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第29話 : あや、自信のなさが“距離”を生む

 放課後の理科準備室には、夕陽が差し込み、器具の影が長く伸びていた。

 静かな空気の中、あやは椅子に座ったまま、両手を膝の上でぎゅっと握りしめている。


 手が震えていた。


(……また、震えてる。どうして?

 今日は、ちゃんと向き合えると思ったのに……)


 震えるのを止めようと力を入れるほど、余計に指先が強張っていく。

 視界の端でゆうとが心配そうに見つめているのがわかる。


「黒羽、大丈夫か? 体調悪いとかじゃないよな?」


「ち、違う……違うの……その……」


 答えようと口を開くたびに心拍が跳ね上がり、言葉が喉で詰まる。

 ゆうとの視線が優しいほど、あやの胸は締めつけられるばかりだった。


(優しい……

 ゆうとが優しいから……余計に、こわくなる……)


 わかっている。

 本当は嫌われてなんかいない。

 むしろ、想像もできないくらい大切にされている。


 なのに──近づくほど震えてしまう。


「黒羽、無理しなくていいんだぞ。ゆっくりでいいから」


 その“優しさ”が、また刺さる。


(どうして……優しくされるだけで……涙が出そうになるの?

 どうして私は、普通の恋人みたいに振る舞えないの……)


 あやは俯き、小さな声で呟いた。


「……私、恋人気質じゃ……ない……」


 ゆうとが目を瞬く。


「え?」


 自分でも止められなかった。

 堰を切ったように言葉がこぼれる。


「緊張するし……距離も詰められないし……

 会いたいのに、逃げちゃうし……

 手だって……震えるばかりで……」


 膝の上の指先が、情けなく震えている。


「……ゆうとを幸せにできる自信なんて……ない……」


 自分の声が、少しだけ震えていた。


 あやは“自分が恋人に向いていない”という事実に怯えていた。

 昨日より今日のほうが近づきたいのに、体がついていかない。

 感情は前へ進みたいのに、理性は不安を増幅させていく。


 ゆうとはしばらく黙っていたが、ゆっくりと息を吸った。


「黒羽は黒羽のままでいいよ」


 優しい言葉が、まっすぐに降りてくる。

 それはすべてを肯定してくれるようで──

 でもあやは、素直に受け止めることができなかった。


「で、でも……ゆうとだって……困ってる、よね……?」


「困ってねぇよ」


「嘘……」


 あやの心はぐらつく。

 信じたいのに、信じる勇気がない。

 恋人なのに、自信がなくて、ただただ混乱していく。


「黒羽が震えてても……近づけなくても……それでも俺は──」


 ゆうとが言いかけた瞬間、あやは小さく首を振った。


「や……やめて……今、優しくされると……余計、こわれる……」


 声が掠れ、息が震えた。


 ゆうとの“優しさ”は嬉しい。

 でもそのたびに、自分の未熟さが突きつけられるようで苦しくなる。


(どうして私は……普通になれないの……?

 どうして恋人のくせに……こんなに弱いの……)


 あやの視界が揺らぎ、胸の奥にわずかな痛みが走る。


 それが、二人の“距離のすれ違い”の始まりだった。

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