プロローグ2
おかしいと思ったのは翌朝。
犯罪したばかりでおかしいが、だいぶ良い具合に深く眠れた俺は気付いた。クリアな脳になって気付いた。
昨日から赤ん坊が泣いていないのだ。赤ん坊は泣くのが仕事なはずなのに。
朝日がテント内を照らし、眩しさで目を覚ました俺は、朝食用に置いていた飯に手を伸ばし、もそもそと食べていた。そして気付いたのだ。赤ん坊って、空腹と不快で泣くはずなのに、いまだ一度も泣き声を聞いていない。
昨日が仮死状態で、既に死んでたりするかも、とちょっとドキドキしながら布を見るが、生きてるのか死んでいるのかはっきりしない。
そっと布を覗き込んで観察してみる。ちょっとだけ、呼吸で動いている気もする。顔も死人のような白さではない。
試しに触ると、温かかった。ついでにぱちりと目を開けて、赤ん坊が俺を見た。
・・・赤ん坊は、無音で泣いた。
冷静になれば、一日の半分も食事がもらえていないし、おむつだってそのままなのだから、空腹と不快感で世話をしてくれと泣くのが普通だと分かったと思う。
でもこの時は、しぐさは絶叫するように泣いている赤ん坊の声が出ていないことが衝撃で、俺の思考は停止していた。
障害児だったのか。
俺の頭の中に浮かんだのは、そんな一言だった。
絶句して赤ん坊から目が離せないでいると、愛子が起きた。
同じように赤ん坊に気付いて、二人で無言のまま泣き叫ぶ姿をただ見る。
だって、どうしたらいいか分からないじゃないか。声の出ない赤ん坊を盗んできた。つまり、誘拐だ。
返すには、このままどっか見つかりやすい場所に置いてくればいいのか。・・・障害児を?
そこまで腐った人間になり下がっているつもりはないんだが。
身代金とか取らないで返すだけなら、善良か?
声のない赤ん坊を盗んだ。故意ではないが、重罪な気がする。
俺がそんなことに戦慄を覚えて固まっている間に、愛子が赤ん坊を抱き上げた。
手にはペットボトル。中身はスポーツ時にお勧めの有名な飲料水。
愛子は無言で赤ん坊を支えて、口元にゆっくりとペットボトルを傾けた。
無言で泣いている口にちょっとだけ水分が入って、赤ん坊は体全体で拒絶を示した。
ミルクじゃないもんな。美味しくないってとこか。
口元からちょろちょろとこぼれて、布がどんどん濡れていく。
「なぁ、こぼれてる・・・・・・」
そのやり方どうなのよ、しかもミルクじゃねぇし。
そんな非難めいた意味もこめて言ってみたら、馬鹿にしたような顔を返された。
「一晩飲まず食わずだったんだから、脱水症状で死なないように飲ませてるんじゃない。赤ちゃん用なんてないでしょ」
ごもっとも。
さて、どうしたもんか。
「チェックアウト9時よね、今何時?」
「7時だな」
2時間で赤ん坊の返し方と逃走を練らなければならない。
愛子は無音で抵抗し続ける赤ん坊にこりずに水分を押しつけて、数口飲み込んだのが分かると今度は赤ん坊をあやしにかかった。濡れた布と服を脱がして、乾いた服を出してくるみ込んでいる。
俺たちは9時にここを出て、ほとぼりが冷めるまで潜伏するつもりだった。でもこの計画に誘拐の予定はなかった。
「まず、どれくらい警察が動いてるかを知らないと」
ああ、なんでラジオとか持ってなかったんだ。いや、キャンプしてて知りませんでしたーっていう設定でいくつもりだった。
でもチェックインの時は男女1組だったのに、チェックアウトでいきなり赤ん坊が増えてたらどうだろう。犯罪事件とは関係なしに大問題ではないか。
チェックアウトの時はかばんの中に赤ん坊を入れていくことにした。動くけど、声がないからなんとかなるだろう。
後は、赤ん坊の返し方。
「昼間だと目立つから、暗くなってからどこかに置いたほうがいいと思うんだけど・・・」
「問題はどこに置くかだろう」
「あとさ、さすがにこのおむつは換えないとまずいわ・・・ぱんぱんだし。すぐ返せないしごはんもないと」
愛子の腕の中では泣き疲れてぐったりしだした赤ん坊が、それでもぐずって真っ赤な顔をしている。
正直、ちょっと無事なのか分からなくてあせる。
死ななくても、衰弱してたら捕まったときに責められる。
「まず、飯・・・んで、夜まで待つならその間は」
「・・・行くとこなんてないし、最初通りアパートでいいじゃん」
そして夜にちょっと遠めに移動して置いてくる。結局、最初通りの行動に買い物と捨てに行く移動を増やすことにした。
赤ん坊がぐったりしていて、俺は焦っていた。
愛子もどうも同じだったらしく、支度をして早めに出ようと言いだした。一も二もなく俺は賛成して、結局9時よりも少し早く公園を後にした。
赤ん坊はばれなかった。