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8 薫子様

「薫子様?」

「はい、このお店ができるときに多額の出資をしてくださった、桜井薫子様という方です。外交官をしてらして、お仕事でよくこちらの店をご利用に……」


 どういう方なのだろうと思っていると、そっと早苗さんが耳打ちしてくれた。しかし、薫子様と呼ばれた女性はわたしたちの様子が気になったのか、急にこちらに目を向ける。


「あら? あなた……昨日孤児院で見かけた子じゃない? まさか、美木が声をかけたのを真に受けてノコノコとやってきたんですの?」

「孤児院?」

「孤児院って……」


 薫子様の言葉に、従業員たちがざわめく。

 わたしは体中の血が一気に引いていくようだった。

 そう、彼女のように、孤児をあまりよく思わない人もいるのではと、わたしはさきほどの自己紹介のとき孤児院出身だということを「あえて」伏せていた。でも、ちゃんと正直に言えばよかった。美木料理長も伏せてくれていたので、ついその対応に甘えて隠してしまっていたが、こうしてみんなに知られて不審がられるくらいだったら、いっそ。


「薫子さん。彼女は今日からうちで働いてくれることになったんです。どんな境遇であろうと、お客様を真摯にもてなせる方であれば、うちではなんの問題もありません。ですから――」


 美木料理長が、そう真剣に語ってくれる。

 そんなふうに思ってくれてたんだ……。

 じんわりと胸があたたかくなった。なんでわざわざ孤児のわたしに、って思っていた。でも見た目じゃない。境遇じゃない。この子なら自分の店にふさわしいと思って、声をかけてくれたんだ。


「そう。そうですわね。ここのオーナーはあなたなのだし、採用基準について外野のわたくしが今更どうこう言うものではありませんわね。まあ、お客様へ粗相をすることがないなら、ですけど」


 そうしてまた冷たい視線が突き刺さる。

 わたしは身をすくめた。休憩室の中がまたしんと静かになる。


「ええとー、薫子様。それで今日はどういったご用件で?」


 そのとき、ことさらに明るい声がした。大和さんだった。大和さんは薫子様に対しても、いつもこんな気軽に話しかけているのだろうか。なんだか見る目が変わりそうだった。

 

「あら大和さん、今日もお元気そうですわね。ええ、いつもの予約ですわ。イタリアの商人とわたくしの同僚を引き合わせたいんですの。今夜のディナーの席は空いてまして?」

「いつもの、二階の個室ですよね? はい空いてますよー」

「そう。ならよろしく」


 薫子様はそう言うと、急に妖艶な笑みを浮かべた。歳は四十くらいだろうか。化粧をしっかりされているので正確にはわからない。けれど、恐ろしいような美しさを秘めたひとだった。

 薫子様はそれから、ひどく甘い声で美木料理長を呼ぶ。


「美木、ちょっと。あっちで話があります」

「……はい」


 みんなの前で気まずそうに席を立つと、美木料理長は薫子様とともにどこかへ行ってしまった。


「まったく、なんで父さんは性懲りもなくあの人と……」


 振りむくと、美木料理長の息子の昭さんが、拳で自分の膝を強く叩いていた。大和さんがまあまあとそれをなだめる。


「薫子様があってのこの店、だろ? 切るに切れないんだよー」

「うるさい。養子のお前になにがわかる」


 えっ。今、養子って言った? 昭さんと大和さんが……義兄弟? 我が耳を疑い、思わず隣の早苗さんを見ると、ゆっくりとうなづいた。


「母親が違うそうです」


 ああ、だから見た目も性格もあんなに違っているんだ。ふしぎな距離感の二人だなと思っていたけれど、合点がいった。


「もういい。夜の仕込みをするぞ、みんな」

「はい」

「はい」


 とっくに他の従業員たちは食事が終わっていたようで、昭さんの声かけでいっせいに席を立つ。わたしも食べ終えると皿を食堂に持っていった。

 あらかた片づけが終わると、今度は早苗さんから寮の方を案内してもらうことになった。


「料理長が不在ですので、施設の説明をしておこうと思います」

「早苗さん、お店の方は大丈夫なんですか?」

「はい。私は早番ですのでランチの時間が終わったら、あとは寮の方の仕事に移るんですよ。そのついでです」

「はあ……」


 そうしてわたしたちは廊下を進み、更衣室を通り過ぎたさらに先、寮へと向かった。

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