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2 丘の上へ

 その日の夕方。

 孤児院の施設長である花園さんに、仕事の誘いがあったことを話すと、彼女は目元のしわを深めながら満面の笑みで喜んでくれた。


「まあまあまあ、良かったじゃないの! お店の方から直接お声掛けがあったなんて。ああ、なんて幸運なのでしょう。神よ……」


 花園さんはそう言って胸の前で十字を切った。

 彼女は敬虔なクリスチャンだ。

 この孤児院も近くの教会が運営していて、信者の多くがその職員として携わっている。給料が出ない、ほぼボランティアだそうだが、わたしはその無償の愛を持つ人々に救われた。


「それで、どこのお店なの? ここから近いのかしら?」

「ええと……西の丘の上にある白い洋館で、リストランテなんとかっていうイタリア料理の店みたいです。住み込みでも働けるとか」

「住み込みで? それはいいわねえ。でも、西の丘の上って山手町の方よね。そんなところのお店、なんだか名前からしても高級そうな感じ」

「えっ」

「だとしたら、面接にもそれなりのお着物を着ていかないと! 今のあなたの格好じゃだめだわ」


 たしかにわたしはかなりの襤褸を着ていた。

 ここで暮らし始めてからずっと、丈が短くなっても、同じワンピースを着つづけている。


「そうだわ。わたしのとっておきのお着物、貸したげる!」


 花園さんは戦時中も食料と引き換えにいろいろなものを物々交換してたらしいが、これだけは唯一手放さなかったのだという。


「これはねえ、母が私にあつらえてくれた中でも一番好きなお着物なの。もう年で着られる柄じゃないんだけど、どうしても売ることができなくて。でもとっておいて良かったわ。さあ、これで堂々と行ってらっしゃい!」

「ありがとうございます、花園さん」


 わたしはそうして、見たこともないような上等な着物一式を受け取った。これで明日の面接に挑むことができる。



 翌朝。

 花園さんの着物を身に着け、髪を丁寧に結った。

 お化粧をするため鏡の前に立つと、なんだか自分の顔がいつもと違って見える。もう写真もなにもかも残っていないけど、記憶の中の母と似ている気がした。


「では、行ってきます」

「はい、行ってらっしゃい! 頑張ってね」


 花園さんや孤児院の仲間たちに見送られ、さっそく丘の上を目指す。

 山下町の舗装されていない道を進む。

 いろんな国の人間が行き交っていた。なかには柄の悪い連中もいるので注意しないといけない。うっかり売春婦と間違えられると路地の奥に連れていかれてしまう。この花園さんの着物を台無しにされるわけにはいかない。追いはぎなんかにも遭ったら大変だ。できるだけ気配を消して、足早に歩く。

 坂道を上る。

 いつもと違う服なので動きにくかった。でも頑張って歩いた。


「たしか、この辺だったはずだけど……」


 丘の下から見えた洋館は上に登ってみるとなかなか見つからなかった。

 この辺は一度も訪れたことがない場所だ。

 墓地が横手に見える。十字架を模した墓石がたくさんあったので外国人専用の墓地のようだ。年配のご婦人がいたので道を尋ねてみる。


「ああ、リストランテ美木さん? この先をもう少し行ったところにあるわ」

「ありがとうございます」


 しばらく行くと、果たして白い洋館はそこにあった。

 表に「リストランテ美木」と看板が出ている。

 建物は全体が白いペンキで塗られていて、窓枠だけが濃い緑だった。まだ開店前なのか、店前を店員らしき男性が掃いている。男性は若く、上下とも白い服を着ていた。あれは調理用の服だろうか。


「あのすみません、昨日こちらの方に求人のお声掛けをしていただいたのですが、面接をしていただく担当の方はいらっしゃいますでしょうか」

「……面接? はあ、ちょっと待っててください」


 男性は手早くほうきをしまうと、店の中に入っていった。

 閉められたドア上のベルがからんからんと鳴っている。周囲を見回すと、高台から横浜の街が一望できた。空襲で焼けた場所はまだ再建中だった。米軍に接収された場所も多く、かまぼこ型の兵舎がたくさん並んでいるのが見える。


「お待たせしました」


 声に振り返ると、昨日の紳士がいた。

 昨日のスーツ姿とは打って変わって、上下とも先ほどの若い男性と同じ、白い調理服を着ている。さらに、頭に異様に高い白い帽子を被っていた。


「ああ、昨日の! 来てくれたんですね、ありがとうございます」


 紳士はわたしの顔を見ると、すぐに思い出したようでぱっと笑顔になった。

 そして、すぐに店内へ案内しようとする。


「面接ですよね、じゃあさっそく中でやりましょう」

「はい。失礼いたします」


 店の扉を開けてもらい中に入る。すると、そこは夢のような空間が広がっていた。

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