知る。
たぷたぷと宙に浮いた水が揺れる。
その中で、白いワンピースの彼女も揺れた。
チェストから出てきたのは、大きな地図に書かれた進路図だった。
筒の中には他に何枚もの詳しい地図がいくつも入っていて、そこには事細かに、進軍の順路や日時が書き込まれていた。
ギルとレイラ、それから城下町の人々に、全て話を聞いた。
どうすればいいのか、まるで分からなくなった。
「……顔でも洗ってくるか」
俺は誰ともなしに呟いて、水の部屋を出た。
太陽の光が射し込む明るい廊下をぼんやり歩く。
すると、先の角から人影が現れた。
真っ赤な上着に白いズボンの軍服に赤いハイヒールを履いている。
「ユウ」
こちらに気が付いたレイラが、片手に持っていた新聞を軽く上げて、こちらに近づいてきた。
真正面に立ち、新聞が差し出される。
「……それは?」
「今日の朝刊だ。一面、読んでみろ」
俺はレイラから新聞を受け取り、バサバサと広げて一面を見た。
『テレスト王国第三王子、本当の運命の人は、同盟国の戦女神!』
大見出しを見て、俺はただただ困惑した。
「何だ、これは。どう言うことだ」
『同盟国の戦女神』とは、まず間違いなく目の前に立っている女騎士のことだろう。
だが、俺は『運命の人』へ導かれたことは一度もないし、それ以前に、あいつに指輪を渡してからその指輪を見てすらいない。
「彼女が、やったんだと思う……」
顔を俯けて、女騎士が呟いた。
「彼女……あいつが?」
「ああ。……彼女がお前に宛ててメッセージを送ると言った時、彼女は、小鳥を二羽飛ばしたんだ」
「二羽? 俺の所には、一羽しか来なかったが」
「うん。だから、もう一羽は別の所へ飛ばしたんだろう。それが、そこ、と」
そう言って、レイラは俺が持っていた新聞を指さした。
「新聞社……。だが、指輪は……」
「実は、私が持ってるんだ」
「は?」
俺が言うと、レイラは胸ポケットから、シルバーの土台にオレンジの石が付いた指輪を取り出した。
息が詰まる。
「それは」
「お前にメッセージを飛ばした後、彼女が私に握らせたんだ。持っていて欲しいと」
だが、とレイラは首を横に振る。
「青白い顔をした彼女を見て気が付いた。彼女はあの時、『この指輪はあなたが持っていてください。その方が良いです』と言ったんだ。……『預ける』とは言ってないんだよ……」
掠れた声で、いつもは気高い女騎士が言った。
酷く、息が詰まる。
手のひらに、そっと指輪が落ちてきた。
戦争が全て終わって、ユトリスの人々が何人もテレストにやってきては、城門前をウロウロと歩いていた。
愛のある結婚などではなかった。普通でさえないプロポーズだった。
そんなもの全て無意味だと思っていた。
その結果が全て、俺の首を締め付ける。
「……ラタリー」
ただこの国のために進んできた。
どうあがいても王になれないのならば、せめてこの国を守り、発展させたいと思っていた。
そのために、強くなるのだと。
決して、泣き言などは吐かないと。
涙など流さないと。
息が苦しい。
「何故……」
ハタハタと指輪が濡れて、淡い光を放つ。
レモン色の暖かい光に誘われるまま歩くと、水の部屋にたどり着いた。
扉を開けた瞬間、わずかにレモン色の光が強くなって、指輪がゆっくりと宙に浮く。
指輪は、いつしかあの時の小鳥のように迷わず、ただまっすぐに、水の中を飛んでいった。
「良いところだな。ここは」
「そうでしょうそうでしょう」
ユトリスの城下町から少しはずれた場所にある小高い丘の上。
どこか自慢げに何度も頷く彼女を見て、彼女はこの国の人間なのだと思った。
彼女に案内されながら、ユトリスのいろいろなところを回った。
城下町の活気ある商店街や、職人街にある魔法具の工房。
見たことのない花が所狭しと並ぶ花屋を眺めていると、全て薬の材料になるのだと言われた。
出会う人々に彼女は家族のように接し、よく笑っていた。
城はテレストに比べると随分小さいが、どこにいても日の光がたっぷりと当たり、西端にある塔から外を見ると、城下町とどこまでも続く森が一望できた。
広い裏庭もあり、テレストに来る前は彼女も世話をしていたと言うバラ園は息を飲むほどに美しかった。
「?」
ふと、上空で何かがキラリと光った。
光は見える範囲で四つ……いや、遠くの方で光って見えるのもそれだろうか。
すると、突然その光から何本もの光の線が伸び、別の光から発せられる線と繋がった。
心臓の鼓動のようなリズムで、光の線は繰り返し繰り返し伸びていく。
「ああ、お昼ですね。ご飯にしましょうか」
「時計なのか?」
「いえ、まあ、その役割も兼ねていますが、あれは、一種の魔法防壁です。今の光は稼働していることを確認するためのもので、一時間に一度、ああいう風に光ります」
「防壁」
「はい。ユトリスと隣国の国境線はほとんど森の中にあって、壁やフェンスを建てることは不可能ですから」
「…………」
「あ、その顔は本当に守れるのかと疑っていますね? 敵の侵入はもちろんですが、本気を出せばミサイルだって防げるんですからね!」
「何!?」
「まあ、そのためには本当の意味で命を削らないといけないんですけど」
「どういうことだ」
問うと、彼女は少し考えるように首をひねってから、口を開いた。
「あの防壁を管理しているのはもちろん王家です。そして、王族と、古くから王に使える一族の人間は、緊急時に魔力を供給することで、大本の装置を動かす権利があります。ですが、これだけ大きなものですから、体内で生成される魔力だけでは十分ではありません」
「なら、どうするんだ」
「……簡単に言えば、命を魔力と同等のエネルギーに変換して供給するんです」
「同等のエネルギー?」
「はい。あくまで同等なので、魔力ではないのですが、魔力に限りなく近いエネルギーです。そのため、魔力を関知する装置にも、このエネルギーは関知されないんです」
「…………」
「ふふっ。訳が分かりませんか。正直、このメカニズムの詳しいことは未だに解明されていないんです。ユトリスも含め、いくつかの魔法国家が研究を続けているのですが、まだ、何とも」
そう言って、彼女は空を見上げた。
ちょうど、最後の光の線が消えたようで、空は今までと何の変わりもなく、ただただ青い。
「お前も」
「?」
「お前も、もしそのときが来たら、この防壁を動かすのか」
「ええ」
すぐに、彼女は答えた。
何の迷いもなく。
「どう言うわけか、私はもう一度命を懸けられるようになったようですし。大切な人々を守るためならば、いくらでも」
「…………」
俺は、柔らかく微笑んだ彼女の腕を掴み、そっと引き寄せた。
彼女の肩に顔を埋める。
「ラタリー」
「はい」
「……ララ」
「はい」
少しだけ、彼女を抱く腕に力を入れた。
「全て守る、から」
「…………」
「隣に、居たい」
ゆっくりと、背中に小さな温もりが回ってきた。
泣きそうなくらいに、幸せだった。