第34話 : 触れたくて、触れられなくて──二人の距離はさらに揺れる
翌日。
ゆうとはいつもより少し早く登校した。
昨日のあやの「好きすぎてこわい」という言葉が、頭から離れなかった。
(あれって……本心なんだよな?
嘘をつけるタイプじゃないし……)
そう思えば思うほど、ゆうとの胸には曇りが広がる。
教室の前で、あやが鞄を抱えたまま立っていた。
まだ数人しか来ていない静かな時間。
これは話せるチャンスかもしれない。
「おはよ、黒羽」
声をかけると、あやは一瞬びくっと肩を震わせた。
だが、すぐに深呼吸して──
「……お、おはよう……」
小さく返してくれた。
ただ、その声は他のクラスメイトに向けるときより明らかに固い。
ゆうとは無理に笑う。
「昨日のこと、気にしてるなら……」
「き、気にしてる……けど……その……大丈夫、だから……」
“だから”のあとが続かない。
あやは胸の前で手をぎゅっと握りしめ、俯いたまま固まってしまう。
(大丈夫って……どこが?)
胸がきゅっと痛む。
結局そのまま会話は途切れ、あやは教室に入っていった。
ゆうとも後を追おうと一歩踏み出すが、なぜか足が止まった。
(……追いかけたら、また逃げられるかも)
昨日の光景が脳裏をよぎり、喉の奥に嫌な重さが残ったまま席に向かう。
昼休み。
あやは弁当を持って、そそくさと準備室のほうへ向かって行く。
(黒羽……今日、やっぱり俺とは食べないのか)
本当は一緒に食べたかった。
でも、「一緒に食べよう」と自分から言えなかった。
彼女の背中に声をかけようとするたび、昨日の机の影に隠れた彼女の姿が浮かんだ。
好きだから逃げる──
頭では理解できても、心は納得してくれない。
(……これ、付き合う前より遠くなってねぇか?)
そのとき、背後から友人が声をかけてきた。
「なぁゆうと、お前らさ……最近あんま話してなくね?」
「……まぁな」
「え? なんかあったの?」
「いや……わかんない。俺、何かしたのかも」
言葉にしてみると、思っていた以上に胸が痛かった。
(俺のせいで逃げてるのかも、って……思いたくないのに)
自分でも気づかないうちに、ため息がこぼれる。
放課後。
あやは今日も準備室にいた。
扉が少し開いており、微かな光が差し込んでいる。
ゆうとは迷った。
(行きたい。話したい。
でも……また隠れられたら、もう立ち直れないかもしれない)
それでも、足は勝手に動いていた。
「黒羽……入っていいか?」
返事はない。
しばらく沈黙が続いたあと、そっと扉がさらに開いた。
あやが顔だけ出していた。
その表情は、昨日よりもさらに不安げだ。
「あの……今日は……逃げてない……つもり……」
「つもりってなんだよ」
「……気持ちは逃げてないの。でも……体と心が……追いつかなくて……」
(それって、俺に会うのがそんなに負担ってこと……?)
胸の奥が、ずきりと痛む。
あやは勇気を振り絞るように歩み寄り、手のひらを胸の前で泳がせる。
握るでもなく、触れるでもなく、ただ“不器用な気持ち”が形にならないまま震えている。
「ゆうとには……近づきたいの。ほんとに……」
「なら、なんで……」
「近づいた瞬間、心拍が……その……暴走して……
ゆうとの顔、見えなくなるくらい……頭が真っ白になって……」
そこまで言うと、あやは耳まで真っ赤になって俯いた。
ゆうとは言葉を失う。
好きすぎて逃げる。
会いたいのに、距離を置く。
その矛盾が、さらに矛盾を呼んでいる。
(……俺が何をしたら、黒羽の“怖い”を少しでも減らせるんだ?)
しかし尋ねようとしたその瞬間──
あやの手が震え、後ずさった。
「ご、ごめん! やっぱり今日は……近づけない……!」
そして、準備室の奥へ駆けていった。
ゆうとは伸ばした手を空中で止めるしかなかった。
(……俺、嫌われてんのかな)
そんなはずはないと頭では否定する。
でも胸の痛みは、誤解をゆっくりと強めていく。
こうして二人の距離は、さらにそっと広がっていった。




