14 とあるリストランテの終焉
大和さんは本場の料理をたくさん教わってきたらしいけれど、いの一番に作りたいのはティラミスだと言った。
「これ、今年教わったばっかりの洋菓子なんだー。どうしても、これをみんなに……特に葉子さんに食べてほしくてさー。それでもう今年急いで帰ろうってなったんだよ」
わたしはお店の準備の続きをしないといけなかったので、調理中の大和さんをそれ以上見ていることはできなかった。でもリストランテ美木の調理服を着て、厨房の片隅で一所懸命に仕事をしている姿は、胸にこみあげるものがあった。
やがて、料理ができたと声がかかった。もう開店時間となっていたけれど、早苗さんが「今日は特別」といって厨房に向かわせてくれる。
「お待たせしました。さ、こちらで一番に召し上がれー!」
立ち働く美木料理長や昭さん、他の料理人さんたちの視線を受けながら、わたしと大和さんは奥の休憩室に行く。
そこで、わたしは初めての料理と対面した。
平たい皿の上にケーキのようなものが乗っている。その上にはチョコレートのような茶色い粉がふんだんにかけられていた。
「ティラミスって名前はさ、私を引っ張り上げて、私を元気づけて、って意味なんだ。オレはみんなに、葉子さんに、ここまで引っ張り上げてもらったから、元気づけてもらったからさ。絶対これを食べてもらいたいって思ったんだー」
「大和さん……。ありがとうございます。じゃあ、いただきますね」
「はい、どうぞー」
スプーンで一口すくって食べる。ふわりとなめらかなクリームが口の中に広がる。それでいてほろ苦い味が奥からやってくる。これは、とても美味しい――洋菓子だ。
「おいしい、おいしいです……」
知らず知らずのうちに涙があふれていた。一口食べるたびに、幸福感で胸が満たされる。そんなわたしを大和さんが愛おしそうに眺めていた。
「九年経っちゃった。でも、そのあいだに葉子さん、とても綺麗になったね」
「えっ?」
「好きだよ。ずっと、君を心の支えにしていた」
「や、大和さん……?」
そんなことを目を見つめながら言われて、わたしはそれ以上ティラミスをのみ込めなくなってしまった。
「でも、大事にしたいのは君だけじゃない。オレ……」
「?」
なにかを深く考えこんでいるような大和さんに、わたしはまた、首をかしげた。
「また」?
そう、これは前にも、どこかで似たような人を見ている。だから同じようなそぶりだと錯覚している。それは、その人は……。
「……昭」
「昭さん」
そう、昭さんだ。
大和さんが帰ってくるという話をしたときの昭さんも、こんなそぶりをしていた。何かを深刻に思い詰めてるようなそんな表情を――。
昭さんが、休憩室に顔を出していた。
「やるのか? どうしても」
「うん。昭も、協力してくれるんでしょ」
「……」
昭さんは黙っている。わたしはなんのことを話しているのか二人に聞いた。
しかし、二人ともかたくなに答えてはくれなかった……。大和さんは優しげに微笑むと、皿を片付けに厨房に戻っていってしまった。
その夜、久しぶりに薫子様がディナーにやってきた。
イタリア語の通訳者との会食で、いつものように二階の個室が使われた。帰ってきたばかりの大和さんはさっそくあいさつに行き、本場で培った腕を存分に振るう。
なにも、問題はないように思われた。
それでもわたしは言い知れない胸騒ぎを感じていた。
閉店後、大和さんのお祝いの会が開かれた。
店を貸し切っての宴会。それは、九年前の大和さんの送別会を思い起こさせた。
しかしテーブルの上は以前とは違い、ティラミスの他に、見たことのない魚料理や、パスタの料理が山と並んでいる。わたしはそれらを噛みしめるように味わっていたが、ふと、異変を感じた。
裏庭に面した窓がうっすらと赤くなっていたのだ。
ガラスの上の、緑色のステンドグラスも赤く染まっている。
「えっ……?」
窓に近寄ると、なんと裏手の寮が炎に包まれていた。
他の従業員たちも気づいたようで、火事だ、火事だとあわてはじめる。
わたしは思わず大和さんと昭さんの姿を探した。二人は、客席を飛び出した美木料理長のあとを追っていた。わたしもすぐに追いかける。
「料理長、ダメです。もう遅いですよ」
「離せ、離してくれ! 今ならまだ消火できる!」
「危ない。やめてください!」
中庭に行くと、どうにかして寮に近づこうとしている料理長を、二人が全力で取り押さえていた。寮はもう屋根にまで火が回っている。木造の家屋なので火の手が速い。
「せめて渡り廊下は壊さなければ」
ここの屋根づたいに火が移ったら、さすがに店の方も燃えてしまう。
わたしは急いで柱に肩をぶつけにいった。
「葉子さん!?」
「葉子さん、何やってるんだ!」
大和さんと昭さんが制止しようと近寄ってくる。その隙に、拘束の解けた美木料理長も柱に体当たりしはじめる。後から来た従業員たちも、厨房から水をくんできたり、椅子や机をぶつけたりして、渡り廊下が延焼しないように奮闘しはじめた。
「どけーっ!」
そのうち、料理人の一人が車を回してきて、ロープで柱をけん引しはじめた。これはいいぞとみんなで一斉にロープを引く。しばらくして、ついに柱と屋根の一部が取り壊された。あとは同様の動きでなんとか寮と店との間を分離する。
見上げると、寮から立ち上る炎が夜空を赤く染めていた。
遠くで消防の鐘が鳴る中、わたしは呆然と立ち尽くす美木親子をじっと見守っていた。
翌朝。
周囲が明るくなるとともに、ようやく火事は鎮火した。店はなんとか残った。けれど、わたしたちの生活の場である寮は、完全に焼け落ちてしまった。
「昭、大和くん……」
力なく座り込んでいた美木料理長が、すがるように二人の息子を見上げて言う。
しかし息子たちは何も答えなかった。顔を見合わすと、美木料理長と、わたし、そして従業員たち全員、火消しで集まった人々に向けて深く頭を下げる。そして言った。「俺たちが放火しました」と。
そうして、リストランテ美木はなくなった。
昭さんと大和さんは放火の罪で捕まり、美木料理長は精神を病んで入院してしまった。早苗さんだけは美木料理長の看護を申し出たようだけれど、他の従業員たちの行方は知らない。
わたしは孤児院に戻り、今度はこどもたちを支援する側になった。
あの二人がどういう気持ちで放火したか、今ならわかる。
だからまた必ず二人に会いたい。
二人には、おいしい料理と幸福とを生み出す才能があるのだから。今度は本当の幸せを得られるよう、全力で彼らを手助けしたいと強く思った。
了
ここまでお読みいただきありがとうございました。
いけおぢ豊穣祭2に参加したことで、最後までまた書くことができました。主催の方、参加者の方、読者の方、みなさまにお礼申し上げます。
よろしければ感想などいただければ幸いです。
津月あおい




