなので、なかなか乗る機会に恵まれなかった。
「俺、免許なんて持ってないよ」
前々から乗ってみたいと思っていたスカイバイクを前に、恭平は残念そうな顔をした。
「君塚君が、一般校へ通っていたことを失念していた」
精緻な美貌に、亜美は軽く苦笑を滲ませた。
スカイバイクの免許を取得するのは一六歳から可能だが、まだ恭平は誕生日を迎えていなかった。それに、目の前にある大きさの燐火粒排出量のものを乗れる免許は、一八歳にならなければ取得できない。
「早く免許を取って。任務に支障をきたすから」
当たり前のように、亜美は言う。サモンポリス養成校の特権で、早期の免許取得が許されているのだろう。この辺りが、一般校との違いだと恭平は思う。
「うーん」
ほっそりとした頤に指を当て、亜美は思案顔をした。
「今回は、わたしの後ろに乗って」
亜美は、ARデスクトップから使用申請を送った。
「えっ?」
その言葉に、恭平は間抜けな声を発してしまう。
〈ここは出撃口と呼ばれている〉
後ろに恭平を乗せた亜美は、MCIデバイスで行う思考通信で説明してくれた。走行の邪魔になるホログラムウィンドウは切ってある。秘匿モードは通常他人が見聞きできないホログラムウィンドウと思考通信で通話を行うが、今は音声のみだ。亜美は乗り慣れていると見えて、危なげなくスカイバイクを滑るように動かし、出口前でぴたりと止めた。扉の開閉を待っている。すると、前方からクラクションが聞こえてきた。ちょうど、ライトバンのEVが戻ってきたところだった。それを運転している人物を見て、恭平はヘルメットを取った。
「君塚じゃないか。どうしたんだ?」
運転席に座っている将人が、窓を開け身を乗り出し声をかけてきた。
EVには助手席に伸行も乗っていた。亜美もヘルメットを取り、中に納めていた茶色がかった髪が背中にふさりと広がった。
「三島まで」
将人は、恭平と亜美を交互に見比べた。心底不思議そうな顔をしている。
「〈朝から見かけないと思ったら、二人とも任務へ行っていたの?〉」
恭平は、朝から二人がおらず、少なからず寂しい思いをした。話し相手がいない。亜美に気安く話しかけるのもどうかと思うし、親しみを見せてくれたマリーナにしても安易に声をかけられない。クラスで話したことがある人物がもう一人いたが、それは涼子で論外だった。
これまでクラスメイトで話したのは、ほんの五人だけだ。その他の者は話したこともない。今の恭平が置かれた現状では、簡単に友達を作れない。将人や伸行は、恭平にとって貴重な存在なのだ。
「三島とタンデムか?」
何となく得心がいったという顔をし、将人はそう冷やかしてきた。
「〈こ、これは……〉」
慌てて、恭平は亜美の後ろから降りた。憧れの亜美の腰に手を回していたことを、思い出し顔が熟したトマトのように赤らむ。
「〈君塚君? これから任務へ行くのに、降りてどうするの?〉」
亜美が、恭平に訝しげな声をかけた。暫し、赤くなった恭平を首を傾げ観察する。
「なるほど、二人が組んだということか」
助手席の窓から顔を出し、伸行も納得したといった表情を白皙に浮かべる。
「君塚、ちょっと。三島、少し待ってくれ」
将人が恭平を手招きした。
これ幸いと、恭平は将人のところへ小走りで向かう。亜美は、何も言わず黙っている。亜美に聞かれないように、恭平は秘匿通話をそっと切った。
「どうして、三島と組んだことを内緒にしてたんだ?」
声を潜め、将人が恭平に問い質してきた。その口調は、水くさいと言いたげだった。
「だって、言いづらいじゃないか。俺なんかが三島さんとパーティーを組んだなんて。昔――中学時代何があったか知ってるし」
二人に言わなかったことを申し訳なく感じながら、恭平は言い訳を口にする。
「まぁな。そりゃ、心配はするわな。君塚が三島に潰されるんじゃないかって、な」
ちらりと、将人は亜美を見た。その視線は鋭い。
「そんな……三島さんが俺を潰すなんて……」
そう答えながら、恭平は亜美自身がそう言っていたことを思い出した。
「無理はしないことだよ、君塚君。二人とも初任務だけど、君塚君は転校してきてまだ四日目なんだから。僕は、まだ早すぎると思う。けれど、三島さんと組んでいるっていうことは、五月雨先生の指示でそうなったんだろうから、今は彼女に頼るんだ」
真剣な表情で、伸行がアドバイスを与えてくる。
「ちぇっ。君塚は俺たちのパーティーに誘おうと思っていたのに。しかし、三島とはね」
「指導してくれる人が見つかったって聞いたとき、気付くべきだったんだよ」
将人と伸行は、心底惜しそうな顔をした。
「俺なんかを、誘ってくれようとしてたの?」
感謝の念が恭平に湧く。昨夜のマリーナといい将人や伸行といい、親切な人がいるものだと思う。それでも、五月雨先生の指示に恭平は喜んでいる。憧憬の対象である亜美の近くにいられるのだ。亜美本人からも、今の恭平では役立たずだとはっきり言われている。ならば、開き直るしかない。
「ダチなんだから、当然だろう」
にっと将人は、笑った。その笑みは、彼らしく実に男らしかった。
「もういい?」
彼女らしく、特に何の感情も浮かべぬ表情と淡々とした声で、亜美が尋ねてきた。
「悪い、三島。じゃあな、君塚。晩飯のとき、どうだったか教えろよ」
そう言うと、将人はEVを発進させ出撃口へと入っていく。
恭平は、そのバンの後ろ姿を見送った。
「行きましょう、君塚君」
燐火粒を一噴かしし、亜美は恭平の近くにスカイバイクを寄せてきた。




