メッシュ
フローライト第百十二話
朔と利成の合作の製作が始まって一か月が経った桜咲く季節、とんでもないことが起こった。
<○○〇メンバー 天城奏空 初お色気な噂>
(は?)と美園はその週刊誌の記事を見つめた。
相手の女性はドラマで共演のお色気系女優の藤森來未三十四歳・・・。
(は?どういうこと?)
藤森來未なら知ってる・・・歌も歌っているので一度だけ番組で一緒になったことがある。
二人はドラマで共演後、親密な関係に・・・?
「美園ちゃん、色、どうする?」
「あ、えーと・・・」
「いつも地味だから少し明るめにしてもいい?」と行きつけの美容室のいつも指名する女性の美容師に言われる。
「はい、どうぞ。お任せします」と美園は言った。
カラーとカットを済ませ、出来上がりを鏡に映すと、かなり明るめな色にパープルなメッシュが入っていた。
「・・・・・・」
「どう?すごい似合ってるよ」と美容師さんが楽しそうに言う。
「まあ・・・」
「あ、メッシュだめだった?」
「いいえ、大丈夫です。髪型は任せられてるんで」
「そう?じゃあ、良かった」
美容室を後にして自分の車に乗り込んだ。今日はもう仕事はないので車で来ていた。
(あれ・・・咲良、大丈夫かな・・・)
そう思いつつ利成と明希の家に車を走らせた。
家に着くと明希が「あ、みっちゃん、大変」と明希が言ってきた。一瞬ドキリとする。朔に何かあったかと思ったのだ。ところが明希の次の言葉を聞いて(なんだ)と思う。
「奏空の女性との記事が週刊詩にのって・・・咲良さんが離婚するって言うのよ」
(あー・・・やっぱり?)
「みっちゃん、何か知ってる?奏空のこと」
「さあ、相手の女性なら一緒の番組に出たことあるけど」
「そうなの?何だか奏空とは全然合わなそうな人なのに、何でそんな噂になったんだろう?」
(確かに・・・)と美園も思う。
藤森來未はかなりお色気キャラで売っている女優であり歌手なので、奏空との組み合わせはまったく想像がつかなかった。
「あれ?みっちゃん、髪型変えた?色も」と明希が急に言う。
「まあ・・・何かお任せしたら勝手にこうなってた」
「そうなんだ、凄い素敵だよ」と明希が微笑む。
朔は最近は美園が帰宅してもまったくアトリエから出てこない。完全に引きこもっているらしい。けれど今日は奏空のことの方が大騒ぎになった。朔が後でいいと言うので明希と利成と美園の三人で夕食を取っていると美園のスマホが鳴った。
(奏空か)と「はい?」と美園が電話に出ると「美園~助けてよ」と言う奏空の情けない声が聞こえた。
「何よ?」
週刊誌のことだろうとわかってはいたが、わざとそう聞いた。
「あれ見た?」
「あれ?」とまたとぼけた。
「週刊誌!來未ちゃんとの記事」
「あー見たよ」
「咲良に言って!あれは完全にでまかせな記事だって」
「だってそんなの私知らないもん」とわざと言った。
「でまかせ!美園ならわかるでしょ?俺が嘘言ってるかどうか」
「さあ?わからない」と笑いをこらえた。
「美園?!今は面白がってる場合じゃないんだよ」
奏空には本心が伝わってしまう。仕方がないなと美園は言った。
「わかってるよ。あれがデマだって。そう言えばいいでしょ?」
「それが信じてくれないの!」
「あー・・・咲良もエネルギー読めたら良かったのにね」
「そんなのんきなこと言ってる場合じゃないから。離婚するって言われてるんだから」
「アハハ・・・もう結論に走ってるの?咲良らしいね」
「美園?!だから面白がってる場合じゃないんだって。美園から言って!」
「だけど、仲良さそうな写真が載ってたけど?」
「あれは普通に打ち合わせしてるだけ!」
「えーそうなの?何だか面倒だね」
「そうなんだよ、面倒な世界でしょ?芸能界は自我の最高傑作だから」
「まあ・・・そうだね。じゃあ、何で入ったのよ?」
「みんなに光届けるならこの世界が手っ取り早いからだよ。知ってるでしょ?」
「まあ・・・じゃあ、何で咲良なんかと結婚したのよ?」
「咲良が好きだから」
「はいはい、そうだった」
「美園、言ってよ。電話かわるから」
「えー、今?」
「今!」
(やれやれ)と思う。見ると明希が心配そうにこっちを見ていた。
何だか揉めている声が聞こえた後、咲良の声が電話口に出る。
「もしもし?」
「咲良?奏空の記事、デタラメだからさ」
「何でわかるのよ?」
「私もエネルギー読めるから、奏空が嘘言ったらすぐわかるし、そもそも奏空が今まで嘘ついたことある?言わなくていいことまでいう人なのに」
「初めての嘘かもしれないでしょ?記事にも初のお色気って書いてある」
「今までそういう噂が上らなかっただけ不思議なんだよ。他のメンバーの人たちはみんなそういう記事一度や二度は出てるんだよ。でも奏空だけは出てなかったって、この世界じゃすごいことなんだよ」
「はいはい、そうだね。でもここに来てしくじったんだろうね」
(はぁ・・・もう、奏空が嘘言ってる前提でしかものいわないなら無理だな)
「奏空にかわって」
美園が言うと「はい、かわってだって」と咲良の声の後に奏空が出た。
「言ってくれた?」と奏空が言う。
「言ったけど、信じてないから無理だよ」
「はぁ・・・マジ?」
「マジだよ。咲良は奏空が嘘ついてるって前提でしか話を聞かないから何を言っても無理」
「勘弁してよ・・・」
「私に言われても・・・いっそのことそうだって認めて、誠心誠意謝る方が咲良としては納得するかもよ」
「は?してもいないこと認めて謝れって言うの?」
「そう、だって咲良はしてると思ってるんだもん」
「・・・サイアク・・・」と奏空が咲良の口癖を言う。
「まあ、頑張って。離婚するって言うならそれもいいかもよ。咲良は面倒だから」
「美園、俺は咲良がいいの!離婚なんてしないよ」
「あーもう。男って面倒だね」と言ったところでちょうど利成が美園のいるリビングに来てソファに座った。「じゃあ、いっそのことほんとにその來未ちゃんだかとやっちゃいなよ。それで”やったこと”を謝ればいいよ」
そう言ったら利成が横で「プッ」と吹き出した。
「美園ってさ、何でそうガサツなの?」と奏空が呆れたように言った。
「あーそうだね。”ガサツ”って朔にも言われた」
「でしょ?もう少し気配りしようよ。男は繊細なんだから」
「奏空が”男は”なんていう言い方するとはね、相当参ってるんだ」
「そうだよ。咲良の根底にはまだ俺に対する負債があるんだよ。だから俺もきっとそういうことしてるって物語ができあがっちゃってるの。その方が都合がいいからだよ」
「そうか、そのことを咲良に伝えたら?」
「知ってるでしょ?こういう話は慎重に言わないと逆効果になるんだよ」
「あー面倒だね。離婚しちゃえ」と投げやりに言うと、横で利成がまた笑いをこらえるような顔をした。
「もう、わかった。後でそっちに行くから咲良に言って」
「何を?」
「だから俺はまったく今まで一度も咲良以外の人としたことはないって」
「それが咲良の負担かもよ?咲良はやりまくってきたんだから」
そこで明希がお茶を持ってきたが、呆れたような顔で美園を見た。
「いんだよ。負担かもしれないけど、本当に他の人としたりしても、咲良は楽にはならないんだよ」
「そうか・・・わかった。こっちに来たら言ってあげるよ」
「ほんと?じゃあ、お願いね」
(はぁ・・・やれやれ)と利成の隣に座った。
「解決した?」と利成が聞いてくる。
「全然。咲良が頑固だから」
「そうか」と利成はすましてお茶を飲んでいるけれど、やっぱり楽しんでいる様子だ。
「みっちゃん、ご飯冷めちゃったね」と明希が言う。
「うん、いいけど、ごめん、もうごちそうさましていい?」
「いいよ。でも、朔君呼んできて。昼もこもってたんだよ」
「わかった」と美園はリビングを出て二階への階段を上った。
アトリエのドアを開けると、朔が身体を床に横たえて絵を見つめていた。
(わ・・・すごい・・・)
壁に立てかけられているその絵は本当にすごかった。今までの朔の絵の中で一番と言ってもいいのではないか・・・?
「朔・・・」と美園が声をかけたけれど、朔はまったく動かない。
「朔」とそばまで行ってその肩に触れた。
「・・・美園・・・何かダメだ・・・」と朔がこっちを見ずに言う。
「何がダメなの?」
「何か・・・わかんない・・・最初から空っぽなものを埋めようとする必要なんてある?」
「・・・・・・」
「空っぽなら空っぽでいいんじゃない?余計な色を塗る必要なんてある?」
「朔、空っぽなの?」
「・・・うん・・・空っぽだよ・・・」
「じゃあさ、まず、起き上がってご飯食べよう?明希さんが心配してる」
美園が朔の絵の具のついた手に触れると、朔がその手を握って持ち上げた。
「美園の手・・・綺麗・・・」
「そう?」
「うん・・・」
「じゃあ、ほら起きて、行こう」と美園が朔の腕を引っ張ると朔がようやく美園の顔を見て、それから驚いた顔をした。
「美園、髪、どうしたの?」
「あ、美容室行ったよ」
「・・・色・・・いつもと違う」
「うん、何か明るめにしていいですかって言われてお任せしたらこうなったんだよ」
「えー・・・そうなんだ。すごいいい」
「そう?良かった」
「あ、パープルに入れたんだ」とメッシュな部分に朔が触れてくる。
「うん」
「いいね。似合ってる」
「ありがと」
「いいなー俺も色入れたい」
「朔も美容室行きなよ。髪伸びてるよ」
「うん・・・そうだね。行こうかな」
「うん、そうしなよ。その前にご飯食べに行こう」
「うん」と朔が立ち上がった。
朔の食事につきあっている間、朔が「やっぱいいね」と髪を何度も褒めてくるので、美園もだんだんそんな気になって、今度から色んなカラーに染めようか?などと調子に乗ってきた。
朔の食事の後、リビングで何となく一緒にテレビを眺めていると、今まさに天城家では時の人の藤森來未が歌番組に出ていた。かなり派手めな露出で、色気たっぷりに踊りながら歌う來未に朔が釘付けになっている。
(・・・朔ってば、見とれてる)
「朔、よだれ出てるよ」と美園がわざと言うと、「えっ?」と朔が慌てて口を手で拭いた。横で利成が「美園、からかうのやめなよ」と笑った。
「え?からかったの?」と朔が美園を見る。
「だって、朔ってば見とれてるんだもん」
「そうだった?」と朔が赤くなっている。それから「だってこの人、咲良さんに似てるなって思って」と言った。
「えっ?咲良に?」と美園はもう一度來未をマジマジと見つめた。
(あー・・・確かに・・・エネルギーが似てる・・・)
利成も朔の言葉で來未を見ているようだ。
「似てるでしょ?」と朔が言う。
「似てるけど、咲良はこんなお色気たっぷりじゃないよ」
美園が言うと「咲良さんも色気たっぷりだよ」と朔が真面目な顔で言ったので、利成が「アハハ・・・」と笑った。
「確かに咲良と雰囲気は似てるね」と利成も言う。
「やーね、男の人って」と明希がいつのまにか後ろに立ってテレビを見ていた。
「奏空の好みってことだね」と美園が言うと「そうなの?」と明希もマジマジとテレビを見だした。
「奏空の好みってことは、利成も好みってことだね」と明希が言う。
「朔も好みだね」と美園が付け足す。
「え?違うよ」と朔が慌ててる。
「だって見とれてるじゃん」
「見とれてない」と朔がむきになる。
「別にほんとのこと言えばいいのに」と美園が言うと「美園って意地が悪い」と朔が言った。
「何よ?悪かったね」と美園が言うと利成が笑ってから言った。
「朔君の言う通りだね。美園はどうも言葉に毒が含んでしまうから」
「そうかな?それは利成さんもでしょ?」
「そう?俺は美園とはまた違うけどね」
「みっちゃんの方が利成よりずっと素直で純粋だよ」と明希が間に入って言った。
「だそうだよ?美園」と利成はまったく動じてない。
(利成さんと明希さんって・・・もう心で会話してるな・・・)
お風呂に入りながら美園は思う。完全にお互いをわかり合ってる気がしたのだ。
「みっちゃん」と急に明希に浴室のドアの向こうから声をかけられる。
「何?」とのんびり答えると「朔君も一緒に入れて」と言われる。
「どうかしたの?朔」
「朔君、お風呂も最近入ってないの。かなり汚いから入ってって言ったんだけど、みっちゃんと入りたいみたいなのよ」
「あー・・・そうなんだ。いいよって言って」
「わかった」と明希が脱衣場から出て行く気配がする。
(そういえば、ここに来てから一緒に入ってないか・・・)
赤ちゃん返りっていつまで続くんだろう?朔の場合、永遠に続くのかもしれないなと思う。
朔が脱衣場に来る気配がして浴室の扉が開いた。
「明希さんが入れって言うから・・・」と恥ずかしそうに朔が言い訳しながら入ってきた。
「そうだね、お風呂入らないと汚いからね。身体先に洗ってから湯船に入ってよ」と美園は言った。
「うん、ここのお風呂って広いよね」と朔がシャワーを出した。
「そうだね」
湯船に入ると朔がくっついてきた。
「朔、もしかして私と入りたいの我慢してた?」
「・・・うん・・・」と朔が恥ずかしそうにまた言う。
「言ってくれればいいのに」
「うん・・・」
「絵、どう?まだ空っぽ?」
「んー・・・わからない・・・」と朔が美園を背中から抱いてきた。
「そうなんだ。でも、さっき絵みたけど、すごかったよ。今までの中で一番だと思う」
「そうなの?ありがとう」
「そうだよ。だから自信持って」
「うん・・・」と朔が胸を触りながら美園の耳たぶを舐めてきた。
「朔、私のぼせそうだから出てもいい?」と美園が言うと「まだ出ないで」と朔がしがみついてきた。仕方なくそのままの姿勢でいると、朔の手が胸から下の方へ移動してきた。
「朔、ここでやめてよ」
「ん・・・」と今度は口づけてくる。そして手が美園の膝に移動してきたので美園は少し焦った。膝を触る時は朔が興奮している時だ。
「朔って」と美園は離れようとしても、朔が強い力で美園を抱きしめてくる。こういう時は朔も男なのだ。けれど無理に朔から離れようとするとまた朔が傷ついてしまう。
(あーその加減が難しい・・・)
今度黎花に聞こうかと考えていると朔が美園の中に指を入れてきたので、のんきにしていられなくなった。
「朔、先に上がってるから部屋でしよう」
「今、したい・・・」
「だからここじゃ無理。部屋にいるから、髪を洗ったら来て」
「ん・・・」と朔が渋々頷いた。
(あーヤバかった・・・)
美園は部屋まで行って鏡をのぞいた。まだ濡れた髪が肩を濡らしている。
(朔は私に何を見てるのかな・・・)
自分自身の顔を見つめてみた。
(お色気か・・・)とさっきのテレビのことを思い出す。藤森來未は確かにお色気たっぷりだ。実際にあった時もそう思った。
そんなことを考えていると、寝室のドアが開いて朔が入って来た。髪はまだびっしょりと濡れていた。
「朔、髪の毛ドライヤーかけてきなよ」
「いい・・・」と言って朔が美園にのしかかってくる。
「ちょっ・・・と」と美園は椅子ごと倒れそうになった。
「ベッドにして」というと朔が離れた。
ベッドに入るか入らないかのうちに朔が上からのしかかってきた。すごい勢いでパジャマをめくりあげられて胸を舐められる。それからすぐにパジャマのズボンと下着をいっぺんに脱がされた。いつになく激しいので美園は少し戸惑った。
(まさかテレビのせいじゃないよね?)と変な疑惑が心に持ち上がる。
食い入るように見てたし・・・。などと考えていたら、朔が舌で敏感な部分を舐めながら指を入れてきた。
(あ・・・ちょっとヤバイ・・・)
美園が声を出さないように我慢していると、「気持ち良くない?」と朔が動きを止めた。
「ううん、気持ちいいけど・・・声出ると聞こえちゃうでしょ?」
「聞こえないよきっと、だから出して」とまったく根拠のないことを朔が言う。
執拗に舐められて指を動かしてくるのでついに「あっ・・・」と割と大きな声が出てしまった。
(この隣って、明希さんと利成さんの寝室なんだよね・・・)
快感もだんだんピークになって美園は絶頂感に達して身体がけいれんした。朔が動きを止めて自分のパジャマのズボンと下着を脱いだ。
この家に来てからはあまりセックスはしていない。朔はほとんどアトリエにこもっていたし、やっぱり利成も明希もいるのでやりづらかった。
「美園、後ろからしてみてもいい?」
「いいけど・・・」と美園はうつぶせになった。そんなことを朔が言うのは初めてだった。
(黎花さん、やっぱり色々経験あるのかな・・・)とまた余計なことを考えてしまう。
セックスが終ると、朔が美園の髪に触りながら「いいなー」と今日何度目かの言葉をまた言った。
「そんなにいい?」
「うん・・・いい」
「朔も染める?」
「うん・・・染めたい」
「私が行ってる美容室連れて行ってあげようか?」
「ほんと?」と朔が嬉しそうな顔をした。
「うん」
二日後の美園の休みの日にほんとに朔を美容室に連れて行った。朔は親戚の子ということでいつも美容師さんに紹介した。美容師さんは特に疑ってもいない様子で、朔に髪のカラーの見本を見せていた。朔が髪を染めている間、近所で買い物を済ませてからまた美容室に戻った。朔は美容師さんと楽し気に話しているのを横目に、美園はそばにあった週刊誌を開いた。
<父天城利成と天城奏空>という見出しが目について開くと、そこにはこないだの藤森來未の話と、今までの利成の女性遍歴が今更ながら載っていた。
(あーこれ、永遠に言われるんだろうな・・・)
そう思いながら利成の女性関係を見ていると咲良が載っていた。もちろん、若い頃の咲良だ。
(あーやっぱり似てるかも・・・)
確かにテレビで見た藤森來未に雰囲気が似ていた。
<天城奏空の子供、天城美園への疑惑>ということまで載っている。
(何か書くことなかったのかね。昔の話しまで引っ張り出してきて・・・)
利成の女性関係は十人以上、そのうち妊娠させた疑惑が二人・・・。
(よく身体がもったな・・・利成さん)と呑気に思う。
咲良とは二年も付き合ったって明希さんが話してたっけ・・・それがショックだったと・・・。
(やっぱ女性は精神的な関係を持たれるとキツイんだろうな)などとまるで自分は関係ないことのように思っていたら、「美園」と朔の声がした。美園が顔を上げると、髪を染め終わった朔が立っていた。「どう?」と横で美容師さんが笑顔で言う。
「インナーカラーを入れてみたの、全体はグレー系で。マニキュアは美園ちゃんと似た色にしたよ」
「へえ、いいじゃん」と美園は朔の髪を見た。朔の雰囲気がすごく明るい感じに変わった。
「いいでしょ?」と美容師さんも気に入っている様子だった。
車に乗り込むと朔がバックミラーを見て「ほんとにいい?」と聞いてくる。
「うん、すごくいいよ。似合ってるし明るくなったよ」と美園が言うと朔は「ほんと?良かった」と喜んでいる。
利成と明希の家に戻ると、明希が「わーすごい。良くなったね。似合ってるよ」と朔に言った。朔がすごく照れくさそうに「ありがとうございます」と頭を下げている。
朔はその後すぐにアトリエにこもって絵の続きに取り掛かった様子だった。その後から利成もアトリエに入っていった。
朔のイラストや他の仕事に関しては一旦ストップしている。黎花がそうしたのだ。今回の合作は黎花もかなりな思い入れがある様子で、その間の朔の生活費は出すというのだ。
夕食の時は、利成はアトリエから出てきたけれど朔は出て来なかった。
「朔君、どうやら集中し始めたみたいだよ」と利成が言った。
「そうなの?それは良かったけど、ご飯食べなくなるし、寝なくなるしで心配だな」と明希が言う。
「利成さんも絵を描くときや曲作りの時は、集中して時間を忘れる?」と美園は聞いた。
「俺はないよ、そういうのは。まあ、十代の頃は朝までやってたとかはあったけど、仕事をし始めてからはないね」
「そうだね、利成は普通にご飯も食べたし、寝るのも寝たし」と明希が言う。
「朔君は絵を描くと言うより、絵の世界そのものの中に入りこんじゃうから、何も聞こえなくなるし、時間も空腹も眠気もわからなくなるみたいだね」と利成が言った。
朔は空っぽを何故埋める必要があるのか?空っぽは空っぽのままでいいじゃない?と言っていたが、今キャンバスの上に色をのせていきながらどんな気持ちなのだろう。
夜寝室に入る前にそっとアトリエをのぞいてみた。朔はただ一心不乱に絵の具を塗っているようだった。そっと見つめていると、朔は絵の中に溶け込んでいきそうなくらい儚げでありながら、力強い思いを感じた。
(朔・・・頑張って・・・)
美園はそっとドアを閉めて寝室に入った。