第24話 : 夕焼けの帰り道、胸の奥に残る“終われなかった気持ち”
ほのかは校門を出てからずっと、ほとんど前を見ないまま歩いていた。
夕焼けの光はもう薄れて、街灯が少しずつ灯り始めている。冬の風が頬を撫でるたび、さっき無理やり押し込んだ感情がふっと顔を出しそうになる。
(ちゃんと終わらせたはずなのに……)
あやとゆうとが想いを確かめ合った瞬間を見たわけではない。
だが、二人の空気が変わったことは──隠しようもなく伝わってきた。
自分が一歩遅かった。
気づいたときには、もうあやの心の揺れをゆうとが受け止めていた。
その現実は、痛いほど理解している。
(なのに……どうして、胸がこんなに苦しいの?)
帰り道の影が長く伸びる。
ほのかの歩幅は自然と小さくなっていた。
家に着くまでが、こんなにも遠く感じたのは初めてだった。
ようやく玄関の扉を開けると、家のあたたかな空気がふわりと頬を包む。
しかしその温度が、逆に涙を誘いそうで、ほのかは急いで自分の部屋へ向かった。
ドアを閉めた瞬間──
深く息を吐く音が、静かな部屋に吸い込まれていく。
(きょう……本当に終わったんだよね、私の気持ち)
そのはずなのに、心はまだ終われていなかった。
ベッドの端に腰を下ろすと、視線は自然と机の上の“あるもの”へ向かう。
それは、幼い頃から大事にしてきた、ゆうとの思い出の品。
長い時間を一緒に過ごした証のように、少し色あせた小物だった。
ほのかの胸が、またひくりと痛んだ。
ほのかは机の上に置かれた小さな箱にそっと手を伸ばした。
ふたを開けると、中には古びたキーホルダーや、体育祭で撮った写真、落書きみたいな交換メモ──そんな“幼なじみの日々”が詰まっている。
その中で、ひときわ目に留まったのは、角が丸くすり減った木彫りのキーホルダー。
中学生のとき、ゆうとと初めて二人きりで作ったもの。
ほのかはそっとそれを手に取る。
触れた瞬間、温度のないはずの木片に、胸の奥がじんわり熱くなった。
(ユウが……笑ってたんだよね。
不器用なくせに、絶対に最後まで私の分も作るって……)
指先で表面をなぞると、あの時の声が蘇ってくる。
『ほのかのほう、ちょっと削りすぎたな……ごめん。
でも……おそろいだし、いいよな?』
あの笑顔。
自分だけに向けてくれた、小さくて温かい笑み。
胸がじくりと痛む。
ほのかは手の中のキーホルダーを握りしめ、ぎゅっと目をつむった。
(終わったんだよ。ちゃんと今日で、終わらせた……)
そう言い聞かせたはずなのに。
頬をつたう涙は止まらなかった。
「……なんで、今さら……」
声が震える。
ひとつ落ちた涙が、木彫りのキーホルダーに静かに吸い込まれていく。
幼い頃からずっと一緒だった。
家に帰る方向が同じで、気づけば横に立っていた。
ゆうとが転んだときに手を引っ張ったのも、ほのかだった。
“自分だけはゆうとの一番近くにいる”──
そんな錯覚をずっと持っていた。
でも。
あやの震える心に触れたゆうとの表情を見たとき、わかってしまった。
(私じゃなかったんだ……ユウの心に届いたのは)
涙がぽたぽたと落ちる。
静かな部屋に、しずくの音だけが響く。
ほのかは木片を胸に抱きしめた。
もう届かない距離。
でも、一度は確かに隣を歩いていた距離。
その重みが、胸の真ん中に残り続けていた。
胸に抱きしめた木彫りのキーホルダーは、小さなものなのに、まるで何十年分もの重さを宿しているように感じられた。
ほのかはそっと顔を上げる。
涙で滲んだ視界の向こうで、部屋の灯りが揺れている。
(私は……今日で終わりにしたかったのに)
河川敷で言えなかった気持ち。
そして、夕焼けの帰り道で決めた“区切り”。
あやとゆうとが向き合ったのなら、それでいい。
あの二人が幸せになるなら、それでいい。
本当に、そう思っていた。
でも──
心は、うそをつけなかった。
こぼれた涙が、服の上に小さな丸い跡を作っていく。
「そこで……しっかり終わらせようとしたのに」
声に出した瞬間、胸の奥に押し込めていた感情が一気に顔を出す。
「どうしたんだろ……私……」
ほのかは唇を噛んだ。
想いを断ち切ろうとして、切れない。
過去をしまいこもうとして、しまえない。
あやの涙を見たゆうとの表情──
あの優しさを、自分がずっと求めていたことを、今さら思い知らされてしまった。
それでも。
あやもゆうとも、もう前に進んでいる。
自分だけが取り残されるわけにはいかない。
それなのに。
「……私、本当にずるいわ」
その一言には、いろんな意味が混ざっていた。
“諦めたくないと思ってしまう自分がずるい”
“祝福したいのに、心がついてこない自分がずるい”
“終わったと言いながら、まだ涙を流す自分がずるい”
でも、どれもほのかの本音だった。
しばらく泣いたあと──
ほのかは震える指で涙を拭き、もう一度キーホルダーを見つめる。
(明日こそ……ちゃんと前に進もう)
言葉にしない決意が、静かに胸に宿る。
涙で膨らんだまつ毛はまだ乾かない。
でもその瞳には、ほんの少しだけ光が戻っていた。
幼なじみとして積み重ねた時間に別れを告げるには、時間がかかる。
けれど、今日の涙はその第一歩なのだと──
ほのかはようやく自分で気づくことができた。




