表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

21/35

第21話 : ほのかの涙の告白

 放課後の校庭は、昼間の喧騒が嘘のように静かだった。

 部活動の声がグラウンドの方からかすかに届くが、ここ──校庭の端は風の音が勝っている。


 ゆうとは鞄を肩にかけ、昇降口へ向かおうとしていた。

 そこで、背中にふわりと名前を呼ばれた。


「……ゆう。少し、いい?」


 その声だけで、胸がひやりと揺れた。

 振り返ると、ほのかがいた。


 夕日が彼女の髪の先をすこしだけ透かして、金色の縁をつくっていた。

 いつもよりずっと静かな表情。笑っていない。怒ってもいない。ただ、なにかを決めてきた人の目をしていた。


「どうしたんだよ、こんなところで」


 ゆうとがそう言うと、ほのかは首を振った。

 深呼吸を、一つ、二つ。

 そのたびに肩がわずかに震えているのが見えた。


「ここじゃないと……言えないの」


 その言葉の意味が、一瞬で心の奥に冷たく沈む。


 胸がざわつく。

 でも、逃げてはいけない気がして、ゆうとは足を止めた。


 風が通り、二人の間をひゅう、と抜けていく。

 ほのかが口を開くまでの数秒が、やけに長く感じられた。


「ユウ」


 名前を呼ぶ声が、かすかに震えた。

 それだけで、もう何を言われるのか分かってしまった。


 けれどほのかは、言葉を選ぶように視線を落とし、

 そして、小さく笑った。


「……好きだったよ」


 “だったよ”。


 過去形のその一言が、校庭の静けさに吸い込まれる。


 一瞬、時間が止まったようだった。

 ほのかの声は澄んでいて、思ったほど震えてはいなかった。

 だけど──目だけが、どうしようもなく滲んでいた。


「返事はいらないよ。わかってるから」


 ゆっくりと視線が上がり、ゆうとと目が合う。

 その瞳は、泣かないように必死に耐えている子どものようで、

 でも、それ以上に、どこか大人びていた。


「ゆうが、誰を好きなのか……ちゃんと見れば、分かるよ」


「ほのか……」


「わざわざ言わないよ。

 名前を口にするなんて、あまりにも残酷でしょう?


 ただ、約束を守りたかっただけ。

“ほんの少しだけ引く”っていう、あの約束を……


 私、本当に少しだけ引いたよ。

 ……そうでしょ?」


 言葉が出ない。

 何を言えばいいのか分からない。


 ほのかはふっと笑う。

 強がっているわけではない。

 “自分で決着をつけようとした笑顔”だった。


 ゆうとの心臓が跳ねた。

 否定することも肯定することもできなかった。


 ゆうとの沈黙を、ほのかはゆっくり受け取った。

 それで十分だと、悲しいほどに理解した顔だった。


「……大丈夫。ちゃんと前を向くから」


 夕日が完全に沈みかけ、校庭は柔らかな薄暗さに包まれていく。

 ほのかの影が長く伸び、ゆうとの影と触れそうで触れない。


「ゆうと話してる時間、楽しかったよ。

 実験の話ばっかり聞かされてさ、わたしには難しいのに……いつもちゃんと聞いてくれて」


「それは……お前が楽しそうに話すからだよ」


「ううん。違うよ。あれはね、ゆうと一緒にいたかっただけ」


 そう言ったときのほのかの笑顔は、まっすぐで、あまりにも優しかった。


 ゆうとの胸がじん、と痛む。

 ここまで優しく終わらせようとしてくれるほのかの強さが、胸に刺さった。


「ねえ、ゆう」


「……ん?」


「もしわたしがもっと強かったら……

 もし、怖がらずに全部言えてたら……ほんの少しでも、変わってたのかな」


 それは答えてはいけない問いだった。

 どんな返事をしても、ほのかを傷つけてしまう。


 だからゆうとは、沈黙でしか返せなかった。


 ほのかは、すぐに気づいたようだった。

 目を細め、寂しげに笑った。


「ううん。いいの。ユウのせいじゃないよ。

 わたしが“気づくのが遅かった”だけなんだ」


 そして、小さく息を吸い込む。


「最後に……ひとつだけ、わがまま言っていい?」


「……うん」


 ほのかは近づいてきた。

 距離が縮むにつれ、ゆうとの鼓動が速くなる。


 彼女は手を伸ばし──

 ゆうとの制服の袖を、そっとつまんだ。


 強くも弱くもない、その指先。

 離れたくない、でもしがみつきたくもない。

 そんな中途半端な力が、余計に切なかった。


「ありがとう。好きになれて……ほんとに良かった」


 その言葉を残して、ほのかは袖を離した。

 指先が離れた瞬間、風が冷たくなる。


 少しだけ俯いて、歩き出そうとした……そのときだった。


 頬を伝う光がひとつ、夕日の残光を受けてきらりと輝いた。


 涙だ。


 でもほのかは、泣いていることに気づかれたくないように、

 そのまま顔を逸らして歩き出す。


 ゆうとは思わず手を伸ばし──

 けれど、呼び止める言葉が喉で止まった。


「……ごめん」


「……もう、行ってよ……

 待ってる人のところに……行ってあげて……


 ゆうが……こんなふうにしてたら……

 わたしの選んだことが……ほんとうに

 ……意味なくなっちゃうから……」


 小さく名前を呼んでも、彼女は振り返らなかった。


 風が吹き、ほのかの髪が揺れる。

 細い背中は、強がっているようで、どこか折れそうだった。


 その背中にかけるべき言葉が、どうしても見つからなかった。


 だからゆうとは、立ち尽くすしかできなかった。


 ほのかは──

 泣きながら笑っているように見えた。


 そして、校庭の出口を過ぎる頃には、

 彼女の姿はすっかり夕闇へ溶けてしまっていた。


 静かに、

 本当に静かに、三角関係は幕を下ろした。


 ゆうとは、まだ歩き出せずにいた。

 胸の中に残った痛みと、どこか温かいものの混ざった感情が、ゆっくりと沈んでいった。


 風の中でひとり、彼は小さく呟く。


「ありがとう、ほのか」


 その声は、誰にも届かないほど小さかった。

 けれどゆうと自身が、最も必要としていた言葉だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ