表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

4/35

第4話 : 幼なじみ・ほのかの胸騒ぎ

 ここ最近、放課後の俺のルーティンは完全に狂っていた。


 ──理科準備室に行くかどうかで、一度ため息をつく。


 行けば、白衣の理系女子に距離二十センチまで詰められて心拍を弄ばれ、

 行かなければ、文化祭の「恋愛行動研究」が進まず、たぶんあとで倍返しされる。


(こんな高校生活、誰が予想できただろ……)


 そんなことを考えながら昇降口に向かった俺は、そこで足を止めた。


 下駄箱の前。

 夕方の光が差し込むガラス窓のそばに──


「……やっと来た」


 腕を組んで立っている女の子がいた。


 茶色の髪をゆるく結んだポニーテール。

 明るい表情が似合う、典型的な“クラスの中心寄り女子”。


 日向ひなたほのか。俺の幼なじみだ。


「……なんだよ。ホラーゲームのNPCみたいな待ち構え方すんなよ」


「ひどくない? 幼なじみ相手に開口一番それ?」


 ほのかはむっと頬をふくらませたが、その目はどこか落ち着きなく揺れていた。


「最近さ──」


 言いかけて、彼女は少し言葉を飲み込む。


「最近、放課後どこ行ってるの?」


「……え?」


 心臓が、嫌な方向に一拍跳ねた。


(……バレてる? いや、そりゃバレるか。ここ数日まともに一緒に帰ってないし)


 小学校の頃からずっと、俺とほのかは「なんとなく一緒に帰る」仲だった。

 約束しているわけでもないのに、昇降口に行けば大体どちらかが待っている、そんな関係。


 でもここ数日は──


「チャイム鳴ってから、ゆう出てくるの遅いんだもん」


 ほのかは足元の床をつま先でつつきながら続ける。


「部活入ってないのにさ。教室見に行ってもいないし。

 まさか……裏山で一人で筋トレとかしてた?」


「どんなキャラだと思われてんだよ俺」


「じゃあなに? 秘密のバイト? それとも……」


 言い淀んだところで、ほのかの目がふと細くなる。


「……女?」


「ぶっ!」


 変な咳が出た。

 一番図星に近いワードを、いちばんストレートに投げてくるんじゃない。


「な、なんでそこで“女”になるんだよ」


「だって、そうとしか思えないんだもん」


 ほのかは、わざと明るい声を出した。


「ゆう、最近ちょっと顔変わったし。なんか……ぼーっとしてるし」


「ディスりながら心配するなよ」


「心配してるから言ってるの!」


 いつもなら笑い飛ばせる言い合いなのに、今日はどこか違う。

 ほのかの声の奥に、小さく引っかかるものが混ざっていた。


「で? ほんとは何してるの、放課後」


 正面から、まっすぐ見られる。


 茶色がかった瞳。

 小さい頃から何度も見てきた“幼なじみの目”。


 嘘は、つきたくない。


 でも──


(黒羽との距離ゼロ実験とか、口が裂けても言えねぇ……!)


 あの二十センチとか唇事件とか、そんなことを幼なじみに報告したら、確実に終わる。

 俺の高校生活が、いろんな意味で。


「えーっと……その……」


 口の中で言葉が空回りする。


「……ちょっと、文化祭の手伝い?」


「ふーん。どこの?」


「え?」


「文化祭のどの企画?」


 ほのかの追撃が鋭い。


 そうだ、コイツ、見た目ゆるいくせにこういうところだけ無駄に勘がいいんだった。


「えー……その……

 理科系?」


「理科系?」


「理科準備室で、その……ちょっと、機械いじったり……」


「へぇ。理科準備室」


 ほのかの声色が、ほんの少しだけ低くなった気がした。


「何だよ、そのじわっと鳥肌立つ話し方。

 やっぱりホラーゲームのNPCじゃん」


「ゆう、理科得意だったっけ?」


「……全然」


「じゃあ、なんで?」


(黒羽に腕掴まれて連行されて……心拍計に縛られて……距離二十センチで人権を失い……)


 説明できるか。そんなの。


「ま、まぁその……人手不足? っていうか……流れで?」


 自分でもひどいと思うほど曖昧な言葉しか出てこない。


 ほのかは「ふーん」と短く言って、視線を少し床に落とした。


「そっか。

 流れで、ね」


 その言い方が妙に胸に刺さる。


「ごめん。最近あんまり一緒に帰れなくて」


 せめてそれだけはちゃんと言おうとすると、ほのかは小さく笑った。


「……謝ることじゃないよ。ゆうにも、ゆうの時間あるし」


 笑っている。

 けれど、その笑顔はいつもより少しだけぎこちなかった。


「じゃ、帰ろっか」


 ほのかはいつもの調子を装うみたいにくるりと背を向け、昇降口のドアを押し開けた。


 夕方のオレンジ色の光が、彼女の輪郭を柔らかく縁取る。


 俺は何も言えず、その後ろを黙ってついていった。


   


 学校の坂道を下る帰り道。


 住宅街へ続くいつものルート。

 カラスの鳴き声と、遠くから聞こえる部活の掛け声だけがBGMみたいに響いている。


 沈黙。


 いつもなら、ほのかがどうでもいい話を延々と喋って、俺が適当に相槌を打つのが日常だった。


 でも今日は、なぜかその「どうでもいい話」が出てこない。


「……静かだな」


 思わず口をついて出た。


「いつもそんなうるさかった?」


「いや、いい意味で。賑やかというか」


「ふーん。

 じゃあ、今日は“静かなモード”なんだ、私」


 ほのかはそう言って笑ったが、その声はどこか遠かった。


 歩幅を合わせるように、俺は彼女の少し後ろを歩く。

 ふと気づくと、ほのかの歩幅がいつもより少しだけ、小さい。


(……あれ?)


 自然と、俺との距離が縮まる。


 肩と肩がぶつかりそうで、ギリギリぶつからないくらいの微妙な距離。


 ほのかの手が、バッグの紐をぎゅっと握りしめているのが見えた。


(こういうときだけ、子どもの頃の“泣き虫ほのか”っぽくなるの、反則だろ)


「なぁ、ほのか──」


 何か言おうとしたそのとき、彼女の方が先に口を開いた。


「ねぇ、ゆう」


 歩くスピードをほんの少し落として、俺と横並びになる。


 夕焼けの光が、彼女の横顔を照らした。


「……なんかさ」


 言葉を選ぶように、彼女は唇を噛む。


「なんか、遠くなった?」


「え? 今、近くなったんだけど?」


「そういう意味じゃなくて。

 ゆうが、どっか遠くに行っちゃったみたいな感じ。

 ……ちょっとだけ、する」


 冗談みたいな語尾。

 でも、その目は全然笑っていなかった。


(遠く……?)


 そんなはずはない。

 俺は毎日同じ制服着て、同じクラスにいて、同じ通学路を歩いている。


 ただ放課後に、理科準備室で心拍計に繋がれているだけで。


(……それが、ほのかから見たら“遠く”なんだろうか)


 あやとの距離が三十センチ、二十センチと縮まっていく一方で、

 ほのかとの距離は、何センチかずつ、気づかないうちに離れていたのかもしれない。


「そんなこと──」


 言いかけて、喉が詰まる。


 「そんなことない」と簡単に否定するには、俺はあまりにもほのかの不安に無頓着だった。


 ほのかは、視線を前に向けたまま続ける。


「小学校のときさ。ゆうが急に塾通い始めたとき、ちょっとだけ寂しかったの覚えてる?」


「え、覚えてない」


「だろうね。ゆうは気づいてなかったもん」


 そう言って、少し笑う。


「あのときと、ちょっと似てる。

 気づいたら、ゆうだけ別のとこにいてさ。

 “なんか楽しそうな顔してるのに、そこに私いないんだな〜”みたいな」


 胸のどこかを、冷たい針でちくりと刺された気がした。


 ほのかは、俺の返事を待たないまま、ぽつりとこぼす。


「……ごめん。めんどくさいこと言ってるのわかってるんだけど」


 笑いながら言うその声が、少し震えていた。


「でも、なんかさ。

 最近のゆう、知らない顔してるのが、ちょっとだけずるい」


 “ずるい”。


 彼女の口から出るには、少し大人びた言葉。


 俺は、何も言えなかった。


 理科準備室で、距離二十センチで見たあやの顔。

 心拍計の電子音、ノートに走るペンの音。


 それとは違う種類の“胸の音”が、今この帰り道で鳴っている気がした。


「ほのか」


 ようやく名前を呼ぶと、彼女は少しだけこちらを見る。


「俺、別にどっか行くわけじゃ──」


「わかってるよ」


 ほのかは言葉を遮った。


「ゆうが真面目なのも、優しいのも、知ってるから。

 だから、ちゃんと聞いたんだよ。“最近どこ行ってるの?”って」


 そのくせに答えが曖昧だったから──と、言葉にはしないまま。


 彼女は、少しだけ歩幅を広げた。


 さっきまで近づいていた距離が、またじわりと離れていく。


(……何やってんだ、俺)


 心の中で、誰に向けるでもないツッコミをする。


 あやとの「距離ゼロ実験」を、面白がって受け入れ始めている自分。

 ほのかの「いつもの距離」に、ちゃんと向き合えていない自分。


 そのギャップが、じわじわと胸を締め付ける。


 ほのかは前を向いたまま、小さく息を吐いた。


「……ねぇゆう」


「ん」


「もしさ。

 ゆうがほんとにどっか遠く行きそうになったらさ」


 そこで言葉を切って、ほんの少しだけ振り返る。


 夕焼けの中で、その目は今にも泣きそうで──でも、ぎりぎりで踏ん張っていた。


「そのときは、少しだけ引っ張ってもいい……かな?」


「引っぱる?」


「うん。腕とか、袖とか。強くじゃなくて……

 “行かないで”って、ほんの少し……」


 幼なじみらしくない、正面からの問い。


 胸の奥が、きゅっと痛んだ。


「うん、いいよ」


 俺は、ようやくそれだけ絞り出す。


「言わないと、鈍い俺にはたぶん伝わらないから」


「知ってる」


 ほのかは、少しだけ笑った。


 でも、その笑顔の奥で──。


 彼女の胸には、本人でもまだ上手く言葉にできない、小さな痛みが走っていた。


 それが“何か”の名前を持つのは、もう少し先の話だ。


 あやの心拍実験で生まれた“揺れ”とは別のかたちで──

 幼なじみの胸の中にも、静かに、確かに“恋の芽”が動き始めていた。


 俺がそれに気づくのは、たぶんまた少し遅れてからだろう。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ