這いよる影
雲のない、星が輝く夜空。数えきれないほどの星は一部一部で集まり、それぞれ自分達の担う星座を掲げるために一生懸命のようだ。
「この世界で合ってるのですか?」
「うむぅ、我の記憶が正しければこの世界で≪講師≫とやらをしていると聞き及んでいるのだが…」
午前0時を過ぎ誰もいない筈の公園で囁き声が聞こえる。滑り台に砂場、鉄棒と何処にでもある普通の公園。しかし、その設備にも関わらずここ最近…いや、随分前から全く使われた形跡がない。
「具体性に欠けますね」
公園から街道へと出る付近にある公共のトイレが突然眩い光を放つ。かと思うと中から赤褐色のローブを羽織った女が出て来る。見た目はやや小さめ。肩までに切り揃えられた髪は定期的に巻き起こる夜風にサラサラとなびいている。しかし、それに反して顔立ちは見るからに二十歳も満たない成り立ちだ。
「えぇい、やかましい!仕方がないではないか!もう二百年は会っていないのだぞ!?失望する前に我の記憶力を誉め称えろ!」
ふんっ、と鼻を鳴らすと、目のギリギリまで深々と被っていた帽子をクイッと押し上げる。同じく赤褐色のローブを羽織った少年は自分の背よりも頭一つ分高い女に対して顎で付いて来るよう促すと、遥かに長いローブを引きずりながらテクテクと街道に足を進める。
「我は減った。何処かの施設で食事を頂こう」
「…御言葉ですが、この世界は見ての通り闇に沈んでいます。この時間帯では最早何処も開いていないかと」
「何!?由々しき事態ではないかっ!」
「……」
その場で悶えて此方をチラッ?チラッ?と見る姿に女は溜め息をつく。
「では、これで何とか取り止めを」
そう言うと女は懐から色のついた玉を取り出す。
「何だ?それは」
「この世界で≪飴玉≫と呼ばれている物です」
女は丁重に包装紙を開くと中身を差し出した。その飴玉なる物の形や色に多少魅入られるもそれを受け取ると真っ先に口に運ぶ。最初は曖昧だった顔も、次第に綻んでいく。
「ふむ?なかなか美味じゃなっ」
飴玉をコロンと口の中で転がすと、街道を何処へと無く歩き始める。女もそれに付いていく。薄明かるく道を照らす街灯が続く中で二人の影が伸びたり縮んだりを繰り返している。
「クシュンッ…ハックシュンッ!」
ゴォォッ
「大丈夫ですか?炎…出てますよ?」
くしゃみをする度に炎を吐く。街の住人が見たらそれこそ大騒ぎだろう。生憎、この時間帯では出くわすことはないであろうが。
「この世界は肌に染みる寒さだなっ」
鼻を啜ると、身体を擦って暖める。
「まだ始まったばかりです、風邪をひくと行けませんので何処か暖かい場所に…」
ゴォォ
「っ!何を…」
爆発的な火力を紙一重でかわして女は街灯の上に着地すると、驚きの声をあげる。
「引かん、我は悪魔じゃっ!」
ふんっとそっぽを向くと、また歩き出す。その様子に女は呆気にとられるが、先を歩く、小さくも凛々しさのあるその後ろ姿に苦笑を浮かべざるおえない。
「クシュンッ…」
ゴォォッ
「大丈夫ですか?」
女は側に降り立つと、懐からちりがみを取り出して鼻を拭いてあげる。悪魔でも風邪は引く。それは人間に限らず、どの≪種族≫に対しても等しく平等な事だ。
「我は魔王となるっ!魔界を奪還して座を奪い返すのだっ」
パチパチパチパチッ
腰に手をあてふんぞり返る姿に女は拍手をしてあげる。そうするとまんざらでもないのか、深く被っていた帽子が額にある忌物により浮き上がってくる。
「ぼ、帽子がっ!」
「!?っと危ない」
そう言ってガシッと掴むと、感情をセーブして額の具合を確かめると、帽子をかぶり直す。
「よし!魔王への第一歩、まずは下僕探しだっ」
「了解しました。では、参りましょう」
その後二人は暗い闇の中に溶けるように消えていった。この出来事があったのは誰もいない真夜中の事。後に生死をかけた運命が世界に訪れることは、誰も知るよしはなかった……