4 初出勤
美木オーナーの息子、昭さんは廊下の奥まで進むと「女子更衣室」と札のかかった部屋に入った。
誰もいない。
中は靴脱ぎ場の先に十畳ほどの畳が敷かれていて、中央に背もたれのない長椅子がひとつ置いてあった。二面の壁ぞいには木製の扉付きの棚があり、昭さんはそのうちの一つを無造作に開ける。
「ここを使え」
それから、別の棚の中にあったものを手渡してきた。
「仕事着だ。これに着替えたらまた厨房に声をかけろ。いいな?」
「は、はい……」
受け取ったものをよく見ると、黒っぽいワンピースと白のフリル付きエプロンだった。扉が閉められ、わたしはまた部屋にひとりにされる。
南の窓から朝日が差し込んでいる。カーテンを開けっ放しにして着替えるわけにもいかなかったので、閉めにいく。窓の外には木立や花壇があって、その向こうには別の建物が見えた。あれが住み込みで働くための寮、だろうか。
もそもそと着物から着替えると、店内に戻り、厨房と思しき場所に向かった。
中では忙しそうに立ち働く美木オーナーと、その息子、昭さんがいた。
二人は親子だというが、それぞれ何歳くらいなのだろう。美木オーナーは、生きていればわたしの父と同じくらい、四十後半だと思うが、そうだとすると昭さんとの年齢が近すぎる気がする。昭さんは私より明らかに年上で、二十代後半くらいだと思った。
「あの、着替えました……」
おそるおそる声をかけると、二人ともパッと手を止めてこちらを見る。
美木オーナーは、とても似合っている!と絶賛し、昭さんはちらっと見ただけで何も言わなかった。すぐにまたジャガイモを剥く作業に戻る。美木オーナーは葉物野菜を切っていたようだが、わたしのそばまで来ると、開店までにやることを順に教えてくれた。
「まずは、客席のテーブルを水拭きします。ふきんと水道はそこです。終わったらまた私に声をかけてください」
「わかりました」
わたしはふきんを濡らして固く絞ると、客席に向かった。飴色の八つの天板を拭き残しがないように丁寧に拭いていく。
これは、孤児院の食堂の準備をするときと同じだった。あの大きな長テーブルと、この店のテーブルは天と地ほども作りが違うけれど。
「これ、かなり高級なものよね……きっと」
八つのテーブルにはそれぞれ四つの椅子が付属していて、その座面にはすべて赤いビロードが張られていた。ついでにこの椅子の並びも整えていく。
「終わりました」
「もう終わったんですか! 手際がよくていいですね。では次に……」
美木オーナーは客に出す飲み水の用意やグラスの置き場所、メニュー表があるところなどを教えてくれた。
「葉子さんにはこれらの補充や交換をしていただきながら、客席で注文をとってもらいます。今日は初日ですので、ランチだけやってみましょうか」
「は、はい……うまくできるでしょうか」
「開店前にもう一人、女給さんが出勤してきますから。田原早苗さんという方なんですが、その方によく教わってみてください」
「はい、では、今日からよろしくお願いします。美木オーナー」
「ああ、ふふっ。店にいるときは料理長呼びでいいですよ。こちらこそ、よろしくお願いしますね、葉子さん」
その笑顔が、やはり父に似ていると思った。
優しい笑みを向けられると胸の奥がくすぐったくなる。
「ただいま戻りましたーっ!」
その時、大きな声をあげながら茶色い髪の男性が厨房に入ってきた。上下とも美木料理長たちと同じ白い調理服を着ている。彼は北側の勝手口を開けて、木箱を手際よく店内に運び込みはじめた。
「んっ、あれ? 料理長、その人誰?」
ふと顔を上げたその人は、わたしを見つけて不思議そうに近寄ってきた。
目が、淡い緑色をしている。外国人、だろうか。
「大和くん、彼女は葉子さん。今日から女給として働いてもらうことになったんだ。いろいろと教えてあげてね」
「はーい。あ、キミ何歳? オレ二十五。よろしくね、ヨーコちゃん!」
子供のようにくったくのない笑顔を向けられて、わたしはあっけにとられてしまった。