第13話 : 幼なじみの“逃したくない”距離
放課後。
校庭には部活動の掛け声が遠く響き、夕日で赤く染まった世界は、どこか心許なく揺れていた。
風が制服のすそをかすかに揺らし、日向ほのかの影を長く引き延ばした。
しばらく歩いていたほのかは、ふいに立ち止まった。
振り返りはしない。
ただ、夕暮れの向こうに沈むような声で言った。
「ユウ、ちょっと……来てほしい」
「どうしたんだよ、急に」
「いいから……来て。少しだけでいいから」
袖を、弱い力でつままれる。
引っ張るほどの強さじゃないのに──なぜか、断るという選択肢が浮かばなかった。
“連れていく”というよりも、“離さないで”と頼まれているような繊細な力。
ほのかに導かれるまま歩くと、着いたのは──
人の気配がほとんどない体育館裏だった。
風の音だけが耳に刺さる、静けさの支配する場所。
吹きさらしの空気は冷たく、けれどほのかの手だけはほんのり温かかった。
彼女は足を止め、深く息を吸い込んでから吐き出した。
まるで覚悟を整える儀式みたいに。
「……ユウ、最近さ……話してくれないよね?」
「え……?」
不意打ちだった。
「だって……聞いても『ちょっと』とか『手伝い』とか……。
私、ユウが毎日どこ行ってるのかも……誰といるのかも……わかんないよ」
無理に笑おうとしたけれど、
その笑顔は形になる前に崩れ落ちる。
「ユウなら……話してくれるって思ってたのに……」
胸の奥が痛む。
(……言えねぇよ。あやとの距離5cmとか、至近距離実験とか……絶対言えねぇ)
言い訳めいた言葉が喉まで浮かんだ。
でも、それを声に出す勇気はどこにもなかった。
「……あ、その……文化祭の準備で……」
「“その理科準備室の子”?」
「……っ」
核心を突く一言。
逃げ場がすべて塞がれる。
ほのかは視線を落とし、スニーカーのつま先で地面をぎゅっと押しつけた。
「うん、知ってたよ。黒羽さんって子……だよね?」
「いや、違うんだ。別にそんな——」
「そんなじゃなかったら、なんで言えないの?」
「……」
どんな言葉を選んでも、嘘にしか聞こえない気がした。
声が出ない。
沈黙が、最悪の答えみたいに重く垂れ下がる。
その沈黙を見て、ほのかの眉が痛ましげに下がった。
「……私、置いていかれてるのかな」
「ち、違うって——」
「違わないよ」
ほのかの声は震えていた。
「ユウが……遠くに行く時の顔、知ってるから。
今日のも……そうだった」
胸元を押さえながら、かすれた声を絞り出す。
「……苦しいの。
ユウが誰かと近くなるの、考えるだけで……ここが……ぎゅって」
笑おうとする。
でも涙がにじんで、笑顔になり切れない。
「ねぇユウ……私、ユウの隣にいたいよ。
もっと……一緒にいたいの」
袖をつまむ手が震えている。
強くは引かない。
でも、その弱さが逆に痛い。
「大変なお願いかな?
私の...欲なのかな?」
夕暮れの淡い逆光の中、
ほのかは泣きそうで、
それでも必死に笑おうとして、どちらにもなれずにいた。
(……ほのか)
胸の奥で、罪悪感がゆっくり広がっていく。
あやとの距離が近づくほど──
ほのかとの距離は、痛みに変わってしまっている。
「ほのか……ごめん」
それが、今の俺に言える精一杯の言葉だった。
けれどほのかは、かぶりを振った。
「違うの……謝ってほしいんじゃない。
ユウの隣にいたいだけ……それだけなの」
頬を伝う涙が、夕日の色に染まってきらめく。
あやの心拍実験で揺れた俺の心臓が──
別の理由でまた強く揺れた。
(……俺、どうすりゃいいんだよ)
答えなんてどこにもない。
ただ──
幼なじみの日向ほのかは、
俺の知らない距離まで、いつの間にか歩いてきていた。
誰にも譲りたくない距離に、
本気で、痛いほど気づいてしまったのだ。




