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辺境調整官、只今着任 〜左遷に見えた赴任は、辺境を変える第一手だった〜  作者: 瀬川 理久
第五章:目が、増えていく

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第三十三話「見る理由は、それぞれ」

 着任五十八日目の朝。


 ライルは、公文書用の施錠箱を開いた。


 昨日届いた、差出人不明の書状。


 ロイドが開封記録を用意する。


 ヴェクも立会人として、その場にいた。


「封蝋、昨日の記録と一致しています」


 ロイドが確認した。


「欠けもありません」


 ライルは封を切った。


 外封は厚かったが、中身は短い。


 最初の行に、所属が記されていた。


 帝国内政調整局、監査室。


 商会に関する処理を進めるにあたり、追加で確認したい事項がある。


 水路修繕記録。


 農地移動記録。


 関係者の証言記録。


 それぞれの原本が、現在どこに保管されているか。


 今後、調整局の担当者が現地で原本を閲覧できるか。


 写しを作成した者、作成日、原本との照合者を示せるか。


 差出人はフォルケではなかった。


 署名の代わりに、監査室の役職名と公印がある。


「フォルケ様とは別の部署でしょうか」


 ロイドが尋ねた。


「同じ局の、上席での確認に進んだと考える方が自然です」


「処理は止まっていない」


「はい」


 フォルケが持ち帰った記録は、提出されたまま眠っていたわけではない。


 現地で確認した者の報告から。


 原本をどう扱うかを決める段階へ進んでいる。


「原本は、これまで通りガルダで保管しますか」


「はい。外へは出しません」


「写しを送る」


「送ります。ただし、写しの作成日、担当者、照合者を記載してください」


「原本の閲覧については」


「事前に閲覧者と目的が示されれば、応じます」


「持ち出しは」


「認めません。必要なら、この執務所で確認してもらいます」


 証拠を隠す必要はない。


 だが、誰が持ち出したかわからない状態にする必要もない。


「閲覧記録も作りますか」


 ヴェクが聞いた。


「作ります」


 ライルは答えた。


「日付。閲覧者。所属。閲覧目的。確認した原本。持ち込んだ写し。立会人」


「新しい帳面を?」


 ヴェクが棚を見る。


「まだ作りません。取引停止関連記録の中へ、閲覧欄を追加します」


 必要な記録が増えるたびに、新しい帳面を作ればよいわけではない。


 既存の記録の中へ収められるものは、そこでつなぐ。


「写しの準備を始めます」


 ロイドが答えた。


 これで、一つ。


---


 昼前。


 来訪者が続いた。


 最初は商人だった。


 隣領市場町とは別の、さらに西の市場を拠点にしているという。


「ガルダで麦の売買が成立したと聞きました」


「事実です」


 ライルは答えた。


「市場町への到着と、取引完了も確認されています」


「うちでも、扱わせてもらえないかと思いまして」


 ロイドが、来訪者の名前と拠点を記録する。


「扱う品は」


「麦と豆。乾燥果実も買います。こちらからは、塩漬け肉、布、陶器を運べます」


「荷車は」


「通常は二台。量があれば四台まで」


「過去の取引先は」


 男は三つの村と、一つの宿場町を挙げた。


 ロイドが一つずつ書く。


「取引先候補記録へ登録します」


 ライルは言った。


「ただし、条件交渉へは、すぐに進みません」


「すでに別の相手がいるからですか」


「それだけではありません」


 候補として登録する。


 身元と過去の取引を照会する。


 取り扱える量を確認する。


 そこまでは、複数の相手について並行して進められる。


 だが、実際の取引条件を詰め始めれば、人手も記録も必要になる。


「身元照会までは進めます」


「交渉は」


「現在確認中の一件が終わってからです」


「一件ずつ、ですか」


「今の執務所が、約束を守れる範囲で進めます」


 男は少し驚いた顔をした。


「急いで取引先を増やすつもりはない、と」


「数だけを増やして、確認できなくなれば意味がありません」


「商会を通さずに、ここまでやるとは思いませんでした」


 男はそう付け加えた。


「商会をなくすことが目的ではありません」


 ライルは答えた。


「買い手が増えれば、南通り穀物商会にとっても、価格や条件を見直す理由になります」


「競わせるのですか」


「選べる状態を作るだけです」


 男は少し考えた。


 それ以上は聞かなかった。


 名刺代わりの紙を置いて帰る。


 ロイドは、紙に照会前の印をつけた。


 二つ目。


---


 午後。


 別の領地から使者が来た。


 紋章を掲げた馬車ではない。


 旅装も簡素だった。


 だが、言葉遣いと姿勢には、貴族家に長く仕える者の癖があった。


 歳は四十前後。


 執務所へ入ると、最初に封書と委任状を差し出した。


「我が主の命により参りました」


 使者は、主家の名を告げた。


 ガルダでは聞き慣れない、北西の領地を治める貴族家だった。


 委任状には家の印。


 使者本人の名。


 訪問目的。


 どこまで話す権限があるか。


 必要な事項が書かれている。


 ロイドが写しを取り、原本を返した。


「我が主は、ガルダにおける水路と官倉の運用に関心を持っております」


「書面での照会ではなく」


「一度、調整官様と直接お話ししたいとの意向です」


「議題は」


「水路の維持方法。官倉の管理。外部商人との取引について」


 使者は一度言葉を切った。


「南通り穀物商会との一件にも、関心を持っております」


 ライルは表情を変えなかった。


「関心を持たれる理由を、伺ってもよろしいですか」


「近隣で起きたことです。他人事ではない、というだけのことかと」


 答えにはなっていない。


 だが、使者が答える権限を持たない可能性もある。


「面会そのものは可能です」


 ライルは言った。


「ただし、日程を決める前に、議題と出席者を改めて書面でお願いします」


「主家の目的を、もう少し具体的に示すように、と」


「はい。水路を知りたいのか。官倉を知りたいのか。商会の件について意見を求めるのか。それによって用意する記録が変わります」


「承知しました」


「面会を断るものではありません」


「そのように伝えます」


 使者は頭を下げた。


 帰る前に、もう一つだけ言った。


「我が主は、調整官様が短期間で何をなされたのかにも関心を持っております」


 仕組みだけではない。


 ライルという人間を見ようとしている。


 三つ目。


 使者が帰った後、ロイドは委任状の写しへ、発言をそのまま書き加えた。


 南通り穀物商会との一件に関心あり。


 調整官個人にも関心あり。


 目的の詳細、次回書面待ち。


---


 夕刻。


 ロイドが三つの記録を机へ並べた。


 帝国内政調整局からの追加照会。


 西の市場の商人からの取引希望。


 北西の貴族家からの面会希望。


「三つとも、同じ日に来ました」


「はい」


「偶然でしょうか」


 ライルは少し考えた。


「同じ原因から生じた動きではあります」


「隊商との取引」


「それだけではありません。隣領領主家へ手順を渡したことも、どこかで話題になっているのでしょう」


「ガルダの名前が、いくつもの道を通り始めている」


「はい」


 ロイドは、三つの記録を見た。


「同じように扱いますか」


「扱い方は違います」


 ライルは最初の書状を指した。


「帝国の照会は、公の権限に基づくものです。原本の保管と、写しの正確さが求められています」


「商人は」


「取引相手として信用できるか。価格、量、支払い、運搬。商売の条件を確かめます」


「貴族家は」


 ライルは少し間を置いた。


「まだ、何を求めているのかわかりません」


「参考にしたいのか」


「警戒しているのか」


「利用したいのか」


「そのどれか一つとも限りません」


 同じガルダを見ている。


 だが、見る理由はそれぞれ違う。


「わからないまま、会うのですか」


「目的を示す書面が来れば」


「それでも、完全にはわからないかもしれません」


「だから会います」


 会わずにいれば、相手の目的を推測するしかない。


 会えば、言葉、質問、持参した資料から、確かめられることが増える。


「商会との一件に触れたのが気になります」


 ロイドが言った。


「はい」


「関心があるのは、水路や官倉だけではない」


「その可能性は高いでしょう」


「怖くはありませんか」


 珍しい問いだった。


 ライルはすぐには答えなかった。


「怖いというのとは、少し違います」


「では」


「見られることは、値踏みされることでもあります」


 ライルは三つの記録を見た。


「ですが、見られるたびに仕事の仕方を変えれば、最後に何も残りません」


「同じ事実を、同じように記録する」


「はい。ただし、誰にでもすべてを渡すわけではありません」


 帝国には、権限と目的の範囲で原本を見せる。


 商人には、取引に必要な数量と条件を示す。


 貴族家には、目的が明らかになるまで個別記録を渡さない。


「隠さないことと、無制限に見せることは違います」


「はい」


「誰が、いつ、何を求めて来たかも残す」


「後から、同じ言葉の意味が変わることがあります」


 今は参考にしたいと言っている者が、後に取引を求めるかもしれない。


 友好的な質問が、警戒のためだったとわかるかもしれない。


 反対に、値踏みに見えた問いが、本当に制度を学ぶためだったとわかることもある。


「見る理由は、今すぐ決めつけません」


「だから、記録する」


「はい」


 ロイドは、三つの記録へ日付を書き足した。


---


 受付を終えたヴェクが、帳面を重ねながら呟いた。


「今日だけで、来訪と受領の記録が四件増えました」


「四件」


「帝国からの書状。西の商人。貴族家の使者。それから、午前の土地相談です」


 ヴェクは棚を見た。


「帳面も、九冊目に近づいています」


「追いつかなくなりそうですか」


「今は、まだ」


 少し考えてから続ける。


「ですが、どの帳面へ書くかを、私とロイドが覚えているから回っている部分があります」


 ライルは棚を見た。


 それは、昨日届いた質問と同じだった。


 属人か。


 制度か。


「記憶だけに任せてはいけません」


「では」


「帳簿の総目録を作ります」


 帳面の名前。


 何を記録するものか。


 担当者。


 代わりに記入できる者。


 関連する帳面。


 確認する日。


 原本の保管場所。


「明日、九冊すべてを並べて作りましょう」


「はい」


「受付で迷った時に、どこを見るかも一覧にします」


「分類表ですね」


「そうです」


 帳面が増えたことは、仕事が動いた証拠でもある。


 だが、増えた帳面を一人の記憶に預ければ、それは制度ではなくなる。


 ヴェクは頷き、今日の帳面を棚へ戻した。


---


 場所が変わる。


 帝都の夜だった。


 アルノは私邸の一室で、古い友人から届いた返書を読んでいた。


 役所の正式な照会ではない。


 個人の書簡だった。


 差出人は、かつて同じ部署にいた男。


 今は地方で小さな役職に就いている。


 正式な経路を使えば、記録が残る。


 記録が残れば、誰が、何を、いつ調べたかが、別の者の目にも触れる。


 だから、私的な言葉で尋ねた。


 ガルダという地名について、何か耳にしていないか。


 問いは、それだけだった。


 返ってきた書簡には、断片的な話が書かれている。


 水路が直った。


 南通り穀物商会と、何か揉めている。


 隣領の隊商が、ガルダから麦を買った。


 外から来た商人が、ガルダを訪ね始めている。


 どれも、単独では噂の域を出ない。


 だが、違う土地にいる者たちから、似た輪郭の話が届いている。


 一つの場所だけから出た話なら、誇張かもしれない。


 複数の場所で、示し合わせてもいない者が同じ方向を語るなら、その重さは変わる。


 アルノは書簡を閉じた。


「調べは」


 侍従が控えていた。


「表向きの照会は、まだ出しておりません」


「それでいい」


「引き続き、私的な筋で」


「信頼できる者にだけ聞け」


「承知しました」


 アルノは、辞令書の収められた文書入れへ目を向けた。


 通常の辞令にはない、余白の印。


 その印を押した者が、今どこで何を見ているかは、アルノにもわからない。


 だが、一つだけ確かなことがある。


 ガルダを見ているのは、もう自分だけではない。


「まだ、動かない」


 アルノは呟いた。


「向こうが、どこまで自分の足で歩けるかを見る」


「いつまで」


「自分以外の力を借りるべき時を、本人がどう判断するか。それが見えるまでだ」


 窓の外には、帝都の灯りが並んでいた。


 一つひとつは小さい。


 だが、遠くからでも見える。


---


 夜。


 ガルダの執務所で、ライルは手帳を開いた。


 着任五十八日目。


 帝国内政調整局、監査室。


 追加照会。


 原本保管状況。


 写しの作成、照合記録。


 現地閲覧の可否。


 回答。


 原本はガルダで保管。


 持ち出し不可。


 事前確認の上、現地閲覧可。


 西の市場の商人、来訪。


 取引先候補記録へ追加。


 身元照会は並行。


 条件交渉は、現在の確認案件が終わってから。


 北西の貴族家、使者来訪。


 委任状、確認済み。


 面会希望。


 議題と出席者の書面提示を依頼。


 商会の件と、調整官個人への関心を示す。


 帳面、九冊目に近づく。


 帳簿総目録と受付分類表を作成する。


 ペンを止めた。


 同じ日に、三つの目が増えた。


 帝国は、処理のために見る。


 商人は、利益と信用を測るために見る。


 貴族家は、まだ明らかでない理由で見る。


 そして、ライルの知らない場所から見ている者もいる。


 増えた目のすべてが、味方ではない。


 すべてが、敵でもない。


 見分ける方法は、まだない。


 だから、誰が。


 いつ。


 何を求めて来たかを残す。


 ライルは最後に一行書いた。


 見る理由は、それぞれ。


 今は、理由を決めつけず、足跡だけを残す。


 蝋燭を消した。

お読みいただきありがとうございます。


次回は明日19:10更新予定です。

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