第30話 : ゆうとの戸惑い──届かない優しさ
あやの言葉が落ち着いたあと、準備室には静かな空気が広がった。
日の光はすでに弱く、蛍光灯がかすかに揺れている。
ゆうとは机の縁にもたれながら、あやを見つめた。
彼女はうつむいたまま、両手を握っている。
声を掛ければ揺れそうで、触れれば壊れそうで──
ゆうとはただ、その震える肩を見守るしかなかった。
(どうしてこんなに苦しそうなんだよ、黒羽……
俺はそんなつもりじゃないのに……)
胸の奥が締め付けられる。
あやは顔を上げようとしない。
それが、ゆうとにとって“拒絶”に見えなくもなかった。
「黒羽……」
そっと名前を呼ぶと、あやはびくっと肩を揺らし、小さな声で返す。
「……なに……?」
か細い声。
まるで少し触れただけで崩れてしまいそうな弱さだった。
ゆうとは言葉を慎重に選ぶ。
「俺……そんなに負担かけてる?」
「ち、違う……負担じゃない……。
むしろ……ゆうとが優しいから……余計に、こわい……」
「優しいと怖いって、どういう意味だよ……」
「……幸せになれる気がしないから……」
その言葉は、ゆうとの胸に深く刺さった。
(幸せになれない……?
俺と一緒にいて、そう思わせてたのか……?)
一瞬、呼吸が浅くなるほどショックだった。
でもあやは続ける。
「私、恋人として……ほんとに自信がない。
こんな私のままでいたら……いつかゆうとをがっかりさせる……
そんな未来しか見えない……」
震える声は、泣いてはいないのに泣きそうに聞こえた。
ゆうとは思わず距離を詰めかけ、手を伸ばした──
が、その直前で止まる。
(……触れていいのか?
今の黒羽に、これ以上刺激を与えたら……もっと混乱させるだけかもしれない)
手を引っ込めると、あやはさらに膝に顔を近づけた。
「……ほら……また逃げてる……」
「逃げてねぇよ」
「逃げてる……。だって、ゆうとが近いって思うだけで……心臓が動かなくなる……」
「それは生きてる証拠だろ……」
「そういう意味じゃない……!」
強く否定したあやの声は震えていて、痛々しいほどだった。
ゆうとは俯き、拳を握る。
(どうすればいい……?
黒羽を励ましたいのに、何を言っても届かない……)
沈黙が落ちる。
その沈黙は、決して優しいものではなかった。
耐えかねたようにあやが小さく呟く。
「……ゆうとは……本当に私でいいの?」
「当たり前だろ。なんでそんなこと聞くんだよ」
「だって……私は恋人らしいこと、なにもできない……」
「できるだろ」
「……できない……」
ゆうとが否定すればするほど、あやの表情はさらに曇っていく。
その様子を見て、ゆうとはようやく気づいた。
(ああ……“励まし”が、逆効果なんだ……)
優しくすれば安心すると思っていた。
でもあやは、自信がない状態で肯定されるほど苦しくなるのだ。
(黒羽はきっと……自分が“足りてない”って思い込んでるんだ)
なら、ゆうとの優しさは“彼女の不足を照らす光”になってしまう。
「なぁ黒羽……」
ゆうとは少し声のトーンを落とした。
優しすぎないように、でも突き放さないように。
「自信がなくてもいい。
できないことがあってもいい。
恋人なんて最初から完璧じゃないんだし……」
「……でも……」
「でもじゃねぇ。俺だって全部わかってねぇよ」
「え……?」
「黒羽をどう支えればいいかなんて、正直わかんねぇよ。
でも、逃げる気も、諦める気もねぇから」
あやが顔を少しだけ上げた。
その瞳には、ほんの少しだけ驚きが混ざっていた。
「……ゆうと、そんなに……悩んでたの……?」
「そりゃ悩むだろ。
好きな子が苦しんでたら……普通悩むに決まってる」
あやの胸がきゅっと締めつけられた。
それは悲しみではなく──“温かさに震える痛み”だった。
「……私……どうしたらいい……?」
その問いは、ゆうとに向けたものではなく、
“自分自身への問い”に近かった。
ゆうとはゆっくり答える。
「一緒に考えりゃいいだろ。
黒羽ひとりで答えを出そうとするから、苦しくなるんだよ」
「……一緒に……」
「そうだよ。
恋人ってのはさ、悩みまで一緒に抱えていいんだろ?」
あやの瞳が揺れる。
その揺れには、不安と安心が半分ずつ混ざっていた。
(……ゆうととなら……もしかしたら……)
ほんのわずかだが、胸の奥に“希望の種”が落ちる。
しかし同時に、別の不安がじわりと広がった。
(……でも、まだ信じきれない……
私はきっと、ゆうとの足を引っ張る……)
あやは唇を噛みしめ、視線を落とした。
希望と自己否定がせめぎ合い、感情がうまく整理できない。
パート2の終わりに向かい、二人の距離は近づいたようで、
まだ決定的には縮まらない。




