第3章 白き乙女 4
五月雨先生は、研究室を出た後、職員室へ向かうのかと恭平は思ったが違った。
まっすぐ、先生は校門へ向かった。それは、恭平にとって少しだけ嬉しいことだった。月曜日の朝、転校してきてからなんだかんだと、学園の外に出る機会がなかった。
年若い恭平は、年上で美人な五月雨先生と一緒にいられることは、嫌ではなかった。黙ってさえいれば、先生はインテリジェンスに満ちた美女だ。傍にいるだけで、大人の女性の魅力に当てられそうだった。
五月雨先生が向かったのは、ショッピングモールが周囲に建ち並ぶ空中庭園だった。そこにで、雰囲気の良さそうなカフェテリアを五月雨先生は選んだ。白い椅子やテーブルが、清潔感を与えてくる。席に着くと、ホログラムウィンドウが開き、メニューを選べと表示してくる。
「わたしが奢るから」
そう言い、五月雨先生は二人分のカプチーノを注文した。
程なくして、若い女性のウェイトレスが、注文の品を持ってきた。一口飲むと、疑問に思っていることを、恭平は五月雨先生に尋ねた。
「三島さんのことなんですが、どうして一人っていうか、友達がいないんですか? あんな凄い騎士で、八名家の一人なのに変です」
「気になる?」
恭平の問いに、五月雨先生は銀縁眼鏡の奥にある目を輝かせた。いかにも訊いて欲しいことを、恭平が尋ねたというふうに。
「彼女のことは、どれくらい知ってるの?」
「クラス委員長の八幡さんと仲が悪いくらいは」
臈長けた美貌を持つ涼子を、恭平は思い浮かべた。昨日の昼休み一緒に食事をしたとき、涼子は亜美に近づくなと警告してきた。恭平は、その警告を断ってしまい目を付けられてしまった。ときおり、涼子は敵を見るような視線を、恭平に向けてくる。
「ふーん、もう分かっているんだ?」
意外そうな顔を、五月雨先生はした。
「八幡さん、本人から聞きました。でもそれだけじゃ、ああはならないと思います。クラスメイトは、三島さんに関心を払っていないように思います。三島家の令嬢なのに」
「なるほど。八幡さんがやけに君に突っかかると思ったら、それが原因か。君塚君には、三島さんを嫌う理由がないものね」
恭平と涼子の関係を察した五月雨先生は、一つ溜息をローズピンクの唇に乗せた。
「でも、それだけしか話していないのね。ふふ、彼女も人がいいのね。三島さんのプライバシーに関することは話さない。でも、わたしはそんな倫理観は薄いから、これから君塚君に話しちゃうけどね」
茶目っ気のある口調と表情だ。
「中学時代のことですか。八幡さんの口ぶりだと、何かあったみたいですが」
「そう。わたしが、これから君塚君に話そうとしているのは、それ」
茶色がかった五月雨先生の瞳が、恭平のそれを見詰める。相手に聞く気があるか判断するような色を宿している。一つ頷くと、五月雨先生は話し出した。
「三島さんにはね、以前彼女に憧れていた女子がいたの。一学年下のね。その子、三島さんにべったりだった。その子は、三島さんに師事したわ。白き乙女の二つ名は伊達じゃない。三島さんは、わたしから見てもずば抜けてると思うもの。特に、中学時代の彼女は、輝ける存在だった。だけど、それは一変した」
五月雨先生は、カプチーノに手を伸ばし、一口飲んだ。
「三島さんも今より幼かったし、自分にできることは他人もできると思っていたのかしらね。それが、仇となった」
物憂げな表情が、五月雨先生の顔に浮かぶ。
恭平は、これからが話の本題だと身構える。
「三島さん、行き過ぎた指導をしてしまったの。その後輩の女子も筋がよかった。そのせいもあって、力が入りすぎた。その子、三島さんの期待に応えたかったんでしょうね。どんどん、自分を追い詰めてしまった」
「八幡さんは、三島さんが自分以外の人間を認めていないって言っていました。言い過ぎだと俺は思いますけど」
「うーん……そう言われると、確かに三島さんにはそういう面があるように見えるのかも知れないわね。普段からああだかあら。特にあんなことがあったから、そう八幡さんは思うのかも知れないわ」
「何があったんですか?」
恭平は、五月雨先生の話が、どこへ行き着くのか分からない。
「その子ね、自殺をしてしまったの。勿論、未遂よ。失敗したから」
「自殺未遂?」
驚いた声を、恭平は上げた。思っていたよりもずっと、根深い話のようだ。
「期待やら精神的プレッシャーに耐えられなかったんでしょうね。三島さんの行き過ぎた指導もあってね。三島さんもその後輩には期待していたから。楽しそうだった。けど、その後輩は違った。三島さんは眩しすぎる存在だった。光は必ず闇を作ってしまう。言い方は悪いけど、三島亜美といった存在に、その後輩は潰されてしまったの」
普段おちゃらけた五月雨先生の顔に、憂いが浮かぶ。
「……そんなことが……」
恭平は、それ以上言えない。亜美に憧憬を抱く恭平もまた、彼女の輝きに悩み苦しんでいるのは事実だ。どうしても、追いつけず手が届かない。何となく、その後輩女子の思いが理解できてしまう。
「そのことがあって以来、三島さんはみんなから避けられるようになった。ま、彼女は強いから、何もなかったように装ってはいるけど」
言いつつ、観察する色を瞳に宿し、五月雨先生は恭平を見ていた。
恭平は、その後輩に同情はするが、心が弱すぎたと思える。挫けてしまいそうな学園生活を送っている恭平にとっては。
「無理なら離れればよかったんですよ」
ぽつりと、恭平はそう口にした。
そんな恭平を、五月雨先生は測るように見ていた。




