自己肯定感低下屋
東京、新宿。
おもちゃ箱をひっくり返した歌舞伎町の外れに、小さな雑居ビルがある。
青色のタイルが貼ってある3階建の建物。ガラスの扉の上には「小寺ビル」という看板がある。看板はところどころ赤茶色に錆びていて、長い間、ここにこのビルがあったことを物語っている。
入ってすぐに階段がある。周囲は白い壁。人がようやくすれ違うことができるほどの広さ。時折、バターン、と、鉄の扉を閉める音が盛大に響き渡っている。
階段を上がって2階へ。すぐ正面に緑色の鉄の扉がある。扉には「有限会社自己肯定感低下研究所」という、白いプラスチック板に黒いマジックで手書きされた看板が掲げられている。ここが、SNSで密かに広がっている「自己肯定感低下屋」だ。
自己肯定感低下。
巷では、自己肯定感を高めるための本や動画、セミナーがあふれている。
「あなたは本当は素晴らしい人」
「ナンバーワンにならなくても、あなたは大切なオンリーワン」
「生きてるだけで丸儲け」
中には、宗教まがいのセミナーを行い、2時間で数万円を払わせたり、お守りだかなんだかわけのわからないモノを数万円で買わせたりと、結局はカネでしょ?というところも少なくない。
しかし、この自己肯定感低下屋は、1時間5000円で、確実に自己肯定感を低下させてくれるのだ。
日本人は褒められることに弱い。褒められると、なんだかくすぐったい感じもするし、褒めた裏には何かがあるのではないかと勘ぐってしまう。しかし、自己肯定感低下屋は、これでもか!というくらい自己肯定感を下げてくれる。褒められるよりも逆に、けなされる方が気持ちいいと感じる人も少なくない。自己肯定感低下屋は密かなブームとなり、数こそ少ないものの、毎日途切れることなく人が訪れている。
きょうも、小寺ビルの階段を2階へと上がっていく人がいる。
京香、25歳女性。都内の派遣社員。白のブラウスに、黒いスカート。髪は後ろで1つ括り。黒縁のメガネ、薄化粧。まるで就職面接にでも行くのかという地味な格好である。
もちろん、自己肯定感は低い。
東京八王子市で生まれ育った。父親は平凡なサラリーマン、母親はスーパーのレジ打ち。一人っ子。小中高と成績は並。帰宅部。大学へは進まずにそのまま派遣会社へ登録。今の職場は3か所目。彼氏はいるが、1ヶ月に1度会うだけ。
これまでの人生で、特に大きな喜びもなく、悲しみもない。このまま年を重ねるだけ。結婚?できるかしら。今の彼氏は絶対浮気してると思う。でも、私のような器量の悪い女が浮気の話を持ち出したら彼氏は私の目の前から去ってしまう。彼に抱かれているときは心地よい。だから、それは離したくない。今は1人暮らし。寂しいのは嫌。私はおもちゃにされてもいいの。
京香は緑色の扉の前で足を止めた。目の前には「自己肯定感低下」の文字。
「あぁ、早く私をいじめてほしい」
栄養の全く無いジャンクフードを求めるように、彼女の胸は高鳴っている。
ドンドン、鉄の扉を叩く音が響き渡る。
「どうぞ」
しわがれた女の声が扉の奥から聞こえる。少し怒っているような口調だ。
中に入る。
カーテンが閉められていて、中は薄暗い。正面に大きなテーブル。その奥に、60絡みの女が座っている。全身黒のワンピース。目だけがギョロッと光っている。
「予約の人だね」「はい」
短いやり取り。
この女の名は文江。自己肯定感低下カウンセラーという肩書を持っている。
「1時間5000円。何時間だい?」
不機嫌そうな口調で文江が京香に問う。
「1時間で」
消えそうな声で京香が答える。
「じゃあ出して」
京香が1万円札を財布から出し、テーブルへ置く。
「はぁ?1万円。釣なんかないよ。どうぜまた来るんだから取っとくよ」
文江は1万円札を取ると、乱暴に机の引き出しを開けて中にしまう。
バターン、という引き出しを閉める音。
「始めるよ」「お願いします」
文江は京香の顔をじっと見る。しばらくして、フン!と花で笑う。
「このブス」
京香は目を逸らす。
「逸らすんじゃないよ!ブスだからまともに人の顔が見られないんだよ。何その黒縁のメガネ。全然似合ってない。」
メガネが似合っていないことは職場の同僚にも言われたことがある。そのときは涙が出そうなほどに嫌な思いをしたのだが、今、同じことを文江に言われると、心地良く感じられるのが不思議だ。
そう、あたしはブス。似合わない黒縁メガネの女。
日頃思っていることを明確に言語化し、はっきり言ってくれると、悲しみというよりむしろ快感すら覚える。
「立ってごらん」
文江がぶっきらぼうに言う。
京香はその場に立ち上がる。
「この胸なし女。洗濯板じゃない。」
京香は胸が小さい。高校時代からずっとコンプレックスだった。女子更衣室でも「ペチャパイ」とずっと言われ続けてきた。お前なんかに男を喜ばすことはできないと言われ続けてきた。
今の彼氏に初めて自分の体を見せたとき、彼氏が小さな声で「ちぇっ」と言ったのが、未だに耳に残っている。彼氏は聞こえないように言ったつもりなのだろうが、京香は痛いほど聞こえたし、良く覚えている。
「こんなんじゃ男は喜ばないよね」
文江に同じことを言われた。しかし、すごく心地良い。もっと言ってほしい、もっと。
「あの」
京香が小さな声をだす。
「なんだい」
文江がぶっきらぼうに応じる。
「カッター、出していいですか?」
「自分でしてよ。あたしを切らないでね」
京香はカバンからカッターナイフを取り出し、腕をめくった。
リストカットをするためだ。
スッ、と腕にカッターナイフを当てた。細く赤く、筋ができた。
気持ちいい。
「もっと言ってください。罵ってください。罵倒してください!」
「うるさい!」
京香はいつの間にか声が大きくなっていた。それをすかさず文江がたしなめる。
「大きい声出すんじゃないよこのブス女!役立たず!ペチャパイ!」
また1つ、傷をつける。
心地良い。
「あんた、彼氏いるの?」
文江の問い。
「います」
消え入る声で京香が答える。
「浮気してんね。どうせ体が目当てさ。欲望吐き出してるだけだよ」
会えば必ずベッドを共にする。終わったあと、彼氏は「ケッ」という声とともにシャワーへと向かってしまう。
「次はいつ会えるの?」
「1ヶ月後」
彼氏は吐き捨てるように答え、部屋を出ていく。
体目当ての都合の良い女だっていうことは分かっている。しかし、こんな私を彼女にしてくれるだけでもありがたい。交わっているときは確かに肌の温もりや、彼の息遣いを感じる。それだけでいい。それだけでいい?
激しい自己肯定感の低下。発作的にカッターナイフでいくつも傷を付けてしまう。
「こんなに傷付けて、本当にダメ女だね。ブス、ペチャパイ、地味女、売春婦!!」
「いぎゃあああああ」
何とも言えない京香の叫び声。カッターナイフを何度も何度も腕に当てる。
京香はベッドの上で目を覚ました。どうやら気絶してしまったらしい。
「ココア、飲むかい?」
文江が声をかける。今までにない優しい口調だ。
京香はベッドから起き上がり、文江からココアを受け取って、一口飲む。
温かくて、ほんのり甘いココアが口の中に広がる。
ホッとしたのか、京香の目には涙があふれてきた。
「文江先生。私、私」
嗚咽で言葉が出ない。
「きょう、死ぬつもりだったんだろ」
文江が言うと、京香は泣きじゃくりながらうなずく。
「自己肯定感、どん底まで下げておいたから、これ以上下がることはないよ。無理して上げようとせずに生きなさい。あんたに死なれたら悪い評判が立って商売にならない」
文江が言い放つ。
「はい、きょうはありがとございました」
京香は思った。
無理に変わらなくていいのだ。社会の底辺で生きていこう。
私は私。変えようとするから辛くなるんだ。
私はブス、ペチャパイ、地味女、売春婦。
そう言われて心地よければ、それでいいのだ。




