ゴリラ・ハート
清坂正吾様主催『ゴリラパーティー』参加作品です。
「早乙女、またりんごスムージー飲んでるのかよ。どうせゴリラになるんだから最初からバナナスムージーにすりゃいいのに」
猿渡がそう言い終えた瞬間、ぽんっと何かが弾け飛ぶような音がしてその場にゴリラが現れる。毛むくじゃらで、腕も足も太い立派な体格のゴリラ。その指には、先ほどまで早乙女が手にしていたりんごスムージーが握られている。
「ひっどーい! 今の言葉傷ついた。おかげで朝からゴリラになっちゃったじゃん!」
可愛い声でそう言い返すゴリラに、教室中が笑いに包まれる。このゴリラは早乙女と同一ゴリラ、もとい同一人物だ。見慣れたその光景に、僕は溜め息をつく。
早乙女の持つ特性『ゴリラ・ハート』。精神的なショックを受けると一時的にゴリラに変身する。この「精神的なショック」「一時的」というのはわりと曖昧らしく、本人によれば「ペットが死んですごく悲しかった時は数日間ゴリラのままだった」「推しのアイドルが脱退した時はゴリラになったけど、数分間で元に戻った」という。要するに、ショックが強かったり長引いたりしたらゴリラになっている時間も長いんじゃないかとのことだが……猿渡はゴリラになった早乙女にニヤニヤしながら言葉をかける。
「てかさー、正直ゴリラでも普段と変わらなくね? 早乙女ってもともと女子にしてはゴツい体型だし」
「っもう! そんなこと言われたらまたしばらく人間に戻れなくなるじゃん! 授業までに人間に戻れなかったらどうするの!?」
「だったら、ゴリラのまんま授業受ければいいじゃんー」
「こんなゴリラの指じゃノートもろくにとれないでしょ!!」
明るく言う早乙女、もといゴリラを前にまたどっと笑いが起きる。教室の真ん中でゴリラを囲み、笑っているクラスメートたち。どこかシュールで、奇妙だがいたって平和な光景だ。
だが――僕はその光景を見ていると、いつもモヤモヤしてしまう。
確かに早乙女は女子にしては高身長だし、肩幅も大きくて「ゴツい」と言えなくはない。
でも、ゴリラじゃない時の早乙女は、普通の女の子だ。
長い髪はストレートで、体育の時はポニーテールにしている。顔は丸型で、円らな目にはコンタクトをしているらしい。美少女ではないけどまぁ可愛い系……ちなみに結構、胸が大きい。
そんな子が、特性とはいえゴリラになってしまうことを笑われる姿に僕はいつも違和感を抱いていた。
本人は笑ってネタにしているが、早乙女がゴリラになるのは多かれ少なかれ精神的に「傷ついている」からだ。
そんな状態を周りに笑われて、揶揄われて。本人は辛くないのだろうか。
僕はそれがずっと、疑問だった。
◇
「あ、犬塚くん……」
ある日の図書室。たまたま目が合った僕に、早乙女は声をかけてきた。
だが僕は、それに上手く返すことができず……早乙女の声かけは中途半端な状況でぶら下がり、そのまま気まずい沈黙が流れる。「おはよう」というには遅く、「こんにちは」「こんばんは」と言うには微妙な関係性。声をかけてもらったからには何か話さねば、と思うのだがちょうどいい話題が出てこない。とにかく何か言わねば、という焦りだけが募り――僕は咄嗟に「あのさ」と口を開く。
「早乙女って、その……いつも辛くないのか?」
言葉にしてしまってから、「なぜ今それを」と思ってしまったが時は既に遅く……早乙女は「何が?」ときょとんとしてみせる。
「いつも猿渡に揶揄われて、ゴリラに変身したところを笑われて……辛くないのか?」
聞き終えた瞬間――ぽんっ! と音がした
気づけば目の前に、ゴリラになった早乙女がいる。
「っ……やだなー犬塚。いきなりそんなこと言われたら、びっくりしてゴリラになっちゃうじゃん」
「え? あ、いや、その……」
軽く笑いながら、明るく言い返す早乙女。だがゴリラになったその表情からは、何も読み取れなかった。いつも教室で遠くから見ていた、ゴリラになった早乙女の菅良。それを、実際に目の前で行われたことにも驚いたが――先に「え?」という困惑が来てしまう。
今の言葉で、傷ついたのか?
そんな感想を抱いてしまった僕の前で、ゴリラが――ゴリラになった早乙女が、「別に」と口火を切る。
「大丈夫だよ。猿渡に悪気がないのはわかってるし、昔からゴリラになるのは揶揄われてきたから……そもそもゴリラになるのは、私の特性のせいだし。これでも昔は、今よりゴリラになる頻度が高かったんだよ? それが、成長して少し落ち着いてきたし……だから、そんな辛いとかないから」
いつも通りの声音で、しかし必死に言葉を探し何かを弁明するような早乙女の口調。その姿はゴリラのまま戻らない。
早乙女の特性は精神的ショックが強かったり、長引いたりしたらゴリラになっている時間が長くなる――それでも早乙女は、ゴリラになった顔を僕から背けようとする。視線を逸らす早乙女に、僕は狼狽えつつ「っあ! えっと!」と声を上げていた。
「いきなりゴメン! けど、その、ゴリラになってるのを無理して隠さなくてもいいんじゃないか!?」
僕の言葉に「え?」と戸惑うような声を漏らす早乙女。そんな彼女を相手に僕はなんとか、かける言葉を探そうとする。
「誰だって些細な一言で傷ついたり、落ち込んで悲しくなったりすることはある。ただ、早乙女はそれが『ゴリラになる』って形で表れるだけで……でも、多少なりとも傷ついていることは事実だろ。だから、その、それを無理に誤魔化さなくていいんじゃないか。笑って流したり、『特性のせいだから』って自分のせいにしなくてもいいんじゃないかな」
僕が感じていた違和感の正体。それは「傷ついてゴリラになった姿を笑われて、それでもなぜ笑っていられるんだろう」という純粋な疑問だった。それを言語化するのは正直、難しかった。ただ、それでも懸命に自分の気持ちを伝えようとしていれば早乙女が真っすぐに僕の方を見つめてくる。
「……そんなこと、初めて言われたよ」
静かな一言と共に、ゴリラの円らな瞳から涙が流れる。
「ゴリラになっちゃうの、仕方ないじゃん。それを笑われて、平気なわけないじゃん。だけど、それでどうにかなるわけでもないんだからさ……自分で自分をネタにして、笑うしかないじゃん」
震える声は、まるで自分に言い聞かせているようだったがゴリラの涙が止まることはなかった。相手を泣かせてしまった事実に、ぎょっとする僕だが早乙女は僕を責めようとはしない。ただゴリラの姿になったまま、僕に近づくとそのまま静かに泣き始める。見た目は厳つく、強そうなゴリラの早乙女。だけど今その姿はひどく儚く、脆いように見えた。
あぁ、早乙女は本当は傷つきやすくて、それを必死に隠してきた人なんだ。
唐突にそう思い、すとんと納得してしまった僕はそのまま早乙女の背中を撫でる。
こういう時、どうすることが正解なのかはわからない。目の前で傷つき、泣いている人を前に何をするのが一番良いのかなんてきっと誰にもわからないのだろう。ただ、僕はひたすら毛並みのいいゴリラの背中を撫で続けた。早乙女はそれを拒絶することなく、ただしくしくと泣き続けている。
猿渡だけじゃない。世の中には悪意なく人を傷つけてしまう人間もいれば、相手が傷つくことをわかってあえて口にしてしまうような人間もいる。その中で「傷つくとゴリラになってしまう」という個性を持った早乙女は、きっと辛い思いをすることも多いだろう。
だけど、今だけは。
泣いているゴリラの背中を、僕は静かに撫で続けるのだった。




