第33話 : 恋人なのに、距離が遠い──ゆうとの小さな気づき
昼休みの教室は、誰かの笑い声と机を引く音で満ちていた。
ゆうとは自分の席に教科書を置き、ふと窓際に目をやる。
そこに、あやがいた。
彼女はクラスの女子二人に話しかけられ、ぎこちないながらもちゃんと会話をしていた。
頬がかすかに緩んでいて、声もちゃんと届いている。
表情こそ控えめだが、拒絶する気配はどこにもない。
(あれ……普通に話してるじゃん)
胸の奥が、じくりと痛んだ。
彼女は人と話すのが苦手なタイプだ。
ゆうとと付き合う前は、必要最低限の会話しかしなかった。
それが今では、クラスメイトの質問に自然に返している。
(なんで……俺のときだけ、あんなに緊張してるんだ?)
昨日だって、手を繋ごうとしたら一瞬で真っ赤になって、
「む、無理、今日は……その……」
と、例の心拍暴走に突入してしまい、まともに話せなかった。
ゆうとは恋人として嬉しい半面、寂しさを覚えることが増えていた。
(俺……あやに負担かけてるのか?
付き合ったのに、距離、前より離れてないか……?)
そんな不安を抱えたまま午後の授業が終わり、放課後になる。
ゆうとは鞄を肩にかけ、自然に足が理科準備室へ向いていた。
あやが今日も実験の続きをしているかもしれない。
そう思えば、会いたい気持ちが勝つ。
扉をそっと開ける。
「黒羽、いるか?」
返事はない。
けれど、かすかな気配がする。
ゆうとが中へ踏み込んだ瞬間──
「っ……!」
机の影で、あやが肩を跳ねさせた。
まるで光に驚く小動物のように、反射的に身を隠す。
「おい、なんで隠れるんだよ……」
ゆうとは苦笑しつつ近づこうとするが、あやはさらに机の奥へ下がった。
「ち、違っ……! 違うの……これは……!」
「俺、なんかした? 怒ってるとかじゃないよな?」
「怒ってない! 怒ってないから……!」
声は否定しているのに、動きは完全に逃げていた。
顔は真っ赤で、視線は合わせられず、指先はぎゅっと握られている。
その矛盾が、ゆうとの胸をざわつかせる。
(友達とは普通に話してるのに……
なんで俺の前だけ、こんなに怯えたみたいになるんだよ)
あやは必死に言葉を探しているようだった。
唇が小さく震え、机から半分だけ顔を出し、また引っ込める。
「き、今日は……その……心の準備が……できてなくて……」
「心の準備?」
「……恋人モードが、ずっと続くのは……む、無理……!」
「いや、そんなモード切り替えみたいな……」
「あるの! 私にはあるの!」
あやは机越しに叫び、次の瞬間、自分で叫んだことに驚いて両手で口を覆った。
ゆうとはその場に立ち尽くした。
怒りでも失望でもなく、ただ胸の奥がきゅっと締まる。
(……やっぱり、距離が遠いのは気のせいじゃない)
恋人になったのに、近づくほど逃げられる。
触れたいのに、触れた途端に壊れそうな顔をされる。
それがゆうとの心に、じわじわと影になっていた。
机の影から、あやがそっと視線だけを上げる。
「ゆうと……その……違うの。避けてるんじゃなくて……」
「じゃあ、なんで逃げるんだ?」
「…………こわい、から」
その言葉は、かすれていた。
風が吹けば消えそうな、小さな声。
ゆうとは思わず息を止める。
「俺のことが、怖いの?」
「ち、違う! ゆうとが“好きすぎて”、こわいの……!」
その瞬間、あやの心拍センサーがあったら確実に警報が鳴っていた。
でもゆうとの胸にも、別の警報が鳴る。
(好きなら……どうして距離が開くんだよ)
わからない。
触れられたら壊れると言うくせに、離れたら離れたで泣きそうになる。
その矛盾が、ゆうとの心にも “すれ違いの予兆” をはっきり刻んでいた。
(……俺たち、本当に恋人なんだよな?
なんでこんなに距離が遠いんだろ……)
あやは机の影からそろりと顔を出し、申し訳なさそうに俯いたまま固まっている。
ゆうとは近づきたくても、もう一歩が踏み出せなかった。
こうして、二人の小さなすれ違いは静かに始まった。




