連れ去られます。
どうしてこうなってしまうのでしょうか。
もう少し何とかならなかったものでしょうか。
いえ、そんな風に考えている場合ではありません。どうにか頭を働かせないと。
幸いなことに準備は万端です。
私は、不安そうな空気が渦巻くぎゅうぎゅう詰めの荷馬車の中で、必死に頭を回転させました。
このような状況に陥ったのは一時間ほど前です。
……いや、この状態になる根幹の出来事は、数ヶ月前から始まっていました。
一言で言ってしまえば、戦争です。
テレストからずっと西に、ジグイスと言う軍事国家があります。
大規模な軍隊を持ち、どこか暗い雰囲気を漂わせるその国は、外交や社交の席にもほとんど顔を出さないため、様々な国から敬遠されていました。
そんなジグイスが動き出したのは、数ヶ月前。
突然、武力を持って他の国を制圧し始めたのです。
あまりにも突然で唐突な出来事に、テレストを含め各国がすぐに状況を掴めませんでした。
あたふたと対策を練っている間に、ジグイスはこちらの地方にもどんどん攻め込んできました。
一ヶ月前にはレイゼルに到達し、そして、つい最近テレストへ。
早いうちから体制を整えていたテレストでも、現在劣性に追い込まれています。
毎日のようにユウ様やギルさんの率いる軍隊は戦場へと向かい、私も魔術部隊の司令官を行いながら、故郷ユトリスの対策に追われていました。
今日は、同盟国レイゼルのレイラ様と騎士団のギルさんと一緒に、今後の対策を相談していました。
その時です。
突然窓が割れる音がしたかと思うと、小さくシューという音が聞こえてきました。
それに私たちが気が付きハッとしたときには、すでに遅く。
私たちは揃って意識を失いました。
意識が戻ったのは、この荷馬車の中でした。
私とレイラ様とギルさんに加え、そこにはテレストの城下町に住む人々が詰め込まれていて、幾人かは顔や体に怪我をしていました。
荷馬車の後ろに目を向けると、そこには黒い甲冑に身を包み、銃を持った兵士が二人。
あの黒光りする甲冑は、ジグリスのものです。
人質、という単語が、私たちの頭に浮かびました。
私たちが連れてこられたのは、深い森の中にある古い屋敷でした。
列になって馬車を降り、屋敷の隅にある大部屋に全員押し込まれます。
その直後に、鍵の閉まる重たい音が聞こえました。
「…………」
私はざっと部屋を見渡しました。
ベッドも机も置かれていない部屋。
壁や床にはヒビが入り、割れた窓ガラスは外から板が打ち付けられています。
私は座り込む人々を避けながら窓に近づきました。足下には、割れたガラスが散乱しています。
窓やガラスは部屋と同じように古いもののようですが、板はつい最近付けられた物のようです。
わずかな隙間から、外の景色が見え、冷たい風が吹き込んできました。
くしゅん!
ふと、そんなくしゃみが部屋に響きました。
ざわりと空気が揺れて、私も振り返ると、そこには口を押さえて申し訳なさそうにしている女性が一人。
両手には赤ちゃんを抱いていました。
「……ギルさん」
私は鍵のかかった扉の横に立っていたギルさんに声をかけました。
うん? と首を傾げたので手招きをすると、私と同じように人を避けながらのしのしと近づいてきます。
「どうした? 姫さん」
そう問いかけたギルさんの手元に、私は目を向けました。
「ギルさん。グローブを片方貸していただけませんか」
「グローブ? ……かまわんが……どうするつもりだ?」
ギルさんはそう言いつつ、手にはめていた茶色い皮のグローブをはずし差し出しました。
受け取り、私の手より断然大きなそれをはめます。
それから足下に目を向けて、手頃なガラスの破片を掴み、
「姫さん!」
ギルさんが叫んだときには、私の着ていたレモン色の驕奢なドレスの一番上に乗っていた飾り布を止めるボタンがはね飛びました。
半円形の布を畳み、ギルさんに差し出します。
「これをあの方に渡してきてください。肩に掛けるだけでも違うでしょう」
「は!? で、でも!」
「すきま風は寒いですからね。早くしないと風邪を引いてしまいます。……赤ちゃんの分も、取りましょうか」
手に持ったガラス片を、もう一枚飾り布をもう一枚外しました。
「はい。お願いします」
「姫さん、そんな!」
「節度は守ります。ですが見てください、まだ、私はドレスに乗っていた飾り布を切っただけです。ドレスに傷は付いていませんし、まだ層はあります。さあ、早く」
私がぎゅうぎゅう背中を押すと、ギルさんは何度もこちらを振り返りながら女性に向かって歩いて行きました。
「他に寒いという方がいらしたら、おっしゃってください。数は多くありませんが、まだ切れます。ああでも、まずは女性とお子さんを優先でお願いします」
そう言うと、また部屋の空気がざわざわと揺れました。
と、
「ちょっと待った!」
「ギルさん?」
「姫さん。俺にもそのガラス、貸してくれ」
「え?」
ずっ、と差し出された、グローブをはめた手の上に、ガラス片を乗せました。
するとギルさんは羽織っていた騎士団の大きなマントを脱ぎ、ガラス片を使って端っこを少し切ると、そこからビリビリと破きました。
「ぎ、ギルさんまでそんなことしなくても……」
「バカ言ってんじゃねえよ。女が、しかも一国の姫が着るものを破いてるのに、騎士が破かないなんて話があるか!」
「ギルさん……」
困ったように笑うギルさんを見て、私も少し笑いました。
ギルさんはマントをさらに数枚に分け、女性や子供たちに渡して行きます。
その姿を見ていた男性が、自分が着ていた上着を脱ぎ、隣に座る女性に渡しました。
女性は驚いた顔をしましたが、すぐに笑って、ありがとうございます、と頭を下げました。
その一滴は、次第に波となり、部屋全体に伝わります。
寒くないかい?
良かったら使って。
ありがとう。
そんな言葉が、部屋に響き、温かく空気に染み込んでいきます。
「あの……」
「あ、はい」
気が付くと、隣に赤ちゃんを抱えた女性が立っていました。
肩にはレモン色の飾り布を羽織っています。
「ありがとうございました!」
「いえいえ、お気になさらずに。私がやりたくてやったことですので」
深く頭を下げた女性にを何とか宥めて顔を上げて貰いました。
赤ちゃんがきゃっきゃと嬉しそうに笑います。
ひとまず、大きな混乱になることは避けられたでしょうか。
「だが、これからどうする……」
部屋の隅でギルさんが言いました。
正確な時間は分かりませんが、とうに正午は過ぎたでしょう。
「俺は今武器を持っていないし、持っていたとしても、全員を無事に脱出させられるかと言えば……」
いくら優秀な騎士団副団長でも、それはさすがに無理な話でしょう。
こちらはこの屋敷の正確な規模も、ここにいる敵の数も分かりません。
「魔法は、使えないのか?」
レイラ様がこちらを見て言いましたが、私は少しだけ俯いて言いました。
「魔法は、体内にある魔力を練り、それを放出する物です。この部屋には、魔力の動きを探知する魔法がかけられています」
おそらく、魔法が体内で練られる魔力を関知した瞬間、何らかの仕掛けが発動するようになっているのでしょう。
それが私だけに降りかかればまだ良いのですが、生憎、そう言ったトラップは部屋全体に効力を発揮してしまう場合がほとんどです。
「そうか……」
レイラ様が目を伏せて苦しそうに言いました。
ギルさんも、難しい顔で天井を見上げています。
私は、部屋の中にいるテレストの人々に目を向けました。
人々は皆、手を繋いだり、肩を抱いたりしながら、言葉は無くとも、互いを励ましあっていました。
不安の表情を浮かべながらも、瞳には強い光が宿っていて。
……きっともう時間がありません。
うじうじしては、いられませんね。
「……分かりました。やりましょう。魔法」
「え?」
「でも、魔法は出来ないって……」
「いえ、厳密に言うと、出来ないわけではないのです。ある方法を使えば」
「ある方法?」
「ええ」
私は、荷馬車の中で考えた方法をもう一度確認してから、部屋の真ん中に立ちました。
それから、すうっと息を吸って、全神経を体の中心に向ける感じをイメージします。
心臓の辺りがふつふつと熱くなって、鼓動が大きく耳の奥に響きます。
閉じていた目に見える暗闇の奥に、小さな光が見えてきて、その白い光が視界を埋め尽くしたとき、私はそっと目を開けました。
屋敷の、所々瓦の崩れた赤い屋根が見えます。
真っ黒なマントを翻して、誰かが馬に乗り屋敷から出てきました。
顔はよく見えませんが、何かを持っているようです。
私は、どんどんと空に上っていきます。
今日は生憎の曇りですが、周りの景色はよく見えました。
どんどん上って、深い森の全容が明らかになっていきます。
半径一キロ、二キロ……。
『!?』
私は空中で目を見張りました。
だって、あれは。それでは、ここは。
「姫さん!」
そこまで見たとき、体がぐらりと揺れて、私は我に返りました。
いつの間にか息が上がり、どっと汗が噴き出していて、その様子を、レイラ様とギルさん、それから城下町の方々が心配そうに見つめています。
私は荒い息を整え、私の肩を掴むギルさんを見て、隣に立つレイラ様を見て、それから、城下町の方々を見ました。
「……。みなさん」
言うと、人々はもぞもぞと居住まいを正します。
それがなんだか可笑しくて、私は少し、笑ってしまいました。
「みなさん、お願いがあります」
私は胸に手を当てて、もう一度、深呼吸をしました。
まだ、大丈夫です。
この日は、放り投げられた堅いパンを食べてから、身を寄せ合い眠りにつきました。
風は相変わらず吹き込んできますが、不思議と、暖かな眠りでした。