第18話 : ほのか、行動に出る
「ゆう!」
放課後のざわめきを切り裂くように、
ほのかの明るい声が昇降口に響いた。
靴を履き替えていた俺は振り向く。
ポニーテールが揺れ、
いつもの笑顔──だけど。
(……なんか今日のほのか、目の奥が揺れてる)
笑おうとするときだけ、眉がほんの少し寄る。
気づかれたくない不安を隠すような笑い方。
「ゆう、今日だけ……一緒に帰ろ?」
「今日だけ……?」
その言い方に胸がざわつく。
「“今日だけ”でいいの。
……ゆうと帰りたいの」
笑顔の端が、揺れていた。
(断れねぇよ……)
「わかった。一緒に帰るか」
「──うんっ」
その瞬間、ほのかの表情が一気に明るくなる。
けど、それが“嬉しさ”より“安心”に見えた。
夕方の商店街。
ほのかはいつもより歩幅が小さい。
俺の歩く速度に合わせてくれている。
「ゆう」
「ん?」
「最近……ゆう、遠いよ?」
足が止まりかけた。
「そ、そんなこと──」
「あるよ」
笑顔で遮ってくる。
でも、その笑顔が“痛みを隠してる”のはわかる。
「ゆう、前はね──
私が今日あったこと話すと、
ちゃんと全部聞いてくれたよね?」
「それは……ごめん。最近色々あって」
「“黒羽さん”でしょ?」
心臓が跳ねた。
「友達ってだけで──」
「そっか」
ほのかは笑う。
けれど、その笑顔は触れれば壊れそうだった。
次の瞬間──
ほのかの指が俺の袖をそっとつまむ。
弱い力。
強くは引っ張らない。
でも、離れられないような温度。
「……さみしかったよ」
その言葉は、風に溶けるほど弱かった。
「ほのか……」
「ゆうが楽しそうなら、それでいいの。
でもね……」
袖を掴む手に、ぎゅっと力が入る。
「私も、その中にいたい……」
胸が痛い。
罪悪感じゃなく、“気づかなかった痛み”が刺さる。
カチ……カチ……。
時計の音だけが落ちる部屋で、
黒羽あやは扉を見つめたまま動けなかった。
「……遅い」
白衣の袖をぎゅっと握る。
指先に力が入っているのに、手は少し震えている。
今日のノートは空白。
実験準備だけ整っている。
「今日は……実験ないって言ってない……
……よね……?」
確認するような独り言。
心拍だけが、どんどん速くなる。
(どうして来ないの……?
いつもは……すぐ来るのに……)
胸がざわつき続ける。
ふと、脳裏に浮かぶ顔がある。
──日向ほのか。
「……っ」
胸の奥が焼けるみたいに痛んだ。
(まさか……また一緒に……?)
「……やだ」
自分で出した声に、あやが驚いた。
でも、それが本音だとすぐに分かってしまう。
「……来てよ……安藤……」
願いの言葉は、小さくて弱いのに、
涙がにじむほど切実だった。
「ねぇ、ゆう」
ほのかの声が沈む。
「……好きな人、できた?」
空気が止まった。
「い、いないよ」
即答した。
けどその声には“動揺”が混ざってしまった。
ほのかは気づいた。
「そっか……」
笑顔がゆっくりしぼむ。
「“いない”って言ったときの顔……
ゆう、ずるいよ」
「え?」
「ほんとは……誰か浮かんだんでしょ?」
(……黒羽)
心臓が重く沈む。
言えない。
でも隠しきれない。
ほのかは袖から指を離した。
温度がふっと消える。
「ゆうってね……やさしいから……
わたしの前では嘘つけないの」
その言葉は、泣きながら笑うみたいだった。
「でも、私も諦められない。
だから決めたの。
やり方を変えることにした。」
「……さっきから、何を言ってるの?」
「すぐに分かるよ」
このままじゃ、結局みんなが傷つくだけだから。
一度きりの青春を、
痛みだけで終わらせるなんて、
もったいないでしょう?
私たち二人、そしてもう一人。
無茶なお願いだし、私が欲張りなのも分かってる。
分かってるけど……
それでも……
ほんの少しだけでいいから……」
あやはノートに震える字で書き殴る。
『待機時間:異常に長い』
『原因不明(強い不安)』
『感情の乱れ → 測定不能』
その下に、
意識せずに走った一言があった。
『会いたい』
あやは息を呑む。
「……ちが……う……
こんなの……研究じゃ……ない……」
ノートを握る指が震え、
胸がぎゅっと締めつけられる。
「……安藤……」
その名を呼んだ瞬間、
涙がひとつ、静かに落ちた。
ゆうとを中心に、
ほのかは“失いたくない距離”に気づき、
あやは“待つ苦しさ”に胸を締めつけられる。
三人の心は、
この夕暮れを境に、静かに──
しかし確実にズレ始めた。




